ピコとチロの部屋

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2011年07月20日(水) お孫ちゃんの会話は、楽しめる。

次男さん一家と、娘が帰ってきました。
連休に帰るはずだった次男さん達に、
 「骨折したから・・ごめんね、もし、よかったら・・・」
と、お嫁さんにお願いして断りました。
長男さん一家は、出発一日前でしたので、帰省
お孫ちゃんとは、遊べなかったけれど、連休間は”楽しみ”をもらえました。

そして今回は、次男さん一家
六歳のTくん(孫)
 「ジイジイ、お顔に腺がある。なぜ?」
”どうして?”が会話に多い。”尋ねる”は子供の成長過程の
一つと考えてるので、うれしい。
 「しわよ!歳をとったら、できてくるのよ」
 「ママにはない!」
 「ママ、まだ、ないよ!」
 「バァバもないよ!」
 「やった!」
”こじわ”があるけど、Tくんには気付かれない。

台風が近付いてる影響で、おひさまは、隠れたり、でたり・・
とはいっても、外遊びは、汗がじんわりとでる。足をかばってるから、ちょっと大変
4歳のMちゃんが
 「バァバ!手をはなしてもいいよ」
三輪車遊び!上手にこげるようになりました。
 「バァバ!自転車は乗れないの?」
 「自転車はやめとこうね」
 「バァバ!足、痛いもんね」
ちゃんと、なぜ、出来ないのかがわかってそうです。

一年生のTくんが『大きくなったら、なりたいものは?』と、
旦那が聞いたら
 「サッカー選手!」
 「サッカー楽しいもんね。好きだよね。」
幼稚園の頃から、サッカーをしています。
 「あっ、それから、お医者さんになるんだから・・」
 「じゃ〜ジイジイが病気になったら、治してもらうからね。」
 「えっ!ジイジイ、生きてるの?」
おぉ〜、でもでもでも・・・・・・・・・
でも、考えたら六歳のTくんが、お医者さんになれるとしたら、
”ジイジイの年はいくつ?”

今から、数年後をちゃんと理解できている。
六歳と○歳の差を理解できている。
Tくん、君は賢い。バァバのお孫ちゃん褒めたい優しさ!!

Mちゃん、Tくんのパパさんに、五歳の頃、私はいろいろ質問を
していました。五歳の子供って、面白い答えをだしてくれる。
 「おバカさん、泣き虫さん、どっちを言われたら、いやになるの?」
 「バカがいや!バカはなおらないから・・泣き虫は、泣かなかったらいいもん!」
てな、模範解答を受けました。(笑)【育児日記より】

お孫ちゃんの会話を、書きとめるのも楽しいかしら!


2011年07月16日(土) 骨折いろいろ:骨折その後

骨折をしてから二ヵ月半!
7月に入り、”水中ウオーキング・一時間”を続けていますが
足の腫れはまだ残っています。
足の甲、丸くなってそうなあの大きな、血管が浮き出てから
後の血管が見えません。まだ、丸みを帯びたふくらみが全体にあります。
足首の腫れもあります。
足の指、五本の隙間が、ピッチリ、見えるようになったのが、うれしい。

フイットネスクラブを二ヶ月、退会してて入会7月
クラブ内でよく話してた彼女らから、
 「見かけなかったけど、どうしたの?」
”骨折してたの!”と言うと”どうして?どこで?”
聞かれます。
何だか、わかります。”自分の失敗をしない為・気にかけながらの行動”
が尋ねることから出来るようになります。

こんな話は、広がるのでしょうね。
『骨折をしてました』
の方々から。お声もかかるようになりました。
こんな人には、自分の今までを話しながら、彼女らの経過も
聞けます。
ギブスをはずした時の黒ずんだ足!皆さんもやっぱりそうでした。
病院で、片方の足は、靴下
ギブスのはずれた足と、比べるが出来なくて、帰宅してから
靴下をとり、両足を比べて、驚いたあの日!!!!!!!
同じ箇所を、骨折したことのある、T子に電話をして、聞いたっけ!

足首骨折・彼女
 「高野山の最後の日、薄暗くて、最後の階段と思ってたら、
      もう一段、残ってて踏み外して骨折。車椅子で帰ったの!」
”旅先で骨折なんて最悪よ。最終日でよかったけど”
高野山の旅は、最終日だったわ!そして、船に乗ったわ!と
思い出す私

背中骨折・彼女
 「トイレでふらついて、ドアノブにぶつけて背中骨折」
腰にギブスをつけた彼女
 「力がだせないの!トイレが出来ない!出せないの!」
便を取り出してもらったと彼女
水中ウオーキングをしてたら、水圧で背中が痛くなり
向きを、前後、かえながら歩いたと・・・・・・

ゆっくりと歩いてる私
アクアのプールで・・・・・
アクアの講座のあったその日。ウォーキングコースに入った私
すれ違う時の水圧は、前に進みづらい。

膝の痛みがなおりましたの、彼女
 「病院の治療に行くくらいなら、水中ウォーキング」
と言いました。
その、昔、水泳教室に通ってた頃、ご主人さんに抱きかかえながら
プールに入ってた彼女
”歩けるようになりました”を見たことがあります。
そして、一緒に、”水泳教室”で学んだ事が・・・・・

靭帯損傷・彼女
 「そこにいたばっかりに、ほんとに不幸」
と言い、災難はどこにあるかわからないと言いました。
エアロをしてて、斜め前の人が、ふらついて彼女にぶつかり
転んだ彼女の足の上に、お尻がのっかり座った格好に・・・
 「ボキボキと音がしたよ」
と彼女
ギブス生活になった彼女!
人気インストラクターのエアロは、教室がいっぱいになります。
人に、迷惑はかけないように。かけられないように。

こたつの足につまづいて骨折の彼
第五中足骨折。彼は、別会場に移ってましたので、奥さんに聞いて・・
こたつで食事してて、お盆にのせて、終えた皿とかを運ぼうとして
こたつの足につまづいて・・・・・
 「あのね、三ヶ月で治癒と言われてたよ」
三ヶ月?月末に診察があります。三ヶ月目です。
”二週間で腫れはひくのかしら?骨折後の状態は?"

骨折したとき、お嫁さんから
 「お母さん、入院したら?」
と言われました。入院施設のある病院でなかったから・・・
”おかずは、買ってきて!お弁当もいいし、パンもいいし・・”
今の世の中はおかずは何でも、手にはいるし、台所仕事が
出来なくても暮らせます。
一ヵ月半から、椅子を使いながら、食事作りを始めました。
我家の家計簿締切日は15日です。変った事とは
支出費用:少なくなりました。
ポリのゴミだしが、少なくなりました。

旅の大好きな私が、いろんな、趣味の会に入会してて・・・
7月23日の旅!不参加ですと連絡
骨折したばっかりに、五つ目のキャンセル。主人が
 「お金が、残ったからよかったでないの?」
と、言った。そう言われてみれば、
『お互いが使ってる二万円のお小遣い』残ったわね。
で、何時、何に使うの?
孫に会いに、東京に言ってやるから・・・・・(笑)
【カボチャ・ヒジキのサラダを土曜日の料理で紹介。カボチャが沢山、出回ってる今の、時期に是非、お試しを・・】


2011年07月07日(木) 骨折後の筋肉量:九電のやらせメール

第五中足骨折のその後をいろいろ書きましたが、
骨がひっついた時には体重が3キログラム増えていました。

7月2日の水中ウオーキング 自分の体力が落ちましたを
はっきりと感じ取れました。ゆっくりゆっくりのウオーキングが
30分を過ぎた頃からきつくなりました。
部屋の中をウロウロするくらいの動きでしたから、わかりましたが・・・

4日。5日。 一時間の水中ウォーキング。足を使わずにバランスボール
       乗馬タイプのフイットネスマシーン
6日に気付きました。足の甲の血管が見える。
膨れ上がった足から、血管なんて、骨折後、消えてました。
嬉しい成果です。やはり、動かさないと腫れはひきません。
私の不器用さの現れですか。信じられない事ですが、
普通の歩き方が出来ませんでした。
いつも、左足に体重をかけてた私は、左右の足を同じ感じで歩けず、
ピョコ、ピョコン歩きです。
慣れるでしょう。そのうちに・・・

フィットネスクラブに退会届を出してたので、入会しました。
新会員さんには筋力測定等があります。
6日、受けました。
11月(誕生月に測定)左右の足の筋肉→6.3キロ
7月6日       左足→6.3キロ。右足→6.2キロ
細く見える右足は6.2キロと測定
体重の3キロ増えましたは、適正体重から、さらに程遠くなり
体脂肪も増えて・・・・・。
二ヶ月間のゆったり生活の結果がでました。
三週間後の診察で、結果がだせたらうれしいです。

九電のやらせメール。
”自宅からネットに接続を指示”
指示。。。。。こんなこわい言葉はありません。
『洩れます』とは考えられなかったんでしょうか。
原子力発電の是非に国民が敏感になってる、この時期に
とんでもないことを、しましたね。誰かに漏らされます。
懸賞では、”社員。家族。関係者は応募資格がありません”と、
言われていますね。
九州電力からは”節電要請を緩和する方向”と、聞いてましたが
”やらせメールがありました”で状況はかわるでしょうね。


2011年07月02日(土) 過去からの手紙は”10年後の幸せ”でした。

やったー!ばんざいを思わず叫びたくなっていました。
七月一日 
何と嬉しい言葉が聞けたのでしょう。
 「大丈夫!骨がつきましたね。」
レントゲン写真を覗きこんでたら、
 「ね。黒い処がなくなったでしょう」
 「うれしいです。有難う御座いました。」
さあ〜、それから私からの先生への質問攻めです。
 「これから、どうすればいいでしょう?」
正座はまだいけません。ウォーキングも駄目ですね。
散歩らしきもやめときましょうね。
家の中を歩き回る。買い物をするはいいでしょう。
プールでの水中ウォーキングをしたらいいでしょう。
 「あの〜エアロとかになるのは、かなりかかるでしょうね?」
 「個人個人で違いますから、エアロはしばらく考えないで・・・」
エアロでとんだりはねたり、したかったのですが、我慢、我慢です。
60日をオーバーした、足の骨折と『さよなら』です。

過去からの手紙を開きました。10年後の私の願いがこめられていました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
        10年後のしあわせ
10年後の私はどんなに過ごしてるでしょう。大好きな私の子供たちは
大好きになれそうな、彼や彼女達と、幸せをみつけて子供がいます。
何人になってるのでしょう。かわいくてしようがない・・・
私はそんなしあわせをみつけています。
お父さんとの生活はどうなってるのでしょう?私をさんざん苦しめた
○○○○はなくなってるのでしょうか。
人生って不思議です。今、私は最後がよければいいと考えようとしています。
幸せとは自分で勝ち取らねばと思います。
私の手元にこの手紙が届いた時、私はどんな幸せを手に入れてるでしょう。
私の大好きな友達、彼女達は、きっと私と仲良くしてくれてるでしょう。
おしゃべりをして、ワァワアキャキャ騒いでるでしょう。
体は健康でありたい・・この日、私は絶対に健康な体で迎えたい。
人間、健康が一番だから・・・今日からの10年間、健康づくりを
しながら生きたい。自分の気持ちをいつわらず、自由に生きたい。
私の大好きな子供達!そしてお友達!こんなすばらしい人達に囲まれ
私はとっても幸せに生きています。
私の人生。○○さんの人生。バンザイ!!
ーーーーーーーーーーーーーーーーー
手紙は全て”パソコン打ち”で、手書きなんて、全然してなかった私が
手書きをしていました。
『骨折』で迎えた10年後!こんな不自由な体とは?
未来を予測するっては、難しい!?
10年前、私が追い求めてた幸せ!しっかりと、勝ち取りたいです。
『10年日記』の中にこの手紙を挟み込み、大事に残していたいです。
私の人生いろいろは、日記帳からですね。

プールでウォーキング!今日から挑戦です。


2011年06月28日(火) お嫁さんが作った”おかず”が消えた理由

骨折日記ではありませんが、何と、治りが遅いんですかの私の足!
骨のひっつきは、後、一歩ですが、腫れはひきません。

27日、気付いたのですが、五本の足の指に隙間が出来た!
今までは、五本の指がピッタリとくっついてた!
やりました!
腫れがだんだんとひいてきてるのが、わかりました。
甲はまだ、プックリふくらんでる。足の色が左右で違う。
左→白っぽい。右→ちょっと赤みがったぽい。
左右が白っぽくなって、腫れがひいたら・・・治癒ですか?

度々、電話をしてくれる、友達には”治ったら電話をかけるから”
と伝えていましたが・・・彼女は福岡からなので、申し訳ないうれしさ。
 「しばらく、電話がないけど、どうしてる?」
A子から・・・・・・・・
『足が腫れててね・・・・・』
と、いっぱいの報告をしてから、A子のお話を聞きました。

A子、田舎に一人暮らしのお義母さんがいて、週末に帰ってお世話を
しています。帰り際には冷蔵庫に”おかずを作って入れて”
夜、お義母さんから電話
 「おかずが、全部なくなった!どうしよう」
A子が尋ねたら
冷蔵庫をあけて、ご飯を食べようとしてたら、電話があって・・・・・・
お義母さんが、友達との電話を終えて、台所にきたら、
開いたままで、閉め忘れた冷蔵庫から、食べ物が消えていました。
 「野良猫がはいって、冷蔵庫のなかを食べた!」
『黒猫と、白猫がいるけど、どっちなんだか?』

冷蔵庫が開いたままだったんです。野良猫がはいりこんだんです。
 「犯人が黒か白か、わからないのね」
笑ってはいけないんですが、笑ってた私
A子が”網戸を閉めてなかった、お義母さんが悪いんです”
と”言ってやりました”と言いました。

物忘れの原因って、”何かをしてた時に、何かがおきる”
ですが、”何かがおきる”には、電話がかかってくる・だよね。
あっ、お客さんが来ましたもあるかしら?
お義母さんのお話は、『私にも当てはまりそう!心がけとく!忘れないよ!』


2011年06月23日(木) 松葉杖だったから、犯した恥ずかしい罪

 「もう少しですね。」
と先生 
 「あ〜又、駄目かしら。足の腫れはひかないし、筋肉も落ちてるし・・・」
なかば、つぶやいてるような私に、又、お決まりの言葉が
 「だから、言ってるでしょう?骨折を甘く考えたらいけませんと・・・」
”足は充分に足を使うようにならねば、腫れはひきませんから”と・・・
 「痛みますか?」
骨折箇所を押されてるけど、痛みはなし!
 「よかったですね。痛みがないのは幸せと思って・・・」
がっかりしてそうな、私を察してか、先生!お言葉が上手です!!!!!!

さあ〜、思い出せば松葉杖のあの頃の、恥ずかしかったお話を書きましょうか。
上手につけない松葉杖で、玄関に出て、訪問客のお相手、大変です。
出かける主人に玄関の鍵は閉めてもらい、『居留守』を使う事にしていました。

お部屋で”テレビを観る。新聞を読む。”
少しでも明るい方が良いので、窓際のレースのカーテンは開けたままに
していました。
居間の窓ガラスは下が型板ガラス。上半分が透明ガラス。
座っていれば、外から、私は見えません。

午後三時過ぎ!時間まではっきり覚えていますわ!
韓国ドラマ、”みんなでチャチャチャ”の時間でした。
門の側に白っぽい車がとまりました。窓越しに映る影を見ていました。
男性が庭に入りました。車庫をすりぬけました。
家に近付いてくる。戸袋がある、壁際へと消えた!何だろう?誰だろう?
数分したら黒っぽいシャツ男が又、庭に現れた!そして、主人の車の横で立ち止まる。
何してるんだろう?
立ち上がって、覗くことも、しないまま、私はテレビ画面へ・・

黒っぽいシャツ男は庭を出て、道路に出て、白い車へ・・・・・・・
すると、再度、庭に入り、玄関へ近付いて来る。
ピンポン!
えっ、お客さん?いつものように居留守扱い。急いでテレビの音を小さくする。
ピンポン!
一度目を返事してないのに、二度目のピンポン、チャイムには答えられない。

数分して、居間の窓に近付いて透明な処から、顔を出した黒いシャツ男
窓から、頭、ひとつはでる高さであるを、この時に知りました。
黒いシャツの男が言った。
 「奥さん、お荷物なんだけど・・」
居間にいた私と、バッチリ、目があう・・バツが悪い。
玄関まで這って行って、土間に片足をおろして、鍵をはずし、開ける。
 「お荷物です。」
 「すみません。骨折してるもので・・・」
蚊の鳴くような声での私からの弁解?こんな時、大きな声はだせない。
すると こう言いましたわ!
 「テレビの音がしたので、いると思ったから・・・・・・・・・」
お〜〜〜〜〜い 黒シャツ男(黒シャツ男と言いたくなる私)
先ほど前迄の、不審な行動は、『我が家が留守かどうかの確認?』

夜、主人に”こんな恥ずかしい事はなかった”と報告したら
 「二度、配達はいやだったんでない?車はあるし、カーテンは開いてるし、
               留守とは思わなかったんだろう」
 「でもね、でもね、・・・・・・」
私はどうしても何かを言いたかった。
 「お父さんの、車が車庫にあったのがいけなかったの?」
主人が笑い出す。
その日は友達と車で乗り合わせての、お出かけだった旦那さまでした。

通販の配達が、あの黒シャツおじさまです。一ヶ月に一度、会わねばならないの?
私がいけないのはわかってるけど、心情的には、二度と会いたくない人です。


2011年06月14日(火) 10年後の私は骨折でした。:甘い梅干の漬け方(農家の方に教わって)

今日は、主人がバス旅行なので六時に起きて、六時半、お見送り!
洗濯を終えました。七時半!
庭でウグイスがないていました。洗濯物が上手に干せました。

4月27日。
事故にあうのは、運命と言いますが・・・・・。
それまでも幾度も、自宅階段を踏み外した事のある私
その日、ベランダに干してあった布団を一階へ・・・
布団を持って階段を降りる・・には、前が見えなくなるので、必ず、階段を確かめながら・・
そして、布団を降ろして、又、二階へ
次に枕を二個、手にして、チョンチョンと階段を降りていました。
そして、最後の階段を踏み外して、足は『くの字』のように曲がりました。

午後四時!
痛む右足をしばらくして眺めたら、甲に小さなコブのような腫れが・・・
やがて、そのコブは消えて、歩くと痛む。
歩くのが変な感じ。足の裏側を見たらプックリと、お饅頭みたいに
丸くふくらんでる。
丸くふくらんでるから?? 床にさわる足裏が、変な感触?
痛いので指先で歩いてみたら痛みません。つま先立ちで歩くと痛まない。

4月28日
肩の痛みの治療をうけてる整形外科へ・・・・・
痛み。腫れがありましたが私は捻挫のつもりでの診察
レントゲンを終えて、待合室で・・・肩のレントゲンではすぐ診察室に
呼ばれたのに、次々に他の患者さんが呼ばれて・・後に回されてそうな自分
週刊誌を読みながら、”どうして呼ばれないの?なぜかしら?”すると
 「○○さん、どうぞ!」
 「骨折です。ポッキリと折れています。」
はっきりとわかる、レントゲン写真を見ながら、私の最初の言葉は、忘れません。
 「うそでしょう?」でした。
 「いや、ほんとですよ。骨折を簡単に考えたらいけません。」
 「あぁ〜、クラス会があるし、四国旅行も申し込んでる・・・」
小声でつぶやいてたら、
 「クラス会はいつですか」そして答えた私に「あきらめましょうか」と先生
 「枕を持ってただけなのに・・なんて、馬鹿なことをしたんでしょう。」
 「骨折って、そんなものです。さぁ〜ギブスをしましょう。」
あきらめきれず、頭の中でしっかりとぼやいていました。先生からうながされて・・・
 「腫れてきますから、やわらかいので、腫れがおさまったら、硬いギブスで・・」
松葉杖を手渡されました。
看護婦さんが「右腕、左腕の動かし方。右足はつかないで浮かしたままで・・」
”脇の下でささえたら、痛めますから腕で・・”
と言われながらギブスに要領がつかめません。松葉杖がうまく使えません。
28日のあの日はこんな会話でした。

松葉杖で”ピョンピョン跳び”の生活が始まりました。
両手松葉杖の生活とは、物の持ち運びが出来ません。
やかんの湯をポットに入れる・・こんな簡単な事が、大変な作業です。
洗濯をしました。”洗濯物を干す”が出来ません。肩脇に松葉杖をささえて
”どうにか干せました”でした。

連休に、長男家族が帰省
上手に松葉杖が使えてなさそうな私に、長男が
 「両方の足の前に、松葉杖をおいて、飛ぶようにしたら・・」
長男が手本を示す!
 「あれっ!これ、楽だね。今まで、むずかしい事、してたね」
松葉杖の私!孫とも遊べず、つらい一週間でした。
長男家族から、一足おくれて、発った娘が
居間に布団!そして、私がほしい、身の回りのしなものを、ダンボールにいれ
枕元へ・・・・・。動かずに、欲しい物が手にとれます。快適生活の始まり!!
座椅子に座れば、”足はくの字曲げ”これはつかれます。
正座がなんと楽なのでしょうも、今回感じたこと。
居間に布団は寝っころがる事が出来ました。
居間。寝室(ベッド)。台所。三箇所での移動生活です。

5月9日
腫れがひいたからと固めのギブス。踵で歩けるようになり、楽になりました。
16日、レントゲンに変化なし。
23日、うっすらと、一本線のようながあり。”骨ができてきましたね”と
30日、一本線が二本腺のような感じで、ちょっと太めになりました。    
    第五中足骨折。骨の左側部分に軟骨?でも骨折部分はぱっくり開いたままです。
6月6日
ギブスが外れました。足は腫れてて、茶色い、というよりどす黒い右足
    骨はくっついていません。それで親指側で歩くようにとの指導
13日、骨はくっついていません。完全につくのはいつかしら!
    親指側で歩いてますが、足の底はしびれがあるような感じが、おさまりません。
モーラス(湿布薬)がでました。日中、貼ってるとはがれるので、初めは片方にソックス
そして、気付いたのが、ストッキング!足元からハサミで切って、湿布薬の上から
はきました。足首はゴムがなくとも、脱げない。湿布は、はがれない。
スカートでお出かけなんてが、なくなって、利用価値のなくなってたストッキングが
こんな形で、よみがえりました。
右足の筋肉がおちました。ふくらはぎが、細くなりました。体重は2キロ増えました。

2001年、佐伯市が市制施行60周年記念で”10年後に届けられる手紙”を募っていました。
『10年後の私へ』多分、そんな感じでしょう。私宛の手紙を書きました。その手紙が連休中に届きました。
『10年後の私は骨折?』 
骨がくっつきましたら、手紙を開こうと考えています。10年前の私にその時は出会えます。

”土曜日の料理”に、農家の方から教わった”甘い梅干の漬け方”を紹介しています。


2011年04月10日(日) 皇室の方々:東日本大震災・あす一ヶ月

東日本大震災 あす1ヶ月
読売新聞4月10日一面です。

通信販売を利用してる私です。4月号で”緊急お知らせ”とありました。
『三陸産生わかめ。重兵衛さんのとろろこんぶ。けずり真こんぶ。仙台味噌。丸大豆醤油』
しばらく、販売休止とさせていただきます。

いろんな方面での復旧が、一日でも早くと、お祈りしています。

掲示板へある方が投稿して下さいました。
そして、そこへの私の返信を、”コピー貼り付け”をしました。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
おじさまと私は同世代(私の年齢は常に内緒ですが・・(笑))
崩御 あの時の新聞で昭和天皇・マッカーサー元帥の一枚の写真。
そしてそこにありました記事に涙した私でした。
オリンピックの”君が代”に、胸があつくなり、ジーンとなるのも私です。

皇室の方々には、いつも頭のさがる思いを
感じています。 
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
こんにちわ!

今日は朝から暇で、ためこんでた新聞を読んでいます。

皇太子ご夫妻”東京の避難所へ”
ご夫妻がそろって、床に正座して一人一人
の話に耳をかたむけて・・・・・
そして、次に
『被災者の求めで写真撮影に応じられたり・・・』
とありました。そこで、わからなくなりました。
皇太子ご夫妻に、写真を?
写メでしょうか。お若い方でしょうか。

こんなところが、おじさんと同じように私にも、理解出来ません。
そして、83歳のおばさまが
「優しい言葉がありがたかった」と
話されましたとありました。
”83歳”の年齢からしのばれる、素敵さ・心温まる、
気持ちになれてる私でした。

読売新聞からなのですが、二つの出来事を
対比させて、読者に何かを伝えてるのかしら!と・・・
私って、深読み、しすぎてますか。 
:2011/04/07 読売新聞朝刊から
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皇室の方々の国民を思いやる優しいお気持ちに、ふれています。
そして、『礼儀。作法。』日本人は世界に誇れるものと、感じていましたが・・・・・。


2011年04月08日(金) ”茶のみ友達”がほしいよ!!

時々、電話があり、お話する人
貴重な、”電話友達”です。なぜか、日常会話ができてる友達!

ご主人さんが亡くなった時に、A子から聞いたこちらは忘れられません。
 「あのね、親が亡くなるのとは全然、違ったの!夫が亡くなるのは・・」
テレビドラマでもありますがずっと心に残りそうな言葉ってありますね。
私は、A子から聞いた、言葉で
”悲しさのいろいろ”に気付いていました。

今日は久しぶりの、電話でした。
 「A子!」
そう、呼んだ私に、”あらっ!なにごと?”と問うてきました。
そこには懐かしい声が・・・・・。

近況報告。A子が
 「先月、旦那の三回忌を、終えたの!これで最後ね。七回忌は、夫の身内はよばないから」
こんな感じで”親戚つきあい”は消えていくのねと、言いました。
血縁関係ってそんなものでしょう。
『近くの他人』と言いますが、これは事実と思います。
親戚なんて、親が亡くなれば、”自然消滅”です。悲しいですが・・・・・・

A子が
 「茶のみ友達がほしいの!誰か、紹介して!」
私に、紹介できる、男性なんていませんよ〜。
 「あのね、結婚はしたくないから・・・遺族年金があるから、生活は出来るの!」
”シルバーの合コンってないかしら?あなた!お町に住んでるから・・”
考えるとA子は田舎です。
町に住んでたところで、シルバー合コンなんて知らないよ〜〜

同級生仲間で、話がでます。
 「男は定年があるからいいね。女は死ぬまで家事は続く。食事つくりはあるし・・」
『夫が亡くなれば結婚はしたくない』
とは、女性でしたら、きっと、わかると思います。
一人でのんびりが、なんと楽であろうかと・・・・・。

40代の頃、お隣さんと話したことがあります。
 「男の人と話した事がないね。いつ、話したか忘れた!!」
 「話すとしたら、宅急便のお兄ちゃんだね!」
さぁ〜あの日から数十年!
私には男性と話せる機会はできました?
一ヶ月に一度、趣味仲間の、おじさまとの話。会費6000円の出費つきで。。
(‐^▽^‐) オーホッホ
そして、A子は『茶のみ友達がほしい』と言いました。
何だかわかりそうになってる私


2011年03月25日(金) あなたには、”霊感がある”と言われたら?

同級生四人、集合です。桜、開花宣言が前日、ありました。
三月下旬なのに寒い!前日、A子から、”どんな服を着て行くの?”
と電話がありました。冬支度では恥ずかしいかしらと言いながら・・・
”黒っぽくて、前ボタンありよ”と言ってたら、
”あらっ!そちらの服だったの!”と聞かれる。
お出かけの、お洋服電話をしあうのも、私らです。
市内中心部に集合ですから・・
道行く人らの、コート姿が目立ちました。

五月にクラス会がありますので、昔、話になりました。
おばさまでは、そこに必ず『男の子登場』です。

B子が肩をすぼめて、”ワァ〜えっ〜”と言った話です。
私に”霊感があるんでないの!”と言われました。
同級生のこのメンバーには、初めて話しました。
おばさま年齢は、いろいろと白状しますわね。したくなるのかしら!(*^-^)ニコ

高校時代の同級生、Z男と私の話
卒業後、一年後、”文通してください”とあり、手紙の交換を
していました。文面といえば、お仕事や、日常のこと

家庭に電話がない時代です。
”ペンフレンド募集”雑誌ではこんなページがあった時代です。
”文通”って言葉、今、あるのかしら!
Z男から、ある日、写真が届き、”写真をください”とあったときに
お断りして、理由を書いた、記憶があります。
文通はそこで終了

25歳。結婚をしていました。Z男から、クラス会のご案内でした。
自宅に届いた案内状は、母から、私の手元に届きました。
九州を遠く離れていましたので欠席
そして、Z男からクラス会の写真が届きました。そしてお礼状を書いて・・・・・。

私には、地元に残ってる、親友K子がいます。
彼女とは、年に数回、電話をしあう友達です。と言っても3〜4回です。
ある日のこと。話したくなって電話!するととんでもない、事を聞きました。
 「Z男が亡くなって、きょう、葬儀!同級生と行くから・・・」
関西にいるはずです。葬儀は親元でしたのでしょう。
 「同級生で行くけれど、参列します?」
そう聞かれて、丁重に断った記憶があります。
40代でしたし、お若いし、信じられない出来事でした。

数日後、K子にZ男さんとの、いきさつをお話しました。
その時のK子とおんなじ、反応を今回、彼女らもしました。
 「しょっちゅう、電話をかけないのに、なぜ、その日にかけたのかしら!」
 「呼び寄せられたのよ。あなたには、霊感があるわ」

Z男から届いてた写真。当時の出席者に尋ねたら、誰も持っていませんを
知り、Z男の親友、X男からほしいと言われて、『クラス会写真』を
届ける時に、一緒に送りました。こんな文面を書き加えて・・・・・・
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○年前です。Z男さんから届いてた写真です。
ある時、古いアルバムを開いててみつけました。ちょっぴり、いたんでる写真を
眺めながら、”いつ、アルバムにはさみこんだのかしら”
覚えていませんでした。周りの他の写真を見ていましたら、この一枚だけ、年代が
違ってて・・・。アルバムに整理をしないまま、長い間、そのままで、持ち歩いてた・・
が、何となくわかりました。
同級生の写真です。きっと、捨てられなかったのでしょう。
その後、当時、出席されていました”どなたかのお手元に届けたい”なんて
考えていました。
Z男さんが、そして、一枚の写真は、私のアルバムに残されてるよりも
X男さんに届くとなれば、喜ぶのではないかしらと、考えました。
あの日のクラス会をなつかしんで、思い出して下さいね。
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