よりぬき音盤。

2004年02月11日(水) ATD企画イヴェント@新宿ACBホール

 盟友さわだくん属するハードコア・エモバンド、AFTER THE DYINGのはじめて企画する(←確か)イヴェント。イヴェント名はあったのかな?総勢7バンドの大所帯。
 この日、ヤフーオークションで落札したソニーのターンテーブルの配送便を夕方まで待っていたので、受け取って動作確認して、すぐに会場に乗り込んだ時には3バンド目(SPOILLER)が終了直前。
 4番手がTORNADO。あいかわらず熱い。ステージ前方モッシュの嵐。CDRを買っておく。6番手、つまりトリ前のSTUCK INSIDEが2,3曲やってから唐突に「東京では、今日が最後です」解散を表明。これにはイヴェント企画側も知らされてなかったらしく、会場が騒然。
 Vo.が、「エモなんて世間で騒がれる以前から、俺たちはやっていたんだぜ!」と吠えて新曲2曲を披露。「(解散するってのに)新曲なんてありえなくね?」と言わんばかりの美曲。リリースしたら評判になってただろうに。
 
 理由は経済的なことが大半を占めたのだろう。いい曲を書いても、メジャーでアルバムを発表しても、売れない。ツアーをしても自らの物販ブースを欠品させるままという、自転車操業的なバンド運営もたしかに杜撰だったものといえるかもしれない。
 でも、パンクバンドを自称する者がメジャーの事務所専属のサラリーマンになり果てたり、インディー精神発揮して手先器用な経営家になったり、それらがパンクバンドのアイデンティティーといえるのか。
 負け犬の遠吠えに映るかもしれないが、もともとパンクとは刺し違え・共倒れ上等の必敗の政治学みたいなものであり、すでにそこには勝ち負けの中に価値観があるのではなく、美学があるかどうかに集約される。
 エモ、というよりはこの日の激パンクロックたるSTUCK INSIDEの咆哮を目の当たりにした者は次々に拳を突き上げ、熱気の輪をつくった。
 そこにいられる充実。(もちろん束の間だけの)報われたと感ずる幸福。あとはもう、どうだっていい。

 トリのATDは演奏ズタボロだった。メンバーもしょげていた。さわだくんには声もかけられなかった。

 帰りの駅近くのラーメン屋でげんこつにんにくラーメンを食べる。

 



2004年02月10日(火) 宿酔い。E町駅ホームの柱に嘔吐。

 前日の飲みの余波。まったく朝っぱら、と考える頭の隅で「嘔吐ってサルトルみたいでカッコE」と余裕。
 毎回思う。もうアルコールはやめよう、と。で毎回リミッター切れてブッ飛んじゃう。

 バイト楽し〜!!顔だけは素面で職場で気を吐きまくってると、参加者の面々が「なぜこいつは宿酔いにならぬのじゃ」な怪訝な表情。
 ぬははは!ばっちりふらふらである。でももっと酷い修羅場ならいくらでも経験してるし(血をみたこともあるし)、立つことさえできれば、たいてい仕事というものはできるものなのだ。それにオイラの場合、多少体調不良のほうが、接客態度が丁寧になるというアウトサイダー気質。

 中古ゲームソフト担当のもてぎくんが、「人手不足でやってられねー」と半ギレ。「中古フロアからの情報筋なんだけど…」とオイラに持ちかける。
 なんでも、慢性的な人手不足のわがショップは、大々的に契約社員を採用する準備があるのだという。んで、アルバイト諸氏は週4上限にされるというわけだ。つまりリストラだ。
 オイラみたいに午前中をコンビニバイトに費やしてる二足ワラジ野郎にとっては、週4なんてかえって諸手を挙げて大賛成なのである。が、もてぎくんのようなガチンコフリーターのとっては死活問題らしい。
 「週4に削られるくらいなら辞めてやる!」と鼻息も荒げ。

 オイラは今の売場や、DVDの今後だとか、音楽業界のなんとかとか、別にそういったこと使命感めいたことは眼中になく、ただ今のバイトに固執する理由は、

 スタッフレンタルなら、タダ。という特典だけなのだ。

 レンタルフロアのパンク〜オルタナ、あとテクノ系のCDアルバムを焼けるだけ焼いて、将来はMP3化にでも自分だけのライブラリを作って、でネットで海賊放送でもはじめる。これである。
 だから、まだまだ辞めるわけにはいかんのだ。これぞ我が闘争。

 仕事帰り、ホームの柱を注視するも今朝の我がマーキングの痕跡なし。

 鶏のムネ肉と玉ネギと卵、あとカップそばに付属している天プラでみそ汁をつくる。カブづけとネギキムチ、おそうざいのきざみ昆布でごはんをいただく。
 カップそばのあの天プラ。ふだんはいらないので(ふやけてだしが死ぬから)冷蔵庫に放っておくのだが、たまにインスタントみそ汁の具とかにして入れると結構うまいのだ。

 ピクシーズはまじで本格再始動するらしい。6月のロンドン公演2DAYSは数分でソールドアウト。すげえ。

 



2004年02月09日(月) 今夜のハードコア・ラジオはフガジを特集。

 ハードコア・ラジオといっても、店内BGM(普段はMISIAとかCHEMISTRYとかかかっとる。あと有線とか)をハードコア爆音で流すだけ。しかも深夜。
 これをやるとたちまち社員から内線がかかって来てクレームを食らう。
 でもフガジならパッと聞きギターロックな感触なので、あまり干渉は受けない。
 新しい社員は音楽には詳しいが、得意分野がブレイクビーツ〜ヒップホップ系なので、パンク〜オルタナな泥沼音は素通りなのだ。

 パンク〜オルタナな泥沼音にずっぷりはまっておる己を客観的に判断して、あまり幸福な人生とはいえぬわけだから(←ニヤニヤ)、社員の資質をうんぬん言うことはできない。オイラの好きなのって、売れてる音じゃないしね。

 ちなみに流したのは、フガジ/エンドヒッツ〜ソニー・ヴィンセント〜なぜか最後にザ・ヴァーヴの2ndでしっとりと閉店。

 この日はくずやさんの最終出勤日。
 閉店しても、通常は朝5時までの勤務なのだが、この日ばかりはDVDフロア皆午前2時で早々に退勤。当直のいとうさんが、「エッ、帰っちゃうの?」と目を丸くしておった。

 渋谷駅近辺の焼鳥屋(名前失念)にて既に飲み始めてた連中と合流。
 狭い席に皆で縮こまるようにスシ詰めになって、くずやさんの前途を祝う。
 くずやさんはオイラと同じ齢で、フロアスタッフの高齢化に貢献して来た剛の者である。時代の人間で、以前飲んだ時もその後はカラオケ、それもクィーンやガンズ、果てはメタリカ。みたいな空気に大いに盛り上がったものである。
 うまく就職できて(業界に潜り込めて)、我が事のように嬉しい。

 くずやさん、挨拶の場(?)で、柄にもなく涙声になって、
 「皆さん、ありがとう」などと言ってその場にいたひとりひとりに宛てて書いて来たポストカード(ラス・メイヤーの映画のやつ)を配っていた。マメなオヤジである。しみずさんがもらい泣きしていた。

 異様な盛り上がりにすっかりオイラも日本酒ガブ飲みさせられ、気持ちよくゲロンゲロンやってたら、あっという間に朝7時。
 同様にゲロンゲロンに酔いつぶれたくずやさんを、さのさんが横から担いで焼鳥屋から退散して散会。焼鳥屋さん、ご迷惑をおかけしました。

 いつの間にか合流していた他フロアのスタッフ総勢20名くらいに見守られるなか、ひとり足腰立たぬ前後不覚のくずやさん、さのさんに抱えられて朝の雑踏に消えて行った。最後まで手のかかるオヤジである。

 おめでとう。おめでとう。
 


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