そんな風に思うから仕方ない
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2003年07月10日(木) 実名報道はいらないけど…。

少年が、罪を犯す経緯については克明な報告が欲しい、と、思う。
思えばあれが悪かった、何て反省もいらないし、こんな行き届かなくて恥ずかしい、とか思っているんだとしたら本当に今更だから。
起きた事を時系列の通り、思い出せる限り客観的に。
淡々とした事実の羅列として。
通常、何らかの障害が発生した場合、発生原因を追求して、今後はそうした障害が起こらないように心がけたいからだ。

別に、報告することで被害者は生き返らないけれど、次の被害をもしかしたら食い止めることができるかもしれない。

反省も償いも確かに必要かもしれないが、同様の事件が起こらないよう、事件発生のプロセスは分析する必要があるんじゃないだろうか。

社会のせい。
とか、
親のせい。
とか言っても、ちっとも具体性が無くて、親の立場の人達は、どうしたら自分の子供が犯罪者にならないか注意する事ができんのではなかろうか。
全員が全員、犯罪者になるとは限らないけれども、現行のチェックの網から漏れる犯罪者予備軍は、事前に検出する必要があると思う。
自衛のためにも。

漠然と、過激な描写のある漫画やアニメに原因が、と言われても、どの作品のどういった部分に感化されたのかまで分析するのは無意味だろうか、サスガに…。

彼の読書暦を知りたいなあ、その本を読んだから即犯罪者、というのは短絡だけれど、作品を読んで、どういった感想を持っているのかとても聞いてみたい。

日記を書かせて公開してみたらどうだろうか。
彼の心のおもむくままに。
それは、社会的によくない気質を充満させてしまう危険性を持っているのだろうか。


2003年07月09日(水) レンタル日記を借りて書いてもっともっと。

たとえば。

何で自分で使いやすいエディタを作らないでフリーのエディタとかシェアウエアのエディタ使うの?

とか。

テキストサブミットして整形するだけのPerlくらい自分で書いた方がいいのにどうしてフリーのスクリプトをDLしてんの?

と、思っている人はいるのだろうか。

うーん、人がどうしようと自分は自分でいいんじゃないか、と、いいつつ、あんまりにもあんまりだったんで。

私もレンタル日記を借りている身であれば。
日記のレンタルは、たとえば、持っているWEBスペースでCGIが設置できない場合とか、パス変えたり、設定をイジるのがめんどい、と、借りる理由は様々かと思いマス。

一番のメリットは、個人スペースにアップして設置するのと違って、サービス提供サイトが、カテゴリ別リンク集を作ってくれていたり、新着が見れたりする点。

書く側としても、手軽だし、何より、読む側的にとてもありがたい。
自分からリンク集に登録する人たちばかりとは限らないし、ただつらつら書いているだけの人の中にもビックリするくらい共感できるテキストが眠っていたりする事もある。

探す側にとってとてもありがたいシステムなのだ。

もっとイロイロな業種や、イロイロな立場の人の日記があったらいいと思う。
もっとイロイロな考えを読みたいと思う。

手軽であってもいいし、別にドメイン持ってたり、有料のCGI設置可能なサーバー持っている人も借りたらいいんじゃないかなあ、エンピツは残念ながら、今は無料サービスのアカウント登録はできないけれど。

ジャンクテキストがトラフィックにヘビィな負荷をかけるほど、日本のインフラって立ち遅れていましたかしらん。

検索のジャマ、と言う意見もあるかもしれないけれど…。


2003年07月08日(火) アクセス解析なんてしなきゃいいんじゃネーノ?

私は自分へ対する批判的意見を好んで見るほど求道精神を持っていない。

リンク貼られて、WEBにあげた意見に対して批判的な意見が書いてあるかなんて、解析を置かなければわからないと思う。

チキンなので、ここからはリンクを貼らない。

仮にここがわかっていてヲチられていたとしても、解析する術がなければ余計なストレスはたまらない。

ただ書き捨てる。
ココはそう言う場所。

議論する気はサラサラない。
どう考えても平行線なんだもん、どの論争を見ても。
(現時点)
相手の意見に聞く耳を持たず、己の主張を繰り返すだけ、ってのを、いつから論争、というようになったか、不勉強な私は知りませんが。


2003年07月06日(日) 錯綜する論点

何について話合いたいのか。
というのが明確にならないまま、会議は踊りっぱなし。

1.対応について
2.きっかけとなった行動原理(トリガー)について
3.トリガーに対する対応が適切であったのか否か

それぞれにそれぞれが思い思いのコメントをするので、事態はいっそうワケがわからなくなってくる。

対応が適切であったか否か、であれば、適切であったと思う。
しかし、それがはたしてトリガーとなった事象に見合う行動であったか、と、なるとやや割り切れない不可解さを感じる。

ここに、管理人の人間性、表現方法が混ざると、事態はいっそう迷走の一途をたどり、結果として、場がひっかきまわされただけで終わってしまう。

何と言うか、相手に対して日ごろ抱いている仮想敵を重ね合わせて行動している人がいるんではなかろうか、と、思ってしまう。(これは完全に邪推)


さて、私としては、コメント機能そのものに意味があるのかわからないので何とも言えない。文中の引用は意味があると思うが、コメントをつけるところにあまり意味を感じないのだ。(サイトを持たない人からの意見徴収、という意味はあるのだろうが…)

WEBサイト管理人に人徳を求めるなど言うもオロカ。
相容れない人のサイトまで行って意見できる人のエネルギーにはほとほと感心する。
臆病なので私は文中リンクさえ貼れないよ。


2003年06月22日(日) その花を咲かせることだけに一生懸命になればいいのに…。

ヒエラルキーをどうして作りたがるんだろう。
と、いつも思う。

大手、中堅。小手。
こんなのは、資本主義の入り込んだ同人誌の世界だけかと思ったら、どうもそうではないらしい。

日記にランキングしてどうするんだ。
と、いつも思う。

新着日記で偶々見つけて。
ないしは、やはり、いいな、と、思ったサイトの文中リンクや、リンクからたどるのが、実は一番効率が良かったりする。

今のところ、Blogないしはウェブロか?(どっちでもいいけど)のように、引用、リンクのあるテキストの方が次々に飛べて楽しい。

ニュースへの言及が、自分との考えの差異を見やすいからだ。
ネタ系のテキスト、というのは、実は飽きやすい。

ある程度、自分の考えを持っている人の日々の雑記や、その人なりのアンテナにかかった事への言及の方が読んでいておもしろい。

そして、ラブラブエロ日記も、実は嫌いでは無かったり…。
あとは自虐系とか。
(結局なんでも好きなのか、私は)

探すのは楽しい、でも、不思議とランキングでたどっておもしろいのを発見した事があまりないのは何故だろう…?


2003年06月15日(日) 「変わっている」人たち

WEBで文章を書く人、というのは、ある種なんらかの主張を持っている。
ささいな事から、おおきなポリシーまで広く。
それはひとつひとつ色、形があり、ひとつとして同じものは無いように思う。
たとえば、影響力のある文章ないしは主張があって、それに引きずられたとしても、「個人」というフィルターを通す事で、何らかの変化はある。
そっくりそのまま転記する場合を除いて。

まっとうな読解力があれば、そのわずかな違いに気づくことができるだろう。

「劣化コピー」「〜の影響を受けている」という形での気づきかもしれないけれど。

時たま、そうした事を視野に入れず、ただ、ただ、自分は変わっている。
と、書いてあるのを見かけるが、それはどういった基準で敢えて書かれているんだろうか。
ざっと見渡して、ロジックがあまり見かけない、というのであれば、希少意見として、自分の考え方を自覚しているのだ、と、好意的に見る事もできるのだが。

ただただ、自分ひとりが変わっている。
というのを常に見かけると、コイツ他の人間の書くモン読んだ事ないんじゃねえの?
と、思ってしまう。

違うのがあたりまえなのだ。
異なるのが当然なのだ。
似ていても少しずつ違うものなのだ。

そうした違いを感じ取る事ができない、というのは、よほど感覚が鈍化しているのか、読んでいない、見ていないのどちらかであろう。

中途半端な客観視は、結局「自分って特別」という歪んだ自意識に見てとれる。
モニターの向こうで、そうして誰かが冷笑している事に気が付かず、自分の王国で王様ができるのは、幸せなのだろうか、それとも不幸なのだろうか。


2003年06月13日(金) こんなblogがあったらな

アインシュタインアーカイブズ、なんてのがあるそうで。

紫式部日記とか、土佐日記とか、更科日記。
(あーこれ時系列を追って書かれていたのでしょうか?)
これらを現代語訳して、今の暦に置き換えて、ライブ更新されるブログとかあったら読んでみたいなあ。

紫式部なんかはけっこう清少納言を意識した内容を日記にしたためていたらしい、なんて話しを聴くと、今のテキストサイト同士の言及ぽくなったりせんのだろうか、と、思ったわけです。

私は古典がニガテなので、こういった古典は「まんがで読む〜」でしか読んだことないんですが、「更級日記」なんて、けっこうおもしろかったと思う。

だれか、と、思うなら自分でやるが早いんですかノウ。


2003年04月20日(日) blogでPON!

最近あっちゃこっちゃでblogについての記事を見かける。
日本にはインターネット黎明期からWEB日記が〜、云々。
MTは〜云々。

私は、テキストを読むのがとにかく好きなんで、某匿名掲示板に限らず、無料日記スペースとかの新着や、Readmeも読む。
いいな、と思ったサイトは、リンクもたどって、探したりもする…んだけど。

このblog話で目に付くのが、システムじゃあないんだよね〜、という意見と、今までずっと日記でやってきて、何がblogか〜、みたいな。

どっちみち今まで継続してテキストを書いていた人タチ。それこそ5年とか。
カナリ長くWEBでテキストを書いてきたのに、ポッと出のフォントいじりサイトにアクセス数抜かれてちょっとクヤチー、な、感じがそこここににじみ出ていたり。(あー、あとバーチャルネットアイドル某とか)


何でまあ、こうアクセス数に拘泥するかなあ、というのはまあ、置いておいて。

システムについては、読み手的にかなりどうでもいい。
さるさる日記だろうが、メモライズだろうが、CGI少年だろうが、タッキーノートを自分のWEBスペースに置いてる場合だろうが、ナスカだろうが。

だからテキストを読むにあたって、MTだろうと、a-newsだとうと、t-Diaryだろうと、それはけっこうどうでもよい事だったりするワケです。

だいたい、初めて行ったサイトの場合、最新のを読んでつまんなかったら、リピートする事はナイ、(よっぽどサイトコンセプトやデザインが気に入らない限りは)んで、最新テキストがおもしろくて、初めてログをさかのぼる気になるワケですが、ここで出てくるのがシステムの違い。

さるさる日記やエンピツ、メモライズもそうだけど、通常の日記サービスだと、日付でアーカイブ化されているので(これはいわゆるblogツールと呼ばれているbloggerでも同じ)、内容で立ち読みする事がちょっとやっかい。という点。

ここで、MTだと、カテゴリー別でアーカイブ化されてるから、書評がおもしろかったら、booksのカテを見たらいいし、日常雑記がおもしろかったらDiaryのログを遡ればいいワケだ。

一番いいのは、タイトルのインデックスをつけている場合(内容説明がるとなおよろしい)だけど、これは結局人力作業になってしまうので、ここまでしてくれてるのは、管理人がスゴくマメか、アクセス数の多いサイトくらいなのであきらめている。

読み手的に考えれば、よっぽどレイアウトが読みにくくない限り、(ビルダーおまけの空のバックグラウンドに、ショッキングピンクのボールド書体とかでなければ)システムって実はわりとどうでも良かったり。

CSSで行間にスペースとっていてくれればなお良し、ってコトで。

んー、だから、方法論をガタガタぬかされても、あんまし意味ないんでねぇの?
とか、思うワケです。

MT使いをミーハーとこきおろす前に、おもしろいテキストを書きやがれ。
MT使えたー、と、ヘラヘラ喜ぶのもいいが、おもしろいテキスト書きやがれ。
ってトコだろうか。

ただ、Webのテキストなんて基本自己満足だから、別にMT置けたーヤター、でもいいと思うよ。ただ、いっかにもシステム全体を論じる、俺は自己満足以上のモンを目指してるんだぜ、というポォズをとっている連中は、下を見て悦に入ってんじゃネーヨ。と、言いたい。


2003年03月23日(日) 非常に好感のもてる姿勢として

戦争反対。
そりゃそうだ。
イタいのはイヤだし、映画やフィクション以外で人が死ぬのをおもしろがれるほどの感覚は無い。

最近見られる姿勢のいくつかで、

・ともかく戦争はダメだよ!←何もできないくせに偽善じゃねえの。

というパターンがあって、
センチメンタルから意見を言う人もいれば、
情勢等を考慮に入れて意見を書く人もいる。

どちらかが正しい、というワケでは無いハズだ。
センチメンタリズムでの反戦を自慰とか、偽善だと言う資格が余人にあるんだろうか。

センチメンタルからの反戦意見。いいんじゃないですか。
ある程度情勢を調べた上で戦争もやむなし、という意見、それもいいんじゃないですか。
何だかよくわからんがブッシュや小泉を叩いて気持ちよくなりたい。それだってアリだと思う。

自分をどう見て欲しいか、その価値観で選べばいい。
人が自分をどう見ているか、それは、自分ではわかりにくいので、それこそ某巨大匿名掲示板へでもいけば、みなそれぞれ余人に対する意見を吐いているだろう。

私はあのシステムは悪くないと思う。
あれをワンクッション置く、という事でダメージが一種緩和されるからだ。
自分はこう思う、しかしほかの人はどうだろう、と、思った時、あそこには忌憚ない意見が書かれている。盲信する気は無いがけっこうスルドい事が多い。

そこで、あ、コレはかっこ悪いな、と思えば意見を変えたって別にいいし。
(ただ、あからさまに意見を変えている部分を見られるのは、そっちの方が恥ずかしい気もするけど)
自分の意見に対してのストレートな意見は、うれしい反面やっぱけっこうダメージになると思う、日和見だって自分を守るひとつの手段だ。

ちょっと脱線した上に論点が変わっているが、私がネットで見た戦争に関する意見で一番好感が持てるのは、自分は世情を知らない、でも、これを期に調べてみよう、という考え方だった。
意見を言うには、観念的な好き嫌いもあるが、ある程度リサーチした方がいい場合もある。わからない事をわかったようにかっこつけて書くよりも、前向きに調べようとする意思表明を、かっこわるい、と思う人もいるかもしれないが、少なくとも私はとても好感が持てた。

最初からかっこいい、シブい意見を言える人もステキだが、人の意見に耳を貸して、軌道修正できる理性のある人もステキだ。と、思った。


2003年03月22日(土) 戦争について書くのも書かないのも。

本人の自由だと思うのだが。
時事ネタ(たとえば季節ネタだって時事ネタだ)のひとつ。
知らなきゃ知らないでわからん事はわからん、と書いたら、親切な誰かがフォローしてくれるかもしれんし。
自分が事件に対してどう思うか、そういった現実は一切排除したネタ日記ならそれもよかろう。

つまらん、と、思ったら、閲覧者はテキトーに読み飛ばすし、興味があったら読む。
私は、個人レベルでの考えを知りたいのでエンピツ検索も「イラク」でわざわざ見に行ったりするが、日記の書き手がどういったサイトオーナーであるかは興味が無いわけでは無いが、ネタサイトだろうと、ギャグのサイトだろうと別段関係無い。

サイトポリシーは人それぞれ。
取捨選択が自由なのもまたWebの良いところ。

人様のサイトにどうこう。…言ってるか、私が。
(自分はあえて戦争については書きません、なんて書かなきゃいいのにな、まぎらわしい…まったく)

検索キーワードにひっかかるのでまぎらわしい事はやめて欲しいなあ…、と思ったのさ。まあ、それもひとつの主張なので、そういう考えの人間がいる、というのがわかっただけでもいいんだけどね。

って、よく考えたら私も戦争のキーワードでひっかかってしまうな。間違って飛んできた方。申し訳ありません。


UMサウルス