ぶつぶつ日記
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遺伝子というのは、不思議ですね。 甥っ子の行動を見ていると、 変なところが私の父、つまり彼の祖父によく似ています。 それにしても、どうして似なくていいところばかり、 似るんでしょうかね(^^;)。
例えば、 おっとりしているくせに、変なところがせっかち。 神経質かと思えば、くそ寒いのに窓全快で風呂に入って気がつかない、 とかね(笑)。
皆さんは、どんな時に『血のつながり』を感じますか?
捨てられないものって、人それぞれで違うと思いますが、 私の場合、どうしても捨てられない『服』があります。
まず、10数年前のSybillaの服。 これ、高かったんですよ・・・。 一時期、Sybilla以外の服は着ない時期さえありました。 しかし、その当時買った服ってのが、 マイクロミニのスカートやパンツばっかりで、 着られないんですよね・・・。 しかし、捨てられない・・・・。
もう一つのグループは思い出のある服。 思い出って言っても、ある一つの共通点があるのですが、 大好きな人と旅行に行った時に着てた服だとか 買ってもらった服だとか。 これまた捨てられない・・・。
出してはしまい、しまっては出し(苦笑)。 死んだ時に、一緒に燃やしてもらおうかな。
私の父は、1万分の1らしい。 何かと言うと、父が途中就職した会社は社員1万人。 その中で、70歳になっても社員として働いているのが、 父1人だというのだ。 ちなみに、父はブルーワーカー組。 戦後のどさくさにまぎれて、ろくに中学にも通わず、 ずっと働いてきた人だ。 だから当然、その会社で役員のわけない。 単なるぺーぺー。 その会社は、しっかりした会社なんだろう、 部長さんでも役付きさんでも、 70歳なんていないそうだ。 でも、定年になって、嘱託の期限が切れても、 なんでだか、父は雇用され続けている。
今日も明日も、いつまでかわからないけど、 父は元気に働いている。 それをとやかく言う人もいるけど、 働くのが好きな人なんだから、 元気なうちは、思う存分働いて欲しいと思う。 人間、ゆっくり出来ない人だっているんだから。 たぶん父にとって、働いていることが、 一番自然なんだろう。
1万分の1の父を、私は誇りに思う。
おととしの暮れに、某カメラ屋のポイントで買ったプリンター。 スキャンもコピーもついていて、とてもお安かったし、 省スペースも気に入って買ったんだけど。 これが、半年に一度の割合で、壊れる。 しかも、壊れるたびに、機種交換になって、 すでに、3台目。 3台目が来た時、さすがにこれでおさまるか? と思っていたのだけれど・・・。 また、壊れた(−−;)。 そして修理に出したところ・・・・。
そうです、またなんです、また交換なんですよ。 さすがに、電話をかけてきたカスタマーサポートの担当の人に 「すみません、これで4台目なんだけど・・(苦笑)。」 と言うと、むこうが驚いた。 そして、今度はなんと、新機種へ交換!!!
う〜〜〜ん・・・・。 対応が良いので、別段腹は立てていませんが、 メーカーとして、それで良いんでしょうかね(^^;)。 来週には、まさに「新しい」4台目がやってくる模様。
2006年03月08日(水) |
自分では買わないけどね。 |
再開なければ対日制裁=牛肉問題で米上院議員
と言うニュースが出ていました。 つまり、日本がこのままアメリカの牛肉を輸入しなければ、 制裁するってことですわ。 あ〜あ、なんだかね。 日本人の安全思考は理解されないわけですね。
自分では、アメリカ産の牛肉は買わないでしょう。 でも、外食した時には食べちゃうこともある。 そういう危険を冒したくないわけです。 確かに、日本人は神経質かもしれません。 でも、実際に原因も治療法もわからないんだったら、 用心はしたいもの。 それが、対日制裁なんですねえ。。。
短いアメリカ旅行から戻ってきました。 見学した学校の話などは、日本語教師のブログの方に書きます。 こちらは、それ以外のことを。
今回ノースウエストで行ったのですが、 いやー、CAの平均年齢の高いこと(笑)! おばちゃんばっかりでした。 そして、日本路線なのに、日本人が少ないこと! アジアへの中継地になっているし、 他のアメリカ系のエアと比べると安いからか、 日本人以外のアジア人の人が多かったですね。 成田で降りた人が少なかったです。
今回は、イリノイ州のアーバナ・シャンペーンという 大学の町に行きました。 本当に、大学しかなかった。 そこであったエジプト人の先生のだんなさん(もち、彼もエジ)は、 「環境は田舎みたいな感じで、都市設備は大都市並だから とても住みやすいですよ。」と言っていました。 確かに、治安もよさそうでした。
それから、どこもかしこも、プラッスチック容器を使っていて、 ガラスや陶器が懐かしくなりました。 ヨーロッパではこういうことないですよね。 安いチャイニーズでも、必ず普通の器だし。 アメリカはよっぽど高級なところに行かないと、 食器はみんなプラスチックなんでしょうか???? でも、チキン・ヌードル・スープは気に入りました! なんか塩味のスープに幅広のパスタみたいなのが入ってるスープ。 これだけでお昼は十分な感じでした。
続きはまた今度。
2006年02月19日(日) |
安易に考えていたのでは・・・ |
知り合いの息子さんがフィリピン人女性と結婚する時、 「日本人女性は自分みたいなのとは結婚してくれないから、 フィリピン人でも仕方がない。」 と言ったと聞いて、同じ女性として、 はらわたが煮えくり返るくらい腹が立った。 日本人>アジア人、という発言だけれど、 本人は全く自覚していない、だからこそ、言えてしまう。 男性は、悪気はないのだけれど、無意識だから余計に悪い!
今回の園児殺害の奥さんはメール・ブライドのようだが・・・・。 メール・ブライドで花嫁を探す人の ある意味切羽詰った状況はわかるが、 でも、国際結婚、 ましてや相手の人となりもわからない、 言葉も分からないという結婚に対して、 安易に考えすぎじゃないかと思う。 幻想に近い希望というか・・・・。
日本人同士でも、出身地の違いで離婚になったり、 どちらかが精神的に苦痛になったりすることが多い中で、 顔は似ていても、違う国から来ると言うことは、 なじむのに、途方もない労力が必要となる。 そのためには、その国出身者の配偶者が、 どれだけ相手の苦悩を理解し、 精神的に支えられるかが重要になるのだが・・・。
私の周囲には、国際結婚組が本当に多いが、 それは、どちらかがどちらかの国へ留学していで出会ったり、 お互いの留学先で出会ったりと、 異国での苦労を経験している者同士が多く、 結婚は、二人の話し合いと行動の結果である。 けれど、メール・ブライドの場合、 お金はかかるけれど、二人の接触はほんのわずか、 ましてや、共通言語がない場合が多いため、 意思の疎通にも第三者(この場合は業者)が介在する場合がほとんど。 そして、農村花嫁に至っては、 周囲にどれだけ、『異国での苦労』を味わった人がいるだろうか? 日本は、『郷に入っては郷に従え』という文化の国である。 異国での苦労を味わったことのない人が、 安易に、「きたんだから、ここの習慣に従うもの」と考えるほど、 『郷に従う』ことは容易ではない。 ましてや、言葉もむずかしいなら、どうしてそうしないとならないのか、 外から来た人に理解してもらうことは難しく、 理解できないのに、ただそうしろというのは、無理がある。
もちろん、来る側にも安易さはある。 今よりも良い生活がしたい、お金もちになりたい。 そういったメール・ブライトの正直な欲望を どれだけ冷静に理解している相手がいるだろう? 幻想に近い希望と前述したのはこういうことだ。 来る側は、とにかく『良い生活』という幻想に近い希望を持ち、 迎える側は、日本式の『良い花嫁』を期待する。 その良い花嫁はいまだ、「従順で素直な良妻賢母」ではないのか? そして斡旋する業者は、 異文化理解のレクチャーを双方にするわけでもなく、 会わせて決めて、それでお終い。
たとえ何があっても、罪のない子どもを殺すことはしてはならないし、 同情も理解もできない。 しかし、それと同じように、 結婚や外国で暮らすことを安易に考えるのもどうかと思う。 相手を自分の生活に当てはめるだけのことが多いように思える、 メール・ブライドという仕組みに、布石を打つ事件なのではないだろうか。
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