ぶつぶつ日記
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2005年09月18日(日) 一生、後悔していくこと

友達の日記を見ていたら、その人の親しい友人が闘病生活の甲斐なく、
まだ若いのにお亡くなりになったことを知った。

人生、いろんな馬鹿なことをしてきているけれど、
後悔していることは、実はほとんどない。
でも、ひとつだけ悔やんでも悔やみきれないことがあって、
そしてそれは、一生引きずっていかなければならない事でもある。

20歳の時、高校の時代の友達だったよしえちゃんが、
1年間の闘病の甲斐なく、白血病で死んだ。
お見舞いに行くたびに。
時には、無菌室で透明なカーテン越しに。
時には、抜けた髪を隠すために、毛糸の帽子をかぶって。
まるで、漫画か小説かドラマか映画のように、
典型的な白血病患者の闘病生活だった。
血液の病気なの・・・と聞いていた私たちには、
残酷なまでに病名がわかってしまうような・・・。
当然、本人にもわかっていただろう。
当時はまだ、インフォームド・コンセプトなんて言葉はなく、
最後まで、よしえちゃんに病名は伝わっていなかったように思う。

ようやく生まれた一人娘さんだったのに。
「私が死んだら、日記は見ないでね。」とお母さんに言って、
よしえちゃんは死んでしまった。
それを聞いた時、私は別の友達の家に泊まりに行っていて・・・。
結局、よしえちゃんの死に顔を見に行かなかった。
1人の友達がいなくなってしまったこと。
それに直面できる勇気がなかったんだと思う。
その夜はそのまま、友達の家に泊まり、
よしえちゃんが死んでしまったことを、直視しなかった。

私の後悔。
それは、よしえちゃんの死に顔を見に行かなかったこと。
どうしてよしえちゃんと、
ちゃんとさよならしなかったんだろうってこと。


お通夜から帰ってきて、泣きながら晩御飯を食べた。
残されたものに出来ること。
それはきちんとご飯を食べて、生きていくことだけだ。
命を粗末にしない。
簡単で、でも、とても難しいこの時代に。


2005年09月16日(金) おんなじ様なことを・・・

毎日新聞では、選挙前・選挙後と、
著名人からの「小泉さんに一言!」を特集していた。
選挙後に読んだとある女性識者の意見を読んで、
「同じようなことを考えている人がいるわー。」と思った。

つまりは、
「言うことは、ありません。」
なぜなら、自分は彼を選んじゃいないから。
でも、多勢に無勢で選ばれたんだからしょうがない。
黙って従いますよ、とりあえず。
って感じの内容でした。

増税の話がもう出てますね。
わかりましたよ、それも従わなくっちゃいけないんでしょう。
増税するだろうって思ったのも、
与党に入れなかった理由のひとつでありますが。
でも、多勢に無勢の方々は、そういうことも予想して
納得した上での投票でしょうし。
小泉さんに投票してない人間がとやかく言うことじゃないですよね?

それにしてもなー、ポーズでもいいんだけど、
少しは自分たち内部の改革もやるふりしてみろって。
議員年金もがっぽりもらい続けるんでしょうね〜。
とりあえず、郵便局一辺倒だった親も、
今回のことで別の選択肢を考慮しはじめました。


2005年09月14日(水) 新しいブログのお知らせ

「日本語教育やってます」
http://yaplog.jp/nihongosuki

ずっとHPでお休みしている日本語教師のコーナー、
地味にブログで再開です。
こちらもよろしくお願いします。


2005年09月12日(月) その先のこと

はい、どう考えても与党に投票するキャラじゃありませんね、自分。
かといって、支持政党があるわけじゃないけど。
今回は完敗なわけです、それは認めましょう。

はっきりいって、郵政のことってよくわかりません。
でも、そのほかに、先に手を出すべきことがあるように思えるし、
何よりも、私は現政権の、郵政のその先、が、
とても恐ろしく思えるのです。

指導力がある、ということと、
ワンマン(もしくは独裁)であるということは、
似て非なるものです。
石原氏や小泉氏の場合、とても指導力があるとはいえないでしょう。
いい意味でも悪い意味でもワンマン、独裁的なんです。
まあ、ブッシュ君もそうだから、
今の指導者はそれが支流なのかな。

というのは、おいておいて。
次は憲法?
9条がなくなるんでしょうか。
それは勘弁して欲しい。

私の大好きな白洲次郎氏は、戦後マッカーサーのむこうを張って、
日本の憲法を日本人の手で作ろうと奮闘した人です。
しかし、そこで煮え湯を飲まされた氏は、こうも言っています。
「押し付けられたものだろうが、良いものは良いと認めるべきだ。」
氏は、戦争放棄、そして女性の権利に関して、
押し付けられたと思っていても、
価値を認められる人だったのでしょう。

押し付けられたから、変えなくてはいけないのですか?
それでも、残すべきものはあるのではないですか?
郵政のその先に、何が待っているのでしょうか?


2005年09月08日(木) 台風とハリケーン、アメリカとキューバ

「歴史に残る」と言われていた台風14号、
死者や行方不明者を出し、被害も甚大である。
しかし、亡くなった人の数で見ると、
今の所18人、最終的に見ても、30人を上回ることはないだろう。
けが人も、数十人単位ですんでいる。

この台風14号、アメリカを襲ったカテリーナと比べてみると、
14号の方が大きかったと言うことをご存知だろうか?
しかし、被害を比べると、とてもそうとは思えない。
一体どんなハリケーンがアメリカを襲ったんだ?と思える。
日本、特に南の方の人たちは台風に慣れているから、
ある程度被害を食い止められたけど、
アメリカはそうじゃなかったから、被害が大きくなったか?
と言うと、これまたそんなことはない。
ニューオリンズやミシシッピーのあたりは、
日本で言うところの台風銀座であるらしい。
実際、インタビューされた住民の中には、
「ハリケーンには慣れていたのに・・・。」と答えている人もいた。

現在、避難場所にされているアストロドームでは、
細菌による感染症が発生し、死亡者も出ている。
救援活動は遅々として進まず、
ルイジアナ州ニューオーリンズのネーギン市長は、
汚染された水が健康被害をもたらす恐れがあるとして、
まだ避難していない市民約1万人を
「強制的に」退去させることを許可したそうだ。
警察は呼び掛けに応じない市民を対象に
「最終的手段」として強制退去させる方針を示したと言う。

ここで問題になるのは、強制退去させたあと、
彼らをどうするのか?と言うことだ。
行く場所がないから、彼らは残っている。
一時的に避難する場所を、政府は用意しない。
それが、「小さな政府」の方策だからだ。
国民が自分たちで出来ることは、政府は手を貸さない。
今回のハリケーンの前に、
資金や手立てや頼る先がある人々は、脱出していた。
町に残っていたのは、そういった手立てのない人がほとんどだった。
「大きい政府」式である日本は、こういった手立てを用意する。
色々問題はあるが、それが仮設住宅と言われるものである。

また、こういった問題が出るとき、
皮肉にもキューバがアメリカの引き合いに出される。
ご存知の通り、キューバはアメリカから長い間経済制裁をされており、
世界でも最下層に位置する国であるが、
実は、アメリカとキューバの乳幼児死亡率は14%前後で、
ほとんど同じだそうである。
「大国」アメリカと、「最貧国」キューバの、
乳幼児死亡率が同じなんて!
それを知った時、かなりびっくりした。

そして、今回のハリケーン、
昨年、キューバは、ハリケーン・デニスという大型ハリケーンに襲われた。
その時、60万人の貧しい人びとを
ひとり残らず避難させるという力量を発揮したそうだ。

キューバに出来ることが、なぜかアメリカでは出来ない。
それは金銭的な問題では、全くない。
金はあるだろう、そりゃあ。
それが、政策の失策なのか、人種差別なのか、階級性社会の問題なのか、
なんなのかは、わからない。

ひとつだけいえる事は、
アメリカは自由の国であり、
病める時も健やかなる時も、
貧しき時も富める時も、
全ては、個人の責任範囲内であり、
手立てがあろうがなかろうが、
自分で「何とかしなくてはいけない」ことが
とても多いと言うことだ。
それが、災害であっても。
そういう意味では、略奪という手段も、
貧しき者のひとつの方策なんだろう。

「自分だって、娘がどこにいるかもわからないのに!」と、
進まない救助活動に疲れ、張り詰めた瞳をした警察官の叫びは、
誰に届くんだろう?


2005年09月02日(金) ちょっと解せない

最近、生活保護の話になり・・・。
さすが下町、生活保護を受けている、
しかもかなりアヤシイ人がちらほらいるんです。
生活保護って、結構な金額が出るんですね!
その上、家賃も払ってくれるし、電話代もただ。
持ち家がある場合、その修理代まで出してくれるそうです。

うちの目の前のおばさんは、それで借金返して、
今じゃ娘や孫にせっせとお小遣いをあげまくり。
近所の生活保護の人が多いアパートでは、
その人たちが公園で周囲の迷惑を省みず朝っぱらから酒盛り。

そうかと思うと、母子手当てって、
完全に働いていても4万程度しかでず、
働いている場合は2万円程度。
それも5年で打ち切りだそうです。

弱者に優しいのはかまわないですが、
なんかちょっと、その配分が解せません・・・。
まじめに生きていない生活保護者の人への支給を
見直したりしないんでしょうか。
まじめに子供を育てようとしているお母さんの方が、
そういう人よりも大変じゃないんですか?

よく見ようよ、って思っちゃうんですよね。
まじめに年金払い続けて、それで微々たる年金で
慎ましやかに生活している人の目の前で、
生活保護を自慢して、派手にお金を使っている人を見ると、
まじめに生きる必要ってないんだ?って
皮肉に思ったりしちゃうんですよね。


2005年08月27日(土) 生活の音

集合住宅の上下左右の生活音が問題になっている。
そういうところに住んでいる人たちは、
もしかして一戸建てだったら、こんなに周囲の騒音に悩まされない?
と思っているかもしれない。
しかし、それも住むところ、リッチじゃなくて立地、
住宅の建て方次第であろう。
ここ、下町の住宅街では、集合住宅なんて真っ青の
ものすごい生活音が響きわたっている。
裏のうちのガキが風呂で騒いでいる音、
お母さんに怒られている内容、
隣のおじさんの携帯電話の話声、
はす向かいの息子のへったくそな歌、
朝っぱらから素っ頓狂な向かいのおばさんの話し声、
とまあ、津々浦々、四方八方から響き渡る生活の音、音、音・・・。

確かに、うるさい・・・と思う時もある(しかも結構)。
でも、なんていうか、なれなのかなあ。
周囲の人の顔がわかっているからなのか、
お互い様・・・という気持ちは、確かにあるかも。
何せ、近隣住民、知らない人はいないわけですからね。
そこが、集合住宅と違うのかなと思いながら、
今日も、裏のガキとお母さんの笑える会話を聞きながら、
これを書いている。

・・・まあ、実際うるさい!!!と思う時だって、
ありますよ、そりゃ。
でもね・・・。


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