ぶつぶつ日記
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2005年03月28日(月) 追いかける背中

最近、何人かの元学生と数年ぶりにばったり会ったり、
帰国する元学生とご飯を食べたりした。

私が彼らと接している時は、
まだまだ言葉もおぼつかない感じだったのに、
今では立派に育って、それぞれがそれぞれの場所でがんばっている。
学生というのは、ある意味我が子みたいなもので、
彼らが日本という新しい世界で、
すくすくと育っているのを見ると、
やはりとてもうれしい。

彼らが、この数年間、日本で立派に成長してきたように、
自分は、成長しているんだろうか?
これからも、まだまだ成長していくであろう彼らにおいていかれない様に、
そう、彼らの背中を見て、そして追いかけていく。



2005年03月24日(木) 学歴は必要か?

昨日風呂上りについていたテレビでは、
学歴は必要か不要か?という討論をしていた。
こういうのって、一見するととても意義がありそうだが、
実は全く不毛である、というのが私の意見。
大体、見るからに学歴必要陣営が
悪者に見えるように人選されているのだ(苦笑)。
典型的学歴偏重人種って、人に好かれるわけないじゃない?

それはおいておいて。
私は、学歴というのはゲームで言う所のアイテムだと思う。
あるキャラにおいては、そのアイテムはマストアイテム。
でも、別のキャラを選んだら、あまり必要のないアイテム。
そういう感じじゃないかと。
例えば、私は高校を卒業する時、デザイン関係の仕事を進路とした。
実際その手の専門学校を卒業し、就職して働いていた。
その中では、専門卒って言う学歴は必要だったけれど、
別段、大学卒っていう学歴は必要なかった。
しかし、紆余曲折あってデザイン関係の仕事をやめ、
曲がりなりにも教職の末端に名前を連ねようと思った時、
最初の障害になったのは、やはり大卒じゃないということだった。
必要だと自分が思ったので、私は大学に通いなおして学士の資格を取った。
現在は、昔と比べて大分良い世の中になった。
学びたいと思った時、
働きながらでも学べる大学や大学院はたくさんあるのだから。
アイテムが必要だなと自分が感じたら、学びなおすというやり方でも、
別段いいと思う。

しかし、もし自分が絵に描いた様なエリート人生を送りたいと思ったら、
やはり、決まった年齢で良い大学に入って、そこから良い会社に入るのが、
一番の近道(笑)。
つまりは、価値観や人生設計の違いで、方法論も変わってくる。
必要か必要じゃないかなんて、白黒はつけられないものだと思う。

そして、もう一つ。
確かに学歴が高い人が人間的にすぐれているわけじゃない。
最低最悪、本当に使えなくて、
しかも馬鹿!と心底思える人間だっていっぱいいる。
だけど、じゃあ途中でドロップアウトしてしまった人が、
全員すばらしい人かって言ったら、そりゃまたそんなことはありえない。
昨日、東大出の性格の悪そうな作家が言い放ち、
大ブーイングにあっていたけど、
彼の言っていたことは、あながち間違いではないと思った。
「この世の大多数の人間は、世界にたった一人のオンリーワンなんかじゃない。」
存在的には、皆世界にたった一人のオンリーワンだけれど、
結局みんな、誰かと同じように生きている人がほとんどだから。

つまりは、そういうこと。
学歴うんぬんではなく、輝ける人は、どんな状態にいても輝ける。
そして、輝ける人はとても少なくて、
そういう人は、本当に自分の学歴も人の学歴も、
どうでもいいと思ってるんじゃないかな。
自分に必要なアイテムをわかっている人、
自分の居場所を、自分で作れる人、
そういう人はとても少ないのだから。


2005年03月23日(水) なりたいもの

いつも行かない方向に、ご飯を食べに行ったら、
タイ料理のカー販売のチラシをもらった。
イートインもできるということだったので、
何気なく行ってみると、
そこには、よく見知った、でも懐かしい顔があった。
2年前に卒業して、大学院に進んだ元学生。
その大学院も卒業し、その会社に就職したという。

そんなに、日本語が上手上だったわけではないが、
一日も学校を休まず、まじめに勉強している学生だった。
代表として、卒業式で挨拶をした時、
緊張と感激で、途中言葉に詰まってしまった彼女を
がんばれ!とみんな心から応援したものだ。

「先生〜!」と、彼女がかけよって来て、
そしてぎゅっと抱きしめてくれる時、
私は教師の仕事のすばらしさを感じる。
すべての学生が、彼女のように慕ってくれるわけじゃないけれど、
誰かが、私を懐かしく思ってくれる。
そういう絆が、何よりもうれしい。

今、私は学生を受け持っていないので、
こういうことが少ないのがとても残念。
日本語教育のわかるコンピュータの便利屋ではなくて、
コンピュータが使いこなせる先生になりたい。
それが、私の求める姿。


2005年03月17日(木) もしも・・・・・

もし、あの時再会していたら?
もし、あの時そうしていたら?

してしまった後悔よりも、しなかったことへの後悔の方が、
思い切りが悪く、いつまでも割り切れない。
昨日観た映画は、そんな「もし・・・」と抱えてしまった
離れ離れの恋人達の話。
9年前、たった一晩だけ一緒に過ごし、
半年後、ウイーンで再会することを約束した
アメリカ人のジェシーとフランス人のセリーヌ。
二人はどうなったんだろう?
あの映画が大好きだった人たちは、
それぞれ色んな二人を想像していたはずだ、この9年間。

そして、9年後、二人はパリで再会した。
私たちも、二人と9年ぶりに再会した。

それぞれ、別の人生を歩んでいる二人。
でも、同じように、「もし・・・」を引きずって、
そのことに、人生を絡め取られている二人。
これから、二人はどうなるんだろう?
私達はまた、色々な二人を想像する。

何年かあとで、この世界のどこかで、
二人と再会する日を考えながら。


2005年03月15日(火) 手続き完了

大学院の入学手続きをして、授業一覧などももらってきました。
あれもこれも・・・と、履修したい科目はたくさんあるのですが、
時間も限られており、取捨選択しないとなりません。
ちょっと残念!




2005年03月11日(金) 鶯、あるいは東京大空襲

朝ごはんを片手に職場に向かっていると、
椿の花が、はたはたと揺れていた。
目を凝らしてみると、
鶯が一羽、椿の花をついばんでいた。

渋谷の真ん中にも、春になると鶯がやってくる。
どんな殺伐とした所にも、きっと日常生活があって、
人々は、普通に暮らしているのだ。

昨日は、東京大空襲記念日だった。
私は下町生まれの下町育ちなので、
原爆よりも、東京大空襲にかんする話しを聞くことが多い。
父は、まさに東京大空襲の被災者で、
累々と折り重なる死体を踏んで逃げたという。
また、私が通っていた高校は、
深川のどまん中にある明治からある高校だったので、
空襲の只中、校舎自体が、
避難所や、遺体安置所として使われたという。
そのため、学校に出るという幽霊は、
戦争がらみの人たちが多かった。

「焼夷弾が、ふってきて・・・。」と父はよく言うが、
焼夷弾はふってくるものではなく、
誰かの意思によって落とされたものだ。
そして、その意志によって、
普通の生活を、一瞬にして奪われ、
普通の生活に帰ってこられなかった人のために。
鶯が、のんきに飛べる春を、
私達はいつまでも、大事にしなければならない。


2005年03月06日(日) Exist

大好きな人に、ほめられた。
どんな物理的なプレゼントよりも、その言葉がうれしい。
なぜなら、私ががんばれるのは、その人がいるから。
その人がいなかったら、私はきっと、
今の半分もがんばれない。

よいしょ、よいしょ、よいしょ・・・と、少しずつ、
1人で前に進んでいる時も、その人の存在を感じている。
例えそばにいなくても。
離れていても。

そして、私もその人にとって、
そういう存在でありたいと願う。


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