ぶつぶつ日記
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2005年01月25日(火) 天使が舞い降りる

時々、この世の者とは思えないような人がいて、
そして、そういう人は夭逝してしまうことが多く、
何か、不思議な力で地上に来てしまったのかなあ、なんて思うことがある。

チェ・ゲバラについて、今更ながら伝記を読んで、
キューバ革命と、何よりチェの人柄に、
ものすごく心を打たれた。

キューバ革命って、本当に、ものすごい奇跡のような成り行きで、
その中心に、カストロしかいなかったら、
きっと、成功しなかったかもしれない。
カストロがいて、チェがいて。
グランマ号に乗って。

チェはキューバ人ではなくアルゼンチン人だったから、
革命後、キューバを離れて、ボリビアのジャングルで
死んだのかと思っていた。
何人であるか。
チェにとっては、それは大したことではなく、
革命家として、1つの革命が終わった場所に、
長居することができなかっただけ。
これが、母国のアルゼンチンでの出来事だったとしても、
チェは、再び歩き出しただろう。
どこかの、革命を求めるゲリラの中に。

時として、いや、多くの場合、
革命家は国を良くかえることよりも、
自分の名声や富のために、革命に身をおくことがある。
チェにとって、革命に身をおくことは、
それが唯一、彼にとって意味のあることだったから。
キューバにいる間も、自分だけでなく家族にも、
できるだけ質素で、無駄のない生活を心がけていた。

純粋な人間は、長く生きることは難しい。
しかし、その命の何倍も長く、
人の心の中に、生き続ける伝説になる。
それはやはり、神に選ばれた人なのだと・・・・。


2005年01月23日(日) 結婚って、なんだろうな

時折、結婚している人に、結婚なんてしなくったって・・・的な
ことをよく言われる。
それを鵜呑みにするほど、こちらものぼせてはいないのだが、
言われる度にちょっと困ってしまって、
結婚って、なんだろうなあなどと、考えてしまう。

先日も、とある人にそう言われて。
「いやー、そんなことないですよ、結婚だって良いでしょう。」
とフォローしてみたのだが、かなり真顔で、
「じゃあ、どこが良いとおもう?」
と聞き返されて、今度は本当に返答に困ってしまった。
そりゃ、結婚したことのない私には、到底わからんし、
みんなが結婚してるってことは、
それなりにいいこともあるんじゃないの?
と思うのだが・・・・。

ただ1つ、最近強く感じるのは、
結婚したからといって、そのまま人生は終わらない、と言うことだろうか。

問題も軽減されるわけではなく、
独身の問題とは違う種類の問題が発生してくるし、
自分ひとりをかまっていればいい独身と違って、
家族という重みが出てきてしまう。
全てがうまく言っているときは、
その家族の重みは大して気にならないのだろうが、
1つ、ボタンを掛け違えてしまうと、
重みが日に日に大きくなってくるのだろう。

私がなぜ、結婚しないか(する気がない、と言ったほうが良いかも)と言うと、
母の仕事の関係で、子どもの頃から、
自分が属する家族以外の家族と日々接していて
(自分が属している家族というのは、現実でありながら、
こういう場合、現実的ではない、なぜなら、家族だから)、
結婚している状態、子供がいる状態というのが、
甘くもロマンティックでもなく、ものすごく大変だ・・・・
というのを、目の当たりにしていたからだと思う。
女性の負担がどれほど大きいか、と言うのもわかっていたし、
子供も、かわいいばかりでなくと言うこともわかっていた。

結婚も出産も子育ても、現実的に感じることがあまりなく、
ぼーっとかすみに包まれている方が、
「なんとなく」しやすいんじゃないかな、と言う気がしている。

それでも、結婚してしまったのは自分なんだから、
何をいってもしゃーないのではないですか?
と言いたい気持ちもある。
それを言ったらせん無いので、言いはしまいが。

本当に、結婚は全く持って、ゴールではないことだけは、
確かなようである。

(追記)
「結婚なんて・・・」というのは、実は男性の方が多かったりする。
結婚についての大変さについて、私は女の子だったから、
お母さんたちに注目していて、上記のように思ったわけだけど、
男性には男性の、たいへんさがあって、
それはまた、女性の私にはわかったようなわからないような・・・
となってしまう。


2005年01月21日(金) 実感

ぼちぼちと、勤務先に4月からのことをカミングアウト。
まだ、一番上までは言ってないけど、
直属の上司ってやつには、言った。

すっきりした反面、言葉にすると、
どんどん実感が湧いてきて、
実感が湧いてくると、
夢や希望よりも、不安の方が大きくなってくる。
それは、特に金銭面のことだったりするし、
もちろん、勉強についていけるのかとか、
研究なんてできるのかとか、
もろもろのこと。

始まってしまえば、とにかくやるしかないわけで、
無我夢中になると思うけれど、
今はまだ、どんな生活になるのか、
想像するだけだから、不安になる余裕もあるというか・・・。


2005年01月18日(火) 地方色

地方の文化性の高さ、ということを考えながら、
何気なく手にした地下鉄の広報誌を手にした。
そこには、フランスのショコラティエ(チョコレート職人)が
紹介されていたのだけれど、
それがまた、3人が3人とも、地方色豊かな町で、
おいしいチョコレートを作っている人たちだった。

ヨーロッパ、特にラテン系の人たちに感じることだけれど、
自分の生まれた場所に、しっかりへその緒がつながっているというか、
ものすごい結びつきを感じることが多い。
例え、それがどんなに小さな町だったとしても、
自分の生まれたところに対する愛着と評価は、
目を見張るものがある。
だから、そんな彼らにしてみたら、
日本人に日本の何処から来たか?と聞くと、
ほとんどの人が「東京」と言うことに、
かなり違和感を覚えるらしい。
その中のかなりの数の人が、実は、
「大学から東京に住んでいる。」人だったり、
家は関東近県だけれど、とりあえず説明するのめんどくさいから
とりあえず、東京って言っておこう、ということは
彼らにとっては理解不能。
彼らが知らない場所でも当然いいのだ。
自分の町のことだって、日本人は知りはしない。
でも、自分の生まれたところ=大切な所、ということだろう。

東京生まれの私としては、うそ偽りなく、
国内バイリンガルである人(標準語と方言が話せる人)がとてもうらやましいし、
生まれたところに独自の文化があるのは、羨望以外の何者でもない。
はなわが、「佐賀〜。」と歌った時、
「いいなあ、東京はこんな歌にもなりはしないよ。」
とため息をついたものだ。

地方の、かつて発展していた町を訪れると、
東京には、本当に粋な文化というものがないな、
という気がする。
無粋というか・・・。
武士の町だったから、しょうがないのかもしれないし、
本当の江戸らしさというのは、
明治以後、そして大戦で、きれいさっぱりなくなってしまったからかもしれない。
ほんの少し、残っている場所もあるけれど、
文化といったら、新しい物が中心。
伝えられた文化や技を、街中で探すのは至難の業だ。

ちょっと歩けば、伝統が見つけられる町。
そういうものは、得がたい。


2005年01月16日(日) 地方と中央のバランス

旅行から帰ってきてから、さくさくと仕事をし、
気がついたら一週間、こちらはご無沙汰でした。
すみません。

今回は、友だちの地元広島にはいり宮島をみて、
それから松山にフェリーで渡って温泉・・・
というスケジュール。
広島では友だちの友だちにご馳走になったり、
松山では、のんびり温泉と観光をして、
命の洗濯をしてきました。

地方に行くと、地方ならではの発展というか、
街道の奥深さを感じますね。
普段はあまり見ることがありませんが、
日本の地方の文化的発展の高度さ、
というものを認識します。
中央だけでは、国は発展しないということ。
地方の発展の結果が中央に集まり、
国として大きくなっていく、という感じでしょうか。
どちらが欠けても、どちらが沈んでも、
国という大きな枠組みは、ひずんでしまうでしょう。


2005年01月07日(金) 4日ほど。

思い立って、西に行ってきます。


2005年01月05日(水) いつか、きっと

悲劇的だからこそ、絵になる。
だから、毎日毎日ニュースに登場する
ピピン島で、両親と弟を目の前で亡くした12歳。
ほっておいてあげようよ、いい加減。
彼が、笑顔を見せたり、「ありがとうございます。」という度に、
どれほどの、重圧がその小さな肩にかかっているか、
想像するだけで、目を背けたくなる。
もういい加減、そっとしておいてあげようよ。

これから先、きっと、
「あの時みんなと一緒に死んでしまえばよかった・・・。」
と、思うようなこともあるだろう。
家族の死と自分の生と、受け止められなくなることもあるだろう。
でも、いつかきっと、
「生きていて良かった。」
心の底からそう思える日が来るように。

人生は、ある人たちにとっては、
残酷すぎるほど残酷であるけれど。
それでも、いつかきっと、
「生きていて良かった。」
そう思えるようになって欲しい。


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