ぶつぶつ日記
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何が嫌って、試験勉強が苦手である。 くだらないことは、覚えるつもりがなくても、 どんどん覚えていくくせに、 こと、覚えなければいけないことに関して、 ぜーんぜん、覚えられない。 それに、いわゆる大学入試ってやつを経験していないので、 試験勉強のノウハウが身についていないのだ。 だから、試験にはよく落ちる。 運動神経が鈍いんだから、仮免本免の実地試験の方が よっぽど苦手だろうに、 こっちはどっちも一発で通ってしまい、 たかだか選ぶだけの筆記を一度落として、 大馬鹿扱いされたこともある(ほっとけ!)。
あー、そして現在試験勉強中・・・。 終わってる、すでに終わってる〜。 右から左にするすると、抜けていってるぞーーーーー(−−;)。 エジの、使われていない脳みそが欲しいぞ!
(エジの脳みそ>エジプトの有名なノクタ(ブラック・ジョーク)より) 脳を移植する技術が開発されました。 とある金持ちの老人が、新しい脳を移植しようと思い、脳外科を訪ねます。
医者:ご予算によって、色々な脳を用意しておりますが。 金持ち:ほう、例えば? 医者:ドイツ人は3万ドル、アメリカ人は、5万ドルです。 一番お高いのは、エジプト人で10万ドルですね。 金持ち:エジプト人がなんで一番高いんだね? 医者:そりゃあ、使ってないからに決まってるじゃないですか! ぴかぴかの新品同然ですよ!
万事、終わりがよろしいようで・・・・。
お手伝いに行っている某通信制の大学の研究室には、 色々な学生さんが出入りしています。 特に、大学院のゼミの方は、多種多様な方がいて、 ゼミの末席に座って話を聞いているのはとても楽しいです。
その中で、今年大学院の一年になられた元小学校の先生がいます。 お年の頃は、80歳ちょっと前くらいでしょうか。 その方が働いていたのが、私の育った江戸川区ということで、 自分でも知らなかった、学校についてのあれこれを 聞く機会があります。 私が通っていた学校は、都内でも有数のすぐれた国語教育者を 輩出していた学校だったとか。 自分が当然のように食べていた給食が、 都内でもかなり恵まれた条件だったとか(笑)。 自分が、学校でもらっていた国語の副読誌がどうやってできていたか、とか。
国語教育の視点から見ても、昭和の貴重な情報を、 院の論文にまとめられようとしているそうです。 お体をお大事にされて、ゆっくり、そして最後まで、 論文を完成させるのを、みんなが楽しみにしています。
おととい提出した書類のことで、 昨日の午後から夜まで、 どたばたとしていました。 出すのやめちゃおっかなーと、弱気にもなったのですが (雨降ってて、ずぶぬれになって写真撮りに行ったし)、 相手の人が結構親切っぽくて、 なんとか間に合いそうだし、夕べがんばりました。
先ほど、再度確認のため連絡したのですが、 そしたらなんと、 もう一度検討しなおしてくれたみたいで、 今提出した書類のままで、大丈夫になりました! 「特例扱いとする。」と言うことでした。 昨日の私の努力と写真代は無駄になりましたが、 でも、こういう処置を計ってくれるのは、 とてもうれしいですね。
本番はこれからなのですが(単に書類を出しただけ)、 相手に対する印象が良くなりました。
朝、電車の中の車内刷り広告を見ていたら、 新しい30代の女性のための雑誌の広告があった。 「あなたに必要なのは、若さではなくテクニック。」 というのは、その通り。 しかし、キャッチコピーが 「コムスメに勝つ」って言う時点で、 すでに負けてるから! と、編集担当者に言いたい(笑)。
種の保存として、若くて生きがいい方が良いのは当然。 若いということは、それだけでちやほやされるものである。 しかし、若さは当然、永遠ではない。 しかも、人間は若くない時間の方が、断然長いのだ。 若い子に勝つとか負けるとか、そういう発想自体が、 「若くない自分」と「若い子」を相対的に比べていることだと思う。 比べられないから。 乗っている土俵が違うんだから。
私自身は若く見えることよりも、 年相応に見られたいという思いがある。 それは、若いということよりも、 人生を重ねて、人間に厚みがある方が、 より魅力的だと思うからだ。 若さは、ある程度物理的に何とかすることができる (まあ、お金があれば、だけれど)。 けれど、人間的な厚みというのは、 いくらお金を積んでも、身につくものではないし、 単に年を重ねているだけでもだめだ。 見かけがどんなに若々しくても、 パープリンの中年なんて、お寒いだけ。 お寒い年寄りには、なりたくないものである。
最近、事務的な手続きとか、 友達が来たりとかで、 ゆっくり何かを考えている時間がない。 結果、日記も滞ってしまうのだけど。 いや、考えていることはたくさんあるのだけれど、 最近はそれが自分自身のことに向かっている気がする。 私は、自分のことはあまり人には言いたくないので、 日記に書くこともないわけだ。 自分で考えて、自分で決める。 自分がしたいなら、人の意見は聞く必要がない。 なぜなら、何かあったとき、 責任を取らなくてはいけないのは、 結局自分だから。
ということで、今日も自分について考えています。
パラリンピックも無事始まりましたね。 普通のオリンピックよりも、見ていて面白いです。 なんか、すごい迫力ありますよね。
現在、健康である私にとってのスポーツは、 続けなくてはいけないと考えるだけで、ストレス(^^;)。 苦痛以外のなにものでもない。 ほんとうに、嫌なんだよ・・・。 でももし、事故や病気で、体に障害を持つことになったら、 絶対に、何かスポーツに挑戦しようと思っています。
健康な時にはできなかった新しい可能性。 そういうものがあることを教えてくれたのが、 パラリンピックでした。
今日は珍しく、披露宴なるものに出席してきました。 私の友達、シングル爆進中の人も多いし、 結婚した友人でも、お式をしない人が多く、 ずいぶん久しぶりの披露宴出席となりました。
最近の披露宴は、長ったらしいスピーチもあまりなく、 ホテルでやるといっても、 なんとなくほのぼのする感じのお式が多いみたいですね。 昨日も、そんな感じで、とてもよかったです。
時折出ると、披露宴もいいものですね。
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