ぶつぶつ日記
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人の目ばかりを気にしていると、 自分が本当にどうしたいのか、どうすればいいのか、 わからなくなる。 私自身は、人の目を気にしてばかりいるような人生は、 窮屈だなあと思う。 しかし、最近感じることは、 人の目を気にしなさ過ぎることも、 ほめられたことではないんじゃない?という事。
人の目を気にしない生き方というと、 なんだか自由でかっこのいいイメージになる気がする。 でも、「人の目を気にしない」ということが、 イコール「人のことなど気にしない=自分ばっかり良ければOK」、 になってしまうと、 この人は単なる常識知らずの遠慮なし、 お付き合いしたくないナンバー1だろう。
せめて、電車の中くらいは、人の目を気にして、 他人にも気を使おうよ、と思うのだった。 嫌のは、お互い様だからさ。
日本人というのは、あっさりしているというかなんと言うか。 過ぎ去ったことは、水に流す・・・。 そこがある意味長所でもあり、短所でもある。
東京大空襲や広島、長崎の原爆、沖縄の地上戦など、 夏になるとそれなりに、ドラマ化されたりするけれど、 戦争の記憶は、若い世代に引き継がれているとは思えない。 いつまでもいつまでも、 うらみつらみをもっている必要はないと思う。 けれども、この国は、加害者としての記憶も、被害者としての記憶も、 あまりにも簡単に忘れ去ろうとしているように感じる。
自分たちが直接関係したことではなくても、 情報として、何があったのか、何をされたのか、何をしたのか。 そして、そのことにより、どう思っている人たちがいるのか、 それを知っておくことは、大切じゃないかな。 特に、これだけ海外に出る機会が多くなると、 その瞬間、相手にとって自分が日本の代表になってしまうのだから。 「しらなーい。」では、あまりにも投げやりじゃないだろうか。
19歳で女子高校生を殺害し、死体を遺棄した青年に対して、 懲役13年の判決が下った。 悪質ではあるが、非行経験もなく当時19歳=未成年だったからということだが・・・。 こういう判決ってどうも釈然としない。 たかが一年、いやもしかすると数ヶ月でしょう? その差で、判決に未成年だったからと理由付けされるのは、 どんなもんかな。 実際、19歳といえば、中には結婚して子供がいる人だっているし、 会社(公務員もあり)で働き始めている人もいる。 そういう人は年は未成年かもしれないけど、 社会的に見たら、立派な成人ですよね。
それに、思うのですが、人間少なくとも15,6になっていれば、 大人とほぼ同じように、やっていいことと悪いことの区別は、 ついていると思うのです。 特に殺人や窃盗などは、子供だって悪いってわかってるはず。 人間としての基本的な認識だと思う。
もちろん、ついつい悪いことに手を染めてしまうこともあると思う。 突発的に起こってしまう犯罪もあると思う。 情状酌量は必要だけど、未成年だから・・・と判決が甘いのは、 あまり納得は出来なくなっている、今日この頃です。
2004年08月08日(日) |
すごすぎて、笑ってしまいました(^^;) |
いや、何がって、サッカーでの中国の日本への傍若無人ぶりに。 今回に限って言えば、あの騒ぎで日本人が、 戦後に関して謝罪する必要はないって私は思います。 それが根底にあるのは確かでしょうが、 やりすぎってものよ。 そして悪いけど、世界に中国の民意を・・・っていう大儀はともかく、 あんまりそういう崇高な目的は達成できてないと思うし。 あー、息詰まってるのね、こう言う時にしか、 爆発できないのねーと言う気持ちになりました。
実際、中国政府は結構慌てているのではないかと思います。 それでなくても、オリンピックをひらけるほど、 民主的ではないという声も多いのですから。 ある意味、この騒ぎでほくそえんだのは、 日本側政治家の方が多いかもしれないですね。 大っぴらに、中国のことを悪く言えるから。
あんな中で、立派に勝利した選手はかっこ良かったですね。 なんにせよ、日本人に怪我人等でなくて、 本当に良かったです。
世界の苦境にある子供たちを取材した番組を見ていて、 一番つらかったのは、13歳でお母さんになってしまった、 アルゼンチンの女の子。 母もやっぱり、そう言っていた。
家庭内暴力で家から逃げ出したロシアの男の子には、 日本の女優さんとの交流により、一抹の救いがあった。 債務奴隷であるネパールの子も、 学校に行かず働かなくてはならないが、 家には、帰りを待ってくれている家族があった。
8歳で親に捨てられたアルゼンチンの女の子は、 あどけなさの残る瞳のまま、13歳でお母さんになった。 父親も仕事もお金もない。 何もない中で。 助けてくれるのは、同じ境遇の子供たちだけ。 みんな、彼女と同じように、10代前半で父親のない子供を生んでいるような、 そんなスラムの町。
母性と子供っぽい純粋さが合わさって、 確かに、彼女は今、何があっても子供を守ろうと言う気持ちになっている。 その姿は、あまりにも痛々しかった。 なぜなら、彼女の未来には、悲しいけれど絶望の影しか、 私はみることができなかったから。
彼女が真っ当な仕事につけることは、 ほとんど不可能だと思われる。 物乞いからやがて売春へと、日々の糧を得る手段は変わっていくだろう。 その中で、やがて、子供らしいの純粋さは失われ、 そしてまた、父親のいない子供を身ごもり生むこともあるだろう。 だまされ、さげすまれ、痛めつけられ。 今、子供を思っている心は、 やがて何も感じなくなっていくだろう。
彼女が私くらいの年になった時。 そこには、疲れきって無感動で、 子供を捨てることを躊躇しないような、中年の女性がいるだろう。 そんな、彼女の将来を思い描く方が、 子供と2人、慎ましやかに、 でも幸せに生きている彼女を思い描くより、何倍も簡単。 そのことに、私は打ちのめされる。
2004年08月06日(金) |
嫁して三年子なしは去れ? |
某主婦が多い掲示板を見ていると、 不妊に悩む方が多いことにびっくりしますが、 それと同時に、いまだに 嫁して三年、子なしは去れ、的な考え方も多いみたいで、 そっちもびっくりします。
私の周りも、結婚している人はそれなりにいても、 子供は少ないんですよね。 「子供はいらない!」と明言しているカップルならともかく、 そうじゃない場合は、 もしかしたら欲しいと思っているけど、できないのかもしれないし、 よっぽど親しくない限り、 もしくはあちらから言われない限り、 聞いてはいけない話題のように思います。
もちろん、孫を抱きたい気持ちもわかるし、 家のために子供を・・・と思うのは当然かもしれないけど、 子供ができないことで、一番傷つくのはやはり当の本人たちでしょう。 鬼の首を取ったように、 嫁(もしくは子供)に会うたびに子供の催促をするのはどうかなと思う。 それがストレスで、余計にできないんじゃない? と、はたから見ていても思ったりする場合もありますよね。
2004年08月05日(木) |
違っていることが、わからない |
先週、今週と、とある研修にお手伝いに行っていました。 日韓の先生(韓国語を教える日本側の先生と、日本語を教える韓国語の先生)が、 共同で作業を進めるプロジェクトでした。 この作業とは直接関係ないのですが、ある時、異文化コミュニケーションで言う 「モノクロニック・タイム(Mタイム)」と 「ポリクロニック・タイム(Pタイム)」 という話題になり、これがなかなか面白かったです。
モノクロニック・タイム(Mタイム): スケジュールを重視し、物事をひとつずつ片付けていく時間の使い方。 (主に、北欧、ドイツ、アメリカ合衆国)
ポリクロニック・タイム(Pタイム): 計画やスケジュールよりもその時々を重視し、複数の事柄が同時進行する時間の使い方。 (主に地中海沿岸地域、中東、アジア)
日本は本来pタイプ圏だったようですが、ビジネスや学校運営上ではmタイムで動いているようですね。
韓国はまだ結構pタイムみたいで、 ついこの間韓国に修学旅行に行った日本側の高校生と先生が、 時間概念の違いで、かなり面食らったみたいです。 日本の団体旅行っていうのも、完全にpタイムなんですよね、行動が。 時間、分刻みの行動で、その予定がその時々によって変更されるなんて、 ほとんどありえないでしょう。 添乗員も客も、「この時間はこれって予定がたっている。」 というのに固執するんだけど、 現地スタッフが、その時間なり予定なりに、日本側と同じように固執してるかって言うと、 そんなことは全くないんですよね、きっと(苦笑)。
実は、私達もこの違いに気がついておらず、 研修の最初のころは当惑していたのですが、 ああ、時間の使い方や概念が、通常の日本型研修とはちょっと違うんだ、 と気がついたら、大分楽になりました(笑)。
お互い、考え方がどうもずれているらしい・・・とわかっていれば、 それなりに対処できるのだろうけど、 何せお互い自分の物差しが相手にも当てはまると思っているので、 精神的軋轢が生まれてくる。 なるほど〜と思ったのでした。
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