ぶつぶつ日記
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2004年06月23日(水) 人間性

世の中、正論だけで生きられたら、
どんなに良いかと思う。
健全に、まっすぐに、曲がったことをせず。
それだけで生きられたら、やはりいいのだろう。

真っ当に生きることだけが、唯一許される道なんだろうか。
真っ当に生きられない人間には、価値はないのだろうか。
少しでも道を踏み外したら、
もうそれだけで最低の人間なんだろうか。

ある視点から見ると、
私は最低の、だらしない、馬鹿な女なんだろう。

そして、それを否定するつもりはない。
他のものは、望まないから。

曲がっている道を選んでいるのは自分。
それを誰のせいにするつもりもない。
全てのつけを自分で払わないこともわかっている。
それでも、正論を突きつけられると、へこむこともある。


2004年06月21日(月) ダンム・ティイール

エジプト人が(特に男性)自分達を形容する言葉で、
かなりすきなのが、「ダンム・ハフィーフ」じゃないかと思う。
直訳すると「軽い血」、いうなれば、「ねあかなやつ」とでも言うことなのだが、
これが、結構重要らしい。
私なんかにしてみれば、いやみで「いやー、君はダンム・ハフィーフだねえ。」
と言ってやりたい所だが、
喜ばれてしまうので、あまり言わないようにしている。
何せ、ダンム・ハフィーフじゃないから、と離婚された人の話もあるくらいだから。

ハフィーフがあるんだから、ティイール(重い)があるか?
というと、これが、ある(というか、いる)。
その代表格が、イラク人。
エジプト人=ダンム・ハフィーフ、
イラク人=ダンム・ティイール、
というのが、なんだかエジプトでは定番チックである。
だからかもしれないが、
一部日本人の間では、エジよりもイラク人の方が付き合いやすいという声もあるようなないような。

さて・・・。
友達が大絶賛していて、とある掲示板でもやはり大絶賛されていたので、
サラ・ブライトマンの新しいCD「ハレム」を買ってみた。
その中に、私がダンム・ティイールと聞いて一番最初に顔が浮かぶ、
イラク出身の大アーティスト、カーディム・シャーヒルが参加していた。
彼のインタビューをカイロのおしゃれげなカフェの特大スクリーンで見たことがあるが、
まあ、ぼそぼそぼそっと話す人で、
それがかっこいいといえばそうかもしれないけれど、
ちょっとエジ化している所がないわけではない私にしたら、
「もっとはきはき話さんかい!」
と突っ込みたくなるような、まじめで静かなキャラだった。
ハビービー・バヘッバックとアーンミーヤ(方言)丸出しで歌うエジとは違い、
彼は古式ゆかしき格調高く、フスハー(文語)で歌う、
数少ない歌手である。
今回も、「WAR is over」という曲で、
朗々と平和を願う歌詞を歌っている。
こういうのを聞くと、やっぱりこれって、エジ歌手じゃだめよね、
こういうのは・・・・と苦笑気味になってしまう。
それがキャラとか、国民性とかなのかもしれないけど・・・。
カーディムはもともとフセイン政権にも反対し、
ずっとレバノンで暮らしている。
フセイン政権がなくなっても、彼はイラクには帰らないし、
帰れないだろう。

彼の歌うサラームという言葉は、どこに届くのだろう。
そんなことを考えた。


2004年06月17日(木) 彼らの顔

しつこいですが。
今度は「ブラザーフット」のチャン・ドンゴンとウォン・ビンが来日しましたね。
成田は大フィーバーだったようで。
大体、彼らのどこが良いかとインタビューされている人は、

・純粋で男らしい
・日本人みたいに軟派じゃない

と言っているのですが・・・。
それは、どうしてか、考えたことあるのかな?

実際、韓国人学生と接していると、
確かに彼らは男気あふれ、割と硬派だと感じる。
それは、どうしてか。
彼らはみんな、国を守るために、強制的に徴兵され、
そこでもまれているからというのが、
1つの大きな理由だと思う。
家庭の事情で徴兵を免除される子もいるのだが、
そうではなくて、親の意向(大体において金持ちだったりするが)で、
徴兵逃れをした子を何人か見ると、
寄る辺のなさというか、大人になりきれないというか、
所在なさげで自信が持てず、
徴兵=苦労した!という共通の体験を通しての一体感を他の男子と持てずに、
なんとも中途半端な感じになってしまっていた。
その結果、アメリカに留学したり日本に来てみたり(何せ親には金がある)・・・。
でも、その留学も今ひとつの結果だったり・・・・。
実際、どんなに人気のあるスターでも、
汚いやり方をつかって徴兵逃れをしたと
国民から思われたら最後、その人気は凋落するそうだ。
だから、ウォン・ビンも、今度徴兵され軍隊に入るという。

みんな、軍隊になんて行きたくないと思っているのは確かなようだ。
軍隊特有のいじめなど、問題もたくさんある。
でも、行かなくてはならない。
それが、国民として、男としての義務だから。
ではなぜ、韓国に徴兵制があるのか。
それは38度線のむこうに、同じ言葉を話し元は同じ文化を持っていたはずの、
近くて遠い分断された国があるから。
そして、その分断が生まれた背景は、
日本が行った行動の、負の遺産が横たわっている。

みんなが、きゃーきゃー言って、涙を流すであろう「ブラザーフット」という映画は、
分断が決定的になった朝鮮戦争に翻弄された兄弟の話しであり、
その時日本は、自分達が起こした戦争の後遺症の大きさを省みることもなく、
朝鮮特需という言葉が示すように、「日本の戦後」を脱却するため、
その戦争から莫大な利益を得、実際に、戦後という時代から抜け出して行った。

何度も言うように、別にはじめのきっかけは何でもいいと思う。
でも、彼らの顔の裏側にある歴史を、知らなければならないと思う。
自分達の国の、醜い過去を見なくてはならないとしても。


2004年06月12日(土) あらら・・・

日記をさぼり気味です。
いかんです。
でも、明日からまた3日ほど、
日記どころの話じゃないのです。
来週までお待ちください。


2004年06月08日(火) 帰ってこない子供達

痛ましい事件ばかりで、ついこの間起こった事件ですら
忘却してしまうことが多い。
そんな中で、大阪の池田小学校の事件から、3年が経った事をしった。
記事を読んで行くうちに、犯人である宅間死刑囚の記事に行き着いたのだけれど、
相変わらず、反省も贖罪もないそうで、
こんなに死にたい死刑囚をむざむざ望みどおりに死なせていいのか?
などと逆に思ってしまう。
その記事の中で、宅間死刑囚が昨年の12月に、
獄中結婚をしたことを知って、かなりびっくりした。
世の中には、奇特な人もいるものだ。
事件を起こすまで知ることもなかった男性と、
その事件がきっかけで、結婚しようというのだから。
自分が彼を救うことで、自分が救われたいのかな、
とイジワルに思ったりもする。
また、そこまで死にたい人間が、
どうして彼女達の希望をかなえ
(複数の獄中結婚の希望者がいたらしく、最初に結婚届を送ってきた相手と結婚)、
結婚して面会までしているんだろうか。

結局、全てが甘え。
悪いのは自分ではなく、自分以外の全て。
こんな男のために、命を落としてしまった8人の魂は、どこにあるのだろう?
獄中結婚した宅間夫人は、宅間死刑囚にかわって、
8人のために、祈っているのだろうか?
祈っても、祈っても、
例え宅間死刑囚が贖罪したところで、
二度と帰ってこない、8人の子供たち・・・。

http://www.asahi.com/national/update/0608/029.html


2004年06月06日(日) 韓国の、戦後

お隣の国、韓国の若手スターが日本でも人気になっている。
その代表格が「冬のソナタ」のヨン様。
そのため、日本人の韓国への興味も、以前と比べ物にならないくらい
大きくなっているそうだ。
あまり、良好な歴史的関係があるとはいえない日本と韓国が、
どんなきっかけにしろ、お互いに興味を持ち、
相互理解を深めることは、とてもよいことだと思う。

そんな中で、第二次世界大戦後の、
韓国の歴史を扱った映画が2本、公開される。
「シルミド」と「ブラザーフット」。

「シルミド」は、最近までその事実が明らかになることのなかった
史実を元にしている。
1968年、北と南の複雑な関係の中、
社会の底辺に生きる男たちや死刑囚がシルミ島に集められ、
金日成暗殺部隊として訓練を受ける。
3年後、厳しい訓練の末、優秀なエージェントに生まれ変わった彼らは、
揺れ動く時代と国際政治に翻弄され、結局は国により闇に葬られた。

「ブラザーフット」は1950年6月25日に勃発した
朝鮮戦争に翻弄される兄弟の話。
日常から突然切り離され、収集令状もないままに、
戦争に借り出され死んでいった50万という普通の人々。
その中で、弟を守ることに命をかける兄と、
そんな兄を理解できない弟。
同じ戦場にたつ2人と、彼らを待つ兄の婚約者と・・・・。

韓国の学生に、
「金さん(中国の朝鮮族の男性)が中国人なのも、日本のせいですよね。」
と言われたことがある。
彼はその時、私を責めていたわけではなかった。
ただ、彼らの認識を述べたまでのこと。
そう、私たち日本の戦後は、高度成長による復興の戦後であった。
内戦もなく、戦争に直接参加することも、
巻き込まれることもなく。
しかし、すぐその隣では、
同じ言葉と文化を持つ人々が共に殺し合い、
国は分断され、今に至る。
31人の男たちを、抹殺する必要があるほどの、
壮絶な駆け引き。

きっかけは、ヨン様でもいいと思う。
でも、事実から目をそらさないように。
私たちの間に横たわる、不幸な歴史。
それを直視しないことには、
真の相互理解はありえない。
すべてを、謝罪する必要はないかもしれない。
けれども、「戦後」日本が経済大国になっていった影で、
韓国では、「戦中」であったことを、
忘れてはいけないと思う。
その原因が、日本にあったことも。





2004年06月04日(金) なんで「モハメド」?

いや、細かいことで申し訳ないんですが・・・。
イラクでなくなった橋田さんが救援しようとしていたイラク人の少年が、
来日しましたね。
でも、どうして、この子の名前が「モハメド」君なの????
これって、英語読みですよねえ。
病院や周りの人に「モハメド」君って言われたら、
戸惑うだろうなあ。
「モハメド」はムハンマドの英語読み。
ムハンマドって、そんなに言いにくい発音ですか?
日本人にとって。
そろそろ、これくらいの名前、英語読みしないで、
彼らの発音に近い日本語カタカナ発音で読んであげてよ、
と思う。

ちなみに、バクダットもバグダッド、
サウジでテロのあったのは、コバルではなく、アルホバル、
アフガンの首都もカブールじゃなくて、カーブル(最近ではカーブールになってきているらしいが)。
まあ、国都市の名前はしょうがないとしても、
人名固有名詞はねえ。


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