ぶつぶつ日記
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2004年04月12日(月) |
死体の傍らで、笑う子ら |
久しぶりに会った人と、イラクの話をしていた所、 先日アメリカ人が殺され、死体を晒されたファルージャの記事を見ながら、 「死体を見ながら子供が笑っているなんて、やっぱり異常だしかわいそう。」 という話になった。 その殺されたアメリカ人は実は傭兵で、「民間人」なんかではなかったのだけれど、 そんなことはむしろどうでもよく、 焼け爛れた死体を見ながら、屈託なく笑う子供達に、 戦慄と哀れさと怖さを覚えたのだろう。 彼は、そんな子供達を日本につれて来て、 「まっとうな」精神に戻るまで教育しなおせばいいんじゃないか、 と言っていた(さすが教師職)。
生まれた時から国は絶えずどこかと戦闘状態だとしたら、 女子供も死体になれてしまうだろう。 ましてや、家族のものがそういう死体になってしまうことすらあるのだ。 でも、確かに、敵の死体を見て笑える精神は、 どこか凄惨で病んでいるのかもしれない。 それほどに、誰かを憎んだことのない、「幸せな」私達からは、 全く想像が出来ない、その心のうちは・・・。
そんな子供達を、「平和な」日本につれてきても、 意味がないと私には思える。 今、この瞬間、異国である日本に滞在している瞬間は、 彼らの周囲は一見平和である。 しかし、イラクにしろアフガニスタンにしろルワンダにしろ、 その瞬間にも、人は死ぬ。 戦闘は続いている。 憎しみは幾層も積もっていく。
彼らの国で、彼らが心穏やかに過ごせるようにすること。 自分の生まれた国から、戦闘状態がなくなること。 私達平和な国に生まれ育ったものは、 それを助けるために、何かをしなくてはならない。 難しい困難なことだけれど。
一時的に、誰かを避難させても、 この世界は平和にはならないのだから。
2004年04月11日(日) |
一般人の多数派として、思うこと |
今回の邦人拘束に関する日本人の意見を見ていると、 なんだか、ここにも馬鹿の壁があるなーと言う気がしてくる。 支援する人々がエキサイトすればするほど、 一般人のたくさんの人の気持ちがなにやらテンション低くなっている、 そういう感じがしませんか?
人間にはいくつかの種類があると思います。 自分の思いに正直に、後先考えずに行動できる人は少数で、 普通は、色んなしがらみにがんじがらめになって、 また、惰性に流されて、 自分もした方が良いと思うことでも、できない人がとても多い。 前者が、今回の場合は拘束されてしまった人たちで、 後者が、圧倒的多数の普通の人たちだと思います。 前者の人たちがいなければ、世界は殺伐とした利益を追求するだけの世界になるでしょう。 でも、後者の人たちもいなければ、前者の人たちの行動も、難しくなって行くと思いませんか?
本来、拘束されたのが政府の人間であっても、民間人であっても、 ジャーナリストであっても、無鉄砲な旅行者であっても、 仕事で赴任していた人であっても、勉強している人であっても、 皆みんな、等しく助けなくてはいけないのです。 拘束されている人が「〜だから」、助けなくてはいけない!のではなくて・・・。
今回の場合、支援する方々が、あまりにも拘束されている人たちの行動を 前面に押し出している所、 これが、なにやら一般人の反発を招いているような気がします。 大多数の人は、どこかでそういうことをしなくてはいけないとわかっていても、 出来ないのです。 そして行動できる人のことをうらやましく思っています。 うらやましいと言う気持ちは、裏を返せば妬みや嫉みに通じてしまいます。 今回は、その典型例を見ているような気がしてならないのです。
自分達だってイラクのことは何とかしたいと思ってる。 でも、出来ない。 それには自分なりの理由があって、家族のことだったり、仕事のことだったり。
でも、こういう一般人の気持ちを、 考えが狭いだとか、だから凡人は・・・とか、 そういう風に思ってしまってもだめなのです。 なぜなら、最初に書きましたが、 使命感を持って行動できる人間なんて、本当に少ないのです。 そして、こういう積極的に行動出来ない人たちを動かしていかなければ、 どんな運動も大きくはなっていかない、 所詮は、自分達の内輪だけのものになってしまうのです。 そして、本来は派兵反対だった人たちの票も、 取りこぼしているかもしれません。
現在、毎日のオンラインサイトで、 「イラク邦人人質 自衛隊どうする」という投票が行われています。 今のところ、撤退すべきじゃないが圧倒的に多いようです。
投票しようかなと思い、見てみましたが、 この選択肢だと、私は投票ができません。 自衛隊の派遣に関しては、それ自体が間違いだったと思っています。 なので、撤退しろ!とは思うのです。 しかし・・・、ことはそんなに簡単でしょうか?
昨日送られてきた作家の池澤夏樹さんがご自身のメルマガでおっしゃっているように、 「邦人が人質になった」から、自衛隊撤退と言うのは、 絶対に理由にしてはならない。 なぜなら、これを理由にしてしまったら、 今後、日本人は危険地域ではNGO活動できなくなりますよ。 いや、気楽なパッカー旅行だって危ないでしょう。 くっだらない、理不尽な、とってつけた理由で、 邦人が誘拐される危険性がとても高くなりますから。
そうは言っても、もしかしたら、コイズミさんにとって、 邦人拘束を理由に撤退した方がいいのかもしれないですよ。 だって、池澤さんが提案しているように、 憲法違反の派兵だったと言うのを国際的に認め、 だから、陸自をイラクから撤退させるとします。 そうすると、国として正式に「憲法違反」を認めたのですから、 今後、自衛隊を外に出せなくなってしまいます。 コイズミさんにしたら、それは絶対に避けたいことでしょう。 これからも、ことあるごとに自衛隊を派遣したいと考えているでしょうから。
だから、邦人拘束!命は地球より重い! だから、自衛隊撤退!という運動は、 もうちょっと考えた方が良いんじゃないかという気がします (そういう声ばかりじゃないかもしれないけど、なんかちょっと感情的な感じがしている)。 じゃあ、どうしたら良いのか、それがわからないのですが、 もっと国の責任を追及することはできないかな??? マドリのテロの後、組織的に冷静に政府の責任を追及した スペインの人たちのように。
そう、今この文章を書いたら、ちょっと頭がすっきりしました。 政府の責任をもっともっと追及する。 イラクの人の情に訴えるのでもなく、 理想論(命は地球より重い)を掲げるのではなく。 責任は、まちがった行動を取った政府にある。 そして、拘束されてしまった3人の行動をとやかく言うのは、 無事に帰ってきてから、思う存分したらいい。 帰ってこなかったら、話にならないのだから。
ソマリアだったか、ルワンダだったか・・・。 長い年月を現地にとどまり、医療活動をしているイタリア女性がいた。 良家の子女として生まれた女性特有の自己犠牲精神を持ち、 結婚もせず、一生をその土地の人たちにささげていた。 過酷な生活状況の中、70歳を越していたけれど、 なお大変美しい人だった。
彼女の活動で命を救われた人もたくさんいて、 彼女に感謝している人もたくさんいる。 現地スタッフとともに働き、寝起きし、贅沢もせず、 彼女の私物はもらったスカーフだけ・・・そんな生活。 彼女が帝国の手先として自分達を採取するためにそこにいるのではなく、 自分達のために何かしたい、だから彼女がそこにいることを 理解していた現地の人も多かっただろう。 しかし、こんな女性でも、ある日彼女の病院内の自室で、 頭部を撃たれて死亡しているのが見つかった。
今回拘束されてしまった邦人の親御さんが、 「イラクの人のために働いていたことを理解してほしい。」って言ってた。 彼らが、イラクのために働いていることを、 わかってる人は、そんなことは最初からそんなテロ行為をしないのだ。
聞く耳持ってない人間がいて、 だからこそ、危険地域は、『危険地域』なのだ。 法も倫理も、通用しないことがあること。 無事に帰還できることを祈っているけれど。
今年は桜がきれいな誕生日となりました。 うーん、もうそんな年かあ。 内容はあいかわらず、全然伴っていません・・・。 素敵な大人の女性になるのは、一体いつなんだろう(笑)。 今年も一年、がんばっていきまっしょい。
同じくらいの年で子供を持っている人と話していると、 なんだか、追い詰められているような感じがする人も多く、 痛々しさを感じることがある。
独身の気楽な私が考えるに、 私達が子供の頃に比べて、今の子供達の人生は、 いくらでもやり直しが利くような気がする。 昔は、中学・高校・大学と、とにかくまっすぐに進まなくてはならなかった。 大検などもなかったし、社会人が高校や大学に戻ることなども、 よほどのことがない限り、まれだったと思う。 でも、今の子供は、たとえ中学高校(もしかしたら小学校?)で 落ちこぼれてしまったとしても、 自分が気がつきさえすれば、学びの場に、いくらでも戻っていける。 お金をかけた分だけ、学歴が高くなっているという今の子供。 でも、そんなのはどこの国でも同じこと。 だからこそ、金持ちはいつまでも金持ち、 貧乏人はいつまでも貧乏人、という国がどれだけ多いことか。 でも、と私は思う。 日本は、全部が全部、そうなわけじゃない。 自分で働いて、大学に戻る事だって、大学院に行くことだって可能。 もちろん、いわゆる「エリート」にはなれないであろう。 でも、大体が「エリート」って、それだけで幸せですかね? どんな一流企業に勤めたとしても、終身雇用もあやふやだし、 もしかしたら、その企業自体が危ないかもしれない。
小学校受験の塾の話を聞いたら、 義務教育創成期の頃の話を思い出した。 「1つの教室で同じ時間に同じことをすることを教える。 それは、良き工場労働者を作るためのカリキュラム。」 少なくとも、そんなにきちきちと受験をさせて一流大学に入っても、 なんだか大物にはなれないような、そんな感じ・・・。
子供がしたいと思うことと、 親がさせたいと思うこと、 子供が小さい時って多分、その境目がとてもあやふや。 親を喜ばせたくて、親がさせたいと思うことを 子供はしたいと思っていることも多いようだ。 でも、子供と親って一身胴体じゃない。 親の不安だけで、子供を振り回すのは、 どちらにとっても、なんだか危うい感じがする。
子育てに失敗したって良いじゃない?と思う。 元気に生きていてくれれば、 親が一生懸命に生きていれば、 いつの間にか、曲がった道もどこかの明るい方につながっていく。
どの道が幸せかは、どうせ死ぬ時にしかわからないのだし。
2004年04月01日(木) |
生活が満たされている社会で |
最年少で芥川賞を受賞した女性は、不登校とリストカットを繰り替えし、 その中で見つけたものが、「書く」という行為だった。 この行為を見つけて、彼女はようやく落ち着きを取り戻す。 リストカットでも薬物依存でも、本人達ですら、 その根本原因がわからない。 やめたい、悪いこと、良くないことだってわかっている。 無理やりに止めた先には、「死」というもっと悲惨なものが待っている。
必要最低限以上の生活ができる国でしか多分、 リストカットとか引きこもりとか不登校とか、 そういうものは問題にならない。 食べて行くのに精一杯、生きて行くのに精一杯な国では、 行きたくても学校に行けない子どもはたくさんいるし、 薬物に汚染されていくのは、守られる家族のいない、 ストリートチルドレンに多い。 犯罪に手を染めるのも、生きていくために仕方なく。
生活が満たされるというのは、どういうことなんだろう。 心が満たされない子供が多い、今。
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