ぶつぶつ日記
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2004年03月07日(日) 周囲の人に恵まれる

もったもったもったもったと、社会人学生をしていると、
一体、自分はなんのために、こんなことをしているのかなーと、
時折嫌になる。
単位がたまってるんだかどうなのか、
いつ卒業できるんだかわからないような状態だと、
仕事もあるし、いっそ止めてしまいたい!と思ったりして・・・。
特に、通信制で勉強していたりすると、
なかなか同じ組織に属しているような人とのつながりもできず、
1人でもんもんとしてしまうことも多い。
通信制の勉強が、なかなか続かないのは、
こういうことが、大きな原因かもしれない。

ただ、私の場合は、かなり周囲の人に恵まれていると思う。
あまり年の制約を気にせず働きながら勉強を続けたり、
仕事を一端中断して、勉強に戻ったりすることに関して。
カイロで知り合った(ほぼ同じ年の)友達の何人かは、
いまだにアルバイト程度の仕事をしながら、勉強を続けている。
もちろんそれは、博士を取るという大きな目標のために、だけれど。
でも、今は働いている日本人女性の知り合いも、
私から見たらすばらしいキャリア(今は国連関係でガザに派遣されている)に満足せず、
その仕事が終わったら、やはり博士課程に進むことを考えているという。
そんな、国際的な人たちだけじゃなくて、
奥さんをしてて、アトピーの小さい子供を抱えながら、
春からは栄養士さんになるために、短大に通うおうとしている人とか。
年だからとか、〜だからと、自分の制限を決めてしまうのは、
実は簡単なことで、
どうなるかわからないけれど、やってみよう!とそれを現実化させるのは、
大変な努力を要する。
そして、始めてみたものの、やはりそれは大変で、
だからこそ、嫌になってしまうのだ。

周りの人から、やる気とか、勇気とか、そういうものを日々もらっている。
だからこそ私も、誰かのやる気になりたいと思う。


2004年03月05日(金) 卒論合格しました

もったもったしていて、全然終わらないかに見えた
通信制大学生活ですが、
何とか卒論を書き上げ、昨日合格の通知をいただきました。
ハムドリッラー(とこういうときは言いたくなる)。
自分自身のことも、結果が見えると違いますね。
まだ、残りの単位があって、この春卒業とはいきませんが(なさけないですけど)、
ここまでくると、だいぶふもとに近づいてきたような気がします。
春はもうすぐってことで。


2004年03月03日(水) 目に見える結果を見ること

イラクに、ムスタファー君という男の子がいる。
極普通の住宅街で、おじさんと一緒にいたムスタファ君の数十メートル先に、
アメリカ軍の爆弾が投下され、おじさんは破片に頭部を直撃され死亡、
ムスタファ君は左脚太腿を負傷し、
一時は左足どころか、命の危険すらあった男の子だ。
彼は幸いにも、1人の日本人ジャーナリストと出会う。
そしてそのジャーナリストは、「たった一人助けても・・。」という思いを持ちながらも、
誰か1人でも助けたい!という気持ちから、
日本国内でムスタファ君支援を始めた。

一時は命すら危ないところまで来ていたムスタファ君の近況が、
最近になってメールで届いた。
まだまだ、何度も手術を受けなければならず、
そのためにはまず、心の傷を癒すことが必要ということだが、
弱弱しく、ベットに横たわり、大きな瞳に悲痛さを湛えていた少年は、
松葉杖をつき、自分の足で学校にも通い始めているという。
メールに添付されてきたムスタファ君の顔は、
以前の病院での写真とは別人のように、
闊達で利発そうなアラブの少年の顔をしていた。
大好きなナカタに会いに日本に来たいと言う。

本当はたくさんのムスタファ君がいて、
その中のたくさんが、私たちのムスタファ君のような幸運に合うこともなく、
手足を失ったり、命を失っているのだろう。
たった一人を救ったことに、私たちは満足してはいけない。
それはわかっていることだけれど、
やはり、目に見える結果が必要なのだとも思う。
自分がこの子を助けたのだ、その手助けが出来たのだ、
と思える結果を見ること。
無駄ではなかったんだ、と思えること。
それがまた、次の支援へと、私たちを向かわせる原動力になると思う。

ゆっくりと、一歩一歩学校に向かうムスタファ君の足取りのように、
不器用でもいい、何かを続けていくこと。
平和を願って。


2004年02月29日(日) 女人禁制

大阪の知事である太田房江氏は女性なので、
大相撲大阪場所の表彰のために、土俵に上がれない。
いわゆる女人禁制だから。
実際、いまさら女人禁制もないだろうと思うが、
女人禁制を全廃ってのも、
なんだか味気ない気がするのは、私だけだろうか?

もちろん、男女差別はあってはならないこと。
ほとんどのことにおいて、男性も女性もなんら差はなく、
ある程度同等に渡り合えることは事実。
男だから、女だから・・・なんてのは、
いい訳と悪口くらいにしかつかえない世の中になるのは、
結構なことだ。

でも、私がもし家でお産をすることになり、助産婦さんを頼むとしたら、
それはおばちゃんが良いなあ。
どっしりとした安心感のある、女性が良い。
そして、女子修道院に男性が入ることを禁止していることを、
問題にする人がいるだろうか?

すみわけ、というのを時々考える。
お互いの立場を尊重するとか。
例えば、大阪知事のケースの場合、
相撲協会が特例として太田氏が土俵に上がるのを認める

太田氏は伝統に敬意をはらい、代理人を立てる・・・
みたいな事かなあ。

お寺が女人禁制なのは、さもはからんや。
それで収入(?)なり、檀家なりが減ることまで覚悟して、
その伝統を守ろうとするなら、
それはそのお寺のやり方じゃないだろうか。
もちろん、伝統文化は全ての人のものではあるが、
同じ基準で世界の全てを計ろうとするのは、
あまりにも無理がないかな。
偏屈な頑固じじいみたいな風習が一部で残っているのは、
そんなにいやなことじゃない。



2004年02月27日(金) 少女の疑問

私の周りでも、韓国ドラマの「冬のソナタ」が流行っていて、
大泣きした人もいれば、話は面白かったけどどこで泣くの?
という人にわかれている。
それで、最近どんなものみて泣いたか、という話になり・・・。
ドラマは見ないし、映画もそんなに観ていないので、
あれで泣きました!というのが思い浮かばないのだが、
私が結構はまってしまって、そして泣いてしまうのは、
いわゆる「24時」もの(勝手に命名)。
あれです、警察とか病院とかに密着取材する番組。
アレの、病院ものを見ると、だめだなあー。
完全に泣いてしまう。

今週は、久米宏が小児癌の特集をやっていて、
途中から見入ってしまい、とても重い気持ちになった。
母親が一緒に見ていなかったら、ティッシュの箱を抱えて
号泣していたかもしれない。
病気の子供がかわいそうとか、そういう甘い気持ちではなくて・・・。
どうして?という疑問が頭を離れない。
それは、現在闘病している本人たちにとっても、
大きな疑問であるのだけれど・・・。
「どうして?私ばっかり???」
答えは、誰にもわからない。

1歳で内臓の癌、それを克服したと思ったら、
薬の副作用で、小学校入学するころに心筋梗塞を発病、
そして、心臓のせいで小学校4年生で脳梗塞になってしまった少女の疑問。
「どうして?私ばっかり???」
どうして、今入院しているのか、
そして、これからもそれは続いてしまうこと。
悲しい現実を、先生も親も説明しようと思えば、説明できる。
でも、どうしてそのように苦しまなくてはいけないのが、「彼女」なのか。
それは、誰にも説明できない。

私は、全く宗教的な人間ではないが、
神を否定するほど理論的でもない。
重い病を抱えて生きる子供たち。
戦争の渦中に生まれてきて、そして傷ついてしまう子供たち。
そのほか、「いっそ、死ねたら楽だろうに・・・。」
と思えるたくさんの人たち。
でも、彼らは生きる。
死は穏やかにも、一思いにもやってこない。
苦痛が勝る生活の中で、彼らは生きていかなくてはならない。
「何か」のために。

彼らはもしかしたら、私たちのために、
生かされているのかもしれない。
私たちの、汚さや醜さ、思い上がりの犠牲のために。
人々の罪を背負って十字架にかかった救世主のように、
見えない何かと、しらないうちに闘っているのかもしれない。
だから私たちは、彼女の顔に神々しさを見るのかもしれない。


2004年02月25日(水) 野望は・・・

でっかい方がいいのかな。
組織の規模とか、その性格とか、そういうものは気にせず、
自分がやりたいと思う野望は大きい方がいいのかな。
自分ひとりだったら、それでも良いかもしれない。
なにせ、考えるのは自分、やるのも自分だし。
でも、会社の中ではどうなんだろうか。
そんなことを考えて、ぐるぐる回っている最近。
これが考え方の違いなのでしょう。


2004年02月23日(月) すごいなと思うところ

むちゃくちゃ嫌いな相手でも、
うーむ、さすが!と思うことが時々ある。
でも、やっぱりその相手のことは嫌いなんだけれど(笑)、
伊達に○○じゃないなー、この人・・・、そういう感じで。
いい人なんだけどね〜むにゃむにゃ・・・という人よりも、
こういう嫌いな人の方を観察していた方が、
もしかしたら得るものがあるかもしれない。
なんてことを、ふと思ったのだった。
でも、やっぱり嫌いなんだけど!<しつこい。


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