ぶつぶつ日記
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2004年02月22日(日) |
自由に育てる、子供を守る |
最近、若いお母さんで、 子供とかなりの距離を開けても気にしない人が すごく多いような気がする。 子供の好きなようにのびのび育てる・・・ということが言われて久しいが、 のびのび育てるのと、危険を回避するためにしっかり捕まえておくのは、 全然次元の違う話じゃないかと思うのだが・・・。
土曜日、バイト帰りに駐輪場に向かっていると一組の母子。 4歳くらいのお兄ちゃんとお母さんははるか前方、50メートル先くらい。 私の前には、まだ足元のおぼつかない、2歳弱と思われる弟ちゃんが、 よちよち歩いていた。 これだけでも、「おいおい、危ないっつの。」と目くじらを立てた私だが、 そのうち、この弟ちゃんが排水溝の汚いみずたまりに注意を引かれ、 座り込んでその水に手を伸ばした。 私だったら、この時点でぶっ飛んできますけどね。 だって、汚いでしょう? でも、お母さんは遠くで待っているだけ。 そして、弟ちゃんは、見事にこけた、みずたまりの中に(−−;)。 ありゃりゃ〜、ここで素通りできるわけがない私。 だって、幼児フェチだもん。 転んだまま泣いている弟ちゃんに駆け寄って抱き起こすと、 お兄ちゃんが走ってきた。 でも、お母さんは全然走ってこない。 おにいちゃんにバトンタッチして、また駐輪場に向かう私と のんきにすれ違ったまだ年若いお母さんは、 か細い声で「すみません〜」と言ったから、 まだマシな方なのかも知れないけど・・・。 それにしても、二重、三重の危険が、この話にはあったと思う。 弟ちゃんの衛生面、そして交通事故の危険性。 駆け寄ってくるおにいちゃんの交通事故の危険性。 何があっても、そんなに距離が開いていたら、 子供を守れないよ、お母さん、と私は思った。 車に轢かれそうになっても、通り魔に襲われそうになっても、 誘拐犯に目の前でさらわれそうになっても。
自由に育てる前に、子供を守らなくっちゃ。 世の中は、そんなにのんきで平和じゃないんだから。
自分の現在の学歴等についてですが・・・。 それなりにコンプレックスを持っていて、 それで、どうせ自分なんて、なー、 と思ってしまうことがあります。 誰かと比べても仕方ない。 だって、自分がそうやって生きてきたんだから。 でも、やっぱり、現在は同じようなことをしていて、 実力だってそんなに違わない(と勝手に思っている) 相手にチャンスが来たりするのを見ると、 ため息が出たりするのです。
それでも。 やっぱり拾う神もあって。 今日はちょっと、涙が出そうになるくらいうれしかった。 まだ、実際にそれができるかどうかわかりません。 でも、気にかけて、声をかけてくれる人がいるというのは、 なんてうれしいことでしょうか。 このことが実現しなかったとしても、 今日の喜びや感謝の気持ちを忘れないように、 したいと思うのでした。
2004年02月18日(水) |
自己反省、したのでそれを有効利用しよう |
新しいPCを買ってしまった話しはもうご存知でしょうか(^^;)。 あー、もー、別に切羽詰って必要なものじゃないのに、ね〜。 何に使うの?というのもないのに、ね〜。
というわけで、買ってしまったんだから使い道考えないと・・・。 なので、今HPでお休みしている、 日本語教師のコーナーをがんばって開店させることにします。 内容は、 ・日本語の先生向けに、見栄えのいいテストを作る方法とかを紹介。 ・学習者向けに、簡単なネット教材もどき(あくまで、もどき)を作る。 どのくらいできるかわからないけど、 やってみます。 月1で更新できればなー。 春休みに、ちょっと組み立てます。
言っておかないと、企画倒れになってしまいそうなので、 一応、宣言(^^;)。
大変残念な話しだが、遠方から襲撃されてしまう場合、 アラビア語が出来ようがなんだろうがほとんど関係ないのね・・・などと、 外交官が亡くなった時には思ったものだ。 これが、誘拐されて・・・というなら、少し話は違ったかも、と。
日本人もだけれど、アラブ人もみんな、 自分たちの言葉であるアラビア語は難しい言葉、 と考えていて(そしてそう考えるのが好き)、 なので、外国人がその言葉を話すと、親近感が一気に倍増する。 それが、フスハー(正則アラビア語)ではなく、 アーンミーヤ(その土地土地の方言)だった日には、 「オフティー、ワ、ビンティー(私の姉妹、私の娘)」と わらわらと大騒ぎである。
逆を考えてみれば。 言葉も出来ない武器を持った人がいるというのは、 イラクの人にとってもやはり、恐ろしいし不快であろう。 そして、駐留兵にとっても、親しみよりも恐怖が勝って当たり前だろう。 自衛隊の人たちも言葉がわからず、 にこにこと笑顔を向けているだけのようであるが、 その笑顔も、いつまでいい笑顔と思ってもらえるのか。 残念ながら、もしかしたらすでに、 「へらへら笑ってばかりいる、薄気味悪いやつら」 と思っている人がいるかもしれない。
駐留兵にアラビア語を話せなんて、そんな無理難題は言わない。 ただ、本当に心を結ぶ支援がしたかったら、 現地の人たちと話しができるように、 通訳なりをたくさん雇って、日常的に話さないと。 それが、日本語→英語→アラビア語、でもいいと思う。
言葉が全てじゃない。 言葉を超えた心の交流も確かにある。 しかし、むやみにそればかりを期待するのは、 時間の無駄だし、危険も多い。 言葉を使って、心を勝ち取ることも必要なのだ。
自分のことを100%肯定したい気持ちもあるが、 まさか、そこまでえらくないでしょう>自分。 と、激しく突っ込みを入れる自分もいる。 世の中持ちつもたれつで、誰が一番偉いとか、 こういう仕事だからえらいとか、 そういうことはないんじゃないかなあ。 特に、1つの組織に所属している場合、 お互いが組織の両輪。 その立場なりの考え方や、仕事の仕方はあって、 隣の芝生が青く見えたり、 隣の仕事が手ぬるく見えたりするけれど、 でも、100%相手の仕事を理解しているってこともないでしょう。
うーんと、何が言いたいかというと、 大変なのはきっと自分ばかりじゃないし、 ただしいのも自分ばかりじゃない。 ちょっとづつでいいから、 そういう風に思えないかなあ。 蚊帳の外からのギャラリーは、 そんなことを思ったのだった。
短い時間の間に、ばたばたといろんなことを考えた。 その中で、1つはっきりしたのは、 私は、誰かのツテやこねをあてにはできない。 何かをしたかったら、自分自身である程度は切り開いていかなければならない、 そういうこと。 それには、今までの色んなことがあるだろう。 経歴とか職歴とか、そういうこと。 全て自分でやってきた、とか、 これからも誰にも助けてもらわない、もらえない、って言うことではない。 十分にいろんな人から助けてもらっているし、 気にかけてももらっている。 これからも、たくさんの人に助けてもらうだろうし、 世話にもなるだろう。 でも、それを漫然と待っているだけでは、 多分、私の人生は何一つ回っていかない。
自分自身で、回転軸を回して行くこと。
ちょっとぱーっとした気分になりたいと思い、 パイレーツ・オブ・カリビアンを借りてきたのですが、 これがなんと、私のPCでは再生できないでやんの(−−;)。 今までこういう事なかったんだけどなー。 なので、重そうだったけど観たかったのでやはり借りてきた、 「裸足の1500マイル」という映画を先にみた。
1930年代のオーストラリア。 アボリジニの母子(特に混血児)は、 原始的な生活からアボリジニを「救うため」の 白人化政策のもとに、引き離されてしまう。 矯正可能な子供たちは、施設に入れられ白人により近づくための教育を受ける。 この、今になって考えるとはなはだ野蛮な政策は、 なんと、1970年まで続いていたそうである。 そして、多くのアボリジニがこの政策により 今でも自己のアイデンティティークライシスを抱え、 それだけではなく、映画の中で暗示されているように、 使用人や労働者として独り立ちさせられたアボリジニたちは、 結局、白人になどなれず、 今で言うセクハラに遭遇し、虐げられた生活を強いられることも多かった。 オーストラリアでは、この政策により家族と引き話された世代のことを 「盗まれた世代」と言う。
映画は、妹といとこと収容施設を逃げ出し、 1500キロ9週間かけて生まれ故郷に逃げ帰った、アボリジニの少女の話 (ちなみに1500キロって、2400キロです。なんと、稚内から那覇まで!!!)。 皮肉なことに、彼女たちがこの気が遠くなるような道のりを、 無事に母の元に戻れたのは、 人々の善意と言うよりは(実際、彼女たちは都市部の白人とは違う、 厳しい自然の中で暮らす農婦や、はぐれ者の白人に何度か助けられる) 原始的なはずのアボリジニの生活習慣やサバイバル術だと言うことに、 観ている私たちはすぐに気がつく。 そして、真実はやはり、作られた話よりも衝撃的であるということ。 この映画の最後に、主人公のモリーはいったん母の下に戻る。 そして、砂漠の奥地に隠れ住み、結婚し娘も生まれる。 しかし、その娘とともにまた「捕らえられ」、 同じ施設に入れられ、そして再度、 下の娘を抱えて、生まれ故郷に同じ道を辿って戻ったそうだ。 けれど、映画の途中で施設に連れ戻されてしまう いとこのグレイシーは二度と故郷に帰る事はなく、 娘もまた施設に連れ戻され、モリーと二度と会うことはなかったと言う。 80歳を越えたモリーは今も、妹のデージーと友に、 生まれ故郷のジガロングに暮らしている(2000年)。
善意や思い込みで行われる様々なこと。 70年前のオーストラリアの政策を、 野蛮と言い切り、断罪だけしていれば、 私たちは良いのだろうか。 今も、どこかで。 善意と言うなのもとに、野蛮な行為が行われていないか。 正しいのは自分たちの文化習慣だけとか、 文明的ではないから、それは哀れであるとか、 そんなことは、全くないのだ。 少なくとも、他者から強制されるべきことではない。 今も、世界のどこかにモリーがいて、 悲しい、そして強い瞳で、 私たちの欺瞞を見つめている。
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