ぶつぶつ日記
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2004年01月21日(水) |
砂塵の国に継承される文化 |
モーリタニア、という国のイメージは、どんなものだろう。 この国は、毎秒何トンという砂塵がサハラ砂漠から押し寄せ、 国全体が、サハラに飲み込まれそうになっている、 北アフリカの小さな国である。 毎月届くアラムコという会社の広報誌で、 「Manuscript=手稿」という英語を知った。 そして、このモーリタニアに、すばらしい手稿の蔵書と文化があることも。
それらの蔵書は、彼らの先達が、 メッカに巡礼に行った折、旅先の文化の発達した街々で、 買い求めてきたものだ。 メッカ、マディーナ、カイロ、フェズ、 そして、今はスペインであるアル・アンダルース・・・。 何よりもすばらしいのは、それらの蔵書が、 個人の手で長年守られてきているということ。 そして、彼らはそれを秘密にしておくのではなく、 広くー子供たちをも含めー人々の学ぶ場に、提供してきたということ。
欧米であったら、博物館のガラスのケースの中に入るような本を前に、 ベルベルの青い衣をまとった年を取ったライブラリアン(蔵書家)は言う。 「5歳以上の全ての子供を歓迎する、たとえまだ読み書きが出来なかったとしても、 彼らは、これらの(本の)すばらしさを理解することができる。」 こういったライブラリアンが、寺子屋のようにクルアーン(コーラン)を通して 子供たちに読み書きを教えてきた。 そして、モーリタニアの人々は、ただ本を保持するだけではなく、 カリグラフィーの伝統をも守ってきている。 「12世紀のアンダルスの書体と19世紀のモーリタニアの書体は、 ほとんど同じ書体である。」
彼らの書くカリグラフィー、そして女性たちの作る手芸品、 一つ一つ、気が遠くなるほどの時間をかけて、 手を使い、生み出される芸術品。 ぼろぼろの表紙を何度も取替え、子供たちに学ばれるクルアーン。
文化とはなんだろうか、と思う。 文化の豊かさとは。 物資的には、決して恵まれた国ではない。 むしろ、貧しく、厳しい国である。 けれども、その中に、深く「文化」が根付いている。 守り、育て、継承していくこと。
「文明」を手に入れた私たちが忘れてしまった「文化の継承」が、 一見不毛に見える、砂塵の向こうに続いている。
2004年01月20日(火) |
世の中そんなに甘いんだろうか |
昨日職場に恩師が来たので、ちくりモードに入っていた私。 彼が知ることで、状況が変わるわけではないが(部外者だし)、 一応経営者に物申せる人だし、 自分自身の今後の相談も兼ねての、ちくり大会とあいなった。 そこで、今後自分たちはどうするんかね?と言う話になり・・・。 私は、単位取得で大コケしたものの、 一応ロードマップは立ててあり、 折々その先生に相談メールを送っている。 また、昨日も、もっと具体的な研究計画についても話をしてみた。 なので、その時は、主に私の隣に座っている(通称)同僚の話になったのだが・・・。
とりあえず、あと一年はここにいる(その後はいたくない)、 でも、その後どうするかは具体的には・・・と言うことだった。 オイオイ、先週子供が生まれたばかりで、 そんな悠長なことを言っててどうすんだ、と、 すでにこの時思ったが、人の人生、口出しすまい。
が、先生が帰った後、二人になった時に言われたことにはぶっ飛んだ。 後のことはあんまり考えてないけど、出来たら海外に行きたいなー。 これも、まあよかろう。 私だってそう思っている。 その次である、問題は。 「(恩師の)先生、国際○○○○(国の日本語関係外郭団体)に、 ツテとかコネとかないかな。」
・・・・・・・・・。
つまり、なんですね。 その辺に転がっている、月給何百ドルかの話しなんて目じゃなく、 コネやツテで、割のいい国関係の派遣に乗っかって、 家族三人、優雅で楽しい海外生活を送りたい、と。
人生って、そんなに甘いんですか。 あんた、なんでみんなが必死になって、 院とか言ってるか、わかってるんかい。 学部卒の日本語教師、経験3年なんて、 はいて捨てるほどいるからなんだよね。
これで、彼が棚ぼた人生をまっすぐ歩んで行くとしたら、 私はやる気をなくすよ・・・・。 努力して、お金と時間をかけて、じたばたしているのが、 ばっかみたいじゃない?
2004年01月19日(月) |
見えないうちに・・・ |
厄介な問題というのは、誰しも見たくないものだ。 地中深く埋めてしまって、そのまま忘れてしまいたい。 しかし、残念ながら、埋めた問題というのは、 解決されたわけではない。 だから、気がついたら、地中深く問題の根が張って、 その上、問題同士が引っ付き合い、 とてつもない大木に育っていることがある。
そうならないように、予測し、先手を打ち、 いやなことも片付けていかなければならない。 そうしないと、問題の大木はすっぽり自分たちを覆いつくす。 問題の種を片付けることはちょっとの労力で済むが、 大木になったら、そう簡単には片付かないのだから。
この職場って、本当に反面教師。 自分自身がそうならないように、 問題の種は、埋めないできっちり処理するようにしよう。
2004年01月15日(木) |
捨てるな!投げるな!振り回すな! |
何何のことかというと、そりゃ歩きタバコのことです。 私はタバコが嫌いですが、 別段一緒に食事をする人がタバコを吸うのはかまいません。 私の家では吸って欲しくはないですが、 その人がその人の家で吸うのは、本人の自由でしょう。
でもねー、どうしてもだめなのは、歩きタバコ。 いや、これも、本当に人に迷惑をかけないんだったら、 やってもいいけれど、 迷惑かけてない人って、結構少ないでしょう?
最近気になるのが、吸い終わったタバコを投げる人。 落とすんじゃないですよ、投げるんですよ!! しかも火がついたままのものを、そのままに! せめて火を消せ。 街中で、こういうことをやっている人って、 絶対に自然の中に入った時も同じようなことをやる。 山火事になるでしょう。 そういうことなんだよ、ほぼ放火に近い。
そして、吸いかけのタバコをぶんぶんと振って歩く人。 子供の目の高さって、そのタバコくらいにあるんだよ。 タバコの火は熱いのよー。 やけどですまないこともあるんじゃないの。
こんな人たちに、喫煙権とか言う資格なし。 権利は、自分がきちんとしてから求めましょう。 権利や自由は、代償の大きいものなのです。
西川きよしさんが、政界から一切引退するという発表を行った。 後継指名も行わず、知事選など他の選挙にも出ず、政界を完全に引退するそうだ。 今後はタレント活動に専念し、社会的にはボランティア活動などに参加したいという。
さばさばした表情を見て、引き際というものを考えた。 老害という言葉は嫌いだし、 高齢者が社会に関わり続ける必要性も感じる。 しかし、組織の中での引き際、老害について考える時、 どれだけ客観的に自分を判断し、すっぱり辞められるのかが、 その人の信の価値を決めるように思っている。 それは、私が今所属している組織が、 ある人(たち)が引き際のタイミングを逃してしまったことにより、 ひたひたと、衰退の足音が忍び寄っているのを、 なんとなく感じているからかもしれない。
年を重ねたからこそ、できること、わかることがある。 しかし、年をとってしまったからこそ、見えなくなってしまうこと、 出来なくなってしまうこともある。 その事実を受け止められない人が、権力や欲にしがみつく。 哀れで、さもしい姿をさらしながら、 組織を衰退へと導き、そしてそのことにも、もちろん気がつかない。 辞めることで、新しく健康的な日々を得ることもあるんですが。
大体において、「式」と名のつくものは、面白くなくて当たり前。 結婚「式」だって、そう面白いものじゃないし、 成人式がつまらない祝辞だらけなのも、当然だろう。 もちろん、皆が飽きないように、色々工夫して 楽しい式にすることは良い事だけれど、 それにしても、全ての人を楽しませることは無理だし、 無難に、無難に・・・となっても、 そりゃしょうがないことなんじゃないかと思う。 そして、その面白くない式に、我慢して付き合うことも 人として必要なんじゃないかと思う。
自分らしさとか、自由に・・・とか。 言葉はきれいで立派だけれど、 裏を返せば、人に気を使わないで、 自分勝にやっているだけのことだったりするんじゃないの? 人間関係は全て、Give and take。 一方的に自分の気持ちだけは押し付けられないし、 自分のしたいことだけしてはいられない。 何を引いて、何を押すか。 どこを妥協して、どこを通すか。 自分の気持ちは大事。 でも、人にも大事な気持ちがある。
いつも我慢ばかりしている必要はないけれど、 時には我慢して、こちらが大人になって付き合うことも、 必要なんじゃないかな。 毎年「荒れる」成人式を見て、そんなことを思った。
2004年01月07日(水) |
忘れてしまったこと、終わっていないこと |
年が改まって、心機一転するのは良いけれど、 あまりにも色々なことが起こりすぎて、 忘れてはいけないのに、気がつくと忘れてしまっていることが 本当に多い。
何を覚えていなくちゃいけないのか。 どうして覚えていなくちゃいけないのか。
今年もきっと、様々なことが起こるのだろう。 そして、忘れてしまったことが、その原因になるのかもしれない。 忘れてしまったことは決して、「終わったこと」ではないから。
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