ぶつぶつ日記
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2003年12月07日(日) |
テロとの戦いは、まだ始まっていない。 |
カイロで一緒に生活していた友人から、混乱と慟哭のたくさん詰まったメールが届いた。 彼女は、シリアで働いていたことがあり、その時に、 亡くなった外交官の井ノ上さんと親しくしており、 奥さんとも行き来があったそうだ。 現在の彼女は、自衛隊が行っていたら、井ノ上さんは死ななかったかもしれない、そう思っているようだ。 そして、民間だから良くて、自衛隊だからだめという、 その区切りの意味がわからないという。 これは、別のところでも同じことを言っている人がいた。 私は、これは明白に違うと思う。 もちろん、国の機関が行った方が、できることは多い。 民間の資金も苦しいような機関よりも、 資金も資材も人材も豊富な組織を送った方が、 手っ取り早いしできることも多いんじゃないか、 これは確かにそうだろう。 しかし、しれは最善の案か? とてもそうは思えない。
友達は言う。 「彼(=井ノ上さん)は占領軍のために働いていたんじゃない。」 そう、私もそう思うし、日本人全員がそう思うだろう。 そして、井ノ上さんご自身のことを知っていたイラク人、シリア人、 アラブ人の全ての人も、そう思うだろう。 でも、それ以外のイラク人(そしてアラブ人)の大多数にとっては、 彼は井ノ上さんという心優しきアラブの理解者ではなく、 占領軍の一員として、日本という国の威信を背負ってやってきた、 外国人の1人にしか過ぎないのだ。 そして、自衛隊だって同じ。 今現在、アメリカのやり方をなんら変えない状態で 自衛隊がイラクに入ったとしたら、 ほとんどのイラク人とアラブ人にとって、 日本も占領軍の一員に成り下がるのだ。 そして、日本とテロとの戦いは、 この瞬間から本当に始まる。 その瞬間から、日本は本当のテロの標的になるだろう。
それを望むのか。 それを回避するのか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 訂正 当の友人から、訂正依頼が来ました。 自衛隊が行ったら、彼らは死ななくてすんだかも・・・ とは思っていない。 彼女は私たちが知る以上に色んなことを見聞きしていますので、 もっと深く現状を見、やりきれない気持ちになっているみたいです。
でも、この日記はこのまま残しておきます。 私は、「もし自衛隊が行ったら・・」と思う気持ちが、 悪いことだとか、浅はかだとか、そういう風には思わないので。 彼女がそう思っていなかったとしても、 そう思っても当然だと思うのです。 悲しみの中、ありとあらゆる「もしも」を考えてしまうのは、 人間の本能だから。
屍を乗り越えて行くんだそうだ by コイズミジュンイチロウ
一体どこへ? 過去の大戦、そうしてたくさんの若者が戦地に散った。 その後で、何が起こったか。 原爆が広島と長崎に落とされ、罪もないたくさんの人が死んだ。
今の、日本のハンエイはその人たちの命の上に乗っかっている。 でも、その人たちの死が、「必要なものだった」なんて、 絶対に思わないし、思えない。
屍を乗り越える必要はない。 屍を、出さないことが重要なんだ。 それは、日本人だけじゃなく。 イラク人も、アフガニスタン人も、パレスチナ人も、ユダヤ人も、 全ての人が、等しく同様に。
このまま、自衛隊をイラクに派遣しない場合、 日本は「面目」を失うんだそうだ。 常日頃思うことだが、 日本は、そんなに国際社会に貢献していない国なんだろうか? 兵隊を出さないことが、どうしてそれほど非国際貢献なんだろうか。 どんなご大層な大義名分だって、お金がなくっちゃ実現しない。 本当〜にイラクを復興するためには、 どれだけの資金が必要か。 アフガンにしろどこにしろ、 一体日本はこれまでどれだけの資金を出してきたんだろう。 そのお金を誰がどう使ったの?
人は出さないですけど、お金は出してます。 それのどこが悪いのか。 金は出せない、だから人を出す国の方が多いのだ。 そして、余剰な人は組織のお荷物になることも多いけど、 余剰なお金は、色んなものに使える。 資金的援助をすることは、決して恥ずべきことではない。 ましてや、世界的に(除く政治家) イラクへの侵攻が無駄なものであったという意識が広がる中、 人を派遣して、誰に対して点数を稼ぐのか。 それは、アメリカだけにでしょう?
今、この時期に、 人を出さないことを恥ずかしいと思う必要は全くないと思う。 人を出すのなら軍隊ではなく、 本当の意味での復興を手伝える時期に、 手伝える人を送ればいいのだ。
全ての人に平等に訪れるものがあるという。 その名前は、「死」。 王様も法王も、物乞いも、人も動物も、死からは逃れられない。 でも、死ぬ瞬間というものは、平等じゃない。 穏やかに死んでいける人、苦悶のうちに死ぬ人、 自分が死ぬことを意識せずに、いきなり命を奪われることだってある。 そして、同じ場所で死んでも、 その死は全く、平等じゃない。
初めての犠牲になった、二人の日本人外交官。 襲撃されたスペインの諜報機関の人々。 毎日襲撃され、少しずつその数を増しているアメリカの死亡者。 そして、カウントされることもなく死んでいるイラクの人たち。 いまも、混沌の中に投げ出され、その中で死んで行くアフガンの子供たち。
2人と7人と、何百人かと。 数千人と数万人と。 私たちはその数に、目を奪われるのだろうか。 数が多ければ多いほど、その死は見えなくなっていく。 まるで、誰も死んでいないかのように。
ついに、というか、やっぱり、というか、 イラクで邦人が襲撃され、亡くなってしまった。 外務省や、国の発表を聞いていると、 何が何でも自衛隊を派遣するために、 ありとあらゆる詭弁を使って、今回のことを説明しようとしている 気がしてならない。 テロではない、強盗目的だった、 日本人を狙ったという情報はない・・・。
今回のことに関しては、確かに強盗目的だったのかもしれない。 日本人と認識してはいなかったかもしれない。 だが、外国人は、全て同じ標的であることも、 また事実なのだ。 それがジャーナリストだろうが、大使館員だろうが、 国連だろうが、NGOだろうが、なんだろうが・・・。 そして、軍隊はまず、憎むべき存在であることもまた、 避けられない事実なのだ。 ラマダン中、カイロのだんなの実家に里帰りしていた友人は街中で何度も、 「ヤバーン、アスカリ(日本、軍隊)」と言う言葉を セットで聞いたという。
日本人は何かと言うと、中東は親日で・・・という。 確かに、平時にはそうである。 けれど、平時でなくなったら、 そんな甘い考えはすぐに吹き飛ばされる。 日本は、アメリカに追従ばかりする=自分たちと敵対する、 そういう国の1つなのだ。 そしてもう1つ、中東の人たちの感情を複雑にするのは、 アメリカに破れ、戦後一から復興し、 世界でも最も豊かになった国、日本への憧れ。 自分たちも、そうなりたい、でもそうなれない、 そして、日本はいつも、自分たちを助けてはくれない・・・ そういう思いを持っていること。
毅然として、テロと戦う、と政治家は言う。 けれど、その最前線の危険に正面から立つのは、 自分たちでは絶対にない。 そして自分の親族でも、友人でもない。 先日イラクに行った視察団は、大して「視察」もせず、 引きこもり状態だったという話しすらある。 そして、安全って、一体???
自衛隊を派遣するなら、安全地帯などという言葉を使うな、 と思う。 戦地に行くのだ。 そう明言すべきだと思う。 言葉を濁し、詭弁を使い、国民をだますな、と思う。
仕事に埋もれています。 そしてなぜか旅行の情報収集〜。。。 しばしお待ちください。
週末のバイトは、大学生から子供が大学生以上の主婦まで、 幅広い女性が集まっている。 マン・ウオッチャーとしては大変面白い職場である。 昨日隣りに座った子はまだ大学生。 でも、結婚を意識している人がいて、 だからアメリカへの留学を断念したとか、しないとか。 彼女いわく、人生はもう、あらかた終わったようなものなんだそうだ。 先はもう、見えている。 そうじゃないですか? 全然(苦笑)。 先なんて、全然見えない。 見えていたら楽だろうと思うが、 これがもうどうなるのか、3年先だって想像できない。 それは、私が人生の正道をかなり前に降りてしまった、 からではなくて、 先が見えていると思える人生でも、 やっぱり何が起こるかなんて、全く見えないものだと思う。
彼女のように、有名大学に入っていて、 道を踏み外すことなどあまり考えないような子だと、 好きな人もできて、仕事についても考えてしまったら、 それで、人生はまっすぐ死ぬまでそのまま続いていくと、 考えてしまうのも、ありがちなのかなと思う。 また、20歳そこそこという年齢も、 自分が大人になったような気になって、 人生を達観したようなつもりになる年齢なのかも知れない。
でも、私の前に座っていた私と近い年の女性が言っていたように、 そのまま続くと思っても、あるきっかけで180度変わることだって、 良くある話なのだ。 そうではなくても、どこで何が起こるか、 順風満帆なままいければいいが、 風の向きは毎日変わり、 気がついたら思いもよらなかった岸辺にたどり着くようなこともある。
就職して、結婚して、子供が生まれて・・・。 極普通の「先が見える」ように思われる人生だって、 何が起こるかわからない。 それを、一瞬先は闇と思うか、 びっくり箱を開けるようなものと受け取るか。 毎日、びっくり箱を開けよう。
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