ぶつぶつ日記
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何事かと思われた西安での「裸踊り」騒ぎ。 冷静になってみれば、日本の学園祭のりを その大学の催し物の中でも権威ある会で行ってしまった・・・ ということらしい。 本人たちも、ふたを開けてみてびっくりだっただろうし、 そのとばっちりで暴力を振るわれ怪我をした留学生にとっては、 さぞかしショックだったことだろう。 その大学がある場所柄とか、学生気質とか、 これが北京や上海だったら、大して騒ぎにならなかったと言う人もいるし、 当の街でも「大学の話を外に持ち出すな。」と思った人もいたそうだ。
中国や韓国に留学する日本人学生が増えているのは、 とても喜ばしいことだと思う。 今まで近くて遠い国だったこれらの国との関係が、 そちらの国からも留学生が来る、 こちらからも行く、と相互作用で、 今までにない関係を築けていけるだろうと思うので。 ただし、これらの国に行く場合には、 本当に本当に、ありとあらゆる注意も必要だと思う。 欧米に行くのとは違い、 日本人という存在自体を快く思わない人々が明らかに存在するので、 今回のことのように、本人たちのあずかり知れぬところで、 何が発火し、燃え上がるかわからないからだ。 そして、それを発火させるのは、当事者だけではないのかもしれない。
世界というのは、あまりにも中はどろどろ。 ちょっとした機会を狙って、日本の足を引っ張りたい国、 東アジアの一体化を阻止したい勢力、 そんなものが、小市民には見えないところで (そしてジャーナリズムが見ようとしないところで)、 うようよとうごめいているのだ。
目に見えることの顛末。 目に見えないことの顛末。 今回も、長期的に観察してみることが必要かも。
アル・アトラールというアラビア語を最近知った。 意味を調べてみると、「残されたもの、遺跡。」そんな意味で、 ウンム・カルスームが歌っていると言うことも聞いた。
数えるほどの出会いの中で、 その人が私にくれたものは、とても大きい。 大好きな、尊敬できる人から、思いもかけず、 「あんたは、いい女だよ、いい女になった。」 と言われることほど、 女冥利に尽きるものはないんじゃないかと思う。 突然言われたそんな言葉に、どうして言いかわからず、 いつものようにおちゃらけて、はぐらかすことしかできなかった私は、 やっぱり、全然いい女なんかにはなっていないのに。 でも、胸の中がぽっこりと明るく暖かくなって、 誇らしい気持ちにもなったのだった。 その人が描く絵のような、 不思議な形をした光が、胸を満たした。
その人がもういないと言うことを知らされてから数日たって、 徐々にそれが実感となりつつある。 もう、「いい女になった。」なんて言ってもらえないのだ。 あの山間の町に行っても、もう会えないのだ。 そんなことを考えながら、手だけは動いた。 デザインを考える事もなく、 溢れるように文字が指輪に彫りこまれた。 「アル・アトラール」残されたもの。
この指輪をして、きっとあの町に行こう。 あの町の空気の中には、あの人がいる気がするから。 声が聞こえる。
2003年10月29日(水) |
Her life without him |
予感はあった様に思う。 去年クエンカで会った時に。 ああ、この人はきっと、日本に戻ることはないだろう、 そんな予感。 でも、そんなことは考えたくなかったし、 実際、きっと彼は100歳まで生きると、 そんな風に思っていた。
朝、そのクエンカから届いた、たった一行のメールの、 「連れ」という言葉が、とても重かった。 法的になんら縛られることのない、 それでいて、濃密な関係。 これから先、彼女はどこで一人で生きていくんだろう。 彼のいない、クエンカというところで、 生きていきていくんだろうか。 そこは、さびしい所ではない。 友だちがいて、二人で暮らした家があって。 でも、そこにはもう、彼はいないのだ。 彼のいた場所にあるのは、果てしない空間だけ。
Her life without him, your life without me, my life without you.
誰かがいない人生を、想像してみる。 亡くなった人を見送る代わりに。
2003年10月27日(月) |
死んでも、いいのかなあ。 |
本当に、ほんとうに、自衛隊はイラクに行くんだろうか。 本当に、ほんとうに、安全だって言えるんですかね。 じゃあ、何でブッシュ大統領はイラクにまだ行っていないんだろうか。 安全だったら、視察にいけるよね。 毎日のように必ず、駐留軍が攻撃されていて、 必ずのように、死者が出ているニュースは、 日本でも流れているのに、 そんなところに、自衛隊が行くんだ。 彼らが、殺されても、 彼らが、殺しても、 それは、アメリカ軍が殺されたり殺したりするよりも、 大きくセンセーショナルなニュースとして扱われるという。 だから、アメリカは自衛隊にイラクに行ってもらいたいんだと そういっているジャーナリストもいる。
イラクで日本人自衛官が殺されても、 イラクの人やアラブの人を憎む気には私にはならないけれど、 日本人が殺されることに、政治的期待をしている、 どこかで誰かのことは、許せないと思う。 私たちもイラク人も、チェスの駒じゃない。
2003年10月23日(木) |
青いフォルクスワーゲンで、旅立ってから |
もう、ずっと昔、まだ、彼が若かった頃。 クウェートで成功していた。 家には真っ赤なスポーツカーとベンツもあって。 でもある日、まだ若かった彼は、それらを全て処分して、 青いフォルクスワーゲン(ドイツ語でわれわれの車という意味)に乗って、 旅立った。 クウェートから、パレスチナへと。 一体何日かけて? 自分たちの生まれた土地を、取り戻すために。 正義に燃えていた。 理想にも燃えていた。 青いフォルクスワーゲンにも、希望が詰まっていただろう。
それから。 権力を握った。 世界を相手にしてきた。 けれど、青いフォルクスワーゲンに詰まっていた、 希望はどこに行った?
彼は年を取り、何もかも統制する力を失いつつある。 彼が与えてきた希望は、もう光り輝かない。 市街地を飛ぶ爆撃機は、日常の姿になり、 少年だけではなく、女性ですら、 子供を宿す代わりに、おなかに爆弾を宿し、 相手方に突っ込んで行く。 そしてまた、繰り返される空爆・・・。
アラファトが青いフォルクスワーゲンで旅立ってから、 もう何十年が経った。 でも、いまだに、 パレスチナは取り残されたまま。 希望は飢え、憎しみが肥える。
2003年10月18日(土) |
人生を、分けていくもの |
たくさん腹を立ててた。 嫌な思いもしたし、悲しいこともあった。 でも、最後の感情として残るのは、 やっぱり行って良かったと言う気持ち。 嫌な事も、結局は笑い話。 私のカイロでの短い時間は、 どっかりと私の人生の真中に座っていて、 これからも続いていく私の人生に、 たくさんの影響を与えている。
でも、そうじゃない人も実際にいて。 外国に住むことで、 体や心を壊してしまったり、 そこまで行かなくても、つらい思い出しかない人や、 そのこと自体が人生をつらくしてしまう人もいたり・・・。 どこをどうすれば、 人生が分かれていくのかなーなど、 秋の深まりと共に、少々センチな気持ちで、 色々な人の顔を思い出している。
改革が必要ならば、それはすれば良いと思う。 そして、改革によって人員削減などが行われるのも、 仕方ない部分もあるだろう。 問題は、その改革方法に納得できる理論があるかどうか、 そういうことではないかと思う。 当初、石原慎太郎都知事は、都立4大学を統合し、 総合的で専門的、アメリカのマサチューセッツのような大学を、 と言っていた筈である。 この目標は素晴らしい。 素晴らしかった、と言うべきか。 そして、都立大学改革案が出来上がってみれば・・・。 なんだか、ちっともわからないのだ。 どこが専門的な総合大学なんだか。 そして、廃止される科とそうでない科、 その区分けもよくわからない。 わけがわからないものを、はいそうですか、 と何も気にしないようにするには、 私はこの問題に、心理的に近くなってしまっている。 なぜなら、私の目の前には、 せっかく日本まで留学しに来て、 がんばって都立大で勉強している、 自分と同じような道を目指している女性が二人いるから。 彼女たち二人の将来を考えただけで、 はい、そうですか、とは言えない。 感情論であることはわかっている。 しかし、その感情を静めるほどの理論的な説明は、 何処を探してもないのだから、 やっぱり、私は彼女たちに肩入れをする。
もしよろしかったら、下記サイトをごらんになってみてください。
http://t-kb.hp.infoseek.co.jp/index2.html
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