ぶつぶつ日記
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2003年04月22日(火) がんばるのは、当然だけど

選挙ですねー。
なんだかうちの方は、以前よりも立候補が多い気がします。
そのため駅前も両陣営どころか、3者4者混ざっての
大騒動。
うるさーい。
私の場合、選挙カーの音量と選挙活動が過剰だと
途端にその人には入れたくなくなるんですけど、
皆さんはどうでしょうか(笑)。

大体、『がんばります」って連呼してるけど、
そんなの当たり前なわけで。
でもほとんど全員が、一体「何に」がんばるのか、
これじゃあ全然わからない。
夜にあるという後援会?とやらに行けばわかるのかもしれないが、
そんな時間はある人の方が少ないだろうし、
この短い期間にあれだけの候補全ての話を聞きにいけるか。
どうせうるさい選挙カーなんだから、
がんばるだのよろしくだの言ってないで、
走りながら選挙公約を箇条書きで述べてもらった方が、
こっちとしてもよっぽどわかりやすいと思うんだけど。
そうしてまたしても誰に入れたらいいのかわからない、
そんな選挙なのであった。


2003年04月21日(月) 頭打ち

以前銀粘土の教室に通っていた時先生が、
「東京で教室を運営するのは本当に難しい」
と言っていた。
それはまずライバルが多いこと、
そして場所を確保するのが難しいこと。

自宅で教室を開けるだけのスペースはあるのだけれど、
何せ便が悪すぎてお話しにならない。
そのため月に何度かでもなるべく駅に近い施設で
教室をやってみたいと思い、
住んでいる区の施設をチェックしてみたが、
これが当然、「営利目的禁止」。
当然教室活動も禁止だそうで・・・。

去年出た本の原稿料を初期投資費用にしようとしたのに、
しょっぱなの場所で頭打ち。
難しいなあ。


2003年04月19日(土)

雨が降ったりやんだり、
気温が上がったり風が強く吹いたり、
なんだか落ち着かない天気だった。
夕方、ぶらっと表に出てみると、
空にはくっきりと虹がかかっていた。
こんな風に虹を見上げたのは
いつのことだっただろう。
思い出せない。
母に虹が出ていると教えると、
まるで少女のように表に飛び出していった。

あの虹の端はどこから始まって、
そしてどこで終わっていたのかな。
何人の人が虹を見上げていただろう。
その人たちは皆、幸せだろうか。
飢えることもなく、爆撃で家族を失うこともなく・・・。

虹はすぐに消えてしまった。
私たちの記憶からも、たくさんのことがすぐに消えてしまう。
虹は消えても、虹を見たことを忘れないように、
忘れてはいけないことが、たくさんあるだろう。


2003年04月17日(木) はっきりしている1つの大罪/誰が言えるだろう?

【はっきりしている1つの大罪】
どうやら人間は相変らず歴史から何も学んでいないようだ。
この戦争が正しかったか、劣化ウランは本当に「安全」なのか、
あらゆるものが長い歴史の評価を待たなくてはならないのかもしれないが、
今回の米英+αが犯した犯した罪の1つだけははっきりしている。
それは、何もせず、ただ略奪を見ていただけのことだ。
現場の兵士はそんな命令を受けていなかった。
だから博物館はやりたい放題だった。
でも、少なくとも内務省と石油省を警護する命令は出されていたわけだ。
だったら短時間の間に、主要な文化的建物や病院に
兵士を回すことも出来たはずだろう。
それくらいの数を動かせずに戦争なんてできるか。

戦争直前のことだが、
アメリカの辛口トーク番組の司会者が、
かなりの数の観光客が毎年イラクを観光として訪れているということを
「あんな何もない所に何を見に行くんだろうね?」
と、自分の知識のなさを丸出しにした番組があったそうだが、
イラクという国は人類の曙からずっと、
文化的に高度に発達してきた国だった。
そこには人類の遺産が大小取り混ぜてたくさんある。
それらは、散ってしまった。
アンダーグラウンドな好事家の世界に入ってしまったら最後、
私たちが目にする機会は完全に失われてしまう。
ましてや、イラクの子供たちから、
先祖の誇りを奪う権利が、そんなハイエナにあるのだろうか?
そしてそれは明らかに、米英+αの落ち度である。
そしてそれも「仕方のないこと」と片付けてしまうのだろうか?
じゃあ、何が、仕方がなくないんだろう。
教えて欲しい。

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(抄訳・パンタ笛吹・TUP)
★博物館の略奪を見て見ぬふりをしたわけ?

 イラク侵略が始まる前、アメリカ文化財政策委員会(ACCP)は米国防省高官と数度
の話し合いを持った。このグループは、裕福な古美術品収集家や古美術商の集まりで、ナ
チスの略奪品を収集していることでも知られている。

 かけがえのないメソポタミア美術品の国外流出は、今までサダム政権が厳しく取り締ま
ってきた。だからACCPは、イラク戦争後には、古美術品の輸出規制を緩和するように
米政府に強く働きかけてきたのである。

 ケンブリッジ大学の考古学者、カイムストン教授は、「イラクの古美術品規制法は、歴
史的財産を今日まで守ってきた。もしアメリカの古美術商たちがそれらに手を出せば、途
方もなく馬鹿げた結果を招くだろう」と警告している。

http://www.sundayherald.com/32895


★石油のための戦争ではない?

 病院から国立博物館まで略奪され尽くしたバグダッドで、米軍戦車と何百人という米兵
に守られて、無傷に残っているビルが二つだけある。それは、石油省ビルと内務省ビル
だ。

 なぜ内務省ビル?もちろんそれは、中に膨大な機密情報が蓄えられているからである。
石油省ビルは説明するまでもないだろう。イラクの最も価値ある財産、油田についての資
料の宝庫だからだ。それらを、米石油会社に引きわたすまでは、略奪者たちから守らなく
てはいけなかったのだ。

http://www.wsws.org/articles/2003/apr2003/iraq-a15_prn.shtml



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【誰が言えるだろう?】

届いたメールを読んで、朝から泣いてしまった。
職場だというのに。
これを読んで、一体誰が彼らに、
「イラクが『民主的な』国になるためには、仕方ないことなんだよ。」
と言えるだろうか。
この国は、湾岸戦争以前は豊かさで世界20カ国にはいる国だった。
それが今では、最低20カ国に成り下がった。
フセインが湾岸戦争をはじめたから、と理由をつけることは簡単だけれど、
そのフセインに莫大な力をつけさせたのはアメリカであることを
忘れてはならない。
自分たち(アメリカ)がまいた種を刈るには、
あまりにもイラク側の被害が大きすぎる。
人は自分がした事はすぐに忘れてしまうが、
された方はそれを水に流す事はできないものだ。

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★墓穴を掘るナースたち
                  キャシー・ブリーン(4月13日)

 昨日、今日と、略奪でめちゃくちゃになっている市内を廻ってみた。焼けただれた
車があちこちにちらばり、いくつかのビルはまだ燃え続けていた。道ばたでは、銃が
なんと3ドル(約360円)の安さで買えるのだ。

 パトカーや救急車までが盗まれてしまい、病院も略奪のせいで、ほとんど機能して
いない。怪我人やひん死の病人たちでさえも、玄関払いをくらっている。道ばたに5
人の死体が転がっているのを見たと、知人は言った。

 アル・モンスール小児科病院の前庭では、看護婦が墓穴を掘っている。看護婦たち
には、子供たちの死体を墓場まで運んでいく手だてがないのだ。

 バグダッド・バレー音楽学校もまた略奪された。教師は米兵に学校を守ってくれと
何度も陳情に行ったが、米兵は聞く耳を持たず、結局、銃を手にした群衆がすべてを
奪い去っていった。

 荒れ果てた教室を歩いていたとき、廊下の向こうからピアノの音が聞こえてきた。
重すぎて運べなかったのだろうか、傷ついたピアノの前で、音楽教師のマジードが立
ったまま、呆然としてつま弾いていた。

 私が壊れた椅子を見つけて差し出すと、マジードは黙って座り、魂を震わせるよう
な悲嘆のメロディーを弾き始めた。そして彼は、いつまでもいつまでも、深い嘆きの
調べを弾き続けた。

 宿舎に帰る途中、友人のアマルの家の前を通った。部屋という部屋が美しい芸術品
だったこの家は、爆撃で見るも無惨に穴だらけになってしまった。アマルと共に、何
度楽しい時間をこの家ですごしたことだろう。この1月には、私の誕生日をこの家で
祝ってくれたのに・・・

 なぜこんなひどいことが起こったのか、どうしてこんな悲劇が起きえたのか?私た
ちには分からない。このやさしくて、面倒見が良くて、誇り高いバグダッドの人たち
が、どうしてここまで無惨に引き裂かれなくてはならなかったのかと・・・。

 
★もう踊れないの?
              キャシー・ケリー(4月15日)

 今日、アル・キンジー病院にジャミラ・アッバスを訪ねていった。ジャミラの12
歳の甥、アリ・イスマエルは、爆撃で両腕を失い、身体中火傷をして病室に寝込んで
いる。

 今日、アリが目を覚まし、泣きながらジャミラに聞いたそうだ。「ボクはこんな体
のままで、ずうっと生きていかなくちゃあならないの?」と。

 ジャミラは今となってはアリの一番近い家族になってしまった。だから彼女がアリ
に、「おまえのお父さんもお母さんも、兄さんも姉さんも、みんなあの爆撃で死んだ
んだよ」と伝えなくてはいけないのだ。

 担当医のドクター・ハミードは、「アリが快復する見通しは、明るいとはいえな
い。敗血症で身体中が感染しはじめているからね。もう手の施しようもないだろう」
と教えてくれた。

 すでに25年間、戦争状態の中で治療を続けてきたというドクター・ハミードは、
別れる前にこう言った。

「湾岸戦争の時には、それこそ多くの人々が死んだよ。私にとっては異常な悲惨さが
もう日常になってしまっていてね。苦しみが心の底まで染みついてしまった。だか
ら、もしあなたが今、私をアメリカに連れていってダンスパーティーに招待してくれ
ても、私には断ることしかできない」

 ブッシュ大統領は、イラクの人々が踊りと花で米兵を歓迎すると、本気で思ってい
るらしいが、実際のバグダッドではその反対のことが起こっている。もしこの現実を
歌にするなら、私はアイルランドのフォークソング、「ジョニーはどこにいった」を
歌うだろう。

 この歌は、戦争で腕と足と目を失ったジョニーを抱きかかえ、嘆き悲しむ妻の気持
ちを歌ったものだ。

  いつも走っていたあなたの足はどこへいったの?
  あなたはもう、踊れなくなってしまったの?
  腕もないの?足もないの?
  お椀を前において、物乞いをするしかないの?

              (抄訳・パンタ笛吹・TUP)


2003年04月16日(水) 笑えない

アルジャジーラアラビア語版の漫画が好きでよく見ている。
今掲載されているものは下記
http://www.aljazeera.net/Cartoons/index.asp?cu_NO=1&Temp_id=197

一目で正統派ユダヤ教徒とわかる男性が
左手に紙をもち、右手で巨大なブリキ人形のねじを
笑いながら巻いている。
画面が全体を写すと、
ユダヤ人男性は「イラク」と書かれた石油のドラム缶の上に立っていて、
人形はカウボーイの姿をし、煙の出ている拳銃を持ったブッシュ。
その拳銃の方向を示すように、
「シリア」という座標が見える。
笑えないっつの。

その前の日のマンガでは、
引き落とされたフセインの銅像のかわりに
台座に立つブッシュ、
米英に指差すのは
・シリア
・イラン
・北朝鮮
だーかーらー、笑えないっつーの!!

911が起こった時、私は北風と太陽の話を思い出していた。
今も、それをいつも考えている。
力で無理やりにコートを脱がそうとしても、
人は脱がされまいと抵抗をする。
少なくとも、イラクの民主化が成功するかどうか、
それすらわかっていないこの時期に、
「イラクで何が起こったか見ただろう?」
と上記三国に警告するのは、
やくざな脅しにしか聞こえない。
それ以上に、全く持って「民主主義」とは
相容れない国々をアメリカが友好国として扱っていることを見れば、
こんな「民主主義」標榜などちゃんちゃらおかしいが、
それでもまだ、アメリカの行動はどこまでも公正明大と
信じている人がいるんだろうか。
思ってるんだろうなー、実際、かなりの数の人が・・・。
それもまた、笑えない。


2003年04月15日(火) 飢(かつ)えるように

英語の勉強のために昨年秋口からずっと、
読む本のほとんどが英語の(簡単な)本だった。
それはそれなりにおもしろいのだけれど、
ここに来てさすがに普通の本が読みたくなり、
読み始めたら最後、飢えたように次々と
手当たり次第に興味のある本を読んでいる。

「本と仲間たち」というニューヨークにあった本屋さん。
慈愛の女神のような、クラウディアという名のロシア人女性。
海馬という脳の一部分。
江戸の人々の心意気。
ジョージア・オキーフそのもののような、2軒の土壁の家。
須賀さんからの、最後の贈り物。
そして、岡倉天心の茶。


2003年04月14日(月) だらだらは、いや

私はだらだら働くのが好きじゃない。
働く時は働く、でもお休みの時は休む。

一般企業で働いていた時は、
お休みの日の出勤は届出をしないとだめだった。
友人に聞いた所、やはりセキュリティの問題で、
私が一般企業で働いていた時よりも、
そういった部分はシビアになっている会社の方が
多いらしい。

でも、なんだか今の私の働いている所の人は、
とにかくダラダラ働くのが好きみたいで、
土曜日でも、なんだかよくわからないが、
いつもいつも、出勤してきている人がいる。
もし誰ががいない方が仕事がはかどるとか、
平日の仕事の割り当てで出来ないことがあるのなら、
それは仕事の担当とか、仕事の配分とかを、
職場的に見直すべきことではないかと思う。
なぜなら、常に同じ人ばかりが
いっつも休日サービス出社しているのだから。

でも、こう言うことを言っても、
むしろ私の方が「変なやつ」って思われてしまう。
休日に仕事をする方がえらい、それがいい社員、
みたいに思っているわけじゃないだろうか、
それにしても、休日までだらだら仕事をする人のせいで、
休日にこっちの仕事を増やされるのは勘弁して欲しい。
そう思う私がわがままなのだろうか。
でも、だらだらは、イヤなのだ。


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