ぶつぶつ日記
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一緒に日本語教師養成講座で勉強した人が1人、 古巣の京都に戻ると言うので、 久しぶりに何人かで集まった。 まじめに久しぶりだよ(^^;)。 日本語教師って、まとまって会う時間とお金も厳しい職種・・・。 ま、それはおいておいて。
日本語教師養成講座を修了したからと言って、 本当に日本語教師になる人はビックリするほど少ない。 それでも修了した当初はそれなりに働き始める人も多いが、 やりたい仕事が合う仕事とは限らないし、 出来る仕事とも限らないので、辞めてしまう人も多い。 またこの仕事がすきでも、経済的にやっていけなくて これまた辞めていく人もとても多い。 そんな中で、昨日集まったのは 大体がまだ日本語教師を続けている人だったり、 続けていなくても新しく自分の道を見つけて勉強を はじめようとしている人だったり。 京都に行く友達も大学院に入り、 かの地で勉強しながら日本語教師の仕事を続けていくし、 私と同じように今年卒論を書く予定の年上の友だちにも 久しぶりに会った。 私にとって大学卒業は1つの節目になる予定だけれど、 それで勉強を終えてしまうつもりはなくて、 できることならその先を・・・と考えている。 年のこととか、お金のこととか、 勉強を続けてどうなるのかとか、 考え始めるときりはないけれど、 何もしなければ何も変わるはずもない。 がんばろうと思う私を奮起させてくれるのは、 自分だけのモチベーションではなく、 がんばっている誰かの姿なのだと思った。
今日も、私たちはがんばっている。
2003年03月17日(月) |
破壊兵器は簡単に処理できる? |
何がどうあっても、イラクは攻撃されるのだろうか。 ふと考えてみる。 大量の破壊兵器というのは、 そう簡単に、廃棄できるものなのだろうか? イラクは様々な人体に致命的なガスを武器として所有しているという。 それ1つとってみても、 今日明日中に、すぐに廃棄なんてできるものなのだろうか? そんなに簡単に廃棄したら、 それこそ重大な環境汚染なんかは起こらないのだろうか? 環境汚染が起こったとしても、 アメリカ本土からも遠い中東がどうなっても、 それこそ別に痛くも痒くもないのだろうが・・・。
本当に、イラクから大量破壊兵器を排除したいなら、 私たちはそれを物理的に 手伝っていかなくてはならないんではないだろうか。 そしてそれは一朝一夕ではできない作業なんではないだろうか。 忍耐強く、少しずつ、進めていくべきものなんじゃないだろうか。 そのための支援に、私の税金が使われるならいいと思う。 バクダッドの、極普通の人の頭の上に落ちる、 爆弾を買うお金ではなくて。
私はほにょほにょしている部分も多いのだが、 思い込みも激しいので、 一度苦手だと思ったものは、ずーーーーっと苦手で、 それを克服するのは大変難しい。 勉強でもなんでも、がんばっているつもりなのでが、 頭の中に透明なシールドが出来ていて、 苦手なものが全く入ってこないようになっている、 そんなイメージ。
学生の時、アクセサリーの授業もあったのだが、 その中で私の苦手なもの、 ロウ付け&糸のこ。 さすがに糸のこはばきばき折りながらも 自分で使っていたけれど、 ロウ付けはほとんど全部友達にやってもらっていたような、 記憶が・・・(^^;)。 アクセサリーを身につけるのは大好きだったけれど、 ロウ付けが恐ろしくて彫金教室には なかなか通う気にならなかったのはそんなわけだ。 そして銀粘土という素材を知って、 ロウ付けをしなくてもアクセサリーが作れる!!! と狂喜乱舞したのだけれど・・・。
銀粘土もある程度作れるようになると、 もっと彫金的なことがしたくなってくるし、 彫金道具が合った方が、色々便利になってくる。 ので、ついに私もロウ付け道具を買いました。 そして耐火ボードがないか親に聞いてみたところ、 次の日には、まあそれは立派なロウ付け台が 手作りされて家に来た(親もかなり器用でおまめさんなんです)。 こりゃ、やらないわけにはいかないじゃん。 んで、早速ロウ付け。 これが〜、やっぱり大変だった・・・。 でも記憶していたよりも面白かった! ので、今日も朝からロウ付け(笑)。
その他色んな苦手意識も、 克服しようと思えばできるのかな・・・。 と2,3の苦手意識を思い出しているのでした。
2003年03月13日(木) |
背負いた子に教えられる |
学校はそろそろ卒業式シーズン。 大学受験がうまく行かなかった仲の良い元学生が遊びにきて、 一緒にお昼を食べに行った。 専門学校への入学が決まっているもう1人の元学生も来て、 食事の後、私の部屋でしばしまったり・・・。
彼らの中では学校生活はとても楽しい思い出になっているようだ。 他の元同窓生とあっても、学校は本当に楽しかった、 良かった、という話しになると言っていた (それは現在大学や専門学校で勉強している学生にしてみれば、 日本語だけ勉強していればいい日本語学校というのは、 天国のように楽だったということだったりもするのだが)。 こう言うのを聞くと、多分この学校の関係者の人たちは当然のように、 「学校が良かった?当たり前でしょう、 ここは〇○(自分たちの学校の名前)なんだから。」 という人がとても多いだろうと思う。 確かにこの学校は歴史も長く、規模も大きい。 でもそれにあぐらをかいていて良いのか、と思うし、 その歴史を作ってきたのは、 少なくとも自分たちではないということを考えれば、 こう言う学生の言葉を聞いたときには、 何となくこそばゆいような謙虚な気持ちに、私はなる。 そんな風に言ってくれる学生たちに、 自分はきちんとしたものを教えられたのか。 学生たちがきちんとしていたから、 自分が普通に授業をできたのかもしれない。 先生は、学生がいてこそ先生。 学生が誰もいなかったら、自分は先生じゃない。 背負いた子に教えられる、そんな謙虚さを いつまでも持っていたいと思った。
です、今月(^^;)。 現在仕事も結構厳しいんです。 メールサーバーの調子が悪くて・・・。 今年は残業しないはずだったのに、 しないわけにはいかないのだ。 そして前々から計画していた展示会もあり、 彫金教室にも通い始め・・・。 そしてまた、銀粘土の本に作品を提供する予定。 これまた締め切りがタイト〜。 うう、大丈夫なんだろうか。 時間は有限よね〜。 ってことで、今月はこれからヒートアップ! 日記が滞ることが予想されます・・・。
2003年03月10日(月) |
本当に大事なものは・・・。 |
英語の勉強のために、字数制限した英語の本を読んでいる。 最近では大分レベルも上がってきて、 それに伴って内容も深いものが多くなってきた。 個人的には歴史ものが好き。 昨日読見終わった本は正統派大ラブストーリー冒険つきで、 面白かったのだけれど、 最後の主人公の言葉にしびれた。 「男はその人生の中で本当に大切なものについては、 多くを語らないものだ・・・。」 う〜ん、けだし名言。 男だけじゃなくて、女もそうよね。 本当に大事なものは、自分の胸の中にそっとしまっておく。
イラク攻撃に伴ってアラブ首脳会議などが頻繁に行われているが、 リビアのカダフィーとサウジ皇太子が怒鳴りあったり、 イラク代表とクエート代表が罵倒しあったり(これはある意味仕方ないと言える)、 それを衛星放送で流されてしまった日にゃ、 アメリカの思う壺というか、ほくそえむ顔が浮かんでしまう。
もともとアラブって言ったってヨーロッパと同じように それぞれの国がかなり違う。 言葉もアラビア語利用っていうけれど、 口語レベルではアラブ人同士でもツーカーと言うわけでもない。 そして現在では石油の恩恵を受けている国、いない国・・・。 色々な亀裂は深まっていくばかりだ。
それにしてもカダフィーは元気である。 アメリカ軍にトリポリを空爆されたことがあることを、 記憶している人も少なくなっているんじゃないだろうか? 今のサッダームの位置を彼は一時占めていたわけだ。 一連の空爆で、後継者たる娘さんを亡くしたとも聞いている。 そして、イラクよりももっと長い間、 この国は経済封鎖を受け、制空権規制を受け飛行機すら飛べない。 カダフィー自身だってそれは同じ。 いつもリビア砂漠を黄色いロールスロイスでカイロまでぶっ飛ばしてくる。 でもこんな国でも国は崩壊しない。 貧乏でもなんでも、国は国としてまだそこにある。 カダフィーが極悪非道だったことが遠い過去になりつつあるように、 サッダームが存命のまま、過去になることも大いにありそうだ。 その時、彼らに代わるのは一体どこの誰になるのだろう? それすら、アメリカの望むままなのかもしれない。
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