ぶつぶつ日記
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2003年01月21日(火) 考えなくちゃ

日本人はとにかく考えなくなったと言われている。
無関心とか、生きていることに実感がないとか・・・。
日本の外だけじゃなく、日本でもどんなことが起こっていて、
それがどう自分たちに影響してくるのか、
もちろん誰にもすぐにはわからないけれど、
でも、私たちは全く孤立して生きているわけではないから、
何かがあったら、自分たちにもその余波がそっと、
気がつかないうちにおよんでいることの方が多いのだ。

友だちにまた子供が生まれた。
日本とパキスタンとサウジアラビアの血を持った男の子。
彼は住む事になるであろうサウジだけではなく、
お母さんの生まれ育った国である日本と、
おじいさんが永遠に眠るパキスタンで何かあっても、
そのことで心を痛めたり、喜んだりするんだろう。

人は自分だけで生きているわけじゃない。
私のように結婚していない子供を持たない者でも、
それなりに血縁の子供たちがいて、
彼らのために、よりよい社会を残してあげたいと思う。
それが、自分が産んだ子供だったら、どうだろう?

自分のためじゃなくて。
誰かのために。
私たちが死んだ後も、生き続ける子供たちのために。
考えなくちゃいけないことはたくさんある。
ただ直接、その子に関わること(教育や物質的なもの、金銭的なもの)だけじゃなく。
考えなくちゃ。
自分ではどうにもならないことでも。
自分とはかけ離れたことでも。
考えなくちゃ。
そしてそれを誰かに話そう。
始まりは、いつも小さい声からだから。


2003年01月20日(月) 失われたものは、二度と戻ってこない

クローン人間誕生で世の中を騒がしているラエリアン・ムーブメント。
今度は日本人クローン誕生するという。

まだまだ未知な部分が多いクローン研究だが、
例えクローンを作った所で、全く「同じ」ものにはならないそうだ。
マジック・ジョンソンやタイガー・ウッズ、アインシュタイン、ベッカムでも誰でもいい、
そう言う人たちの細胞からクローンを作っても、
100%同じマジック・ジョンソンやベッカムに作り上げる事は出来ない。
なぜなら、彼らを形作っているものは、「細胞」の遺伝子情報だけではないから。
彼らを作ってきたのは、様々な場面や時間や体験といった「経験値」。
偶然や必然から過ごしてきた様々な成長期の出来事、そういったものが
重要なファクターになっている。
どんなに人工的に作り出そうとしても、全く同じ体験をさせることはできない。
確かに遺伝的に優れていたとしても、細胞主と同じように活躍できるという保証は全くない。
似て非なるもの、が作られるだけだ。

今日生まれてくる日本人クローンの男の子は、
2歳半で死んだ子供の細胞を使っているそうだ。
子供をなくした親の喪失感、その悲しみは理解できる。
悲しみつづけても、いいことだと思う。
そして生まれてくる子は、亡くした子と同じ顔、同じ声、同じしぐさなのだろう。
でも、どこかが違う、同じではない。
それをみて、悲しみはより深くはならないのだろうか?
なぜなら、失った子そのものは、2度とは戻ってこない。


2003年01月19日(日) お腹が弱い

自分でもびっくりするほど、風邪を引かない。
熱もほとんど出さなくて(むしろ低体温かも)、
一体熱を出したのは何年前か、思い出せないくらい。
でも、理由もなくすぐにお腹を壊してしまう。
簡単な理由では、スパイシーなものを食べた時にも
絶対にこわす。
ニンニクの利いた辛い食べ物が大好きなのだけれど、
次の日必ず軽くお腹を壊してしまう。
昨日も友達と電話していて急にさいこみ。
私のおなかのことをよく知っている人なので、
「う、3分待って、また電話する・・・。」
と言って仕切りなおし(^^;)。
「全くよくお腹こわすなー、なんで?」
と言われてもよくわからない。
昨日は階下(作業場)で作業していたからだろうか?
金曜日の夜にびっくるするほど夜更かししたからかな?
ちなみに、今日は結構お腹がはってガスがたまってる。
これも風邪の症状なのかな〜とも思うが、
本当によくわからない。
子どもの頃からすぐにお腹が痛くなってしまうので、
数ヶ月に一度は、夜中にお腹が痛くなって、
トイレの帰りにお母さんの布団にもぐりこんでいた(何せ末っ子なもんで)。
だからはたから思うほど、辛くはないのだけど。

今日は暖かくして寝るとしよう。
明日からまた新しい一週間が始まる。


2003年01月18日(土) ウーマンズ・ブラボー!

昨日の夜は(最終的には今日まで)、
ずっと観たかった映画をはしごしてしまった(家で、ですが)。
「Todo sobre Mi Madre(オールアバウトマイマザー)」と
「アメリ」。
こう言う映画を観ると、
女であるって何で素敵なんだろう!と思う。

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閑話休題、映画評

「Todo sobre Mi Madre(オールアバウトマイマザー)」は
スペインの巨匠アルモドバルの最高傑作と称されている
(でも実は、私が一番好きなのはやっぱり「アタメ!」かな)。
アルモドバルの映画に出てくる人は、
皆大体において「普通」じゃない。
そしてアルモドバルはいつも、女性に優しい。
普通じゃない人や、弱いものや、そういう全ての人の
幸せを願っているような
そんな気持ちがいつも映画から伝わってくる。
だから、どんなに普通じゃない人が主人公でも、
私たちは映画を見て暖かい気持ちになれるんだろう。
傷ついた事のない人は、本当に優しくはなれない。
彼の映画を観るとそんな言葉を思い出す。
そしてこの映画を観て、私の人生の目標の1つに、
「お母さんになる」というのを入れたくなった(笑)。
結婚するか、シングルか、そんなことはどうでもいい。
でもやはり「お母さん」は素晴らしいのだ。

それにしても・・・、
アルモドバル映画2本目のペネロペ・クスルは
いつも主人公じゃないんだけれど、
ものすごく重要な役割をさらりと演じていて、
可愛くて素晴らしい!
それがハリウッドだとなんであんなに魅力がなくなっちゃうんだろう?
どの映画もどの映画も、単なるルックスだけの
全然面白くも魅力的にも見えない女優になってしまうのは残念。
そのルックスもアルモドバル映画に限らず
スペイン映画に出ている時の方がはるかにきれいに見える。
彼女には、じっくり映画を選んでもらいたいものである。

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「アメリ」が大人気になったとき、
実は密かに「ふふん( ̄ー ̄)」と思っていた私。
実はこのジャン=ピエール=ジュネ監督は私のお気に入りで、
エイリアン4をのぞいて本国フランスで作られた映画は
公開当事に全部観ていたのだ。
彼のアート感覚と世界観が大好き!!!
ちょっとブラックで、すごくキッチュで、
とてもミステリアス・・・。
だからアメリもきっと好きだろうなと思ったのだけれど、
あまりに人気が出すぎてしまって逆に見逃した(笑)。
そして観たんだけど、、、、DVDを買ってよかった。
これはもう〜、笑っちゃうけどすごい好き。
アメリの素っ頓狂ぶりが、
段々普通の女の子の悩みになっていく所が、
観ていて切ない気持ちになった。
どんな変人でも、恋する気持ちは同じ。
そして自分の殻を破かないと、気持ちは伝わらない。
色んな作戦で、他人の人生はちょっとずつ変えることができる。
でも自分のことは?
作戦なんて、練ってちゃだめ。
行動あるのみ!
実際に、自分はこんなことは絶対にしないけど(笑)、
やってみたいなって思わせる、現代のおとぎ話なんだよね、きっと。

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2つともインテリアとファッションセンスが素晴らしい!
アメリの服は日本人にも結構似合いそうだし、
いつもぺたんとした靴に靴下って、
元オリーブ少女にはたまらない組み合わせです(笑)。
そしてアルモドバルの映画では、絶対にシビラの服が使われていて、
それを見つけるのが私の楽しみ。
今回は、ペネロペ演じる修道女ロサが「真面目に」修道女をやっている時の服が
絶対にシビラだったはず。
あと「欲望と言う名の電車」でウマ演じるブランチが
最初に着ている赤いスーツも絶対にシビラだったはず。
なんてマニアックな見方でしょうか(^^;)。

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(本題復活)

女でいることは、結構めんどくさい。
毎月毎月生理は来るし、
生理がちょっと遅れれば、自分ばっかりがドキドキして
男にはそんな気持ちは理解できないし。
産むにしろおろすにしろ、
肉体的にも精神的にも大変なのは女だし。
仕事に行けばまだまだ男性優位の社会で、
結婚しなかったらしないで、ぶつぶつ言われるし。
したらしたで、これまた制約も多いし。
でも私は、生まれてこのかた女に生まれたことを
嫌だと思ったことはない。
むしろ、次に生まれるときも女でありたいと思っている。
ウーマンズ・ブラボー!
全ての始まりの半分は私たち女性の力。
女は強くしたたかで、そして可愛い。
世界の、半分なんだ。


2003年01月17日(金) イラク詣で

先年、スペインに行くことにした時、
行く時期がちょうどクリスマスにあたることから、
私は現在モロッコに行っているPとCのカップルに連絡をすることにした。
クリスマスなら、マドリに戻るんじゃないかと思ったのだ。
彼らとはカイロで知り合い、マドリッドで1ヶ月半以上、
彼らのピソにホームステイをさせてもらっていたし、
その後2人の間にはレイラという女の子も生まれているので、
子供の顔も見てみたい。
クリスマスシーズン、確かにスペインに戻ることは戻るが、
クリスマスは妻の実家であるバレンシアで、
マドリにいるのは26,7日だけだと言う返事。
その後、年明けまでイラクに行くと言う。
「イラク〜?」とは思ったものの、
Pはアラビア語が専門、Cは記者というカップルなので、
それほど疑問にも思わなかった。
子供は、マドリ郊外の閑静な住宅街にあるPの実家にでも預けるのだろう。
私のスケジュールとして、26,7日は知人を訪ねてクエンカに行くことにしていたので、
かなりタイトなスケジュールになりそうだった。

しかし、マドリに行く直前になって、
結局イラクには行かないことになったから、いつでも大丈夫だよ、
という連絡がPから入った。
それを信じてスペインに入ってから大分日がたってからPに電話すると
(前半、私はガリシアを満喫していたので誰にも連絡する気にならなかった)、
携帯は留守番電話、家の電話は誰も出やしない。
何度かトライしたが、結局連絡がつかなかった。
残念だな〜と思いつつ帰国し、
日本から「もしかしてイラクに行っていた?」
というメールを打つと、どんぴしゃり、
「昨日イラクから戻った。」という返事が来た。

それにしても、今この状態のイラクにそんなに簡単に入れるのかな?
やっぱり仕事が仕事だからかな〜と思っていたところ、
いつも送られてくる田中宇さんのメールに
「イラク詣で」のことが書いてあった。
現在、アメリカの攻撃に備え、
イラクはあらたな「人間の盾」計画をしているらしく、
記者やアラビストだけでなく、NGOなども
比較的簡単にビザが降りるらしい。
そうして、ヨルダンのアンマンに行けば、
そこからは陸路でバクダッドに入るための
輸送ルートが成立しているとか。
「これだな」、と思った。
イラクのプロパガンダは外国人に到底通用しているとは思えない内容だったが
(田中氏も苦笑気味)、
あいかわらず、世界は流動できて、情報戦。
そしてアメリカの思惑の外で、様々なパイプが瞬時にのびる。
北朝鮮問題にしろ何にしろ、
そうそう思い通りにはならないわけだ。
世界がアメリカの思い通りにならない時、
アメリカの後ろを付いて歩いている日本はどうするんだろう?
自分たちで、考えないとね。


2003年01月16日(木) 将来の目標

将来の目標というのは、前途ある若者しか持っちゃいけないものなのだろうか。
女がいい年こいて、そんなものを持ってもしょうがないのかなあ。
でも私には色々将来の目標があって、
とにかく死ぬまでにそれらをやり遂げたいと思っている。
時間がかかってもなんでも・・・。

若い時には日々過ごすことにある意味手一杯で、
明確な将来の目標を、私は立てられていなかった。
もちろんそうじゃない人もたくさんいるだろう。
子供の頃からきちんとしたビジョンを持って
計画的にやってきた人もいるだろうが、
私は全然だめだった。
漠然としたもやもやした自分の将来しか、描けなかった。
仕事としてただ何となく、好きだからデザイナーになったけど、
デザイナーとしてどんなことをしたいとか、
どんなデザイナーになりたいとかってことも考えられなかった。
それじゃあ大成するわけがない。

初めて、将来のビジョン=自分はこうしたい!こうするぞ!
と言えるものをもてたのは、
エジプトに住んでみよう!!と決めた時だったように思う。
計画して資金を貯めて、親に根回しをして・・・。
そしてエジプトに住み始めて、またもやもやに戻ってしまった。
外国で生活することは、それ自体がなんだか特別なことに思えて、
そのことが目的になってしまいがち。
でもそれでは、本当は何にもならない。
外国での生活もやがて特別なものから、極ありふれた日常になっていく。
どうしよう、どうしたらいいんだろう。
もやもやしているうちに色々あって、
日本に戻ってきて日本語教師になって、アクセサリーを作り始めて・・・。

今、私の中の将来の目標は
日本語教師としてのものと、
アクセサリーを作るというものと、
2つの部分が同居している。
それプラス、もっと違う夢も。
その全てにそれぞれやりたいことや目標があって、
それをどういう配分で実現していくのかが、
とてもむずかしい。
そのどちらもが片手落ちのような気がして、
毎日いつも焦っている。
自分の年齢が気になる。
リミットや限界や、資金難や、もろもろも障害がある。

でも、
やっぱりとりあえずやってみよう。


2003年01月15日(水) 2400万・・・

独身税やDINKS税が導入されるとか言う噂もあり、
21世紀になっても、やっぱり肩身が狭いシングルトン。
シングルでいるってことは、何の税率優遇も受けていないわけで、
もの買ってるだの旅行してるだの非難するけどさ、
それって内需拡大にだって貢献しているんだ!!!
などと吼えた所で、
政府のお役人はどうせ「家庭人」、
シングル(もしくはDENKS)なんて目の上のたんこぶなのか。

どうも、私たちの年代だと、60〜80歳までの20年間、
老後「慎ましやかに」暮らすためには
2400万円の資金を貯めなくてはいけないらしい。
しかも、これだって年金がもらえる、という計算上のもので、
年金がもらえないとしたら3500万以上・・・。
2400万って、一体年に、月に、いくら貯めればいいの・・・。
手取りこれっぱっこで、これだけ貯金・・・。
人生、何の楽しみもなくなるわけですなあ。。。。

人は誰しも老いる。
自分の面倒は自分で見なくてはいけないことはわかっている。
でも、これからの20年以上、
老後のことだけ考えて生活するのも、
なんだか生きている意味がない。
結婚する予定もする気もほとんどないし、
もしかしたら子どもの1人くらい産んじゃうかもしれないけど、
その子を自分の老後の「あて」にはしたくはない。

2400万・・・かあ?


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