皇帝の日記
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3時間毎の授乳は、そうは言っても中々辛いもんですな。 特に夜が。 もう僕に安心して寝れる日はやって来ないのだ、という絶望感に襲われるけど、過ぎてしまえば意外に短い時間だったなと思う筈。 イサムさんの時も絶望する事がしばしばあったけど、今となっては「あーもっと新生児イサムを味わい尽くしておくんだった・・・」と懐かしく思うのです。
まあ今はちっともそういう心境ではないがな!(きっ
目の下の、深ーい深ーいクマが、よりいっそう濃くなっているよ。
さて、そんなわけだからジャバ夫さんに、一時猫らの面倒を頼んだのですよ。 猫らの世話は、一日3回餌をあげるのと、朝晩のトイレの掃除だけ。 だけなんですけどね。
ところがそれから一週間。 やたらに猫らの粗相が始まったのです。 しかも、標的はいつもジャバ夫さんの所持品。
大事な書類にジャー。 本を入れてある段ボール箱にジャー。 床に投げ出した洗濯物にジャー。
ああ、申し訳ない、我が飼い猫が。 と思っていたのだが。 本日久々に猫のトイレを覗いて、納得したね。
猫らはジャーッとしながら訴えていたのです。 猫トイレに砂が入ってねえじゃねーか、と。
もうね、スカスカですよ。 底が見えてますよ。 こんなトイレ、安心して使えないですよね。 ああ。 がく。
というわけで、ジャバ夫さんに買い物メモを持たせました。 するとしばらくして電話がかかって来て「ねえ、猫のプンって何?」と聞いて来たジャバ夫さん。
・・・それはね「猫のプン」ではなく「猫の砂」と書いてありますのよ。 ごめんね、妻字が汚くて。
今日から学校にちょっとだけ復帰してみた。 午前3時間の授業に、1時間だけ出て、午後も1時間だけ。
妊娠中に作った作品が、デザインも色も、出来も気に入らなくて、結局全部作り直す事に。 すごいな。 妊娠中の自分は別人だったのだろうか。 なんだこのやっつけ仕事はって感じの銀の塊みたいな・・・でも2週間前の自分は、それで納得してたんだな、きっと。
よくわからんといえば、気温が良くわかんない。 ホルモンのバランスが乱れに乱れているので、皆が寒がってるのに汗かいてたり、皆が暑がってるのに寒かったり。 自分だけなら良いんだけど、暑い日にイサムさんに真冬用のジャケット着せたりして、イサムさんもまたなんも言わないもんだから、誰かに指摘されるまで気がつかないとかだ。
そして、産後の脱毛が始まりました。 髪の毛がわっさわっさ抜ける。 わさこ。 産婦人科の先生から電話があったので「もー髪の毛がごっそり抜けるんですよ」とぼやいたら、「ホルモンがローラーコースター(ジェットコースター)だからねー」と言われた。 小児科の看護婦さんにも言われたので、英語ではそういう言い回しをするんかな。 勉強になった。
さて、新生児育児も二人目ともなると、ちょっとは慣れたもんですよ。 オムツ替えの途中でどの角度からテロがあっても、全然慌てない。 さっと冷静にお尻拭き、もしくはその辺の布でスッと受け止めることができる。 多少汚れが広がっても、てきぱきとカバーを取り替えたり、深夜であっても実に冷静。
でもなんか足りない。 イサムさんの時のような、アドレナリン出っぱなしみたいなところが無い。 「ああ、オムツから横漏れなんて!!どうしたら良いの!?」 という事が無い。 しゃっくりや目ヤニごときで右往左往していた、あの興奮が無い。
良い事なんだろうけど。 それはそれでちょっとつまんないなあ、と思ったりして。
アユミさんの背中にポチポチができても「あー湿疹かあ・・・。あるよねー・・・」というテンションですよ。
アユミさんは大食漢。 2−3時間毎1オンスの母乳に、2オンスのミルクをあげていたが、「あたち、こんな程度じゃ足りないんだわ」と、飲み終わったばかりなのに口をパクパク。 まあ無理でしょうと思いながら、ミルクを3オンス作ってあげたら、完食。 母乳と合わせて4オンスも飲んでいる。
イサムさんが4オンス飲めるようになったのは、二ヶ月くらいから。 恐るべし正期産ベイビー。 それとも、3000gを超えるとこんなに楽なのかしら。
楽と言えば、食後にゲップさせないといけないのだが。 (ゲップ無しで横にすると、戻して危険) これがまあ楽。 イサムさんはゲップと共にどばっと飲んだばかりのミルクを戻していたが、アユミさんはどんなに激しいゲップをしても、ミルクが戻って来ない。 たまに戻る時も、口の端にタラ〜っとするだけ。
どばっと戻したら、服を着替えさせてまた飲ませるところから始めるんだけど。 イサムさんは食欲も無く、また寝ちゃうから、ほっぺを指でグリグリして無理やり起こして、ああ寝ちゃう〜・・・という果てし無い攻防戦@真夜中とかだったのに。
アユミさん起こさなくても勝手に2−3時間毎にお腹すいて起きるし。 お腹がすいてるから、ぐびぐび自主的に飲むし。 楽過ぎる。
まあ実は、イサムさんの育児も死ぬ程大変と言う感じではなかったんだが。 死ぬ程大変に違いないと覚悟していたからか、それほどでもなくて助かりました。
とりあえず、一月乗り切れば多少寝れるようになる筈。 おー。
妊娠初期にお腹が段々出て来ると、ボトムスのホックが掛けられなくなったり、ファスナーが開きっぱなしになったりする。 そこに、そっと濃い色の腹巻きをズボンの上から巻くと、違和感無く収まる。 これだけで、5ヶ月くらい普通の服で過ごせると思う。
そしていよいよ出産して授乳が始まったら、一々服を着脱してると身体が冷えるので、チューブトップのように胸の当たりに巻いておけば、さっと上だけ脱げる。 ついでに、もう一枚腹に巻いておけば、背中が冷えたりしない。
というわけで、今回の妊娠お役立ちグッズは間違いなく腹巻き。 色んな所に巻けちゃう。 前回も役に立ったので、今回も2枚買い足して、腹巻きには活躍してもらっている。
前髪が伸びて来て、視界を邪魔してたら、腹巻きを2、3回折り畳んで即席ヘアバンドにできるしね。 (それはイサムさんには不評らしく、座ってるとさっとヘアバンドを取って、投げ捨てられるが)
もう一個の地味なお役立ちは、湯たんぽ。 しかも二個投入。 乳腺がつまりがちな時には、お湯を入れて温めておいて、搾乳を助ける。 搾乳が済んだら、炎症を起こしているのでもう一個の湯たんぽに氷水を入れておいて、さっと冷やしておく。 これだけで大分楽。
そんだけしてても、まだ血まみれのピンク色の母乳が出たりするので、結局捨てたりしてる。
英語サイトでは、母乳にちょっと血が入ってても大丈夫!ユー哺乳しちゃいな!って書いてあるけど。 日本のサイトでは、血の入った母乳をあげると赤ちゃんがオエッとなるから駄目!って書いてある。
どちらを採用しようか迷ったけれども、成分の半分が鮮血な感じだったので、これは多少混じるとかじゃないだろう・・・というわけで、涙をのんで捨てる事に。
それにしても、さっと検索に出て来るあたり、どんだけの母親が血まみれの母乳を出しているかがうかがい知れて、涙を禁じ得ない。 甘えてちゃいかんのだね。 うう。
アユミさんは5ヶ月検診の時に超音波写真を撮って以後、最後まで写真を撮らなかったのだが。 実はこの時、女の子だと判明したのと同時に、心臓に穴があいてると診断されていた。
それがどういう意味なのか良くわからなかったけれど、開いては行けないところに穴があるなあ、困ったなあという感じだった。 で、帰ってから色々調べてみると、どうも心臓に穴が開いている場合、ダウン症の子である可能性があると言うのだ。 おう、なんということだ。 でもって、超音波検査で疑わしい場合、羊水検査をお勧めされるらしい。
ということは、その次の検診で検査をお勧めされるわけだね。 でも、どんな結果が出ても、我等夫婦は中絶をしないで産むと言うのは決まっていたのであります。
何故なら、もうすでにイサムさん妊娠の時に血液検査をする前に「ダウン症の子を妊娠していたら、どうするのか」を一度話し合っていたのです。 結論は「産む」だった(というか、ジャバ夫さんの方は話し振りから、始めから中絶と言う選択肢がなさそうだった)ので、今回も何があっても産む方向で。 しかも、待望の女の子ですよ。 わざわざ女の子の産まれない家を選んで来てくれた赤ちゃん。 歓迎しなければいけませんね。
というわけで、医者に羊水検査はしないよ、と言うと、なんとその後一切超音波検査も無しですよ。 せ、せめて心臓の穴の塞がり具合とかを見てくれませんかね・・・。 「だってどうせ産むんだから」という医師の適当な指導のもと、今アユミさんがどのくらいの大きさなのか、頭がどっち向きなのか、腹の中で何をして過ごしているのか、全く不明なまま出産だったのだ。 まあ帝王切開なので、どんだけ頭がでかくなっていようが逆子だろうが、そういう意味では関係ないですね、確かに。
そして産まれたアユミさんは、心臓の穴は塞がっていました。 単に超音波検査をした時には、まだ成長の途中だったわけですね。 やれやれ。
そして、アユミさんから一週間遅れて帝王切開予定だった友達の子が、やはり超音波検査で「食道が胃に繋がっていない」と言われて、それでどうするんだ?と聞かれて「産むけど」と答えたら、そのまま検査無しで出産を迎え、しかも胃に問題など無かったのであった。 しかし、産むまではそれはそれは心配していたのであった。 産まれてすぐに手術しなきゃいけないかもしれないという不安。
親に無用な心配をさせる事になる原因は、そもそも早過ぎる中期の超音波検査と、検査自体の精度が上がって、早いうちから色々見え過ぎてしまうという問題があるんだそうな。
まあこういう事が有ると、いざ出産となる前に夫婦で「障害のある子が出て来たら、どうするのか?」という普段深く考えないかもしれない議題を話し合えて、有意義なのかもしれない。 どうするのかは、個人それぞれ意見があるでしょうが、たとえ夫婦だからといって、その考えが一致しているとは限らないから。 話し合ってちゃんと同じスタート地点に立っていれば、いざと言う時に心強い筈。
ちなみにイサムさんの時にジャバ夫さんが「ダウン症とかあったら、支援団体とか行ける学校とか調べないとね」と言っていたので、多少迷いの有った私も「あー、この人と協力すれば、障害児の育児もできる筈」と思ったんだな。
イサムさんがお兄ちゃんになった事を理解しているのかどうかと言うのは、実に疑わしいのですが。
なんせいまだに1単語以上の文章を作ってくれた事がないので、彼が何を考え、思っているのかは彼の頭の中だけで完結しているのだ。 我々とはわかちあってくれていない。
産まれるちょっと前に、お腹を指差しながら「ベイビー」と言っていたので、一応赤子が入っている事はわかっているのかな?と思ったが、その後も容赦なく腹の上に乗って来てたので、本当のところ良くわからんのだよ。
ほんで入院中。 幼児の面会はできないと言っていた病院だけれど、父親の付き添いがあれば短時間オッケーだということが判明したので、ほんの少しだけ病室に来てくれた。 が、怖がってアユミさんに触れようとしないイサムさん。 うーん、この反応は・・・猫らが初めて来た時と一緒。 なんとなく遠巻きに眺めています。 そして、アユミさんを見ながら、指を口に当てて「しー」と言ってみたり。
結局、病室でグランマが買ってくれたクロワッサンをわっしわっし食べて、パン皮を盛大にボロボロ床とベッドにこぼして去って行ったのでありました。 グランマ・・・そこでのチョイスは、食パンかロールパンあたりが良かったのでは・・・。
家にアユミさんが来ても、なかなか見に来ないイサムさん。 何だと思っているんだろうね? まあ我が家は、義弟夫婦が来たり猫らが来たり犬が来たり。 次々色んな生き物がやって来るなあ、と思っているのかも知れない。
そんなある時、アユミさんを指差して「ベイビー!」と言ったイサムさん。 おお。 そうだよ!この人が腹に入っていた人だよ! ヘレン・ケラーの「ウォーター!」に匹敵する興奮。 よくわかったねー、えらいねー、と褒め讃えたので、その後しばらく何かある毎に「ベイビー!ごにょごにょ」となんとなく文章を組み立てようとしていたイサムさん。
ストローラーを押しながらウロウロしていたら、廊下を塞いでいた木のスツールを、無言でどかしてくれたり。 哺乳している部屋をそっと覗きに来たり。 少しずつ、ベイビーはどうやらずっと我が家に居るんだと理解してくれてそうなイサムさん。
ほんで昨晩。 イサムさんの寝付きが悪いので、ジャバ夫さんに頼んでイサム部屋で二人寝をしていてもらったのだが。 散々ぐずった後「ベイビー!!わあああああ」と泣きながら寝室を脱走して廊下を走って行ったイサムさん。 産前だったら我等夫婦の部屋に来てぐずっていたのに、私と赤子が寝ているのがわかっているからか、こちらへは駆け込んで来ない。
母はウルッとしてしまいましたよ。 残念ながら、君の泣き声はばっちり壁を越えて聞こえまくっていたけれど、イサムさんなりに「お母さんに迷惑をかけちゃいけない」と思っているのでしょうか。 廊下で散々泣いてから、何故かゲストベッドルームで寝たそうです。
イサムさん平気そうだったけど、やっぱり急に赤ちゃんが来て、なんか思うところがあるのでしょう。 強くあれ、兄ちゃん。
とりあえず医者によると、6週間は母はイサムさんを持ち上げられないので、6週間後には思い切りイサムさんとサシで遊んであげようと思っている。
ご心配をおかけしましたが、二人目はやっぱり少しは余裕です。 朝パジャマから洋服に着替えて、日中家をウロウロできるくらいの余裕ぶりです。 前回は長い事ベッドから動けずに、じっとしてたのを思うと、ビバ!と思うね。
そして、ウロウロするのに、とっても便利なバシネットタイプのストローラー。 phil&tedsというニュージーランドの会社の物で、妊娠中に先輩ママに勧められたのをジャバ夫さんに紹介したら「クール!」とデザインに惚れ込み購入。 ちょっとお値段がクールではないけれども、色々変形できて、バシネットだけでなく、イサムさんを下段に、上段にアユミさんを入れたりもできる、二人乗りストローラーなんでございます。 土足文化は家の中でストローラーが使えると言う点では便利ね。 ウロウロ。
ほんで、アユミさんを押しながら家の中をキッチンやベッドルームやと行ったり来たりしていたら、猫らがストローラーの下段をタクシー代わりに使うようになってしまった。 気がつくと猫が入っている。 下段は毛だらけ。
さて、ちょっと余裕が出て来たので、色々チェックしてみたりした。 まず傷口をチェック。 「前回と同じところを切りました」と医者は言っていたけれど、微妙に左側にずれてる。 大体の傷は前回と同じとこに乗っているので、傷口は一つだけれど、右にすでに塞がった傷が1センチくらい。 左端に1センチくらい新しい傷が伸びていた。 この左側の傷が、ピリピリしてちょっと痛い。 麻酔が切れ始める最後の最後らへんで、左側の淵でなんかごにょごにょいじってるな・・・とは思っていたが。 なんか小さめに切って、結局足りなかったら後でもうちょっと切ったとかかしら。 真相は闇の中。
ケロイド体質なんで、綺麗に傷跡が消えるとかはないけれど、看護婦さん達が入院中はやたらにお世辞(?)で「まー綺麗な傷」「素晴らしい傷」とか一々言ってくれるのが、なんか日本には無いな、と思った。 前回と同様、糊で貼ってあるので、抜糸は要らないよ。
それから、これは自分で自分を褒めてあげたい事。 なんと、臨月まで赤子を温存したのに、妊娠線が出なかった! やったー! 普段から腹の皮が弛んでて良かった。 クリームを頑張って毎朝毎晩使った甲斐があったというもの。
まあそんなに頑張っても、腹を世間様に披露する事など無いので、なんの為にかはわかりませんが。 ちょっと良かった事なのでした。
そして来るアユミさんの誕生。 私はとても期待しておりました。 臨月で産まれて来るアユミさんは、きっと内蔵も完成していて、お腹をすかせて出て来るだろうと。 母体の方も、母乳を作り始める準備をしている頃だろうし、今度こそ始めから完全母乳ができるんでないの? そしたらもう、忌々しい搾乳機ともおさらばだ。 ぐふふ。 夜の授乳も、2時間毎起きておっぱい出して吸わせて、ゲップさせてオムツ替えてまた寝れば良いだけの夢の生活。 ふっふっふ。
だがしかし、そういうもんでもなかったのです。 ああがっかり。
まず、イサムさんの時に無理矢理開いた乳腺は、残念な事にまた塞がっておりました。 そうですよね。 4人も5人も育てたならまだしも、乳腺開きっぱなしなんて人居ませんよね。 冷静に考えればわかりそうなもんなんだけど、そんな事思いつきもしなかった。 がっかり。
またゴリゴリマッサージするも、ほとんど出ない。 帝王切開後に飲む薬の中に、母乳の出が悪くなる成分の物も含まれているらしいので、それも影響していたかも知れないが、とにかく出ない。 ここで早くもあの憎き搾乳機と再会。 やあ、また会ったね・・・。 がく。
せっせと集めた透明の初乳を、哺乳瓶ではなくカップの縁からアユミさんに投入。 だって哺乳瓶の乳首を覚えさせたら、また直母乳の夢が遠のいてしまうじゃありませんか。
とにかくおっぱいを吸わせろ吸わせろ、という事で、スパルタにグイグイアユミさんにおっぱいを押し付けて、泣いても諦めずに続けたものの。 やっぱり吸ってもなんも出ないおっぱいに、興味を持つわけも無く。 結局アユミさんの体重が5%以上落ちて、黄疸が出てしまった(水分が足りないと、肝臓にも影響が出る)ので、上からたらす方法でミルクを投入。
母乳支援のナースから、チューブをおっぱいにくっつけて、アユミさんに母乳が出てると信じ込ませてミルクをチューブから流す、という方法を勧められたのだが。 ああーそれイサムさんの時に散々やった! フラッシュバックと言うか、その時のいや〜な思い出がまざまざと蘇り、ここでギブアップ。 あのチューブの嫌な感じというのは、なんとも説明しにくい。 誰かが肩の上からチューブにミルクを流し込み、吸う力もないイサムさんがダラダラ口の端からミルクをこぼしているのを、「起きてー、頑張れー」と励ましながらおっぱいをギュウギュウ口に入れようとしてる記憶が。
もういいや。 こんな事するのやだ。 と、2日目で完母を断念。 早いでそ。 根性の無さは折り紙付きよ。 お腹切ったばっかりなのに、色んなナースが入れ替わり立ち替わり、ああでもないこうでもないと延々まくしたてるのを聞きながら、全然寝てないんだもの。 無理だわ〜。 と、いったん諦めて哺乳瓶をもらいました。 勝手知ったる哺乳瓶。 あんなに嫌だったのに、なんでだかほっとしました。 ほ。
でもあの赤子の免疫力を上げるとか言う、伝説の魔法の液体、初乳が搾れてるうちはあげたい。 と、搾乳しながらあげたり、手でぎゅっと絞ったら出て来たのを舐めさせたりしているうちに、アユミさんは根性でおっぱいに吸い付いたのです。 おお。 強い。 すごいな君、感動した。 そして、その吸う力の強い事強い事。 悲鳴が出る程痛かったけれど、そのままナースの指示通り15分間吸わせたところ・・・
注)これからとても痛い描写がしばし続くので、心臓の弱い人は回避
なんと、アユミさんの口を引き離した時には、乳首がバックリ切れて、中から血まみれのホタテのベロみたいな肉がでろ〜っと飛び出してしまっていたのです。 ぎゃあ〜。 これは痛い筈だわ。 つか、痛いわ。 死ぬわ。 ぎゃ〜。 ナースコールをして、傷の手当をしてもらって、一呼吸。 粘膜の怪我だから治りは速い筈、とか言ってもらったけど、無理無理。 ああでも、せっかく直母乳に一歩近づいたのに。 皆、こんなに痛いのを耐えて頑張っているのかしら。
なんか母乳、思っていた夢のご飯じゃないんじゃないの?
うっすら気がつくのでした。 完母の義妹だって、時々搾乳機を持ってウロウロしたり、母乳をスムーズに出す為のサプリを飲んだり、赤ちゃんがなんかのアレルギーかもしれないとか言うと母乳に出さない為に自分の食事を制限したりしているじゃないの。 そんな努力の上に成り立つ母乳育児。 私のような、甘い考えでうっかり踏み込んではいけない世界だったのね。 ヨボヨボ。
そして、2日で退院と言うアメリカンな荒行も決行できず、3日目で退院となり、家に帰りました。 色んな種類の痛み止めと、搾乳機と、哺乳瓶とにらめっこの日々が始まるわけですね。
でも、アユミさんは色んな事が楽。 まあ二人目なんで、何をしなきゃいけないとかこっちがわかってるってのもあるし、アユミさんがそもそも3140gもあるので、イサムさんの時程何もかも煮沸消毒する程気をつけなくても大丈夫そうという、気が楽なところもある。 そして、細々と搾乳をしているうちにふと魔が差して、またアユミさんにおっぱいをあげてみる気になってしまったのです。 魔が差したのは、4日目の深夜。
直母と哺乳瓶は共存できないので、おっぱいにするとしたら、ミルクを諦めないといけない。 お腹をすかせたアユミさんは、頑張った。 深夜から次の日のお昼まで。 アユミさんも頑張ったけれど、こちらも寝ずに頑張った結果、ようやく直母に! 泣き過ぎて声がガラガラになってしまったけれど、イサムさんの時に比べたら、かなり短い期間で切り替えられた。 が。
痛い。 やっぱり吸われると、剣山一気にブっ刺したくらい痛い。 ホタテのベロは引っ込んだものの、両方とも皮が剥けてしまい、血がじわーっとにじんでる状態。 それで吸われると、もう叫び出す程痛いのよ。 義妹は「一週間ぐらいずっと痛いけど、二週間目にはマシになって、そのうち痛くなくなる。赤ちゃんも吸い方がわかって来る」と言っているけれどもが。
痛いよ〜。 シクシク。 新生児は頻回授乳が必要なので、夜でも二時間おきに授乳させないといけない。 そして5日目の夜、授乳で起きる度に「もうやだー痛いー」と思いながら「いやならやめればいいじゃん」と冷静な自分の意見に「いやいや、ここを乗り切ったら、アユミさんに栄養満点の母乳を供給できるのよ」と意地を張った結果・・・。
バクッと逆のおっぱいにホタテ貝のベロ傷が出現。 終了〜。 さわやかに試合終了を宣言する気になったのでした。 直母に、これを耐えるだけの価値を見いだせなかったよ・・・。
6日目に一週間検診で、黄疸が悪化しているので血液検査にかかることになり。 医者にミルクの水分をじゃんじゃん与えるように指示されたので、ここに正式に完母は終わりとなったのであります。 やっぱり母乳はほとんど出てなかったのね。
しかし、義妹がくれた軟膏を塗って、冷却パッドを貼りながら思うのであります。 今回完母を諦めたのは自分が痛かったからで、赤ちゃんの吸う力が弱かったせいではないし、アユミさんがおっぱいを吸ってくれたのは、とても良い経験になった。 この思い出を胸に、イサムさんの時の辛い記憶も、もうきちんと昇華してあげようと思う。 完母で頑張っているお母さん達を、尊敬はしても、羨ましいと思うのも止めようと思う。
義妹はまだまだ完母に戻れると応援してくれているけれど、これからはより自信を持ってミルクと搾乳の混合で育児をする事にしました。 もはや迷いは無いと断言できましょう。
そして、今はがっつり乳腺が詰まって、炎症を起こしているので、氷で冷やしている状態。 出産も育児も、痛い事から逃れられないのね。 せめてアユミさんの可愛さを堪能します。
さらば完母。
こんな私事を書くんはどうかな?と思ったものの、ここに私事以外のなんも書いていないから。 というか、そもそも日記じゃんということで。
イサムさんを妊娠中、育児本や雑誌を見ながら、「あーあたし絶対赤ちゃんを母乳で育てよう」と思っていたのでありました。 だって母乳は良い事一杯。 そもそも赤ちゃんはおっぱいが欲しくて、お母さんはおっぱいを持っているのだもの。 こんなに需要と供給がはっきりしている物は無いわ、と思っていた。
でもって、なんでそんなに母乳の素晴らしさがあちこちで言われているのに、完母じゃないお母さんが居るんだろうと言うのは、浅はかながら考えなかったのだね。 何故って、完全に母乳で育てると言うのが、あまりに困難であるからだよ!
イサムさんの時の哺乳は、それはそれは困難で、茨の道でありました。 イサムさんはそもそも未熟児ギリギリの体重で、一月早く産まれて来たので、体力が全然ない状態。 哺乳の為に起きる事も難しく、放っておけばずっと寝ているイサムさんの口を無理矢理こじ開けて、哺乳瓶の乳首をぎゅっと押し込んでミルクを流し込み、吸う力が無いから25mlを入れるのがやっと。 しかも空気を大量に飲んでしまうので、それを出させる度に、せっかく入れたミルクが全部出て来る始末。 たぶん食道の弁も弱かったんだと思う。
おしっこする度にオムツを計り、どのくらいミルクが身体に入って、どのくらい出て行ったかをつぶさに記録しておくという、二時間細切れ睡眠の中で神経すり減らしまくって世話をしていたのであります。 一月くらいは当然母乳など吸ってる場合ではなかったので、とりあえず搾乳してからミルクに混ぜて飲ませていた。 それも乳腺が貫通していなかったので、ちゃんと搾乳できるまでがまあ痛い事痛い事。 パンパンにおっぱいが張っているのに、出口が無いという状態。 岩みたいになったおっぱいを、せっせとマッサージして乗り切ったのでありました。
そして一ヶ月後にイサムさん腎盂腎炎で入院。 入院中もせっせと搾乳しては冷凍、解凍してミルクに混ぜて母乳を飲ませて、搾乳の度に器具を洗浄して、の繰り返し。 哺乳瓶も毎回全部洗浄して、時には蒸気で滅菌する機械にかけたりしてた。 洗浄を手伝っていたジャバ夫さんの手も、あかぎれだらけになってしまったり。
やっぱり完母って良いなーと、この時更にそう思った。 だって器具洗わなくていいし、赤ちゃんがお腹すく頃勝手におっぱいの中でミルクができてて、服をめくるだけで授乳できちゃうんだもん。 夢のようなミルク工場。 無料だし。 ほわわーん。 と甘い事を考えていたのだ。
一度哺乳瓶の乳首に慣れてしまった赤ちゃんは、もうおっぱいを吸う事がなかなかできません。 何故なら哺乳瓶とおっぱいは、根本的に構造が違うから。 母子ともに相当苦労しないと、混合乳から完母に切り替えるのは難しいのでございます。
イサムさんの入院中も、医療機関のサービスを利用して、様々な方法を試し、なんとか母乳に切り替えようと努力したけれど、結局イサムさんの体力も無い事から断念。 結局搾乳も5、6ヶ月まで続けたけど、赤ちゃんに吸われないとこれも段々枯渇して、ついに離乳食開始と共にミルクだけになり、やがてイサムさんの主な飲み物は、牛乳かリンゴジュースの水割りへと進化して行ったのでした。
と、ここまでがイサムさんと母乳の物語。 長くなりそうなので、続きはまた明日。
やってきました。 赤ちゃんが。
10月5日が誕生日です。 予定帝王切開で、予定通り産んだので、今回は体力的にはやや余裕。 でも痛いよ。 背中にブっ刺す麻酔も痛いし。 ポンポンの収縮も痛いし。 切った後、初めて歩いたのが死ぬ程痛かったわ。 でも誰も代わりに歩いてはくれないから、仕方ないじゃない。 乗り切ったわよ。
でも、縫った後に来るブルブル震える程の寒さは、今回軽減。 やっぱり、前回は手術前に二回も大出血してたので、それで寒かったんだね。 いや、あの時死ななくて良かった。 今回はナースステーションで待ってる間も、けっこう余裕。 ジャバ夫さんによると、終始顔色も良かったとか。 そうね、前回死神のような顔色になっていたわね。 元気なせいか、お腹がすくのが困りものだった。 とにかく、手術前からずっと「お腹がすいた〜」とばかり考えていた。
そして、予定通りなので、日本からおじいちゃんが駆けつけるのも間に合い。 入院中はイサムさんと猫らの面倒を見ていてもらう事ができて助かった。 グランマが主にイサムさんの学校の世話なんかをしてくれた。 家の心配をしないで落ち着いて産めました。
さて、肝心の赤子。 名前の候補が色々あって、どれにしようか、顔を見て決めようと思っていたのですが。 出て来た瞬間、ジャバ夫さんとも意見が一致。
たら〜ん。
「歩」と書いて、アユミです。
英語のニックネームだと、uが落ちてエイミーになりますよ。
「私アユミよ」って顔で出て来たから。
タイトルの「ウイジ」は、名前考えている時に、テキストパッドにリストを作っていたら、ナナがキーボードに打ち込んだのです。 だから、猫らには「この子がウイジ」と説明しています。
皇帝
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