皇帝の日記
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2005年02月06日(日) トルコ・イスタンブール

朝起きると、そこは海でした。
いや、アジアサイドの海側を、くるっと回ってイスタンブールに行くのだ。
いまのところ、アジアとヨーロッパの側が鉄道では繋がっていないので、アジアで降りて、バスでヨーロッパに入るしかない。
今度、日本出資でボスポラス海峡にトンネルができるということだが、掘れば掘るほど遺跡が出てくるので、作業は遅れる見通しだ。

さて、ウシュクダラで朝食。
その後、ブルーモスクやアヤソフィアを見学。
アヤソフィアは、キリスト教の教会だったのが、そのままモスクに転用されたもので、キリスト教の文物と共に、イスラム教のものが置いてある、なかなかおもしろい建物だ。
中は工事中。
今後ずっと工事中の予定。

ブルーモスクは、普通モスクに一個か二個たっている尖塔が、六個たっている。
アヤソフィアのすぐ隣の建物。
モスクは大体、雨漏り防止のために、外側の屋根は鉛の板で覆われていて、見た目あまり美しくないのだが、ブルーモスクは内側が青いタイルで飾られている。
泥棒がタイルを剥がして持っていくので、夜は閉鎖されることになったらしい。

イスタンブールといえば、トプカピ宮殿だが、火曜日なのでお休み。
次の日のフリータイムに行くことにする。
グランドバザールへ行って、ぼんやりと観光したあと、ホテルへ。
ホテルはタクスィム広場の中にある。
バスと地下鉄と路面電車の始発が出ている、便利なロケーションだ。
でもその日は遅かったので、取り合えず目の前のメインストリートを歩いて、夕飯をゲットして寝るだけ。

明日は自由行動の日なので、交通機関などを確認しながら、ホテルのマッサージサービスを利用して眠る。

皇帝は一人旅が多いので、母に限らず、誰かを連れて歩くというのは大変なことなのだ。
なにせ、自分だけだったら、ご飯が食べられなくても、遠くまで歩かなきゃいけなくても平気だが(平気じゃないが、我慢すれば良い)、連れがいるとそうはいかない。
なので、地図や路線図を入念に調べ、レストランもガイドブックでチェックした。
地球の迷い方は、すでにパムッカレの営業シーズンや、タクスィムのストリートの名前などを間違えてくれちゃっているので、役に立つのやら立たないのやら。


2005年02月03日(木) トルコ・カッパドキア

カッパドキアは、けっこう最近TVとかで取り上げられているので、見知っている人も多いかと思う。
なんか、奇岩がにょきにょき生えている、あの変な田舎町。
で、奇岩を見て回ったり、穴を掘って作られた教会や壁画を見て回ったり、地下に作られた巨大都市を見に行ったりしたのだ。
あと、洞窟の民家も見せてもらって、お茶を出してもらったりした。

カッパドキアで雪が降って積もるのは、年に二三回とか。
運良く当たってしまう皇帝。
しかも、観光の当日は晴れるという素晴らしさ。

噂に違わぬ、変な景色が満載だった。
らくだの石も見た。
教会の壁画は、何世紀にも渡って、誰も管理していなかったために、近所の子供の落書きの餌食にされていたりした。

絨毯工房に案内される。
カッパドキア周辺の女の人は、冬にやることが無いので、絨毯を織っているのだそうな。
おればおるほど、財産になるから、また織る。
そして、嫁入り道具に持って行くのだそうな。
一枚数百万から、数万まで。
手織りの絨毯は結構高い。
し、偽者だってある。

買う予定は無かったのだが、カッパドキアのみで織られているという、ウールの絨毯を気に入ってしまった。
染めていないのだ。
羊の色をそのままに、ちょっと灰色の羊や、黒いのや白いのを、そのまま柄にしている、ちょっと珍しいやつで、皇帝の狭い部屋にぴったりくらいの大きさ。
値段は35000円。
二万円しか持ってないと言い張り、二万で譲ってもらった。
新年だから、いいよ、と言ってもらう。
私の部屋には、もう六年くらい絨毯が無い、と言ったら、えらく同情してもらったし(この辺の人は、貧乏でも絨毯だけは沢山ひく)

さて、バスでアンカラ(首都)まで行って、そこから夜行電車に乗り換え、イスタンブールへ戻る。

トルコ半周をほとんどバスでする強行軍も、そろそろ終わるのです。
続く


2005年02月02日(水) トルコ・コンヤ

パムッカレのヒエラポリス遺跡をぼんやりと見る。
この頃になると、もう遺跡は珍しいものではなくなってきている。
珍しいといえば珍しいけど。

コンヤまで、バスで五時間。
この頃になると、バスに乗りすぎてもう体中が妙に固まっている。
毎日バス。
しかも見える景色は遺跡と田園風景のみ。

コンヤは結構大きな町で、博物館と、イスラムの学校の見学をする。
皇帝のほっぺたには、左右対称にほくろがあるのだが、昔のトルコ人を描いたタイルに、まったく同じ位置にほくろを書いているのがあった。
それも、何体も。
神様みたいな、えらい人の顔にも。
えーじゃあ皇帝、やっぱ高貴な人の生まれ変わりなんじゃん。
と、満足してカッパドキアへ。
この頃から、雪が深々と降り積もり始める。

カッパドキアにつく頃には、しっかり雪が積もってしまった。
カッパドキアの人は、昔洞窟を掘って、穴の中に住んでいた。
今でもちょっとの人は、そうやって住んでいる。
洞窟をそのまま改築して、ホテルにしているところがあるというので、母が泊まりたがったので、申し込んでおいたのだ。
ところが、そこまでバスが雪のためにたどり着けない。
更に、ホテル側から出した迎えのバスも、スリップして中々こない。

おーろおーろ。
ようやく迎えのバス到着。
バスに乗って、洞窟ホテルについてみると、超豪華ホテル。
キャーキャーいいながら、快適に眠る。


2005年02月01日(火) トルコ・エフェソス

ホテルからほんの少し行ったところに、マリア様が住んでいたと(カトリック系)教会が認定した家がある。
ので行ってきた。
堀のところにあるフェンスに、紙を結ぶと、願い事がかなうというので、何か結ぼうとしたが、なにもなかった。
仕方がないので、車酔いの薬の説明書を結び付けておいた。
家内安全。
トラベルミン。

エフェソスもトルコにある。
地中海最大規模の遺跡。
というか、町ごと残ってる遺跡。
半端なくでかいのが特徴。
公衆トイレのでかいのとか、公衆風呂のでかいのとか、トラヤヌスの水飲み場とかあるのだ。

ここもやはり猫が一杯。
あと、犬もいる。
大体、犬も猫もつながれていないので、勝手にひょこひょこいろんな所から顔を出して、好きについてくる。
そして美味しいものをくれないと、いつのまにかどっかにいなくなるのだ。
しかし、いつもトルコ人からご馳走を貰っているらしく、ビスケットやパンなど、見向きもしない。
単に人間と遊びたいのかもしれない。

その後、シリンジェ村というところに行って昼飯。
シリンジェは、かわいいという意味。
昔は醜い村という名前だったのが、改名したんだとか。
名物のワインを飲んで、それから皮工場に行く。

トルコは羊を良く食べるので、良質の皮の産地なのだ。
トルコ産でも、一度イタリアに卸し、それからメイドインイタリーの札をつけて、日本に渡っているのだとか。
確かにすごい良い皮が沢山。
でもお値段もけっこうしたので、なにも買わずに去る。

皇帝が狙っているのは、そう、市内デパートでの冬物セール。
海外では、地域差は有りますが、大体正月過ぎるとずっと冬物バーゲン。
ってことは、イスタンブールの大型SCでも、セールに違いない。

野望を秘めながら、バスでパムッカレへ。
世界遺産になっているので、パムッカレのことは調べれば出てくると思う。
隠れた景勝。
皇帝は、このパムッカレの温泉棚が見たくて、トルコ旅行を選んだのだ。
堪能しました。

ホテルは温泉が出る。
トルコ式のお風呂と、サウナに入り(有料)、お肌すべすべで就寝。


2005年01月31日(月) トルコ・トロイ、ベルガマ

トロイはトルコにある。

知らない人が多いので、観光庁は周知の徹底に努めているとか何とか。
本当ですよ。
トルコはトルコ人が来る前は、エーゲ海側とかの文化により近かったというか、イスタンブールはビザンティウムですから、元々。
だから、イオニア式とか、コリント式とか、ドーリア式な、大理石の遺跡が沢山埋まっている。
海側を掘れば、とにかく何らかの遺跡にかち当たるという遺跡ぶり。
しかも、街ごととか、規模がでかいので、トルコの遺跡を見れば、アテネやギリシアには行かなくてもいいというほど。
そもそも、近代ギリシアはトルコから独立した国だった。

さて、トロイの町は何度も建設され直しているので、掘れば掘るほど、古いのが下から出てくる、ミルフィーユな遺跡。
偽物のトロイの木馬が出迎えてくれるが、発掘はそんな理由で遅々として進んでいない。
結構でかい。
そして、トルコの人は猫と犬を大切にするらしく、どこの遺跡でも放し飼いのかわい子ちゃんたちが出迎えてくれるのだ!!

今回の旅で、何が楽しかったって、猫の愛らしさがなんともいえない。
猫はみんな、足の短い、体の丸いタイプ。
コロコロとなつっこく、観光客の跡を追いかけてくる。
犬も(何故か中型犬以上の大型が多い)、なでて欲しいと寄ってくる。
動物好きには、たまらない国なのだ。

たまらなく去り難いが、またバスに乗って、ベルガマへ。
ベルガマはアクロポリス遺跡がある。
ついでに、ローマ時代の医療施設(精神病棟)、アスクレピオン。
ペルガモン王国の遺跡がある。
もう遺跡まみれ。

精神病棟では、患者を暗闇の中に閉じ込め、神の役に扮した医者が、「私は神です。あなたの病気は良くなります〜」と囁きかけるのだそうだ。
治るのかな。

ローマ時代の劇場跡は、山の斜面を削って、石段を入れただけの物が多い。
当然急勾配。
母腰を抜かす。
皇帝は高いところは全然平気なので、遺跡から遺跡へとピョンピョン飛び回る。

クシャダスへバスで乗り入れて、この日の観光は終了。

クシャダスのホテルで、地獄が待ち受けていようとは、この時まだ誰も知らなかった・・・。
気候のことはあまり触れていなかったが、冬のトルコは雪が降るほど寒いのだ。
まだ本格的な寒波が降りてくる、一日二日前だったが、なんと、このホテル





暖房が効いていない。





のだ・・・・・。
冬のこの時期に、客が来ると思っていなかったのか、暖房設備を切っていたのだ。
がびーん。
寒さに震え、風呂にも入れず、とっとと眠った。
寒い。


2005年01月30日(日) トルコ・ブルサ

明けて一日目は、早起きをしてバスに乗り、ボスポラス海峡を越えて、アジア側を南下。
エーゲ海に向けて、ブルサという街までズルズル行くのだ。

途中、車ごとフェリーに乗り、マルマラ海峡を渡る。
船の中で車を降りることが出来たので、このたびの道連れ、母と海を見に行った。
海から見える岸は、遠目からでもモスクの尖塔が、あっちこっちに立っているのが分かる。
これが毎日、お祈りのたびにマイクでコーランを流しまくるのだ。
しかしトルコは政教分離を早くから取り入れている国なので、別に女の人もベール無しで歩いて構わない。
ついでに、法律上男女平等。
教育費は大学も含め無料。
国土がヨーロッパ系、ロシア系、アラブ系、中欧アジア系とそれぞれ接しているので、国民の顔は人種が統一されていない。
人によって、色んな顔をしている。
だが一様にでかい。
おじさんおばさんは丸い。

フェリーの上でチャイを買って飲む。
下船後ブルサでスルタン霊廟を見に行く。
が、犠牲祭の最中なので入場不可。
家族のお祭りらしいが、時々庭先で羊をさばいているのを見かけることが出来た。
商店も軒並み休み。
隣接のグリーンモスクは入れた。
異教徒だが、入り口でベールを貸し出しているので、これをほっかむりして、靴を脱げば入れるのだ。
入っても、別に嫌な顔はされない(お祈りの時間は駄目なところも有)。
熱心にお祈りしているおじさんとかがいる。
ムスリムの数珠も無料で貸し出している。

別にモスクに行かなくても、お祈りはする気になれば、いつでもどこでもできるそうなので、来ない人もいるし、時間になってもお祈りしない人も沢山いる。
もちろんちゃんと、決まった時間に決まった場所でする人もいる。
温度差があるが、それはそれでいいらしい。

チャナッカレという街まで、更に南下して、その日は終わり。
バスに座りすぎて、体がカチカチに固まった。

ホテルに行くが、下の階ででお祭りの打ち上げをしていたため、安眠を妨害される。
さらに、深夜に浮かれた子供達が、キャーキャー叫びながら廊下を疾走。
向かいの部屋のおじさんに、静かにするように怒られると、もっと大喜びで駆け回る始末。
だが、一日バスに揺られた母は疲れ果てて爆眠。
皇帝だけ微妙に眠りが浅かった・・・。

だが、明日泊まることになっているホテルでは、更に恐ろしい事態が待ち受けていたのであった。
続く。


2005年01月29日(土) トルコ

十二時間、飛んでイスタンブ〜ル♪
悩まないのがル〜ル。
でも悩ましいトルコ航空はなんだかプラスチックのようなパスタが機内食。
壊れたヘッドホンを配る。
機体はボロボロ。

約10日間のツアーを消化して帰ってきた皇帝。
怖いトルコ人にも悪いトルコ人にもあんまり会わなかった。
でもずるがしこいトルコ人と、悪い日本人はいた。

さて、直行便で成田からイスタンブールについて、とりあえずイスタンブールのホテルへ。
その日は眠るだけ。
日本からくっついてきた添乗員は、明らかに慣れていない感じの人で、チェックインなんか自分でやった方が絶対手際が良いと、舌打ちしたくなる人材だった。
しかし顔が知人にそっくりであったので、数々の不手際は許そう。
タメ語のなのも許そう。
日本語も英語も下手くそなのを許そう。

明日以降、せっせとトルコ旅行記を書く予定だ。
ついでに、二月頭には、皇帝の呟き、デザインも一新して、アドレスも引越し、オープンする予定。
イメージカラーとキャラクターも変更の予定。
でもまだ何のアイディアもない。

猫のページも更新の予定。


2005年01月18日(火) また出かける

母とトルコに行くので、今月の終わりまでいない。

ロスは、都市なので、特別なことはあんまりなかった。
ハリウッドとかある。
あと、スローフードブームなので、市場とか不自然に出没したりしている。

有名人にはあえなかったが、今全米がブラピとジェ二ファーの離婚に話題を集中させているので、そのゴシップが色々耳に入ってきた。
大体、ジェ二ファーに同情的な意見が多い。
「完璧カップル」が売りだっただけに、夢見る国民は震撼。
他にも震撼すべき事態が色々世界で起こっていると思うのだが、大体スルー。

頭のおかしい人も、都市規模で大勢いた。
怖かった人MVPは「俺銃持ってるぜー」と怒鳴りながら歩いてたホームレス。
お尻を出したまま、GAPの前でゴミを漁っているおばさん。

古着屋さんの充実ぶりは◎
インディーズブランドのショップも良し。

アメリカ人は何故か薄着で歩いているが、実は寒いので注意が必要だ。
生粋のロスっ子はあまりいない。
韓国街の規模はでかい。
すし屋ありすぎ。
神戸牛が人気。

中国の学校で隣の組だった子に会ったりした。
日系車屋にお勤めとのこと。
日本の会社は休みがない、とこぼす。
まあ、あんま無いですね。


2005年01月10日(月) バファロー

ヴァファロー66という映画を見てしまった。
男のファンタジーの結晶。
何がどうなって、あの結末になれるのか不思議だが、あれがハッピーエンドにならなかったら、きっと売れなかったんだろうな、と時代を思う。
皇帝、そろそろ四半世紀生きてしまう。

さてさて、火曜日から一週間ほどロスに行ってくる。
遊びに。
明日はまだ更新できるかもしれない。

母と行く予定のトルコは、冬極寒で雪が積もってる。
のでスノーブーツを買いに行ったが、めぼしいものが見つからずに、結局ネット通販ですませる。


卒業ヨーロッパ旅行、確定直前に、決行不可能の連絡が旅行社からあった。
なので、会社をJTBに変えて決行。
振り込み手数料とか、電話代とか、雑費をどうしてくれるんだこの野郎、とむっとしている皇帝。
旅行社名をバラシテミル。
地球の歩き方旅行だす。
キャンセルだったら、もっと早く言って欲しい。
早期申し込み割引とかやってる会社もあるんだし。
しかもその後電話が繋がらない。
大丈夫だろうか。


2005年01月07日(金) ファッションチェック

ピーコのファッションチェックは毒舌とか言われているが、母親のチェックに比べたら、生やさしいものだと思う。
親と同居の人は分かると思うが、肉親だからこその容赦ない切り口と、身体的特徴に対する遠慮の無い指摘は、ゾーリンゲンよりも鋭利な暴言となって娘たちを襲うのである。

で、何を言いたいかというと、皇帝の母も、娘の着ているものに対して、出かける間際に何か必ず言う。
なかなか名言も多いので、いくつか記しておいて、後世の人々に残しておきたいと思う。

�|秧Г両綯紂榁秧Г離螢絅奪�
→カブトムシっぽいね

�▲轡隋璽半罐魁璽函槁┥罐好�ート+スパッツ+スニーカー
→分断分断分断、短い足が益々細切れになってるよ

��トレーナー+黒アイライン
→顔と服が合ってないけど

�な貎討量嫉�代の膝丈スカート
→もっと脚が長い人が着ないとね

�ナ貎討量嫉�代のミニスカート
→古ぼけてきたね

�Δ�るぶし丈靴下(見せ靴下)+スニーカー
→変、靴下ちょっと見えてる

まあスカートやコートに関しては、ちびっこの皇帝が、ますます小さく見えないように、丈に気をつけてくれているのでしょう。
しかし�イ了愿Δ蓮△任浪晋里�れる・・・と言うつっこみを入れたくもなる気持ちが、頭に浮かばないでもない。
そして指摘は、大抵全ての装備が整った時、つまり出かける直前に言われるので、もう時間が無くて訂正しようも無く、打ちひしがれた娘は出かけていくのである。

こうしたシビアな指摘をしてもらえないのか、一人暮らしを始めたばかりの大学一年生なんかが、よく取り返しのつかない姿で出歩いているのを、キャンパスで見る。
白のズボンの上から、黒のパンツが浮かび上がってたりするわけだ。

母の診断は、重く受け止めましょう。


皇帝