強くない。だけど弱くもない。
みつば。
MAIL
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2005年12月03日(土) ■ |
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どわーーわわわ。 |
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どうしよう!!!!! 卒業制作が で き な い !
原因は、致命的にお年寄りが嫌いなことと 身近に幼児がいないことがあげられると思います。
あと もっと決定的な理由は
私があまり動きたくないからだと思います。どーーーーーーーーーーん
最低!!!!!!!!!笑
ちがう、あの、違うんだ。(なにがだ
なんか、 精神的に、ちょっといまあんまり元気なくて
おちたり浮いたりの繰り返しで
誰かにアポとるのもやっと、とか 誰かに連絡とるのもしんどくって。
人との接触が怖い今日この頃です。
本当は、たくさんの人にあったりしたかったのに
人にあって、なんか感じる怖さがいやでいやで仕方なくて
それなら 自分が傷つく前に避けて通ろう、みたいな ちょっとねじまがった根性がむくむくと私のなかに根付いてきていて
早く脱出しなきゃ、しなきゃ。と思うのに どうしてもうまくいかないんです。
あぁああ・・・どわわ・・・・・・・。
幼稚園とかいって、積極的に撮らせてもらうようにしないといけないのにな。
友達の子供、早く元気になってほしいな。 あいにいきたいけど、今会いに行ったらぐずってしまうと思うし あんまり友達(母親)に迷惑かけられないもんね。
よしよし、ちゃんと考えて動こう。
あーもーほんっとに なんか、せつないなぁ、 と思う。
どうしてこんなにしんどいんやろ。
やだなぁ。やだなぁ。。。。
足は少しずつよくなってきていると思う。 大丈夫、大丈夫。
あと一息で、気合いはいるはずだから。
ちゃんと歩けるようになって ちゃんと笑えるようになって。そしたら、もっときっとやさしくなれるから。
がんばろ。
今日は久しぶりに朝早くちゃんとおきられたし・・・笑
もしかして もうちょっと人にあったほうがいいのかなぁ?
ひきこもりすぎて、なんかちょっとよくないのかも。。笑
ちなみに、失恋したYO
それもせつない理由だったり・・・苦笑
どっかに「恋人」落ちてないかなーーーー なーー。
どっかに落ちてたら、よいしょっと拾うのに(笑
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2005年12月02日(金) ■ |
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苦しい。 |
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なんだろう。
すごく、苦しいなぁ、と思う。
最近、子供を狙った犯行が多くて その被害が本当に苦しく感じる。
この世にせっかく生をうけてわずか7年ほどで その生涯をとじなければならなくなった理由ってなんだろう?て思う。
家族にとって 一番大事な存在なのに
それを奪われるって、どんな気持ちになるんだろう。
友達で、少し前に家族を亡くした子がいて なくなった原因は病気だったけれど
それでも、その友達はまだ少しも消化できない、といっていた。
この世から居なくなってしまったことは現実で それはどうしようもないものだから、といっていたけれど
あまりに悲しすぎて、涙も出ないときもあった、といっていたし 今は普通そうに振舞っている彼女だけれど
彼女と仲良くなっていって、たくさん話をするたびに思うのが いまにも壊れそうな自分を やっとの思いでたおれないように支えてるっていう感じがひしひしと感じられていて。
みているこちらがどうしようもないことに対して苛立ちを覚えるっていうか
どうして、私は彼女に何もしてあげられないんだろう。って そのことにも悲しくなったり苦しくなったり、 ものすごく悔しい気持ちになる。
人が死ぬっていうのは すごく、大きなこと。
誰かと誰かの愛情とかがあって生まれてきて 育ててもらって そいで いつか死んでいく。
だけど、「死ぬ」には、ちゃんとした理由がないといけないと思う。
理由っていうか、 死んだときに本人も(亡くなってしまうから記憶とかはないのかもだけど)、周囲の人間も、その人が死ぬことにたいして 悔しさとか苦しさをできるだけ覚えないように召されるのが一番理想だと私は思っている。
老衰とか。
この世に生を受けた限り (この世っていっても、もうおなかにいるころから) 100年で死のうが1時間で死のうが、わけのわからない理由では死んではいけないし、死なせてもいけない。
誰かに愛されて、誰かに愛を与えてきたわけだから
わけのわからない方法で死んでしまうのは、本当に悔しくて くやしくって、どうしようもないだけに腹立たしくてたまらない。
誰かに自分の家族を殺されたら 私はきっと、その、殺した人を殺してしまうのかもしれないなーとか思ったりする。機会があれば、そのくらいしてもむくわれるんじゃ。とか。
最近教会に行ったりしていて だれかの罪を「許す」という行為は、すごく重要なことなんだ。と思うようになったけど、人を殺しておいて許されるなんて それはそれで間違っていると思う。
いくら、非人道的なことをやっても 命だけは消しちゃいけない気がする。
というか仮に処刑っていうか、なんらかの極刑だったりあだ討ちだったりが可能だったとしても、そんなもんじゃ悲しみは到底いえない。
むしろ 極刑をかすことによって、その殺人を犯した人が死んでしまったとしても それこそ最大の「ゆるし」なんじゃないだろうか。とか思う。
死ぬことが、一番ラクなような気もする。 だから アメリカとか、クリスチャンの多い国で死刑が絶対反対!!てならないのは 死ぬことで許してやろう。ていうことなのかなぁ?とか。
(いあ、違うのかもしれないけど精神的にそう思いたいのです)。。
あたしだったら 同じだけの苦しみをその人に与えないときっとやりきれないと思う。
でも それをしたところで その悲しみが完全におわるわけではなくて
仮に子供をあやめられたから、という理由で 犯人の子供をあやめたって やっぱり、そこには悲しみと憎しみと悔しさしか残らなくて エンドレスに続いていってしまうと思う。
続けちゃいけないけど、はらさずにはいられない。
極刑より、拷問かなー。。。
拷問しても許せなさそうだけど(苦笑
なにもしないより、まし?みたいなくらいかもだけど。
でも、本当に苦しいんだろうなぁ・・・。
一枚ずつつめをはいで 目をつぶして 耳もつぶして 体中の骨を全部折るくらいして
「いっそ殺してくれ」と思っても殺さないくらいに。 そのくらいしないとだめなのかな。
だけど そういうことするのもちょっとおかしいよね。
やっぱいrそれも悲しみとか苦しみの連鎖にしかならないし・・・。
うーん・・・・・・
考えていてもキリがないんだろうけども
私は誰も傷つけたくないなぁ。。 それから 誰にも傷つけられたくない。
傷つけられたくないのなら 傷つけてはいけないし
傷つけられても、報復はしちゃいけないのかな。とも思う。
ただ 自分の家族とか大事な人が傷つけられたら 怒りに負けてしまいそう。だけど。。。
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