凪の日々



■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■

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2008年03月28日(金)

夫の生家から「来週の一周忌は近所だけでこじんまりすませるから来なくて良い」との連絡があった。

父親の一周忌に長男が来なくて良いって。
それってどうなの?と思ったが、電話を受けた夫は普通に「そうか、分かった。それでどう?そっちは」なんて、普通に流して話していたあたり、なんとも思わなかったもよう。

先週私が電話を受けた時はお義母さんが「平日だから●(夫の名)は来なくていいからあんた達だけ来る?」と言っていて、え、夫の一周忌に我が子は来なくて良くて、嫁と孫だけ来ていいって、それってどういう感じなんだろう?と戸惑ったが、夫が仕事でいけないからこそ、嫁が行くべきなのかも、と考えなおしていたのに。

ちなみにうちの実家は父親の二十何年忌だかなんだかの法要をした時、姉が遠方に嫁いでいる上、資格試験の日とかで来れず、欠席したら、叔母から「父親の法事に来ないなんて」と文句を言われたけど。

夫も親戚から「父親の一周忌に長男が来ないなんて」と言われるかもしれないけど、まぁ、夫も夫の生家もそれも良しと思っているのなら、他人の私が口出す事じゃないよなぁ。


嫁いだとはいえ、他所の家なので、血のつながりの温度差が分からない。


っていうか、父親の一周忌に行けない事をなんとも思わない夫が不思議。


2008年03月11日(火)

軽く欝気味なのは多分ホルモンバランスのせいだろうと己に言い聞かせつつもマイナス思考が止まらない今日この頃。

なんというか、自分が誰かの役に立つ、という事は、物凄く嬉しい事だと思うのだけれど、自分が誰かに都合よく利用されている、というのは物凄く腹立たしい事で。
でもこのふたつのどこが違うのか、というと、結局己の考え方の違いに過ぎないわけで。

それと、相手に、その行為に対する感謝の気持ちがあるかどうか、が大きいとは思うけれど、感謝される事を望んでやる行為ってのは所詮偽善というか、なんというか。

でもサービス業とかのCM?とか求人とか見てると「有難うの言葉が嬉しくて」とか良く見かけるし、感謝されたいと思う事は当然と思って良いのか、金を貰う以上はそんな事期待しないで淡々とこなしていくべきなのかとか。

でもそれも仕事なら「金のため」と割り切り我慢も出来るけど、まったく無償のボランティアに対して「当然」と思われるのは、単に自分が便利に使われているだけ、といった感で納得がいかないというか。

そう考えてしまう自分が心が狭すぎるんだな、と凹むばかりで。
考えが卑しすぎというか、人間が小さすぎというか。


なんかもう涙がぽろぽこぼれてきてあぁもうやばいなぁって感じ。





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