凪の日々



■引きこもり専業主婦の子育て愚痴日記■

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2007年08月27日(月) 夏休みの宿題

夏休みも残りわずか。
小学生は宿題のラストスパート。

この風物詩「夏休み最終日、親子で宿題に取り組む姿が各地の図書館で見られ」等のニュースが子供の頃から不思議でならなかった。
何故、やらなきゃいけない宿題を、最後までしないでとっておくのだろう?
それを、何故親が手伝ってくれるんだろう?

大概夏休みの宿題は登校日にはもう終わっている状態にし、残りは好きに過ごす主義だった。
そうでないと、安心して遊べない小心者だったから。
もちろん、親が手を貸してくれるはずもなく。
だって子供の宿題だから、親は無関係なわけだし。
おそらくうちの親はそういう考えだったんだろう。

ところが蓋を開けてみると、我が子は全然宿題をやらない子だった。

この時期、すべて終わっているであろうと宿題を見ると、真っ白に等しい内容。
えええええ?!なんで?!
だって毎日宿題タイム作ってたじゃない。
今日の分の宿題が終わってからでないと遊べない事にしてたじゃない。
毎日「今日の分終わった?」と聞くと「終わった」って遊んでたじゃない。
子供の自己申告を信じた私が馬鹿だったって事?
子供の言葉は疑ってかからなきゃいけなかったって事?
毎日、その日の宿題の進み具合をマメにチェックしていかなかった私の落ち度?
ってか、親って子供の宿題にそこまでかかわらなきゃいけないの?
私、親から「ノート見せてごらん。答え合わせしてあげるから」なんて、言われた記憶まったくないけれど。
時代が違うって事?うちの親が放任すぎというか、無関心すぎだったって事?でも私はちゃんと自分でやってたよ?
だって40日間の間にやっておかないと、それが30日間のうちに、になり、20日間のうちになり、になり、とどんどん辛くなるわけじゃない?
なんでそれが平気なの?

算数ドリル、「最低二回は、やるようにって」って。
最低ライン目指してどうする。
最低二回なら、三回はやらなきゃ恥ずかしくない?

我が子ながら、理解不能。
どう教えればいいんだろう。
とりあえず、ドリルの二回目を終わらせないと。
それと自由研究。すぐ終わるのを考えないと。

って、なんで親が。いや、親だからか。
なんで自分の事が自分で出来ないんだろう。
いや、三年生だからまだこんなものなのか。
でも自分の子供の頃は。いや、案外記憶違いなのかもしれないし。

空欄だらけのテキスト。白いノートを前に、あれこれぐるぐる考える夏休み最終週。


夏休みの宿題なんか関係ない年齢に早くなりたい。


2007年08月26日(日)

日曜の午前中。
電話の音にディスプレイを見ると登録していない携帯番号。
出ようとする子供を制して受話器を取ると、夫の田舎の友人だった。
高校時代の同級生。つまり、私にとって先輩だ。
「お久しぶりです」と話すも、夫はたまの休みだから好きにさせろといわんばかりに一人さっさと釣りに出かけたまま帰ってこず。
不在の旨をつげ「帰宅したらかけなおさせましょうか?」と言うと「いや、今から寝なきゃいけないからかけられても困るんだ。じゃぁ暁ちゃんと話そうかな」と軽く言う。
明らかに酔った口調。

聞くと、「離婚したんだ」との事。
小さいお店を二店舗経営していたが、傾き、手放し、妻は当時三才の下の子を連れて出て行ったそうだ。
「それで、上の子は俺が育てたんだよ。一年間だけだったけど。俺、ご飯や弁当も作ってさ。そりゃ大変だったけど、幸せな一年だった。」
けれど、子供はやはり、姉妹と一緒にいたい、と言い出し、結局奥さんの所へ引き取られたそうだ。

「かなり酔ってます?」と聞くと「酔わなきゃ寝られないもん。借金一千万あるんだよ。地道に働いて返せると思う?借金返す為にもまた店始めたいわけよ。今度はスーパーしたいな。本当は居酒屋やりたいけど銀行がいくら貸してくれるかわからないからさ」
聞くと、鬱状態か鬱かで通院して薬も貰っているとの事。
「でもさ、俺思うけど、暁ちゃんも鬱でしょ?俺、分かるもん」
え。そう見えるのかな。否定できないけれど。
「いえ、私は診察受けた事ないから分からないけれど、夫は通院してましたよ。」と言うと、「え?あいつが?」と驚きの声。
「でも暁ちゃんも鬱でしょ?」と譲らない。
はたしてこの人は酒に酔っているのか、薬でラリっているのか。
「俺、絵描きになりたいんだ。そのためにてっとりばやい方法は、有名人になる事なんだよ。有名になれば、絵は売れるんだよ」
「それは反対に遠回りなんじゃ」と言うと「それじゃおれ、有名になってみせようか?俺、顔は結構いいし、芸能界とかいけると思うんだ。有名になってみせようか?」
「俺、今細木数子さん凄く信じてるんだ。暁ちゃんも占い信じるよね?あの人の占いすっごくあたっててさ、それでいくと、俺、これから上り調子なんだ」

ご機嫌でしゃべりまくり「いやー暁ちゃんとこんなにしゃべれるなんて思ってもいなかった」としきりに言う。
「なんていうか、近寄りがたかったよね。壁があったというか」
だって嫌いだったもの。
この先輩に私の大事な知り合い二人が泣かされたので。
大事な友人を踏みにじった男という認識でとらえていたし。
でもそれも十代の頃の話。
流石にこの歳になれば、あの頃の身を切るような辛さや、腹の奥から声を出して泣いた夜なんか、今となってはほろ苦く甘酸っぱい思い出だ。
一生懸命頑張ってたよなぁって感じ。
今と背負うものの重さが違いすぎる。
辛さの質が、違いすぎる。
嫌いな人と、嫌いだった人、とじゃ、やっぱり違うしね。

「じゃぁそろそろ寝るワ。仕事行けなくなると大変だし」と電話を終えた。
スーパーの夜間クルーでコツコツ借金を返す為に働いているそうだ。
この前は急に上の子が遊びに来てくれて驚いたけど嬉しかった、もう五年生なんだよ。大きくなってて驚いた。
そうですか。良かったですね。嬉しいですね。親子ですものね。

電話の後ろで騒ぐうちの子供達の声は相手にも聞こえていただろう。
それが、離れて暮らす我が子を思い起こさせたのは必至だろうと思う。
相手の慰めになっていたらいいけれど。
反対にやりきれない思いに包まれ眠る事になったのなら、申し訳なかったなぁと思う。


重い荷物を背負って人生を歩いている一人の人間に、どうか、頑張って歩いていってください、と遠くから手を振る感じ。

人生色々だなぁ…本当に。





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