道院長の書きたい放題

2003年11月19日(水) ◆PRIDE観戦/ミルコ定石破れる!

■一昨日、録画しておいた総合格闘技『PRIDE(11/9開催)』の試合を見ました。今回、特にミルコvsノゲイラ戦を主に感想を述べます。実は、あまりに激しい試合ばかりで、他の試合はスロー再生をする気が無くなってしまったんです…。

私はミルコ有利とみていましたので、先に試合結果を聞いて意外に思いました。それで、早く試合内容を自分の目で確かめたいと、放送を待ち望んでいました。

書きたい放題で述べているように、ミルコ選手は対タックル戦法=ミルコ定石を完成し、自身のフィールド=立ち打撃でしか戦わないという戦略を確立しました。付け入る隙を見出せず、事実1Rの攻防は「ミルコ強し!」と誰もが思ったでしょう。なぜこれが破綻したのか。鉾と盾の激突を振り返ります。

■今回のノゲイラ選手は相手を強敵と認め、相当研究して来たようです。そして、ミルコ選手と同様の戦略を立てました。すなわち、攻防技の分担を明確にしたのです。

彼は打撃も強いですが、この試合ではほとんど使わず、もっぱら打撃の防御に徹し、勝敗の帰趨を得意、というより必殺のタックル攻撃に託しました。ただしその際、右逆突きとそれのフェイントを加えました。

我々でいう逆天一の攻撃で、順突きをタックルに変えたと言えば分かるでしょう。もしかしたら、ミルコ定石に対する新工夫だったのかもしれません…。

一度だけ、狙った突きがミルコ選手の顔をかすめ、多分やっている選手は分かるのでしょうが、(突きが予想外に強い!)とドキッとしたはずです。これが2Rタックル成功の布石となります。

■さて1R。開始早々、右構えミルコ選手の左ハイキックを警戒しつつ、時計回りをする左構えノゲイラ選手が口火を切ります。タックルし、自身下になるのを構わずに引きずり込みます。しかしこれは、打撃側の研究範囲だったと思われます。

とにかく背中や尻さえつかなければ防ぎ切れる。あるいは反撃できるという強い自信をミルコ選手は持っているようで、上になった体勢から握拳打ちの輪突き的な打ち方で顔面を叩き、そして逃れました。

ストレート系では逆技を捕られるので、警戒した為と思われます。両者、秘術を尽くした攻防です。にしても…普通は下になったら絶対不利が格闘技の常識なんですが…。

仕切り直して立ち技になると、今度はミルコ選手の鉾=突き蹴りがノゲイラ選手の盾=受けを容赦なく貫通します。防ぎ切れません。対して、その後のタックル攻撃はことごとくはね返されます。

結果論ですが、寝技系選手を何度も立たせながら決められなかったのが敗因でした。いや、ノゲイラ選手の打たれ強さを称賛するべきですか…。

■2R。しかしこのままではジリ貧と、ノゲイラ選手、渾身のフェイントからのタックル攻撃に出ます。相手の突きが強いので警戒し過ぎたか、ミルコ選手いつもの防ぎと微妙にタイミングが合いません。

スローで見ますと、この時の右防ぎ手が、差し込んで来た相手の左肩と頭で押し付けられ、一瞬死んでいます。偶然であれば、勝利の女神が片方にのみ気まぐれに微笑んだ瞬間でした

もし計算ずく/タックルの微妙な位置による防ぎ手の形状を予測してやっていたとすれば、底知れぬ実力の持ち主です。ミルコ定石が敗れた所以でした。

打撃系選手が寝技系選手にマウントポジションを取られたらどうしようもありません。勝負有り。後は、ノゲイラ選手の鮮やかな収拾を見るばかりでした。

■他に気が付いた点を箇条書きします。

*ノゲイラ選手が行った時計回りが、開き構えの打撃技に対する定石です。これは書きたい放題で述べている、「正面攻撃と裏攻撃の理」「開き対の理」から来ています。ただし、攻撃=タックルをする場合はこれを一瞬止めなければならず、そこを打撃されました。今後の課題と言えます。

*ミルコ選手は左攻撃のみ/逆突き、中段蹴り、回し蹴り、上段回し蹴りを行いました。決して右の攻撃を行いませんでした。これは大変参考になります。組む意思を見せる相手と開き構えに対峙した場合、前手はそれの防御として残しておくのです。乃至、安易に脇を開けると組まれるのを警戒するのです。

*しかしミルコ定石が破られたとなると、右攻撃を工夫してくるでしょう。乃至、逆突きからの新タックル=ノゲイラ定石への対策を講じてくるでしょう。

*右の防御手は外側から回す方法もミルコ定石にはあるようです。1R、タックルを受けた時、外側から天秤様に相手の腕を殺して防ぎました。

■いずれにせよ、手に汗握る名勝負だったと思います。引き上げる際、ミルコ・コールが起きていましたが、私も捲土重来を期待しています。

――「将棋の定石とは、神々に選ばれし天才達の勝ちの記録であり、負けの記録である」。某番組の最終に流れたナレーションです。両雄の健闘を称えます。



【注意】本「書きたい放題」は気持ちの問題もあり、即日にアップします。ですので、当日中、あるいは翌日にかけ、表現の過不足を改める場合があります。印刷して読む場合は数日後にお願いします。

表現が異なったまま残るのは、私にしてみれば不本意であります。いずれ、リニューアル?=改訂して行きたいと考えています。★印なんか付けますか…。



2003年11月18日(火) ■双龍出海(12)/居捕り・考

■開祖が初めて拳法なる技法に接した場面。カッパブックスを読むと、小柄な陳老師に掛けられた逆技であり、固めであり、蹴飛ばされてノビたと述べられた通り、剛柔共々の荒っぽい出会いであった事が分かる。

興味深いことは、最初の逆技が“居捕り”だったことである。もっとも日本文化たる正座ではなく、椅子文化であった中国風の居捕りである。いずれにせよ、中国拳法でも居捕り技?が存在していたことが類推される。

さらに同書で、中国大陸から引き揚げの際、居捕りによる開祖の格闘場面も述べられている。

これは、開祖がすでに学んだ中国文化たる拳法を、相当速い段階で日本風にアレンジ=消化できていた証明である。

■一体に開祖が習われた中国拳法は、立ち技系の剛柔技が主であったと考えられる。しかし帰国後、護身というリアリズム、日本という風土に適合する護身術とするならば、(現在より遥かに身近であった生活習慣である)正座からの技法は無視できなかったのであろう。

面白いことに、椅子での居捕りが原点のはずなのに、逆に日本少林寺拳法では未発達になった。それにしても正座の居捕りでは、立ち技系で使える足捌きが使えない。伏虎系は確かに座位だが、正座である技法と根本的に異なる発想であると思う。そのことを日本風と述べた。

少林寺拳法の居捕りは伏虎構えとなるのが基本である。すなわち片足を立てて構える。剛法への配慮もあるのであろう。ちなみに、カッパブックスにある居捕りの格闘では、モデルをされている中野先生は伏虎構えを取られている。ただし、先生は居捕りからの技を膝立ちしないで行う場合がある…。

■少林寺拳法でもっとも非中国的?な技法は上げ抜きである。乃至、居座対居座の技法である(中野先生は膝抜き二種を指導して下さったことがある)。果たして足捌きを伴わない正座からの崩しと、中国拳法の崩しは本質的に同質であろうか…。

いやこれは、単に居捕りに止まらず「丹田=日本武道」を主とする技法と、「気=中国武道」を主とする技法の違いとなるのである。尚、“上げ抜き”も“伏虎構え”も昭和二十七年度版の初期教範に見られる。

私は少林寺拳法には二つの系統というか、本質的に異なるであろう技法が存在していると考えるのである。しかし別の表現をすれば、日中武術の融合が開祖によってなされたと言えるであろう。

さらなる研究が必要である。



【注意】本「書きたい放題」は気持ちの問題もあり、即日にアップします。ですので、当日中、あるいは翌日にかけ、表現の過不足を改める場合があります。印刷して読む場合は数日後にお願いします。

表現が異なったまま残るのは、私にしてみれば不本意であります。いずれ、リニューアル?=改訂して行きたいと考えています。★印なんか付けます。



2003年11月08日(土) ■双龍出海(11)/順応型と非順応型・考

■「十字小手」と「略十字小手」は、手の触れた時の状態=上げ下げで技に名称が付いている。同じ発想で片手として考えるなら、「切り小手」と「巻き込み小手」も同じである。

ただしこちらは、手の上下で違うジャンル/切り小手系と逆小手系に分かれてしまう。寄り抜きも、内外の捻りによって、送り小手系と押し小手系になる。

■こんなことがあった。映画『少林寺』の撮影で中国に一月ほど滞在した際、彼の地で様々な貴重な体験をした内のひとつである――。

ある日、何が発端であったか、逆技のことでチョット論争になったのだ。野外ロケの最中、私たちも僧侶姿に扮し、出演者や老師方も混じって侃侃諤諤/カンカンガクガクをした。内容は逆小手の握り方というか、掛け方であった。

中国の(当代一流の)武術家達が、それ=逆小手(の握り方?)がおかしいというのだ。当然、私達は手の内側の握りを主張し、彼等も切り小手系である外側の握りを譲らず、言葉の問題もあり、結局うやむやになって終わった。

■…思い出した! 修行シーンの中に逆技を入れようという監督の発案に、では逆小手などはどうだろう、と示したのが発端であった。

彼等の握り方に当方は切り小手の存在を示すと、リー・リンチェン/現在のジェット・リー氏は合気道のような手を上に被せる?捕り方を見せてくれた。さしずめ、略切り小手であろうか…。

今、こうして双龍出海シリーズ?を書きたい放題していて、この問題は大変興味深い。つまり、中国人武術家達は、力に逆らわない、乃至自然体からの捕り方を主張したのである。『纏糸勁』(てんしけい)ということが影響していたのかもしれない。纏わり付くような捕り方=逆小手?であった…。

■対して、我々日本少林寺拳法は『鈎手の理』を使って攻撃方向を無力化した。その限り、反撃逆技が相手の力に逆らっても問題は無い。しかし実際は、我が方には両用の技が存在/混在?しているのだ。

問題点を述べる。

*鈎手には順応型と非順応型がある。

*それは、抜き、逆技の順応型と非順応型ということになる。

*この点、寄り抜きからの一連の変化構成は極めて順応型の体系である。

*切り小手系の片手の握りに対し順応型の鈎手で対応すれば、逆小手系で捕れると考える。そうでなければ巻き込み小手は成立しない。

*しかし、巻き込み小手には母技たる(順応型の)抜き技がない。教範には両手=諸手の技として載っているが、片手三角抜き?ではニュアンスが異なるであろう。

*巻き小手の握りで、例えば彼我が右中段に構えたとして、右手で相手の手を持って時計回りと反対方向に押し下げたとする。この抜き技と逆技がない。他の例もあるが、これ一例を上げておく。

*中野先生は諸手の「片手投げ切り返し」の際、切り返さない。できないと言われる。したがって、四指を掛けて引き倒すように順応して倒す。以前、山崎先生から諸手押し小手があったと聞いたことがある。これなら順応する。

以上、技術史的にも興味がある。また組織的な検討が必要であろう。



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2003年11月05日(水) ■双龍出海(10)/握り・考

■龍王拳、龍華拳、羅漢拳などは相手の握り=接触があって成立する技法である。少林寺拳法は、あたかもそれを待ち受けるが如くの戦法?を有している。

「君等、ちょっと来いなんていわれて、ノコノコついていったらいかんぞ。(腕を誘うように向け)嫌だョと断って、相手がつかんできたら、ギャッと言わせるんだ」(要旨)

開祖はこのような制圧の仕方?を教えて下さったことがある。

■日本人はケンカが始まる際、相手の衣服や胸倉を掴むことがママある。かなり特殊な戦闘様式で、明らかに日本民族の徒手格闘様式は「イザ組まん!」の組み打ち系である。

特殊といったのは、握る=威嚇の段階で相手が謝れば鉾を納める気もあるからである。つまり戦闘前にもう一度、相手の出方を問う、実は和戦両様の民族的ケンカ作法?なのだ。まあ、本来拳士は相手に掴ませてはならないのだが、今はその問題は置く。

■だから、以前「本書きたい放題」で触れた、演武の際、握りに来る相手の手を払った刹那、攻撃する形は、少林寺拳法的ではないのである。この点は再度強調しておく。審判の判断に委ねるべき問題ではない…。

払う→しかし握られる→守る。相手の出方を見る→目打ち、抜き、裏拳、中段突き。場合により抜くだけのこともある→逆技、固めによる対処の修得。このような和戦両様、剛柔一体の体系である。

中野先生曰く、「まず守れる、ということが勇気の元なのである」――。

■さて、握ることに関し気が付いたことを箇条書きにしておく。

*我の片手を握ってみると分かるが、自然な状態では拇指と小指は絶対につかない。これは握りに来た相手の手首を攻める場合、拇指と小指間が弱点であることを示している。

*握る状態は掌屈と背屈がある。掌屈と尺屈は相性が良い動作で、手首を殺す(少林寺用語)形である。腕相撲の相手を倒す時の形状である。

*背屈と橈屈は相性が良い動作で、手首を活かす形である。ウェイトリフティング時、立ってバーベルを持ち上げる時の形状である。

*何を言いたいかというと、手首を攻める場合、力をそのどちらかの方向に向かわせることができれば容易となるのである。実際は複合的である。

*手首を握る状態は順手持ちと逆手持ちがある。相手の腕を得物と見立て、例えば寄り抜き、小手抜き等は順手持ちであり、十字抜き、内切抜きは逆手/サカ手持ちである。

*何を言いたいかというと、鈎手の際、本体梃子(相手は極めて知覚し辛い)を使用するが、その力の方向=拇指と小指間を攻めること、および我の意識する部位が異なることを示している。

*本体梃子により、握られた手にわずかな自由を得、次、梃子の理、車の理、龍体運動などを用い「活かし、殺し」の逆を捕る。倒す。あるいは抜く。

*その際、拇指と小指間を抜く(例えば送り小手)、あるいは拇指を外す(例えば巻き小手)などになるが、主に拇指、二、三指、あるいは拇指を外した他の四指の力は残しておく。手首=腕を不安定のままにしておく為である。

*鉄棒は握るという視点から面白い。握りながら握らない。手は不思議である。腕逆捕りの際、片方の手はそのように握る。尚、段違い平行棒の飛び移る際は拇指以外の四指を曲げて使用している。素早い動きにはそうなのであろう。突き蹴りに対する掛け手は自然とそうなる…。

*意識した場合、掛け手の形状は強い。フリークライミングは四指を主に使用して登る。

*自然な握る力に対し不自然な技は、腕十字と逆小手を関連付けていること。ハンマー投げ様の捻る力に切り小手も同様。つまり技を掛けようとする方向に逆向きの握る力であり、初心者には難しいと思われる。

*逆小手は一本背投げに諸手逆小手。巻き込み小手はハンマー投げの捻る力ではなく、腕を後方から捻る力に対するのが自然である。したがって中野先生は、巻き込み小手は体を開き、握る力に順応するように捕られる。この問題はちょっと複雑なので、後日補足したい。

キリがないので、この辺に止める。



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あつみ [MAIL]