2003年09月30日(火) |
■双龍出海(3)/一円二直の法則? |
■“円と直線と曲線”について、特に円について私も思うことを述べたい。
さて、試みに目の高さにウチワを持ってもらいたい。あるいはイメージでもよい。手に持って正面に向けると、当たり前であるが目の前には(便宜上)丸いウチワ=円が見える。しかし、横から見ている人には丸ではなく、一本の線に見えるだろう。
■では横の人にウチワを見せると、今度は自分の前が線になる。上ないし下の人に見せる為に水平にしても、丸と線の関係は同様である。これが球体であればどこから見ても丸なのだが、円ということであれば、水平と垂直は線になるのである。円に見えるのは、正面一方向のみとなる。
つまり円は、一つの円、二つの直線としてしか認識されず、見誤り易い。これが人体の円運動におけるひとつの性質である。
ちょっと簡単なことを考えてもらいたい。他に円の性質を変えるにはどうしたら良いであろうか。
■――答えは体の向きを変えるのである。先ほどの例は、ウチワを横に向けたので相手は円と認識できた。今度は正面を向いていた自分が横を向けば=体を捻れば、同じように相手は線に見えたものがウチワ=円と分かる。お辞儀をすれば、下から線に見えたものが丸と分かるが、ちょっと苦しい体勢である。あくまで例としてもらいたい…。
双龍出海では迎撃に際し、関節運動の性質と共に、体の転換により円=龍の性質を変えることを用いる。
■少林寺拳法でも、内受けや下受けは前方に発する力の方向なので、開身という体捌きを用いて正面の直線運動を側面の円・曲線運動に変える。対構えによる逆突きからの内受け突きが分かり易い。(ほぼ)正面の直線運動のままで用いる受けは、拳受けである。
正面の円・曲線運動である内半月受けには、振り身が整合性がある。もちろん、どちらの体捌きでも内受けや内半月受けはできるが…要は、意識の用い方に拠るのである。そして用法に合わせ、無意識に最善の方法を選択するような練磨が必要である。
■人体には両腕があるので、円と直線と曲線はさらに複雑になる。簡単な例から上げれば、水泳のクロールと背泳は同質で交互の円運動である。平泳ぎとバタフライは同質で同時円運動である。
内受け突きを再び例に取ると、受けを(仮に)正面の直線運動とすれば、同質、交互、異形の円運動である。上受け突きが分かり易いであろう。
仁王受けは、異質、(ほぼ)同時、異形の円運動である。キリがないので以上の例に止める…。
■双龍出海の双円運動は、十字受け形、仁王・半月受け形、同時受け形、他数種に拠って成り立つことを申し述べておく。
2003年09月29日(月) |
■双龍出海(2)/動機と追憶 |
■「双龍出海」という言葉を公?の場で発言したのは、九月十四~十五日、高萩で行われた四道院(今回は三道院)合同有段者合宿である。
それぞれの道院長(鈴木、作山、渥美)が各自の研究テーマを発表するということで講義した。かなり前から両腕による捕り=剛柔一体技法を考えていて、こつこつと研究して来たものである。
発端となったのは、ある時(十年以上前)、少林寺拳法には両拳に構えたもの、例えば左右の中段構えに類する構えが意外に少ない、という事実に気が付いたからである。
■昭和四十年度版教範では、白蓮八陣、義和九陣を合わせても計四陣しかない。特に白蓮八陣には一陣(開足中段構え)しかない。それに対して両開手による構えは五陣(合掌構え、八相構え、待気構え、逆待気構え、合気構え)がある。つまり、ほとんどが両開手の構えなのである。
そして、教範「第八編、単演基本法形/第三章、白蓮拳」の中で開祖は、「白蓮拳というのは、本来白蓮門系の剛柔一体の徒手格闘法」と述べられている。
これは何を意味するのであろう…。先生ご自身が述べられているように、再編の過程で、あるいは失われたものがあるのではあるまいか…。
■ちょっと自分のことを述べさせてもらう。最近、小学一年生の時の絵日記が出て来た。その中に、居合抜き?を見学したことを書いて/描いているのが大変興味深い。
「きのうぼくとおかあさんと、Oさんのおばちゃんといあいぬきをみにいきました。とてもおもしろか(っ)た。」(1957年/昭和三十二年八月一日)という文章と共に、会場の風景と二人の剣士の対戦?を描いている。
一人は正眼の構えを取り、もう一人は二刀流を十字に上段で合わせた構えで対峙している。両者は袴と鉢巻をして、二刀流の剣士は正面を向いて目を見開いている。どうも六歳児であった私に、二刀流は強烈な印象を与えたようである。
■後年、高校生になって(小学生三~四年まで柔道を習ったので)、再度武道を習おうと候補になったのは、まず居合抜き、次に空手か少林寺拳法であった。当時は何故、居合抜きを習いたいのか分からなかったが、この時の体験が無意識下にあったのだろう。
作山先生が『月刊武道』において、「可能性の種子達/魂魄を育てる」を連載執筆中である。少年期の強烈な思い出が人生に永く作用するのは…事実である。
今、様々な法縁を得て「双龍出海」は発言された。
■『私にとって「真の活人拳の完成を目指す」とは、自分なりに活人拳を紐解いて行くことを意味する。それは取りも直さず、自己の変革を同志と共に目指す道に他ならない。付け加えるならば、道は楽しい方が良い。』
上の言葉は本HP、「私の主張/プロローグ」で述べている。両掌使用による技法は相手を傷つけることがない。不殺活人拳の理想形となり得る。さらなる研究を進める覚悟である。
2003年09月27日(土) |
■双龍出海(1)/序章 |
■凶器やら銃器やらの問題は、護身に関するリアリズムである。少林寺拳法では、身に降り掛かるリアリズムをどう捉えるかという問題は非常に興味深いのだが、身体接触の件も残し、話がいきなり「双龍出海」に飛ぶ。(書きたい放題ということで)お許し願いたい…。
この言葉は教範「第七編、剛法基本技/第一章、剛法基本技に就いて」「第十一編、龍華拳/第一章、龍華拳」に出てくる。もっとも、昭和二十七年度版、昭和三十年度版には載っていない。
私は随分古くからこの言葉を知っていた。山門の先輩であったS先生(注:作山先生ではない)が、帯に刺繍していた為と記憶する。
近年になって、「こんな意味か…」と考え及ぶに至った。それは不殺活人拳を完成させる重要な要素となる。
■開祖は、中国拳法が伝統的に秘密主義を取っていたため、拳の名称には時として奇想天外の名前が付けられており、修得するのに大変苦労されたと述べられている。しかし反面、非常に技をイメージし易い言葉としても伝えられていたようである。
さて、“双”は両腕の意であり、“龍”は肩甲、腕、肘、手首、掌、指の様々な関節運動からなる“纏わり動作”のことを意味する。もちろん、身体の全体的な協調動作が大前提であるのは言うまでもない。しかし今は、主に腕部を中心に述べる。
■教範では、「龍系諸技(龍とか蛇の名をつけた、手組みの順や逆を用いる投げ技)の母技と称されて、北少林拳技の基本として必修科目とされていた」と、龍王拳=龍のことを記されている。
“出海”は迎撃出動である。したがって双龍出海とは、相手の拳足攻撃を龍となった両腕で迎撃し、制圧する剛柔一体の技法と解釈する。あたかも、大海で悠然と泳ぎまわる龍の如くの両腕運動である。
太極拳の『纏糸勁』(てんしけい)という概念に近いと思われるが、元々中国拳法のDNAを受け継ぐ少林寺拳法であるから、この力=勁があって当然であろう。ただし纏糸勁については詳しく知らない。私なりに少林寺拳法を追及した結果、双龍出海という想像/創造的概念に行き当たったのである。いずれ“気”の問題が関わるであろうが、今は触れない…。
■腕が龍となる様々な関節運動の一つには、腕の内旋、外旋運動が大きく関わる。本「書きたい放題/縦拳と横拳の話!(2001年11月30日金)」の中で、以下のように書いたことを思い出してもらいたい。
「身体を自然な状態にして、すなわち、腕は真っ直ぐに垂れています。この状態から手を内旋/送り小手の方向に捻りますと、腕は身体の中心に寄って来ます。今度は、腕を90°に曲げてから同じ動作を試みると、肘が上がり出します。次に、手を伸ばして外旋/小手投げの方向に捻ると、腕は身体の中心から離れます。腕を90°に曲げれば、肘は絞られる様に中心に寄ってきます。この身体の法則を理解して下さい。」
上で述べたのは関節運動の性質とも言うべきものだが、さらに様々な運動の性質が分かって来た。いや、関節運動の性質を理解すると、技=身体操作が滑らかになるのである。
■修得形の1:詳しい説明は省く。
①我左、彼右の開き構えで向かい合い、相手の右順突きを迎撃する。
②我は右手を腰に当て(自然体、待気構えでも可)、左順手=片手で内半月受けをする。その手に内旋運動を効かす。
③相手が斜め下方に崩れると同時に相手の突き手に沿って外旋運動で首下に向かい、相手を倒す。関節運動の性質上倒れる。
◇言うまでもなく、白蓮拳千鳥返、内旋→外旋の関節運動が相関する。
◇龍王拳十字抜き、内旋→外旋の関節運動が相関する。
◇龍王拳小手抜きの抜きと裏拳打ち、内旋→外旋の関節運動が相関する。尚、腕十字の目打ちと十字に取る動作は反対動作、外旋→内旋である。
◇小手抜きの原命は「青蛇出洞」である。有段者の龍王拳は見習拳士の如く手、肘を張った棒状の抜き手ではなく、“龍”や“蛇”を伴っていることは明々白々である。
等々。以下、双龍出海の修得形=基本形はこの“開き、順、片手、内方”だけでも、(現時点で)計六種×左右となる。
■修得形の2:詳しい説明は省く。
①我左、彼右の開き構えで向かい合い、相手の右順突きを迎撃する。
②我は右手を腰に当て(自然体、待気構えでも可)、左順手=片手で内半月受けをする。その手に内旋運動を効かす。
③相手が斜め下方に崩れると同時に相手の突き手に沿って外旋運動で腕の下に回す。
④相手の肩=脇に我の手が絡まったら右足を捌くと、我の前に倒れる。
◇片手の龍を基本として順逆、内外、開き対を修得し、双龍出海=両腕の技法となる。
◇単独形が大変美しい。中高年用の相対形にも適している。もちろん、円と直線と曲線という武術の三要素を含んでいるので、少林寺拳法本来の技法と整合性がある。というか…少林寺拳法なのである。
2003年09月09日(火) |
■技法と指導法を考える(5)/鉄砲!鉄砲! |
■ちょっと書き渋ってしまう…。二十代後半の頃、海外某国にN先生(注:中野先生ではない)と出掛け、帰国する際の出来事である。
出発前、人々が行き交う空港ロビーでくつろいでいると、突然N先生が「あっ!? 鉄砲!鉄砲!」とスットンキョな声を上げた。「何言ってんの…?」。怪訝な顔をして見返すと、前方を見据えた目が点になっていた。つられてそちらを見ると、なんと10m程先に男が腰ダメで黒い棒=銃を構えていたのだ。
私がその男の姿を認めたと同時に「キャー!」という大きな悲鳴が上がり、周囲の誰もがあわてて床に伏せた。無理もない、当時、テルアビブ空港でオカモト何某の銃乱射事件の起こった程ない後だったからで、かなりの人が同じ事件を連想したであろう…。
■私たちも同様にカウンターの陰に伏せた。見送りに来ていた知人の女性は無理矢理、身を伏せさせられたので、事態が飲み込めずに青ざめていた。
面白いもので、沢山の人がいた筈なのに、自分だけに弾が飛んで来るように思えた。で、ほんのちょっとはみ出していた私と彼女の足でさえ、必死に手で手繰って引っ込めたのだ。
「外に逃げよう!」
「動くと撃たれるョ!」
■どちらの判断が適切であったか…。とにかくN先生が外に向かって走ったので、私たちも後に続いた。頭を低くして右手で女性の手を引き、這うような姿勢であった。
無我夢中であったとはいえ、胸ポケットに入れてあったコインがバラバラと音を立てながらこぼれ、パスポートは落ち、それをN先生が素早く拾ってくれた。…散々の体たらくであった。
余談であるが、反対の出入り口に非難するまで、数発の銃声が聞こえた。そして一人の警官が顔にケチャップが掛かったような状態で、数人の同僚に仰向けに担がれて出て行った。多分死んだに違いない…。
■鈴木義孝先生の十八番/おはこ?の法話である。「…ある時、先生に、(神技を期待して)銃を突きつけられたらどうしたら良いんでしょう? と尋ねましたら、『黙って手を上げたら良いではないか』と答えられました。どうも釈然としないので、では撃たれたらどうしますか?と食い下がりますと、『その時は、どうしようもないじゃないか』と答えられたので、なにか吹っ切れました」(要旨)。
(実際は関西便でもっと面白い。確か…「お前、アホか!」が入って、「その時は、どうしようもないやないか」だったと思う…)。
■開祖が満州で活動されていた頃、奥地に出向く時は身に寸鉄も帯びなかったそうである。護身用に銃を携帯した者はみんな殺されたという。
「夜中寝ていると、どこからともなく手が出て来て身体を触られるのだ。銃を持っているか(日本軍の手先か)と確かめていたのだろう。わしは、どうせ死ぬ時は死ぬんだと思っていたから、何処に行くにもいつも無手で、かえって無事だった。これも、拳法をやっていたからだと思う」(要旨)。こんなお話を聞いた記憶がある…。
イザとなったら何とかなる。肉体に根ざした自惚れでない自信を得る為に少林寺拳法を修行する。これは同時に、「本当の強さとはなんであろう」という自身への問いかけとなる。
■まあ、戦場などとは比べものにならない小さな体験であった。しかし銃に逃げ惑った(情けない)経験は、道院長になって間もなかった私、というより、拳法人生を歩む矢先であった私にとって、得がたい教訓となった…。
2003年09月03日(水) |
■技法と指導法を考える(4)/凶器接触考 |
■護身術としての少林寺拳法は接触させないという点で、タックル戦法を防ぐミルコ選手と戦略は一致した。しかし戦術はと言うと、大きく異なる。ひとつには、凶器接触も視野に入れなければならないからである。
断っておくが、相手が凶器を出した場合はまず逃げることを考えるべきである。次に説諭する。警察逮捕術教範にも「まず説諭せよ」と書いてある。それもだめなら、手近な武器の代用を探す。武器があれば最善。素手は最終手段である。
だから、開祖に向かって来たヤクザは狡猾である。最初からナイフを見せれば、開祖は別の対処をされた筈だ…。
■少林寺拳法では対凶器の法形はあるにはあるが、極めて少ない。これは少林寺拳法の護身は対徒手が原則で、凶器は万が一、相手が隠し持っていた攻撃をのみ想定しているからである。
したがって体捌き、足捌き、手捌きを大切にしている。そして遠間を取り、用心する構えを取るのである。
凶器を隠し持つことは実際のケンカでは良くあることで、中学時代、私の仲の良かった友人はとても背が高い人だったが、ある時、以前から折り合いが悪かった小柄な相手とケンカになり、隠し持っていた文鎮で頭を叩かれた。
後で聞くと、振りかぶって殴って来たので受けたのだが、頭がガーンとして目から星が出た?と言っていた。廊下で行われたこのケンカを真近で見ていたが、相手が手に文鎮を持っていたとは気付かなかった…。
■面白いと思ったことがある。学生連盟の委員長時代、開祖が上京してこられると、滞在先のホテルの部屋に良くお伺いすることが出来た(当時、東京で私設秘書?をされていた新屋雄二先生/現・東京都連盟理事長の取り計らいが大きかった)。その頃の話である。
ある時、特殊警棒の使い方に話が及び、「儂ならこうやって構える」と、教えて下さった構えは次の二法であった。
一法は、短いままで右手に隠し持たれた。もう一法は、伸ばした警棒を逆手に相手から見えないように持たれ、どちらも自然体で構えられた。開祖はヤクザとの格闘から、凶器・武器を隠し持つ有効性を学ばれていたのだ。
■――『開祖は特殊警棒を携えながら「…儂がこれを使うならこんなところ(頭部)は叩かんよ。ここを叩くんだ」と肘を叩かれ、「頭をこんなもので叩いたら大変なことになる…」と、その使い方をご教授して下さったことがある。』――
「私の主張/演武の手引き・Ⅰ分類編」で述べているのはこの時のことである。他にも色々教えて下さり、最後に「直伝だ!」と殺し文句?を添えて特殊警棒を返して下さった。
(注:当時、少林寺拳法は一部の団体とあまり良い状態ではなかったので、私としては、一応先生をガード?しているつもりで特殊警棒を携帯していたのだ)…。
■とにもかくにも、少林寺拳法の対凶器の法形、「短刀振り上げ流水蹴り」「短刀突き込み打ち落とし蹴り」は本来相手が短刀を構えるものではなく、隠し持った凶器の攻撃を受けるよう指導するのである。
「ピカッと光ったら逃げろ!」入門した道場の先輩達はそう言っていたが、正しいと思う。中途半端に対凶器の型を学んだがゆえに命を落としたら、身も蓋も無い。
力道山刺殺事件は昭和三十八年の十二月に起こっている。カッパ・ブックスは同年に刊行されているので、この事件の感想は昭和四十年の教範に持ち越された。「<教範第二章、武の意義と武道の本質>三、武道とそのあり方について」を味読されたい。
■「…武道等は修行したこともない、街のチンピラやくざに呆気なく、(力道山が)短刀で刺殺されてしまった事実」は、一般の徒手格闘武道家より数倍深刻に受け止められたのは想像に難くない。ご自身同様な、紙一重の怖い体験をされていたからである。
であるので、この事件がダメ押しとなって、先生をもってしても対凶器は難しいと判断されたのであろう…。
人造りを目的とした少林寺拳法の護身は対徒手が原則なのである。ただし、隠し凶器に対する心構えまでも失ってはなるまい。受けの比重が高い所以である。
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