◇日記◇
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この二日、いやになるくらい眠ったが、まだ鼻風邪。しつこい。
色々な締切が迫ってくるくるくるくる。
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『集成』から。
まだ選びかねているのだが。
「一夜」 前夜は底まで冷えた。雨も降ったのかもしれない。 その翌日、作者は、紅葉の最も美しい日に、峠を越えた。 ふり仰ぎつつ、に万感の思いがこもる。 仰ぎ眺めては、綺麗だ、と言い見惚れ、 少し歩んでは足を止めて眺め感嘆の声をあげる。 そうせずにはいられないような紅葉に出会った秋の一日。 満ち足りた一日であったのだろう。 言葉少なに語られているのに、読み手の心に響くのは 誰もが出会ったことのある紅葉の記憶を呼び覚ますからであろう。 それぞれの記憶の、あの峠、あの秋、あの日のあの紅葉がこの一首から蘇る。
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昨夜は、10時に布団に入り、ぐっすり眠って4時に目覚め
水を飲んで、また眠り、10時に布団から這い出た。
明後日は、父を歯医者に連れていかねばならないのだが、
父にうつしたら大変なので、ためらっている。
タクシーで行ってもらおうか。
今年の一月、鼻風邪で「このヒト死ぬんじゃ」と思うほどの
大変な呼吸困難に陥った父である。
来月は、白内障の手術もひかえているし。
問題は、タクシーで行ってね、と言っても果たしてそうしてくれるかどうかだ。
無理矢理自分で運転して行こうとするのではないか。
それなら私が、と思うが、私はしつこい鼻風邪中。
そろそろ介護保険を使って、
いろいろとなんかをどうにかしてもらった方がいいのじゃないだろうか。
◇◆
作者は、町全体を飛行機で上空から見たのかもしれない。
六甲山を北に、東の大阪へと広がるなだらかな扇状地に、神戸はある。 海の青、山の濃い緑にはさまれて、 鈍色のちょっと湾曲した土地を刀と表現した。 日本刀は武器でもあるが、芸術品としての気高さも持ち合わせている。 育ちし日、とあるが、作者は神戸高商を卒業、神戸商業大学に入学し神戸大学を卒業、二十代前半をこの地で過ごしている。
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まだ鼻風邪。なんせくたびれる。
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さて。
からのプール、溜まった落ち葉、という光景は夏の終わりをはっきり示している。
その題材だけによりかかると、もの寂しさに流されがちだが、
風の力、葉の動きをきちんと観察しリズムに乗せているためか、
骨格の太い歌となっている。
わかりやすい言葉でわかりやすい情景を切り取る力は、すごい。
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まだ、鼻風邪。
でもピークは過ぎた模様。少しラク。
今朝のテレビで、根雪の日数が過去二番目だったと言っていた。
11月18日に、初雪が降ると同時に根雪となり
4月12日に積雪が0センチになったそうだ。
根雪が長かったということは、寒かった、ということだろう。
そして、今日もまだ寒い。
去年は、4月末にはたんぽぽが咲いていたのに。
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『落葉』から
寺院の跡地に作者は立っている。
紅葉を見に来たのか、ゆかりの土地なのか。
落ち葉を踏みながら歩き、ふと立ち止まったとき
寂しさが身に迫ってきた。
今ここに、ひとりきりで来ている自分。
ひとりきりの暮らし。
そして間もなく秋が終わる。
だが、誰も落ち葉掃きをしないままの寺院の跡地に、
うず高く積もった落ち葉は時間の嵩だ、と。
自分にも時間は、落ち葉のように降り積もって今日まできた。
そしてこれからも積もっていく。
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風邪をひいた。
忙しかったからか。
早く治さねば。
今日のシゴトは、短歌七首だけとする。
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『花』から
不思議な歌である。作者の視線も気持ちも、どんどん奥へと向かっていく。
紅葉にももちろん目を止めただろう。
しかし、その奥のおそらくはいちいの木へと作者は誘われる。
紅葉の季節にくらい常緑樹に引き寄せられる。
近づいた作者は、その常緑樹に赤い実がなっているのを知る。
それも、ひそめゐる、と隠されていた宝物を発見したように、赤い実を詠う。
この歌が、愛交わす・・
の四首後におかれていることからも、
唯一の人と、その人との家庭を求めてやまない気持ちを詠ったことがわかる。
慟哭の歌をこんなにさらりと麗しく詠う若い日の作者を
抱きしめたいほど愛おしく感じる。
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今日は朝から皮膚科へ行った。
帰って一時間ほど散歩。一時間で約6000歩ほど。
水芭蕉が咲いていて、いよいよ春が来たのを感じる。
水芭蕉の池に通じる階段にはまだ雪がこんもりとあったが、
それでも蕗の薹、水芭蕉、クロッカス、と花は咲き始めている。
あんなに長く寒かった冬も、ようやく終わる。
津軽海峡を渡って、春が来た。
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『アダージオ』から
ことさら寒い朝であったのだろうか。
窓硝子を手でぬぐって外をみると
北風が木からさらった木々の葉が、わさわさと散っていた。
くもりを拭うわが手
わが手には触れえぬままの
「わが手」がこの一首のなかで、上にも下にもかかり
歌に奥行きを与えている。
一方、触れえぬままの、とは
触れたかったのにできなかった、というよりも
自分の手が触れることができるのは、窓硝子に象徴される「家の中」であり、
家の中に生きる自分と「家の外」の木の対比のようにも思われる。
この作者に特徴的な少女のようなまっすぐな眼差しが際立つ一首。
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昨夜は、珍しく夜遊び。
11時半に半ば凍えながら帰宅し、すぐさま眠った。
寒いのと眠いのに、弱いなぁ。当たり前だけども。
だが、湯たんぽを入れて寝たのに全く温まらず、
腕やももが冷えて冷えて。
ちゃんと食べなかったのが原因かもしれない。
食べずに冷たい飲み物ばかり飲んでいたから。
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新しい火曜日のN○Kドラマを観た。
はつこい、が男性二人、女性ひとり、の物語だったのに対し
こちらは女性二人。
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全然レベルが違うけど、私も似た立場にたたされて。
でも現実はドラマとは違う。
何も起きなかった。
だけど、なにかを期待する人もいて。
興味本位でドラマみたいななにかを、求められても困る。
と思ったことを思いだした。
ああめんどくさい(笑)
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いつ湯たんぽを止めたらいいのか、わからない。
布団に入って、湯たんぽが温かくて気持ちいい、と思う間は
まだ湯たんぽ季節なんだろうな。
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毎年、4月ってこんなに寒かったっけ、と思うくらい、今日も冬々しい。
今夜も、雪マーク。
本州の桜の話題がなくなってから、
ちょっと桜のことを忘れていた自分に気が付く。
とりあえず、ここは連休明けに咲くらしい。
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今日も散歩。
まんさくが咲き、きたこぶしの芽がふくらんでいた。
ふきのとうも見つけた。クロッカスは一部で満開。
雪解けの川が勢いを増す時期。
なのに、今夜からまた雪の予報。明日も雪らしい。
まだまだ車のタイヤ交換は無理。
何を着ていたらいいのかもよくわからない。
夕方から出掛ける時なんか、特に。
とりあえず、靴だけは、履きかえたけれど。
でもまだしまえない、今年の冬靴。
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今日は「書き出し」だけ書いた。
ろんぶん、と考えるから気持ちが萎える、ただの・・なんだ、
ただの雑文、と考えて書くことにした。
たった30枚だもの。
序、もつけなくていいのだもの。
でも、要約はつけてください、って今年から。
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同時進行で、こっちも。
『花』より
目に近く、が言えそうで言えない表現と思う。
不意にあきあかねがそばに来た。作者は驚いたのだろうか?
喜び愛おしんでじっとしていたに違いない。
あきあかねは、揺れる柔らかな葉にそっと止まった。
古くから日本人が馴染んできた日常の光景。
こんなに心が震え郷愁を覚え、そして安らぐのはそれ故だろう。
あきあかねの赤と葉の緑、そのそばに身をかがめる作者が思い浮かぶ。
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久しぶりに、実に久しぶりにカメラを持って散歩した。
ぐるっと回って帰宅途中、なんと珍しいことにキタキツネに遭遇。
場所は、○大学の工学部の正面玄関前。
キツネは、まわりのカラスが騒ぐ中を、流線型のやわらかな塊となって
木立の中に消えていった。
あのしなやかさは、野性のもの。
尻尾が太いリボンのように、ひらひらと翻った。
綺麗だった。
キツネはこの池の向こうに消えた。
池には・・まだ氷が。
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今日、クロッカスの小さな小さな蕾をみつけた。
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『腰』
ある秋の日。ちらちらと落葉しはじめた銀杏の樹を見上げる作者。
明るく透きとおった秋の陽ざしが背に暖かい。
銀杏独特の、縦に皺の浮き出た幹に触れてみる。
去年も一昨年も、こんな風に秋を楽しんだことを思い出す。
私もこんな風に年を重ねてみたい。
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積もりはしないが、朝から雪でげんなり。
昼近くにも雪。
風もあって、横なぐりの雪。
夕方にカーテンを閉めようと見たら、まだ雪。
結局、一日中、雪にげんなりし、雪に飽き飽きし
何も手につかなかった。
今年ほど春を待つ気持ちの強い年はない。
春になったら、骨折もなおり歩ける、
春になったら、氷点下から解放される、
春になったら、いろんなことがラクになる、
と期待しているからだろうか。
明日はせめて「書き出し」が書けるといいんだけど。
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『さささ』ぎん
樹木は種類ごとに違う言葉を使っているのだろうか、 ひょっとして方言などもあるのだろうか、とあらぬ方向へ空想が飛躍した。
上の句の「き」の繰り返しが心地よいリズムを作る。
山毛欅林、でいったん心がおさまるが
下の句のさわさわ・・ というさ音の繰り返しが
清冽な秋の風と葉擦れの音を思いおこさせる。
空の高みから降ってくるぶなの言葉を、あの滑らかな幹にもたれて聴く。
作者の過ごした幸せな時間は、誰にでも経験のある幼い日の記憶に通じている。
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『つじ』〜野菊〜
いっぱいにいっぱい、の言葉の繰り返しが心地よい歌。 「い」が心地よいのか?
いっぱい、は数多、の意味と精一杯の意味であろう。
咲いて、ゆれて、すなお。
可愛らしく若々しい表現である。
穏やかなで簡潔で適確な言葉とリズムは、この作者独特のものであろう。
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週末に、あれだけ雨が降ったのに、
まだこの付近の家の屋根の雪が解けきらない。
道路にもあるしね。
庭にも。
あー、クロッカス咲かないかな。
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紅葉の美しさを詠っているのに、
陰鬱で不気味な物の怪の気配がする。
この一連を感覚のスケッチ、と作者は述べているので
ここでは皮膚感覚に神経をとぎすました結果、
天を仰ぎ見た時の「のど」の皮膚の緊張のみを深く捉まえた歌、
と読むのが良いと思いつつも、
どこからか悲鳴が聞こえてきそうで、立ち止まらざるを得ない。
あとは散るだけの紅葉の断末魔の悲鳴か。それは作者の悲鳴なのか。
「ひつそりと」
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明日も雨。風。雪も少しの予報。
もう今日はお仕舞い。
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犬は、もう老犬だった。
確かに、もう10年くらい屋上放犬に迷惑しているのだもの、年もとる。
最盛期には、母犬と子犬あわせて7〜8匹いたのに、いまはわずか2匹。
もらわれていったのもいるのだろうけれども。
1匹がばうばうと、しわがれ声で鳴き
もう1匹は、しょぼしょぼとそのまわりを歩く。
扉を開けてもらっても、もう敷居をジャンプして中に入ることもできない。
飼い主に抱き上げられて中に入れられている。
その姿を見てしまうと、朝4時にしわがれ声でばうばう、ばうばう、と起こされても
我慢するか、と思わないでもない。
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道『風の・・』
○は?で有名らしい。 この風はどこから吹いてくるのか。 かなたの葡萄の産地からか。 どこまでも澄みきった空は秋が始まった証。 その空を葡萄色の風が吹き抜けていく。 初々しい秋に出会った作者である。
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もうこの十年くらい、ずっと言っていて、言い飽きた感もあるのだが
裏の家の犬が、ウルサイ。
飼い主が散歩に連れて行かずに、屋上に放す。
それがわんわんと、吠える。
この冬はさすがにあまりに雪が多かったためか、放さなかった。
屋上放犬がはじまったのは、昨日から。
時刻は、驚愕の午前4時。
ただでさえ眠い春がものすごく眠い。
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ところで昨日は、プールへ行った。
泳いだ。
クロールは進まないが、平泳ぎは進む。
手にあたる水の抵抗が楽しい。
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『雅』から。
水は流れ続け、陽はとどまり続ける。
陽は水の流れのある一点を照らし続ける。
水の流れの方が陽のかたむく速度より早い。
だが、秋の陽はつるべ落としと言う。
作者はしばらくじっととどまって、水の流れを見ていたのだろう。
水の流れといっても、池に流れ込んだ細い水流がまた池から出る、
優しい小さな流れだろうか。
水の流れをみていると、だんだんと秋の陽ざしが照らす場が変わっていく。
水の流れの先へ先へ、と陽ざしが移る。
そして、池に泳いでいる鯉も、その流れに従ってまるで陽ざしを追っている
かのように、泳いでいく。
陽ざしも水も形がない。そこにあるだけ。
瞬間瞬間、その場に在り、次の瞬間にはもう姿を変えている。
同じ水と陽ざしは二度と来ない。
その中を、鯉だけが、ゆっくりと尾びれを動かして自身の
意志で泳いでいく。
まるでこの秋を楽しむかのように
(楽しんでいるのは作者だが)。
透きとおる水と、もう暑くはない少し遠い陽の光。
作者は、一瞬のなかに永遠を見たのかもしれない。
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やはり、心のどこかに焦りがあるのだろうか。
追われる感じの夢を見る。
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昨日、今日と、朝から調子がいいので、ちょっと不安になる。
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しみじみと4月。
がんばって、よく耐えてここまで来た。
毎日、がさりがさりと減っていく雪に感動を覚える。
陽ざしも長くなったし。
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今日も色々と。
言わなくていいことを、一言多く言いすぎる人なのだ。
やりたかったこと、まだ諦めきれないことを
こっちに放られても。
自分の夢の始末は自分でして欲しい。
私の母親も相当なものだが、上回るかも。
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