◇日記◇
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2011年02月26日(土)

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朝起き抜けの紅茶は、五臓六腑にしみわたる。


 使い方間違ってるけど、これでいいの。


2011年02月25日(金)

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やっぱり、万葉集かなぁと(笑)


2011年02月24日(木)

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ひとの卵子でじぶんが生んだ子と

じぶんの卵子でひとに生んでもらった子と。


自分のおなかで育てたと言ってみたり

誰が生んでも自分の卵子なのだ、と言ってみたり。


その複雑さをくくるのは「自分の子」という思いか。


自分が生んだ=自分の子

自分の遺伝子を受け継いでいる=自分の子

確かにそうだけれども。


それぞれ言い分はあるのだろうが

自分の子、として育てたいだけじゃないのか、と思ってみたり。


女性は(と言い切ってしまう)、自分の本心を

幾重にもくるんで隠すから、よくわからない。


2011年02月20日(日)

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朝起きると、また少し雪が積もっている。

この優しさが、大好きなんだな、と思う。


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いろんなことに、けり、をつけたい。

時期がくれば、自然とつくものかも。

私が成長すれば、自然とおさまるところにおさまるものなのかも。


2011年02月19日(土)

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「き●と●」に続き「苦○列○」読了。

一度も眠らずに読み終えた。

内容的には、期待を裏切らない作品だった。

藤澤さんという作家は、私は知らないのだが、

彼の文体に似ているのだろうか、

その文体は、例えば、漱石のようでもあった。


「猫」を思い出しつつ読んだ。

あるいは「メロス」。


凄まじいのは、その客観視っぷり。

いや、これでもまだまだ、なのかもしれない。




歌においても、客観的視点の獲得は重要。

ひとりよがり、甘え、に流されるのをとどめるために。

そしてなにより読み手の共感を得るために。


◇◆

そこか、と思う。

サイバラさんに最近共感できないのは、そこか。


2011年02月18日(金)

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最近、疲れやすい。

春が近づいている、と実感する。


2011年02月17日(木)

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歌を選んだり、削ったり、並べ直しているうちに

こんなにも時間が経ってしまった。


◇◆

ススム評は、来月分を残すのみとなった。

結局、示された歌だけじゃなくて、全集を読んでしまった。


◇◆

「き●と●」ようやく読了。

途中で、何回も眠った。


なんというか…あとあじの悪さが際立った。


時間の感覚のなめらかさが、面白いような疲れるような。

今なのか昔なのか、夢なのか、現実なのか、

すべてがからみあってもつれあっている。

小説のなかで、主人公二人の髪がからみあい、手足がもつれあうのと同じ感じか。



15歳にもなって9歳の子と

じゃれて甘噛みする場面のキモチワルサに

通じる感触であった。


母の不倫も、生まれなかった妹も、髪をひっぱるモノノケも、

紅ショウガも、姉弟の関係も、

語られるすべてになにも注釈せず、そこだけを切り取ったという形で

ぽん、と投げ出して終わる印象があって

それはそれで、書き手に取ってはいいことなのだろうが、

真剣に読んでいるこっちとしては、呆然としてしまったりするのだ。


余韻がないということか。

重層的に主題が語られていくところは、ちょっとらせんの物語みたいだけれど、

きちんとしたらせんになっていない感がある。


つまり、主題間にも、くり返しの中にも関連がない感じがある。

紅ショウガがくり返し出てきても、キーワードにならない感じ。

それはそれでいいのだろうけれども。


キコも、トワコも、読み終えたとたんに、もう「生きていない」感じがする。


例えば「細雪」の「きあんちゃん」が未だに列車に乗ってお嫁に行く途中で

あるのとは、対照的である。







感覚的な小説であった。

こういうのを才能、と呼ぶのだろう。


2011年02月03日(木)

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あまりにも暖かくて、まるで春のようで

嬉しくて散歩に出かけた。

久しぶりに7000歩歩いた。


耳も鼻も冷たくならなくて、どこまでも歩いていけそうだった。



5℃ってこんなに優しい気温だったのね。


2011年02月01日(火)

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無事に2月になった。

とたんに大雪。


2月は注意月間である。

冬に注意。
カレンダーに注意。
予定に注意。
そして、春にも注意。


sai |MAILBBSDiaryINDEXpastwill

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