A Thousand Blessings
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2004年03月31日(水) 大人が正座して反省しながら聴くアルバム。UAの「うたううあ」。

こんな世の中でも何故、死のうとせずに生きているかと言うと、
それはつまり、UAの「うたううあ」や「SUN」(外山明のドラムスと
菊地成孔のホーンアレンジとZAKのミキシングが秀逸!)のような音楽に
出会えるからなんだな。そういう音楽について気心の知れた友人と語り合える、
それだけが生きていく意味なんだと思う。
「うたううあ」は童謡界(というのがあるのか知らんが)にとって
エポックメイキングなアルバムになるだろう。
今の大人が今の子供に「与える」童謡ではなく、
今の大人がかつての子供から「贈られた」童謡にUAが感応し、
その大切さを説いている点が重要なのだ。
結局、子供の感性には勝てないということを証明しているのである。
しかし、ここでいう子供とは、さきも言ったように「かつての」子供である。
「これから」の子供の感性には期待できない。
大人の単なる子供版でしかないからだ。「うたううあ」はそんな世の中に
してしまった大人が聴いて反省するアルバムだ。
“ひらいた ひらいた”で心が揺り動かされれば、まだ大丈夫。


今は3月31日の午前0時15分。今日の午後、親しい友人の家に
遊びに行く。音楽漬けの濃い数時間を過ごすためだ。
我々はこれをセッションと呼んでいる。
前回は友人から得るものが多かったが、今回は僕のお土産が多い。
中でも、一番のお土産は、なぜかモー娘。の“そうだ!We are Alive”
のシングル盤。
これはつんく♂が才能を見せつけた傑作。
イントロがあって、ファンクになって、アイドル歌謡になって、
ロシア民謡になって、またアイドル歌謡に戻る、すんげー曲。
桜井和寿言うところの三重構造というか四重構造の曲。
どんなにマンネリと言われようが、その才能に疑いの余地はない。
気になるのは、松浦あややとソニンの新曲が共に、つんく♂の
ものではなく、それゆえにか、駄作である点。
特にあややの新曲は、以前の日記でも書いたが谷村新司が手癖で書いたような、
しょーもない曲。こんな曲まで認めてしまうのは
本当のあややのファンとは言えないぞ。
みんな、コンサートでブーイングをしよう!
アイドルを本物にするもしないもファンの責任だぞ。おめえらよー。


2004年03月30日(火) 小室哲哉の視界に阿久悠は入っていないな。最低の歌詞。

Lonely くじけそうな姿 窓に映して
あてもなく歩いた 人知れずため息つく
I'm proud 壊れそうで崩れそな情熱を
つなぎとめる何かいつも捜し続けてた
どうして あんなに夢が素直に見れなくなってた?
街中で居る場所なんてどこにもない
体中から愛がこぼれていた

人混みをすりぬける大人が誘いの手を引く
経験が増えていく 避けて通れなくなってた
さまよったって愛すること誇れる誰かに
会えなさそうで会えそな気がしてたから生きてた…
I'm proud 届きそうでつかめない いちごの様に
甘く切ない事夜中思い浮かべてた
ひとつふたつ消えてく家の明かり数えていた
街中で寝る場所なんてどこにもない
体中から涙こぼれていた
最善を尽くしても理解りあえない人もいた
めちゃくちゃを言ったって 瞳の奥の優しさを
持っている人 持っている私をあげたい
忘れないでね 寂しくたって私は負けない

Lonely 壊れそうで崩れそな情熱をつなぎとめる何か
いつも捜し続けてた
I'm proud いつからか自分を誇れる様に
なってきたのはきっと あなたに会えた夜から

声にならなくても想いが時には伝わらなくても
笑顔も泣き顔も全てみんな
かならずあなたに知ってもらうの… I'm proud. Uh…


華原朋美がかつてのヒット曲“アイム・プラウド”をテレビで歌っていた。
あまりにもひどい歌詞なので、ネットで検索してこうして載せてみた。
思えば、今の若い人の曲にはこういう素人以下の歌詞が実に多い。
もちろん小室は若くは無いが、こういうタイプの詞を書いた最初の
有名人だと思う。ゆえに影響力は大きい。
単なる言葉の羅列。主語も述語も関係ない。
ストーリー性もなく、しかも日本語の基本的なミスもいくつか見られる。
言葉と言葉のつながりの意味は驚くほどない。
つまりは頭に浮かんだ言葉をそのまま書き連ねただけで、
推敲(すいこう)のあとが一切見られない。
同じく作詞・作曲をするつんく♂の詞はこれよりはずっとまともだ。
少なくともメロディーと詞のバランスが取れている。

小室の場合は、作曲面でもただ「ウネウネ」と意味のない転調を重ねるだけで
一向に目的地に到着しない。
そのうち、散り散りになり、ダラダラと終わる。
作曲家としても、どう逆立ちしても一流とは言えないだろう。

このような極めてレベルの低い歌詞に自身でOKを出す小室の
志の低さは、そのままプロ意識の欠如につながる。
いくら稼いでもかまわないが、問題は何で稼いだか、だ。
思うのだが、こういう歌詞をカラオケボックスのモニターで見ながら
歌っていると、間違いなく思考力が低下していくのでは
ないだろうか?
アムロのヒット曲でも感じたが、小室哲哉って、ちゃんと国語を学んできたのだろうか?
きちんとした文章の手紙とか書けるのかな?
余計なお世話だろうが、気になって仕方がない。
それにしてもテレビに映った朋ちゃんはほとんど、幼児だった。おやおや。


2004年03月29日(月) W‐ONE‐DERFUL WORLD ON DEC21の21曲。

気持ちの張りを無くしかけている時は、
ミスチルのDVD「Wonederful World on DEC 21」を観る。
言葉のちから。メロディーのちから。声のちから。演奏のちから。


『無駄なことなど きっと何一つとしてないさ』

『皆 憂いを胸に 永い孤独の果てに
 安らぎのパーキングエリアを探している』

『過去の自分に向けた この後悔と憎悪』

『あるがままの心で生きられぬ弱さを
 誰かのせいにして過ごしている』

『総ての想いを絶ちきろうとする度
 まとわりつくような胸の痛み』

『デタラメと嘘の奥に
 本当の答えが眠っている』

『孤独な夜を越えて 真っ直ぐに
 向きあってよ 抱き合ってよ 強く』

『夜の淵 アパートの脇 
 くたびれた自販機で二つ 缶コーヒーを買って』

『にわか雨が通り過ぎていった午後に
 水溜りは空を映し出している』

『欲望が苦し紛れに 次の標的を探している
 でもそれが君じゃないこと 想像してみて少し萎えてしまう』

『発狂しないで 僕ら暮らしていたかなぁ?』

『受け売りの知識 教養などをほおばり
 胸やけしそうなら この指とまれ』

『犯人はともかく まずはお前らが死刑になりゃいいんだ』

『全部おりたい 寝転んでいたい
 そうぼやきながら 今日が行き過ぎる』

『時代は混乱しつづけ その代償を探す
 人はつじつまを合わすように 型にはまっていく』

『「電話をしてからきてちょうだい」って
 慣れた言い回しで 合鍵をくれんだ』

『今 僕のいる場所が望んだものと違っても
 悪くはない きっと答えは一つじゃない』

『もし僕がこの世から巣立って逝っても
 君の中で僕は生き続けるだろう
 そう思えば 何とかやっていけそうだよ』

『そう何度でも何度でも
 僕は生まれ変わっていける』

『忘れないで君のことを僕は必要としていて
 同じようにそれ以上に想っている人もいる』

『違う 僕らが見ていたいのは
 希望に満ちた光だ』


全21曲。完結していく。ミスチルの最初のゴール。
そして2度めのスタートはすでに始まっている。


2004年03月28日(日) 宝くじを当てて友人と「未来への音楽遺産喫茶」をやりたい。

生活は困窮を極め、給料明細を見てはため息をつく。
しかし、CDは買う。これはもう病気と言われても、しょうがない。
本当に病気なんだから。
何度も書いたが、くるりの「アンテナ」(ロックだぜぃ!!)と
UAの「SUN」(ラディカル・ジャズだぜぃ!!)だけがあれば、
通常なら一年間、何杯でもご飯を食べられるが、4月の7日には
ミスチルがドッカァ〜〜ン!とくる訳なので、もう嬉しくて気が狂いそう。
ミスチルといえば、新作につづく新曲までもう用意されている!
4月11日9時TBSではじまる新ドラマの主題歌「SIGN」がそれ。
発売日は未定だが、ロッキンオンジャパン4月号に載っていた新曲とは
そのことか!
もう、勢いが付いたら創造意欲にまかせて、どんどん新曲を発表しちゃって欲しいな。
まちがいなくいえる事は、今のミスチルなら絶対に(!)駄作は
作らないということ。すごいレベルに達しているんだよなー。
DOCOMOの携帯のCMの「PADDLE」の音量、結構大きいと思いません?
それから、「シフクノオト」のCMも始まった。
あの混沌としたハードなナンバーはなんだ?聴きてぇ〜〜!!


宝くじを当てて、友人と音楽喫茶をやることを決めた。
仕事は店内でかける曲の選曲だけ。
細かい仕事は若いのにやらせる。
友人と僕は毎日、選曲ミーティングを開く。つまり選曲に最大の神経を使う。
何故なら、関東圏でもっともラディカルで未来への遺産的な使命感をもった選曲で
お客さんに絶大な信頼を寄せられている店だからだ。
お客さんは、この店に今一番聴かねば、
そしてそれぞれが将来に伝えていかなければならない曲を聴きにくる。
当然、お客さんの回転率は著しく
落ちるが、心配ない。3億円当たっているので、僕と友人の家族くらいは
十分に生活していける。
音楽漬けの毎日で、やがては二人は寒山拾得になる。世間からは
異常老人と言われても、頭の中では音楽が鳴りつづけている。
おお・・・何という素敵な人生・・・!
インフルエンザの高熱で脳がやられたわけではないぞ。
宝くじは、それを本当に必要としてる人に当たるべきだぞ。当てるぞ!
未来へ音楽の遺産を残すために。決して今の仕事をしたくないからでは
ないぞ・・・。


大盤振る舞いで2行も与えちゃう。ナオタロの新曲「生きとし生ける物」は
最悪。本当に手垢のついた言葉が好きなお方ね。聴くと胸が悪くなる。


ミッシェル・ペトルチアーニのCDを一枚購入。
「パワー・オブ・スリー」。
ジム・ホールとウェイン・ショーターとの競演。
ウェイン・ショーターが意外にもいいプレイをしていてちょっと驚き。
まあ、もちろん全盛期の天才には程遠いが、それでも
かなり頑張っている。これはいい買い物をした。
ジム・ホールの偉大さも再確認できた。ペトルチアーニの
演奏はビル・エヴァンス直系だが、エヴァンスよりも音色が明るい。
菊地雅章のようなダークな色彩感はないが、この明るさは
実に清々しい。ちょっとペトルチアーニを勉強してみようかな、と
思っている。(実はほとんど聴いた事がないのだった)
ネットで検索したら、人気アルバムは、僕が大嫌いなスティーヴ・ガッドとの
共演作とのこと。ちょっと引いちゃってます(笑)
スティーヴ・ガッドのジャズ演奏は聴けないだろうが・・。
どういう出会いでそういう組み合わせになったんだろう?不思議だ。


旧式の回転扉でも入る時には一瞬躊躇してしまう僕だが、
自動式の回転扉があることは知らなかった。
そりゃ、事故も起きるだろう。何でもかんでも自動の機械任せにするから
事故も起きやすいし、さらにはその機械に設計ミスがあればこれはもはや
犯罪だ。
目の前で我が子に死なれた母親の心情を思うとやり切れない。
6歳といえばカワイイ盛りだ。また責任のなすりあいが始まるのだろうか?

自動といえば、よく利用する池袋西武デパートのエレベーター・ガールが
いなくなって久しい。
あそこのエレベーターは「閉じる」のボタンを押しても
すぐには閉じない。時間がかかる。ゆえにそうしているうちに、
また次のお客が乗り込んでくる。
いつまでたっても作動しないエレベーター。またかよ・・という声が聞える。
4台全てが同じ階に止まっているなどということは日常茶飯事。
経費節約はいいがサービスの経費は節約するのはいかがなものか?
僕が知る限り、池袋西武のメインエレベーターは最悪だ。
お客がイライラしているのが良く分かる。
企業のトップの人間というのは、本当に物事をわかっていないな、と
思う。我が社も同じだが。




2004年03月27日(土) 相田みつをのドキュメンタリーを見て体調が悪くなり、The Shaggsを聴いて治す。

テレビで相田みつをのドキュメンタリーをやっていたので
録画して見た。
どんな芸術も芸能も思想もすべて宗教的な熱狂を生む可能性があるという点で言えば、
相田みつをの言葉の数々は意味があるのだろう。
信者にとってはね。
あいにく僕には、トゥー・マッチ。見なけりゃよかった・・。
この人の「押し付けがましさ」を有り難がる神経がどうにも理解できない。
宗教だから理解できないのが当然なのだが、たいていは少しばかりの
理解への手がかりはあるものだ。
しかし相田みつをにはそれが全くない。
意味ありげに書かれたその詩に僕は単なる自己陶酔しか感じない。
人の心を動かすだけのパワーはあるのだろう。
しかし、僕には無縁の余計なお世話のパワーだ。
「一生懸命」に「生きる」「人間」の「人生」は確かに尊いが、
書にして壁に飾られた瞬間にそういった言葉は色褪せ、残るのは
作者の(無意識の)自己顕示欲だけだ。
あんまりつまらないので、20分で見るのをやめて、
The Shaggs の 「Philosophy of The World」を聴く。
少なくとも相田みつをに傾倒するひとには
理解できない世界の音楽だろう。だから、嬉しい。
というか、理解されたら迷惑。(笑)
川端康成を読み始めたが、あまりに文章が磨かれすぎていて、
疲れてしまった。10ページでやめた。
些細な描写にまで超文学的であろうとする姿勢は果たして「すごい」ことなのか?
ちょっと疑問を感じた。
結局、僕の文章を文学的にするためのお勉強にはならなかった。
僕はやはり、有名ではないが、阿部昭を生涯愛する。
棺桶に入れてもらうのは、「ペットサウンズ」と阿部昭の小説だけでいい。
話は戻るが、The Shaggsのドラマーはいいーね!
ギターもハーモロディクスっててカッコイイけど、
幼稚園児がはじめてスティックを手にして
タイコを叩いたかのような楽しさ溢れる演奏に頬が緩みっぱなし。
こういう楽しさが相田みつをにも川端康成にも無い。
と言い切るのは、無意味なまでに強引な結論か?(笑)




2004年03月25日(木) じゃずううあ。さらには断酒。

そうだ!ひとり頷く僕。
ジャズは形式ではなく取り組む姿勢なんだな。フムフム。
ロックや歌謡曲とちがって、ジャズやブルースには形式というものが
なまじあるばっかりに、どうしてもそっちのほうに目が耳が行ってしまう。
でもって、形式にがんじがらめにされたつまらないものを後生大事にしたりするのだ。
UAの新作「SUN」ではジャズに取り組む姿勢が実にラディカルに提示されていて、
体の芯が熱くなってくる。
重要なのは、間違いなく声。歌声なんだ。
ジョー・ヘンリーの諸作と共通する声の意味。
楽器のひとつひとつの音色は、もうひとつの声のように響く。
フリーな音楽に聴こえるが、これは紛れもなく作曲され編曲された音楽だ。
しかし、形式に囚われていないから、僕の耳には極めてフリーに響く。
ジャンル分けするのは無粋かもしれないが、僕はこれをやはり
ジャズと呼びたい。とんでもない傑作。しかし、こういう音楽には
勇気づけられるなぁ。。最高のマルチビタミン剤!


関係ない話だが、酒をやめた。
完全にやめた。一生、飲まないということだ。
タバコは10数年前のある日を境にピタっとやめた。
一日3箱、60本吸っていたまさにヘビースモーカーだったが、
ある日、夢を見た。
夢の中で、僕の前に座る医者が言った。
「タバコさえ吸っていなければ、ガンにはならなかったんですが・・・
残念です・・・。」
起きたら泣いていた。よほどのショックだったに違いない。
その朝から禁煙した。これは本当の話だ。
ちなみに僕は20代半ばまで下戸だった。
これもある夏の日のこと。縁側で昼寝をしていた。
夢の中で僕はビールを美味そうに飲んでいた。
「こんな美味いものがあるのか!」とかなんとか言いながら。
目を覚ますと暑かった。すぐに何の躊躇もなく
冷蔵庫からキリンビールを持ってきて、グラスに注いで飲んだ。
実に美味かった!正にその日を境に酒が好きになった。これも
本当の話。
酒をやめるよ、と友人に話したら、「極端ですねー」と言われた。
そう、僕にはどこか極端なところがある。自分では制御できない
神が降りてきているようなところが(笑)
とにかく、酒をやめたわけだから、酔った勢いでなんとか、という
理由付けはできなくなった。少しは大人になれたということか?48歳。

今夜の素面のBGMは
大好きなピアノトリオアルバム2枚。
「アーマッド・ジャマール・トリオ/バット・ノット・フォー・ミー」
「エディ・コスタ・トリオ/ハウス・オブ・ブルー・ライツ」
無人島に持っていくピアノトリオ10枚のうちの2枚だ。




2004年03月24日(水) UAの童謡集「うたううあ」にひたすら感動する!

童謡“ひらいたひらいた”をアカペラで歌う、UA。
参った。力強いんだな。この力強さの正体はなに?
独特な声質でありながら、普遍性を感じさせる。
聴いていて、この歌い方がベストだ!と思わせてしまう圧倒的な歌ごころ。
そうか、歌ごころがチカラになっているんだな!

アルバム「ううあ/うたううあ〜NHKドレミノテレビ」の存在を全く知らなかった。
友人がUAの新作「SUN」を絶賛しているのを知り、
かつてUAの熱心な聴き手であった僕の「ううあな部分」(どんな部分だ?)
が刺激された。
雑誌で童謡集が出ていることを知り(いや、友人から聞いたのかな?)、
即座にUAには童謡が似合うと直感した。
でもって、購入。直感大当たり〜!

さきの“ひらいたひらいた”は別格的な出来として、
他にも名演・名唱が多い。
スピーカーで大きく鳴らしたいのが、まず“アイアイ”。
例の『おさ〜るさぁ〜んだよ〜♪』っていうやつね。
次いで、“もりのくまさん” “マーチングマーチ” “森のこびと”の3曲。
そして圧倒的に異彩を放っているのが、完全にジャズと化した
“手のひらを太陽に”。元・スカパラのASA−CHANGは小島麻由美のアルバムでも
奇妙なリズム感のジャズドラムを叩いていたが、
ここでもそれは健在。
リトル・クリーチャーズの鈴木正人のベースとのコンビネーションも面白い。
このアルバムは2枚組で2枚目は1枚目のカラオケなのだが、
“手のひらを太陽に”だけはどうやっても歌えない(笑)
というか、カラオケは素敵なジャズとして聴くべき。
参加メンバーの中で孤軍奮闘しているのがバッファロー・ドーターの大野由美子。
さすがのお仕事だ。
とにかく聴きどころ多すぎの最高に楽しいアルバム。

子供にリズム感をつけさせようと思ったら、
お母さん、今すぐCDショップに行かなきゃ!
由紀さおりとお姉ちゃんのデュエットアルバムを聴いてる場合じゃないすよ。

さて、UAの新作「SUN」だが、童謡集でこれだけ楽しめちゃっているのだから、
もうもったいなくて、今日は聴けません(笑)
次の休みの日にゆっくり聴き込むとしよう。


そうそう、我が青春の思い出の名作「六文銭/キングサーモンのいる島」が
再発した。メモリアルアルバムと合わせて3枚組で。
これは個人的に快挙。給料が出たら購入する。
何しろ好きで好きで聴きこんだアルバムだからね。
当時、僕は高校2年生。友人達とフォークグループをやっていた。
僕のパートはリードギター。どんなに逆立ちしても六文銭の
小室等のような流麗なアコースティックギターは弾けなかった。
ゆえにリードギター。ちなみにギターは当時人気のモーリス・ギター。
音楽に関する見識もなく、耳の視野は狭く、指が速く動くことを自慢していた。
おお!その浅はかさが愛しい。
今の僕の耳に六文銭はどのように響くのだろう。
青春プレイバックになるのかしら。


2004年03月23日(火) ロッキンオン・ジャパン4月号の「桜井和寿ロングインタビュー」より。

「ロッキンオン・ジャパン4月号」の特集は、桜井和寿のロングインタビュー。
好きな音楽誌ではないが、この時点でミュージックマガジンは敗北。
インタビューの内容は言うまでもなく良い。実に良い。
桜井の発言すべてに賛同できる。
詳しくは本屋で立ち読みしていただくとして、
個人的に非常に興味深い箇所があった。
僕は仲間内では有名な筒美京平マニアだが、少なくとも
僕が知る範囲では、桜井の口から筒美京平の名前が出た記憶がない。
まあ、僕が桜井の熱狂的なファンになったのは、恥ずかしながら一年前からなので、
その前には筒美ことを語っていたかもしれない。

正直、ちょっと驚き、内容を読んで合点がいった。
最近も友人と、桜井のサビって最後に「もうひとつ」用意されてるよね!
なんていう会話をしていたばかりだ。
桜井のインタビューに「おお!」となるしかないだろう。
その部分を抜粋してみる。

『筒美京平さんとかの曲を聴いていると、
 「何なんだろうこの貪欲さは?」っていう。サビの中に、三重構造くらいで
 サビが織り込まれていたりして。
 これは何か「どうせこいつらわかんねえんだから。俺が徹底してサービス 
 精神でサビをいっぱい盛り込んでやんないと」って、リスナーを
 信頼していないのか(笑)はたまた、ものすごいサービス精神からやってる
 のか。どっちなんだろうなあって考えることがあって。
 でもそうこうしてる間に、その筒美さんがどういう思いでやっているか
 っていうことよりも、じゃあ、どういうことをテクニックとしてこっちは
 読み取れるだろうかっていうか、技術としてマニュアル化できるだろうか
 っていうのを、聴きながら読み取っていって。
 それを自分なりに、今度は作品にする時に出していく・・・。
 メロディー、普通にバーンって書いていった時に
 「これじゃあ筒美さんはオッケー出さないだろうなあ」と思ったら、
 なんか・・・・その人を超えたいと思うし。』

ということを桜井は考えているのだ。

作詞家としての桜井ばかりが語られがちだが、作曲家(これは曲を書く人という
単純な意味ではなく、プロの仕事として曲を書く人の事。)としての
凄さも語るべきだろう。
アルバム「it’a wonderful world」を聴いた時、
A&M系の職業作曲家が書いたような曲があって、
「桜井は想像していたよりずっと作曲の幅が広い」
というようなことを友人に語った覚えがある。
その時は漠然としていた考えが今はっきりとした形を持ってきた。
「筒美さんはオッケー出さないだろうなぁ」という部分。
筒美京平をここまで意識していると言う事。
職業作曲家。この響きが嫌ならプロの作曲家と言い換えてもいい。
これを桜井が目指していることが明確になった。
彼の作品に多く見られる転調の魅力は筒美京平譲りだったのだ。
そういえば新作の中の1曲“天頂バス”の天頂は「転調」に
引っ掛けているそうだ。
桜井は、まだ他人に曲を提供した事がない。(あったら、ごめん・・)
これは意外といえば意外だ。
これからの桜井の仕事上の展開からは、そういう可能性も生まれてくるだろう。
いずれソロアルバムも作るだろう。
それが何年後かは分からないが、楽しみに待っていたい。
もちろん、ミスチルはずっとミスチルのままでいて欲しいと願う。


2004年03月20日(土) 何か良くわからんが、横山剣は歌謡曲の伝導師というお話。

病み上がりの疲労度100%の3日間が終わり、ひとり部屋で
ヤン・ガルバレクを聴きながら横山剣のことを考えている。何じゃそれ?
いえいえ、つまり、ヤン・ガルバレクはBGMに最適ってことですよ。
もちろん好きですが。
横山剣がかけているカザールのサングラスはカッコイイ。
ゆるゆるのツッパリ感がどうにも素敵。
クレイジー・ケン・バンドのライブDVDを見終えると、
いわゆる心地よい疲労感というものが残る。それは何故かと考えたら、
結局はその昔大好きだった歌謡ショーの疑似体験にあるんだという考えにたどり着いた。
1960年代後半、、、いや歌謡曲に西暦は似合わない。
昭和42〜3年頃から歌謡曲というジャンルが日本の音楽の主流になった。
この「歌謡曲」というジャンルの意味を今の若い方は理解できないだろう。
演歌ではない。もちろんロックでもフォークでもない。
歌謡曲なのだ。それはツイストもマンボもサンバもボサノバもサーフィンも
ロックンロールもシャンソンもカンツォーネもタンゴもローリング・ストーンズも
ビートルズもサンタナも全て飲み込んだ巨大な電気クラゲのような音楽だったのだ。
しかし、あるとき、死滅した。
おそらく昭和57〜8年頃。
原因は今のJポップの初期スタイルであるニューミュージックが巨大な産業として
成り立つ事が証明された事とアイドル歌謡がアイドルポップスと名称を変え、
ニューミュージック界との交流を深めることで守備範囲を広げ、
ひとつのジャンルとして完全な市民権を得た事。
演歌という伝統芸能のみが形式として生き残り、
巨大な電気クラゲはその内包していた様々なジャンルの音楽を吐き出しながら
溶けて無くなった。
もう歌謡曲という集合体に戻る事はありえないのだ。正に音楽界の核家族化。
クレイジー・ケン・バンドがやろうとしている事は
新しい試みでも未来に向けての希望でもありえない。
演歌と同じように歌謡曲を伝統芸能として語り継ぐための
手段として存在しているのである。あるいは単なる趣味。
“タイガー&ドラゴン”で横山剣は、存在意義のあまり感じられない
現在の和田アキ子ではなく歌謡曲全盛時代の飛ぶ鳥落とす勢いの和田アキ子を
リスペクトした。
そこらへんを踏まえて聴くとクレイジー・ケン・バンドは楽しすぎる。
僕ら歌謡曲世代はそんな楽しいライブを遠い目で見ているのだ。
そのことに若いひとは気付かない。ま、気付かなくてもいいけどさ。
興味があったら、平山三紀あたりから始めてモーニング娘。へと
温故知新してみてちょうだいな、と。
それにしても、横山剣という男はおいしすぎる。
オールバックが横分けハンサムボーイ、と歌うカッコよさは
格別だ。




2004年03月19日(金) ミスチルを無視したミュージック・マガジンの「トータス評」は駄目だな。

昨日も書いたトータスの新譜「イッツ・オール・アラウンド・ユー」の続き。
今日発売の「ミュージック・マガジン4月号」のクロスレビューで
取り上げられていて2人の評論家が9曲目と10曲目を誉めている。
これには素直に納得しておこう。
確かに両方ともかなりいい曲。
特に10曲目は、マガジンにも書いてあったが、ザッパっぽくて面白い。
でも、でもですね、、本当の傑作は6曲目なんですよ。
これはもう絶対に間違いない。わずか3分半の短い曲だが、
もうほとんどジャーマンロックになってるぞ。カオスだぞ。
僕が常々唱えている、「ジョン・マッケンタイヤーは
CANのジャッキ・リーベツァイトの後継者説」が正しかったことが証明されて、
個人的には気分爽快。
ちなみに先月号のマガジンでのトータス評でもこの6曲目は
触れられていない。何を聴いているのかな?駄目だな・・マガジンって。


さてミュージック・マガジンといえば、4月号の隅から隅まで読んだが、
ミスチルのミの字も出て来なかった。
特集を組めとは言わないが、インタビューくらい載せてもいいんじゃない?
実際に載せてる音楽誌もあるのに。
もちろん新作評に関しては、まだ非公開なので書けないとしてもだ、
メンバーの声を載せることは出来るだろうが?
ちなみに来月号の予告にもミスチルのミの字もなかった。
砂漠のブルース特集だとか。今月号はブルース特集。
もちろんブルースは大好きだが、とりあえず今、一番「正しい評価」が
されなければいけないグループを無視しているのは解せない。
雑誌の判断基準の傾向としては、
くるりは良くてもミスチルは駄目ということか?。
(駄目と言ったかどうかは知らないが)
これは単純にミスチルを単なる「ものすごく売れてるグループ」のひとつとしか
見ていない証拠だ。ミュージックマガジンとの付き合いも30年近くなるが、
どうもこの雑誌は時々こういうことを意図的にする。(僕の被害妄想か?)
言っとくけど、ミスチルの熱狂的なファンだから言ってるんじゃないすよ。
客観的に見て、今、メディアが一番取り上げるべきなのは
ミスチルだから言ってるまで。
UAの記事と萩原健太、マーク・ラパポート両氏のページしか読むとこ
ないや・・・。そのラパポート氏もWAS(いいグループであることは知ってるが)
の特集で、JAZZじゃなかったしなぁ・・・。


『シフクノオト/ミスター・チルドレン』

1 言わせてみてぇもんだ
2 PADDLE
3 掌
4 くるみ
5 花言葉
6 Pink〜奇妙な夢
7 血の管
8 空風の帰り道
9 Any
10 天頂バス
11 タガタメ
12 HERO

曲順を何度も見て、想像してみる。
“掌”と“くるみ”はマキシシングルと同じ曲順。
あえてこうした事にきっと意味があるんだろう。
そういう意味を考えてみるのが実に楽しい。
ミスチルってそういうグループだ。
おそらく“タガタメ”で高揚した僕の感情は
“HERO”のイントロの旋律で涙となって溢れ出るんだろうなぁ・・。
今、非常に気になっているのが、“天頂バス”という曲。
雑誌のインタビューでもメンバーは風変わりな曲と語っている。
夢を見ているような不思議な感覚を一気に現実の世界へと
引き戻す役割を“タガタメ”は担っているのだろうか?
その“タガタメ”のあとに“HERO”のイントロの旋律・・・。
もう考え出したらエンドレスになっちまう。寝られないぜ。




2004年03月18日(木) 平井堅“デスペラード”。女子十二楽坊ウィルス繁殖中。ジョー・ヘンリー“flag”のドラムス必聴!

苦味40%カットのビールのCMをやっている。
意味が分からない。ビールから苦味を40%もカットしたら、
それはビールと言えるのか?
別のCMで平井堅の歌声が流れていた。
イーグルスの“デスペラード”のカヴァー・ヴァージョンだが、
これが苦味のない何とも大甘な歌い方だ。
おそらくはベイビーフェイス出現以降のある種の流行りなのだろうが、
昔からのソウル好きとしては、どうにもウザったくて仕方がない。
イーグルスのドン・ヘイリーが聴いたら苦笑するだろうな。
“デスペラード”とは「ならず者」という意味。


人は何故、女子十二楽坊に群がるのか?
2枚のアルバムで200万枚近い売上げという事は、
同じ人間が2枚とも購入したと仮定すると、
つまりは、現時点で日本の音楽を必要とする人間のうちの
100万人が聴いている勘定になる。
武道館を30回近く満員御礼にできる人数である。
これは由々しき事態だ!驚け。
友人に女子十二坊を購入した奴がいないので、
直接「どこがいいの?」と聞けないのが残念だ。(友人のお身内に
購入された方はいらっしゃるが)
指が正確に速く動く、一糸乱れぬ集団演奏だからすごいの?
綺麗なおねえちゃん達が余裕でニコニコ笑っているのがすごいの?
バックの80年代打ち込み風のリズムに東洋の楽器が乗っかって
いるのが、融合しているみたいですごいの?
中島みゆきのカヴァーで泣いちゃうの?
3枚目のCDを買うと、何と、ライブのDVDまで付いてくるそうだ。
相当儲かった事で余裕も生まれてきたのだろうが、
3枚目も100万枚を突破したりしたら、これは異常事態だ。
でも突破するんだろうな。
「水戸黄門」「続・水戸黄門」「続続・水戸黄門」と続いて、
4枚目はなんだろう?「新・水戸黄門」か?
僕の結論。女子十二楽坊の音楽とパラパラ(すでに懐かしい)の
音楽は似ているという事。どこが似ているかはお考え下さい。



ドラムスに少しでも興味がある方は、いますぐ
ジョー・ヘンリーの新作「 タイニー・ヴォイセス」収録の“flag”を聴くべし。
ドラマーはジム・ケルトナー。
シンバルのジンジンという音、ハイハットのペシャッという音、
スネアーのコトッという音、バスドラのボムッという音に、
ドラムスについて学ぶべき事の中でも最も重要かつ難しい
「歌わせる」という技術の全てが聴き取れる。

“flag”が、今夜はエンドレスで流れている。
ジョーのヴォーカルを聴いていると、トム・ウェイツやコステロが嘘っぽく
感じられてしまう。不思議だ。
個人的な2004年度のベスト10には間違いなく入るアルバムだ。


トータスの新作「イッツ・オール・アラウンド・ユー」が
すごいことになっている。
初めは、つまらなかった。理由は最後まで聴かなかったから。
これはCD購入者にはあるまじき行為だが、ちょくちょくある。
最初の1〜2曲で判断する癖がなかなか抜けない。
理由の一つに時間がないことを挙げたい。
実際、聴きたい、聴かねば、といった曲が多すぎて、
一枚のアルバムをじっくり腰を据えて聴くことが出来ない。
さあさあ、どんどん良くなるよ〜!と言いながら
ちっともエクスタシーに達しない事が多いのだ。
できれば1曲目、それが無理でも2曲目に印象的なものを
持って来てくれれば、その勢いで最後までイっちゃうのだが。
トータスの新作は4〜5曲目あたりから急に曲の出来が良くなってくる。
雑誌評では2曲目の評価が高いが、僕は一番出来が悪いと思っている。
途中からおい!おい!すごいぜ!ってな感じで最後まで突っ走る。
思うね。曲順は大切だよ。
「TNT」が大成功したのは曲順の良さもあるのではないか?
しかし、我が人生にこういう風に「聴きどころを聴かれなかった」アルバムって
かなりあるんだろうなー・・。
そう考えると、損した気になる。今はディスク・ユニオン経由で
他人の手に渡ったアルバムたちよ。許せよ。


訂正・・・文中に誤りがありました。書き直すのも面倒なので
     ここに訂正しておきます。
     3月3日発売の女子十二楽坊のCDは3枚目ではなく
     2枚目でした。その2枚を合わせて200万枚という
     勘定になります。さらに、次の女子十二楽坊のアルバムは
     「新・水戸黄門」ではなく「続続・水戸黄門」になります。
     


2004年03月17日(水) インフルエンザからの帰還!明日から仕事だ!ポヨヨ〜〜ン♪

結局10日から16日まで寝込んでしまった。
と言いつつ、夜になると目がさえて、フラフラしながらパソコンに向かってたりして。
とにかく、熱が下がったのはおめでたい!
ぶり返さないように摂生するしかない。喉を焼いてしまうので、
酒は当分断つことにした。現にもう一週間飲んでいない。このまま一生やめようかな。
抗生物質の飲みすぎで明らかに胃が荒れている。今日も、2度ほど胃痛に
のたうちまわった。メニエール、喘息、インフルエンザ、胃痛。
どうも迫力に欠ける小病ばかりだが(もちろん大病は絶対に嫌だが)、
次々に小さな台風のようにやってこられると、家も傾くってもんだ。
明日から職場に復帰するが、一日体力がもつかどうか・・・ちょっと心配。

って、こういうのが日記っぽいって言うんでしょうか?(笑)

まあ、書く事がないので、欲しいものを書いておしまいにしよう。

3月24日発売の「六文銭3枚組」(もちろん小室等のあの六文銭。
これで音源は全て揃う。拓郎と小室が作った「新六文銭」のライブをCD化しないかな?
見に行きましたよ。数十年前。ドラマー、チト・河内、ベース、後藤次利、
キーボード、柳田ヒロ、歌とギター、小室等、歌とリード・ギター、拓郎。)
同じく24日発売のUAの新作。
31日発売のはっぴいえんどBOX。
ECMの:rarumシリーズで数枚。
モチアン、クリステンセン、ウェーバー、メセニー。
夏目漱石を全部読み返したい。家にあるのはカビだらけなので、
文庫本で全て買いなおしたい。阿部昭も加賀乙彦も山口瞳も読み返したい。
僕が書く文章に文学的な色気がないことに気付いた。
なんかの報告書のような文体(笑)。
ちょっとこのへんで立ち止まって文学を給油しなければ!と自分に誓う。
あと欲しいのは、すぐにカっとしない大らかさ。
短気は損気を数十回繰り返してきた人生にもう愛想もつきている(苦笑)。
とりあえず、いつでもニコニコでもヘラヘラでもいいから
笑っている人間になろうか?
とにかく精神的に楽になりたい。
後悔と不安の日々から開放されたら、幸せだ。本当に、幸せだ。

今夜のBGMはメシアンの「世の終わりのための四重奏曲」・・・って、駄目じゃん・・・。


2004年03月15日(月) 快挙!日曜日のサッカー五輪予選で「君が代」のメロディーを間違えた女、相川七瀬!

心理学者・河合隼雄氏による、ある小説の解説文から抜粋。

『人間の心は、「知・情・意」と言われるように、
 知能・感情・意思などを大切な要素としているし、
 それらの適切なバランスが望ましい。
 現代はどうしても知の方に比重がかかるので、
 情は無視されがちとなり、それは心の底に沈殿しやすい。
 沈殿して行き場を失っている感情は、何かの加減で流出してくると、
 知も意も押し流して、その流れの力によって何事も一足飛びに
 可能なような気持ちになってくる。
 たとえば、ボランティアとかいうものになると、気の毒な人が
 一挙に救えそうに思ったりする。
 先に「深層意識」と述べたことは、そのような情の沈殿層を
 突き破って、もうひとつ異なる層に至ることを意味している。
 そこにあるのは、センチメンタルに溺れさせる情の蓄積ではなく、
 質を異にする、極めて言語化の難しい内容である。
 そのあたりのことを作品にしているから賢治は天才と言って
 いいのだろうが、何しろそれについて語るには、
 読み手にわかる言葉を使わねばならない。』



大病ではなくても、数日熱にうなされながら臥せっていると、
いろいろ考える。
ぼんやりと見え始めてきた自分の老後の事とか、
日々起こる残虐な事件の事とか。
どれもこれも憂鬱なことばかりだ。

テレビを観ていたら、高橋尚子落選のニュース速報が流れた。
どういう結果になっても分かっていた事だが、
懲りない陸連はまたしてもひとりの選手を傷つけた。
前半超ローペース、後半超ハイペースだった坂本と
前半超ハイペース、後半失速の高橋を比較したそうだ。
高橋は昨日の名古屋国際に出場しなかった。
陸連の選考方針の変更を読めなかった高橋は、4年後に35歳になる。
走れると思う。
そのときには選考基準を初めからきちんとした形で
我々に示しておかねばならない。

しかし、正式な記者会見の30分前にNHKのニュース速報で
高橋落選の第一報が流れてしまったのは何故か?
誰が情報をNHKに漏らしたのだろう?


☆*..☆ *★ *☆


クラシック作曲家・吉松隆の「And Birds Are Still・・・」Op.72
の7分39秒を、エンドレスで聴く。
記憶違いなら申し訳ないが、確か若くして亡くなった妹さんを
思って書いた曲だと・・。
友人のT氏は、この曲を知っているだろうか?
教えてあげねば。
吉松隆には人に薦めたい名曲が多い。
クラシック現代音楽の世界に身を置きながら、
抽象的な自己満足へと逃げ込まない吉松の創作姿勢に惹かれる。
武満と並んで、いやそれ以上に好きかもしれない。
一番最近の作品は、アニメ映画「鉄腕アトム」の音楽だと思う。
意外な人選に驚いたが、吉松の音楽は実に楽しかった。

ああ・・・それにしても、ドコモのCMソング“Paddle”を
ちょこっと聴いてしまってから、ミスチルの新譜への期待が異常に膨らんできた。
アコースティック・ギターをかき鳴らしながら歌う桜井の声が若々しい。
全貌はどうなんだろう?“蘇生”みたいな曲なのかな?



2004年03月14日(日) やった!体温が39度を超えた!死ぬん?

昨夜は、ものすげー熱。39度突破!おめでとう!
寒い。寒すぎる。悪寒の神髄に触れた気がする。
今、計っても38度2分もある。しかしわずか8〜9分の差で
パソコンが打てるようになるのだ。(ただし指先は小刻みに震えている)
もちろん歩くときはほとんど老人状態だが・・・。
インフルエンザのようだ。鳥ではないよな・・・?ないよね・・・?
11日から会社を休んでいる。明日も休む。収入が減る。CDが買えなくなる。
人生で一番の無駄は病気だな。

枕元のラジカセから音楽がドヨ〜ンと流れている。
「デレク・ベイリー/ミュージック・インプロヴィゼーションズ」
「レジデンツ/ディーモンズ・ダンス・アローン」
「オムニバス/ファイン・タイム」
「シャッグス/フィロソフィー・オブ・ザ・ワールド」
「TVサントラ/太陽にほえろ/傷だらけの天使」 
「アラン・シルバ/イン・ザ・トラディション」
「吉松隆/MEMO FLORA(ピアノ・田部京子)」
「三上寛/BANG」
「MOONDOG」(いますぐ2枚とも国内盤で発売すべし!)

昼間、横になりながら、名古屋国際女子マラソンを見ていた。
土佐礼子の感動的な走りに、久々に涙を流してしまった。
五輪選考レースのありかたにも大きな問題があるが、
今回ほど誰が落ちても何らかの批判が起きるであろう、
五輪予選はない。
明日の午後3時頃、発表があるらしいが、
今日の土佐と高橋を天秤にかけることは出来なくなっている
ような気がしてならない。
どちらも素晴らしすぎる。
陸連の選考基準は分からないが、
僕なら、ほぼアテネ確定と言われていた坂本直子を
本当に惜しいが外し、野口みずき、土佐礼子、高橋尚子
の3人をとる。
有森が提言するように、五輪選考レースのあり方を
いつまでたっても変えない事がそもそも元凶なのだと思う。
可哀相なのは、選手だ。


い、いかん。目が廻ってきた。短い日記だが、寝る。


2004年03月13日(土) ECM「:rarum」シリーズ、吉田拓郎選曲の「ボブ・ディランBEST」。もっと知りたいアーチスト自身の声。

ECMレーベルにアーチスト自身の選曲による「:rarum」というシリーズが
ある。
いくつかが国内盤でも発売されているのでジャケットをご覧になった方も
いらっしゃるだろう。
僕も数枚購入し楽しませてもらっている。
僕はジャズファンだが、何故かECMを意識的に集中して聴いたことがなく、
いやむしろ非ECM的なものに惹かれていく傾向があった。
だから現在のようにECMの世界にはまると実に楽しい。
まだ聴けるジャズがこんなにあるんだ!という喜びでいっぱいだ。
友人のECMマニア曰く、今回の選曲にはECMファンが考えるベストと
アーチストが考えるベストとの間に落差があるようだ。(僕にはまったく
分からないが)
最近ではパット・メセニーの「:rarum」でもそういう印象を受けたそうだ。
断言はもちろん出来ないが、おそらくアーチストは世間の人気・不人気には
あまり左右されずに、もっと演奏やアレンジのディテールに
こだわっているのではないだろうか?
たとえば、たいした楽曲でなくても、何小節かスゴイ演奏が出来ちゃったとか、
メンバー間の楽しいやりとりが忘れられないとか、そういった
極めて個人的な感情に左右されているような気がするのだ。
そしてそれは、正しいと思うのだ。
日本のアーチストのベストアルバムは、単なるシングルの寄せ集めであったり、
ファンの支持率が高い曲を最優先した選曲であることがほとんどだが、
それは結局は単純に「売るための」商品に過ぎないと思う。
ベストアルバムをひとつの作品と捉えるECMのやり方は
十分に支持されるべきものだ。
カーラ・ブレイの「:rarumXV」を購入したが、
カーラ自身の考え方がよく分かる選曲だった、
と言いたいところだが、実はあんまりよくわからなかった。
僕なら、全曲選ばないけど(笑) まあ、それは言いすぎだが。
給料が入ったら、あと4〜5枚購入するつもりだ。

ベストアルバムといえば、その昔、吉田拓郎選曲による
ボブ・ディランのベストLPが出ていた。
これは素晴らしい選曲だった。
人気・不人気を全く無視した、吉田拓郎の心に深く沁みついた作品ばかりなので、
ボブ・ディランを聴くと同時に吉田拓郎の世界観や人生観までもが
覗き見できてしまう面白さがあった。
当時、拓郎とディランに心酔していた僕は、
自分と拓郎の趣味が非常に似ていることに気付き小躍りして感動した
覚えがある。
あの極めて音楽的な「ベストアルバム」は何故かCD化されていない。
契約上の問題はないはずだ。それとも吉田拓郎=ディラン信奉者という
図式が今の人たちには理解されないために発売する意味がないと
考えているのだろうか?

余談だが、当時の吉田拓郎は「よしだたくろう」という風に平仮名で
記される事がほとんどだったと記憶する。
その昔、ザ・バンドとの共演話が現実味を帯びつつある頃、
あるラジオ番組で、たくろう自身が自作の元ネタをバラすという
画期的な企画があった。
“春だったね”がディランの“メンフィス・ブルース・アゲイン”、
“暑中お見舞い申し上げます”が同じくディランの“アイ・ウォント・ユー”、
“イメージの詩”もディランの“デソレイション・ロウ”と
いった具合に数曲の元ネタが彼自身の解説つき(どういう理由でパクったとか、
どの部分をいただいた、とか)で実に楽しげにバラされていった。
結局、そのとき紹介された楽曲全ての元ネタがディランだったのだ。
現在の自分を作ったのはディランに他ならないということを
ラジオを聴いているファンに伝えたかったのだろう。
今のアーチストにここまでの勇気はない。いや、勇気と言うより、
ある種の投げやりだったのかもしれない。
理由は何であれ、そこまでディランを崇拝していたたくろうは、
ディランのベストを選曲する事で、
自分の音楽人生の第一幕を終了させたかったのではないか?というのは考えすぎか?
しかし、実際に彼はディラン的な作風からどんどん離れていく事になるのだから、
あながち僕の妄想とは言えまい。

さて、僕が知る限り、ひとりの外国人アーチストに絞って、
日本のアーチストが選曲したベストアルバムは、
拓郎のそれと山下達郎選曲の「ベンチャーズ・ベスト」(これも素晴らしい選曲!)、
それから山本精一(ボアダムス)やPANTAらが選曲した「フランクザッパ選集」
くらいしか知らない。
他にもあるかもしれないが思い出せない。
みなさん、そういうのに興味ありません?
たとえばミスチルの桜井和寿選曲の「ビートルズはこれだぜ!20曲!」
とか、小山田圭吾選曲の「これで決まりだ!ブライアン・ウィルソン20曲!」
とか、遠藤賢司選曲の「ニール・ヤングと歌おう!20曲」とか。
考え出したらきりがないくらい面白い企画だと思う。
オリコンが絶対的な権威になっている我が国ではこういう企画物は
無理なのかしら?

だったら、こういう企画はどうだろう?
むッ、盗まれる恐れがあるか?ま、盗まれてもいいや(笑)

日本の50アーチストに聞いた、
「あなたの人生にとっての10枚のアルバム」。
これを本で発売する。もちろんアルバムの写真は全てカラーで掲載。
値段は1200円くらい。
もし、この企画が実現したら、言い出しっぺは僕、墨田ですから(笑)
とりあえず、50アーチストだけは選んでおいてあげよう。僕は親切だ。
ただし、嫌いな奴は選ばない。

1 桜井和寿(ミスチル)
2 鈴木JEN(ミスチル)
3 小沢健二(元・フリッパーズ・ギター)
4 小山田圭吾(元・フリッパーズ・ギター)
5 つんく♂
6 筒美京平
7 三木たかし
8 直枝政広(カーネーション)
9 浅井健一(元・BJC)
10 大貫妙子
11 山下達郎
12 遠藤賢司
13 高田渡
14 大瀧詠一(元・はっぴいえんど)
15 細野晴臣(元・はっぴいえんど)
16 高橋幸宏(元・サディスティック・ミカ・バンド)
17 鈴木惣一朗(ワールド・スタンダード)
18 松本隆(元・はっぴいえんど)
19 鈴木慶一(ムーンライダース)
20 岸田繁(くるり)
21 菅野よう子
22 三上寛
23 横山剣(クレイジー・ケン・バンド)
24 早川美夫(元・ジャックス)
25 山本精一(ボアダムス)
26 ユーミン
27 鈴木博文(ムーンライダース)
28 荒木一郎
29 矢野顕子
30 曽我部恵一(元・サニー・デイ・サービス)
31 あがた森魚
32 玉置浩二(元・安全地帯)
33 白井良明(ムーンライダース)
34 坂本慎太郎(ゆらゆら帝国)
35 小西康陽(元・ピチカート・ファイブ)
36 小林武史(マイ・リトル・ラヴァー)
37 桑田佳祐(サザン・オールスターズ)
38 奥田民生
39 村上秀一
40 かまやつひろし(元・スパイダース)
41 高野寛
42 シュガー(バッファロー・ドーター)
43 大野由美子(バッファロー・ドーター)
44 加川良
45 久保田真琴(元・夕焼け楽団)
46 坂本龍一(元・YMO)
47 中島みゆき
48 「ロッカー73」こと墨田妖児のおふくろ(俳人)
49 友人のT氏(現・どうやら負け組らしい)
50 俺(現・どうやら負け組らしい)


2004年03月12日(金) 誰も知らない「東京Qチャンネル」、割と知られているが廃盤の「かの香織」。嗅覚なしの僕って。

1996年に発売された東京Qチャンネルという2人組の“素直なままで恋を
しようよ”という曲を覚えている人がいるだろうか?
いねーな。
シングルCDを整理していたら出て来た。
おお!これは名曲だったんだ!とひとり声を出した僕。
実際に非常にいい曲。何よりもヴォーカルの女性が上手い。
声も何とも魅力的だ。ルックスはどうだか知らないが、
少なくともこんなにキュートな声はザラにはない。
高音に伸びていくとき、ドキっとするほどカワイイ。
その後、このグループの消息は知らない。
グループ名が悪かったのでは?
東京Qチャンネルじゃぁ・・ねー・・。この娘は今、どこに?
そもそも何ていう名前なの?

こちらはずっと有名なシンガーだが、かの香織(cano caoli)
という女性がいる。
かつて僕が心底夢中になった女性シンガーだ。
残念ながらアルバムを手離してしまった。
おそらく坂本真綾の超傑作デビュー作「グレープフルーツ」に勝る
名盤であろう。ああ・・・聴きたいよ〜^。
でもって、マキシシングルは数枚持っているので、「エキストラ・ブライト」の
中の2曲は聴ける。
“空のアンテナ”と“青い地球はてのひら”。
どちらもかの香織の魅力全開の素晴らしい曲だ。
しかしアルバムには決定的な名曲が収められているのだった。

“太陽の理由”がその曲。
これは日本のポップス史上に燦然と輝く大名曲!!
何故かシングルカットされなかった。
アルバムの冒頭に収められている。そして2曲目が“空のアンテナ”、
3曲目が“青い地球はてのひら”。
必殺の三段攻めである!
“太陽の理由”があるから“空のアンテナ”が感動的なわけなので、
“空のアンテナ”だけを聴いても感動は半分以下になってしまう。
アルバムの曲順とはそれほど大切なものなのだ。

「エキストラ・ブライト」に続く「裸で会いましょう」というアルバムもいい。
“午前2時のエンジェル”という決定的な曲が収められている。
“魔法にかかれ”と“夏よ風よ”もいい!
“夏よ風よ”のマキシシングルに収められた、
“cut and cut(1995mix)”での宮田繁男のドラムスと
菊地成孔のソプラノサックスはめっちゃイイぞ!
空を駆けていくような演奏だ。
しかし、かの香織が良かったのはここまで。
それ以降、おフランス趣味的な世界へと彼女は旅立ってしまった。
僕には全く興味のない世界だ。
もし、「エキストラ・ブライト」でブレイクしていたら、
ポップス路線を驀進して行ったかもしれない。
売れないという事は、趣味的な世界に引きこもらせてしまう事がある。
しかも、「かの香織が考える」フランス的な音楽は、
あまりにも「雰囲気的な」趣味の世界で厳しさに欠けるので、
深みに欠けてしまうのだ。
所詮、ブリジッド・フォンテーヌにはなり得ないのだ。


突然だが、14〜5年前から僕の嗅覚は壊れている。
耳鼻科でも原因は分からないそうだ。
一年のうち、約9割近くは、何も匂わない。
そういう生活を続けている。
タバコの匂いも、季節の草花の匂いも、トイレの匂いも、
8/4の匂いも、自分のオナラの匂いも分からない。
食事の時、100%舌に委ねなければ
ならない、という点がちょっと問題だ。
匂いがないために、甘いとか辛いという味覚が異常に敏感になってしまっている。
味付けのいい加減な飯屋でよく腹を立てることがある。
目が不自由な人の聴覚が発達するのと同じ理由かもしれない。
グラタンもラーメンもカレーライスも焼き肉もご飯も匂わない。
見た目と味覚だけで味わう。
これが悲しいことなのかどうかは分からないが、
嫌な匂いを嗅がなくてもいい、という利点もある。
車のガソリンの匂いが苦手で、昔は随分それが原因で酔ったが、
最近で全く酔わなくなった。
大嫌いなタバコを隣りで吸われていても気にならない。
非常に困ったことが3回だけあった。
台所で鍋を火にかけっぱなしで、隣りの部屋へ引っ込んで約一時間、
煙が部屋に入ってきてようやく鍋がほとんど「真っ赤に燃えている」ことに
気付いた。柄の部分の木が炭になっていた。
煙が目にしみるまで気がつかなかったのだ。
同じ経験を3回した。これは怖い。

9割匂わないということは、1割は匂うということだ。
秋から冬にかけては何故か匂う。
淋しい匂いだけを感知できる鼻なのか?悲しい鼻だな、やっぱ。


今日のBGMは、友人にトーストしてもらった
菊池雅章の「メランコリー・ギル」。
現在廃盤中。名作「Love Song」ともども再発すべし!今すぐ!!
今すぐだ!!!



2004年03月11日(木) 映画「壬生義士伝」を観て、くるりの最高傑作「アンテナ」を聴く。でもって、喘息。

僕は相当しつこいタイプか?
松浦あややの新曲“風信子〜ヒアシンス〜”は本当にダサい。
歌っている姿は、まるで在りし日の(死んだか?)松田聖子ちゃんの
トゥルリラ〜♪トゥルリラ〜♪状態だ。
そういうレベルの歌手じゃないでしょ?あややは。
これは単なるコスプレと見るべきか?それなら、もっとエッチな恰好を
させてくれ。オジサンは願う。

'・'゜☆*..☆ *★ *☆ 


涙ぽろりが「号泣」。
人が殺されて「やるせない」。
子供が虐待されて「切ない」。
自転車を盗まれた事が「悲劇」。

最近気になっている言葉の表現だ。
僕は新語に関してはかなり寛容だと思うが、
絶対にゆるぎない言葉というものはあるのだ。
「号泣」「やるせない」「切ない」「悲劇」・・・
他にも挙げればいくつかあるだろうが、
最近の使われ方は、どれも極端に誇張されているか、軽んじられているかの
どちらかだ。特に3番目の「子供が虐待された切ない事件」という表現は
最近テレビで有名タレントが使っていたが、それはいくらなんでも
いかんだろう?!と思った。
周りが注意しなければ。
あと、SMAPのくさなぎがよく口にする
「それ見た時あります」というのも気になるな。
「それ見た事あります」でしょ。
って、僕も結構うるさい?



日本アカデミー賞で各賞を取りまくった映画「壬生義士伝」を
レンタルビデオで観た。
浅田次郎の原作は読んでいないので、単純に映画だけの感想を言うと、
中井貴一と佐藤浩市の演技者としての大いなる成長と
映画表現における「脚本・脚色」の難しさを痛感した。
この映画は、何もかも描こうとしているために、後半の3分の1が
クドくなりすぎている。説明的すぎるということなのだ。
僕ら観客に「何かを想像させる部分」を残して欲しいと思う。
映画を観終えた直後に全てが「解決」していることのつまらなさを味わった。
同じ浅田次郎原作の映画「鉄道員」も同様だった。
古くは「砂の器」もそうだった。
音楽の世界もそうだが、いかに少ない音数で雄弁に語るか、という
ことが一番難しい。
「たそがれ清兵衛」と比べてしまうと、かなり見劣りがする。
原作は映画とは違うという噂を耳にした。
原作を読んでみようと思う。


さて、くるりの新作「アンテナ」の感想だ。
結論から言えば、今年の日本のロックは
4月7日に発売されるミスチルの「シフクノオト」とこの「アンテナ」
でワンツー・フィニッシュのような気がする。

傑作だ。
各雑誌で騒がれている通りの文句のつけようがない傑作だ。
岸田のソングライティングの「技」は前作よりさらに巧みになり、
決して凝ってはいない音作りで濃い内容の音楽を創りだしてしまった
アレンジ(非常に一発録りっぽいニュアンス)の上手さには、
参った・・!といった感じだ。
そして演奏の中心にあるのは、新メンバーであるドラマーの存在だ。
ミスチルのJENがカーネーションの矢部に似ていることは
先日指摘したが、矢部よりもくるりのクリストファー・マグワイヤーに
似ている。しかし、この外人はいいドラマーだなぁ。
どこで見つけたんだろう?
体格に似合わない繊細なプレイヤーだと思う。
曲によって叩き方を使い分けている事にも驚いた。
オールマイティーなドラマーだと見た。
アルバムに先駆けて発売されたシングル“ロックンロール”
を絶賛した僕だが、あのレベルどころの話ではなかった。
ここまで雄弁なギターを今までのくるりでは聴く事ができなかった。
岸田の声もいい。歌い込んでいるのがよくわかる。
絶賛状態だな。
批判する部分は一箇所もない。
ところどころで、「はっぴえんど」や「乱魔堂」といった
かつての名ロックグループとイメージが重なる。
それがこのアルバムの特徴を言い得ていると、自分では思う。
何回聴いても胃にもたれないミキシングもいい。


今夜、寝る前のBGMはレジデンツの最高傑作と言われる
「ダック・スタブ、バスター&グレン」。
大好き!フリーミュージック(自由な形態の音楽)と呼ぶべき。



で、ここまでが10日の夜11時に寝る前に書いた分。
ここからが11日の昼に書いている分だ。

明け方から7〜8年ぶりの喘息の発作が起き、会社を休む。
ひどい小児喘息を経験したことがあるので、(余談だが、僕の小児喘息は
なんと!お灸で治った!)発作の苦しさには慣れていたつもりだが、
久々の発作には体力の衰えもあり、参った・・・・。
人間何が辛いって1番目は痛み、2番目は呼吸困難だと思う。
痛みは3度に渡る尿管結石で地獄を体験済み。となると
僕の場合はワン・ツー・フィニッシュか?
喘息経験者はわかると思うが、横になるのが辛いのだ。
上半身だけ起こして寝る。当然熟睡は出来ない。
しかも喘息薬には睡眠を妨げる副作用があると聞く。
吸入器による薬の投与が効いているので、今は苦しくないが、
指先がブルブルと震える。
これは有名な副作用。あと鼓動がものすごく速くなる。
やりすぎると死ぬ。現に数年前何人かが死んでいる。
僕の知り合いの弟も死んでいる。僕はどうなるの??おしえて・・・。

発作の原因は風邪と花粉症とストレス。間違いない。
一気にストレスがかかるような出来事があり、そこに風邪や花粉症が
タッグを組んでやってくると気管支はもうグロッキーだ。
今日は一日、音楽を聴いて過ごす。
しかし苦しいのであんまり楽しくはない。

喘息に合う音楽はというと・・・・

トーマス・スタンコと田村夏樹と塩酸プロカテロール(喘息吸入薬)でトリップ
しちゃいましょう。トホホ・・・・。


2004年03月09日(火) 「ヘイ・ヘイ・ヘイ」での平原綾香と松浦あやや。でもって、クレイジー・ケン・バンドのDVDでお耳直し。

ダウンタウンの腐れ音楽番組「ヘイ・ヘイ・ヘイ」で平原綾香を聴く。
やっぱ、この子駄目だわ。
唯一武器と言われた歌唱力も生で聴くとおそまつだし、
やはりこのメロディーに強引につけたような詞の浮き加減が何とも
落ち着かない。
ミスチルを引き合いに出すのもなんだけど、桜井は何と発音しているのか
分からない場合がある。しかしそんな中に突如、心に突き刺さる言葉が
出てくる。まるでその言葉を聞かせるためにあえて他の歌詞を曖昧に
発音する確信犯であるかのように。
ようするにそれが音楽的っていうことなんだな。
ひとつひとつの言葉をきちんと発音するのは決して悪い事ではない。
そういう歌を僕は何曲も知っているし、感動した曲も多い。
ただし、どの言葉も「同じような発声・同じような発音」で歌われると
興ざめする。たとえば、吉田美和もそう。さだまさしもそう。小椋佳もそう。
無機的に聴こえる歌を今の人たちは「感動的」というみたいだ。
困ったなぁ・・・。


クレイジー・ケン・バンドのはじめてのライブDVDを鑑賞する。
ただただ、素晴らしいの一言しか出てこない。
思ったね。このグループはバンドとは名乗っているが、
本質は「一座」だと。
下世話でエロくて庶民でスターだ。
彼らの魅力はスタジオ盤では伝わらないとずっと思っている。
今でも一番好きなアルバムはライブ盤の「青山246深夜族の夜」だ。
その魅惑のステージがDVDで2時間半近くも見られるのだから、
本当に幸せだ。
生活費を切り詰めた甲斐があった。
一座の公演を仕切る横山の存在感はまさに横山やすし並みだが、
それにしても上手い(美味いでもいい)バンドだ。
非常に見せて(魅せて)くれる。横山剣の個性が傑出しているため
どうしてもその部分だけがクローズアップされがちだが、
こういうバンドの演奏を見ちゃうと、やはり練習してるなぁ、と思う。
司会のBurlesque Engine、KOHA.LA.SMARTもイカシてるぜ。
全てにおいて手抜きを絶対にしないのが一座の特徴だ。
手抜きに対して庶民の目は厳しい。クレイジー・ケン・バンド。イイ〜ねッ!!

でもって、さっきの「ヘイ・ヘイ・ヘイ」で松浦あややが歌った新曲
がエライことになっていた。
タイトルは“風信子”。
かぜのぶこ、ではない。
ヒアシンスだそう。何と、ソニンに続き、あややの新曲もつんく♂ではない。
谷村新司だ。やばい。やばすぎだ。
谷村ならヒアシンスをあえて「風信子」と書くだろう。さだまさしも同じ事を
するに違いない。
そんなことより曲の方だが、この腐った詞はなんだ??!!
24時間テレビで加山と競作した曲並みのひどさ。いや、それ以上。。
も、もしかして24時間テレビで歌うの?これ?
メロディーもつまんねぇ〜〜!!×100
これはいかん。絶対にいかん。買ってはいかん。
初めてあやや関係で購入しない楽曲が登場してしまった。
なんか、つまんないことするね。関係者も。
それにしても谷村新司って音楽的センス、、ゼロね(苦笑)



2004年03月08日(月) シカゴ・アンダーグラウンド・トリオ。高田渡。デレク・ベイリー。あやや。クレイジー・ケン・バンド。ナンシー関。ちゃんこ鍋か?

信頼できる友人をひとり持っているのはいい事だ。
友人のT氏は僕の趣味嗜好を完璧に理解している。
そういう点からも絶対に信頼できるのだ。
名前を聞いたことがないアーチストであっても、
「これ、いいですよー聴いてみません?」と僕に言ったその瞬間に
そのアーチストはもう僕のお気に入り当確になっている。
彼は、僕とは違う音楽鑑賞の道筋をたどってきた。
もちろん共通の好みのアーチストは極めて多いが、
お互いに聴かされるのが初体験というアーチストも多いのだ。
ということは、二人の守備範囲を合体させれば、とんでもない広さを
網羅する事になり、これはすでに我が国では無敵ではないか?と
さえ思えてくる。(これは中年の妄想ではないぞ)

というわけで、本日某CDショップにおいてCDを3〜40枚処分し、新しいCDを
数点購入してきた。(処分〜購入〜処分〜購入を繰り返しているので
ちっとも在庫が増えない)
なかなかいい物を手に入れたと、自己満足しきり。

僕は一日の小遣い100円。多いときでも200円なのだ。
弁当と冷凍庫で凍らせたペットボトルの麦茶を
持って職場に行くので、使うのは缶コーヒー代だけ。
タバコは10年前にやめたし、外には飲みにはいかないし。
こういう生活をしてでもCDを購入するのが男ってもんですぜ!兄貴!
仕事仲間ともうまくいかねーし、そもそもその仕事自体も
どうなるかわからない不安定な状況で、信じられるのは
音楽しかないでしょ?

で、今日の収穫は。

「菊地成孔×コンボピアノ/10ミニッツ・オールダー」
「シカゴ・アンダーグラウンド・トリオ/スロン」
「Tomasz Stanko Quartet / Susupended Night」
「Carla Bley /Selected Recordings ECM」
「Derek Bailey & Joelle Leandre/No Waiting」
「ヴィジェイ・アイヤー&マイク・ラッド/何語で?」
「トータス/イッツ・オール・アラウンド・ユー」
「降神(おりがみ)/望〜月を亡くした王様〜」


シカゴ・アンダーグラウンド・トリオの「スロン」を聴いた。
どこかの雑誌に『1曲目はいきなりのフリージャズ』と書いてあったが
これはフリージャズとはちゃうやろ?
まあ、そんなことはどうでもいいのだが、
相当な傑作アルバムである事は間違いないが、
なかなか音を説明しづらい。
言葉で語ると、散漫な印象のアルバムというイメージを与えかねない。
とにかくいろいろなことをやっているが、基本的にはやはりジャズである。
ドン・チェリーばりのコルネットプレイも電子音もノイズもSEも打ち込みリズムも
その他すべての音楽的要素が、全くの思いつきや偶然で作られてはいない、
と思わせるところがスゴイな。
聴いていてこれほど楽しい事はないし、聴きこむほどに
深みにはまっていきそうな音楽だ。


で、ここで突然松浦あややの“奇跡の香りダンス”、クレイジー・ケン・バンドの
“GT”と“まっぴらロック”と“タイガー&ドラゴン”を聴く。
ポップスの過去と未来を一瞬にテレポーテーションするような音楽たちだ。
酒が美味い。
明日は仕事か・・・。。一瞬頭をよぎる。このままどこかに引き込んで
一生音楽を聴いていたいという強烈な欲求に襲われる。
登校拒否(通勤拒否か)の前兆か?ヤバめ。


で、また突然、URCレーベル会員制時代の第一回配布アルバム
「高田渡/五つの赤い風船」(1969年)を聴き始める。
ここでの高田渡はまだソロデビューはしていない。よって実況録音盤に
なっているが、これが何とも楽しい内容だ。
観客の反応、特に女性の反応が爽やかで実にいい!
こういう歌に素直に反応していた女性がかつて日本にも
いたのねん。

「事だよ」「現代的だわね」「自衛隊に入ろう」「ブラブラ節」
「しらみの旅」「あきらめ節」「冷やそうよ」
高田渡は全7曲。(五つの赤い風船は全9曲)
駄曲はなし。すべて聴かねばならない。
ちなみに五つの赤い風船も相当なもの。
かなりのサウンド志向である。

『日本の平和を守るためにゃ
 鉄砲やロケットがいりますよ
 アメリカさんにも手伝ってもらい
 悪い ソ連や中国をやっつけましょう

 自衛隊じゃ 人材求めてます
 年齢 学歴は問いません
 祖国のためなら どこまでも
 素直な人を求めてます』   “自衛隊に入ろう”


消しゴム版画家・ナンシー関女史(故人)の著作集を電車の中で
読みふけっている。僕の文章の書き方にも影響が出始めている(笑)
テレビに映し出される者や物を片っ端から鋭く批判していく。
いちいち頷く僕。
現在入手可能なのは文庫本で8冊。角川文庫。

「何がどうして」「何もそこまで」「何をいまさら」「何がなんだか」
「何の因果で」「信仰の現場」「ナンシー関のボン研究所」
「ナンシー関の顔面手帖」

「芸能人」ではなく「芸能界人」と呼ぶナンシー関を全面支持。


つづいて、「Derek Bailey & Joelle Leandre/No Waiting」をかける。
今日の締めの音楽だ。
デレク・ベイリーはもう70歳を過ぎているのかぁ・・。
相手のジョエル・レアンドルは女性ベーシスト。
デレク・ベイリーの演奏はスピーカーではなく
ヘッドフォーンで聴くに限る。
弦を擦る全ての音を聞き逃さないために。
こういう音楽をこころから美しいと思えるようになったのは
40歳を過ぎてからだ。
頭ではなく心で聴くようになった時期と重なる。
デレク・ベイリーは手の届くところにおいて置かなくちゃいけないな。
おやすみなさい。。。。



2004年03月07日(日) ミスチル、鈴木JENを大いにリスペクトする僕であった!

ミスチルの新作「シフクノオト」の発売が待ちきれず、
docomoのサイトから携帯の着メロ(曲名は新曲の“paddle”)を
ダウンロードした。いい曲だ。45秒しか聴けないのが残念だ。
ああ・・・は〜やくこいこい〜4月〜7日〜♪

友人がミスチルのドラマー鈴木・JENについて書いていた。
CDではそうリアルには感じないが、ライブ映像を観ると、
このグループの音作りの正に要になっているのがドラムスとベースで
あることがわかる。
いや、音作りだけではないかもしれない。
桜井の曲作りにおいてもこのリズム体の存在は、
音楽的発想の重要な源になっている可能性がある。
もちろん音作りの決定権はアレンジャーの小林武史にあるとは
思うのだが、JENのあのドラムスをここで鳴らしたい、といった
欲求が曲作りの最中に沸々と湧き上がってくるのはありえる。

JENのドラムスの叩き方は、いわゆる「正しい叩き方」ではない。
右手のスティックでハイハットを刻む時、脇は基本的には締めなければ
いけない。何故なら無駄な筋肉運動からくる疲労を最小限に
抑えるためであり、それが正確なリズムのキープを可能にしてくれるからだ。
さらにいえば、脇を締める事で、手首のスナップだけでリズムを刻むことが
容易になる。僕もドラムスを叩いた経験があるが、脇を締めた方が
圧倒的に肩が凝らない。長い時間叩ける。リズムが崩れない。

“口笛”のあの魅力的なドラムスを叩く映像をごらんになった方は気付いただろうか?
JENはまるでヤクルトの古田選手のように脇を開き、
肘が肩の高さまで(大袈裟だが)上がっている。
その時、僕は気付いた。
普通のドラマーと違い、JENの場合は、手首から肘にかけての
ラインで「波打つようにして」リズムを作り出しているのだろう、と。
これはかなり正解に近いか、正解そのものだと思う。
肘が高く上がっているため、当然スティックが振り下ろされる際のトップの
位置が「異常に」高い。
(普通、この叩き方をするとかなり疲労するのだが、
おそらくJENは筋肉トレーニングで鍛えているのだろう。
ただのノンベーではない)
それが彼のドラミング・スタイルをキース・ムーン(The whoの伝説的ドラマー)
っぽく見せているのだろう。
ただしこれはあくまでも見た目であり、実際にはゴムが伸び縮みするように
「グルーヴ」するJENのドラム演奏の音に一番近いのは
(独断だが)ピンク・フロイドのニック・メイスンだと考える。
これもかなり正解に近いか、正解そのものだ。
同じリズムを延々とキープする曲で、
徐々にドラムスが「熱く」なっていくのがわかる。
これがグルーヴの正体なのだが、ニック・メイスンにもそういう感覚が
大いにある。
ただし、JEN自身が一番好きなドラマーはレッド・ツェッペリンの
ジョン・ボーナムではないだろうか?知らないが。
タムタムやスネアーにステッィクが叩きつけられる時の
角度、その時のからだの動き、そして音色(これはあとでどうにでもできるが)に
影響が伺える。
でも作り出される「間」はニック・メイスン。(僕も相当くどい)(笑)

余談だが、カーネーションという日本の素晴らしいグループの
名ドラマー矢部浩志がJENに非常に良く似たプレイをする。
グルーヴして間を作り出す。是非お聞きくだされ。

ちなみにJENの演奏で僕が一番すきなのは、
アルバム「it’s a wonderful world」の中の
“渇いたkiss”。
全くもって見事な演奏だ。
さらにいえば、DVD「wonderful world on DEC21」の中の
同曲のヴァージョンはスタジオ盤の2倍グルーヴしている。
JENは歌も歌うが、JENのドラムスはさらに歌っている。


2004年03月06日(土) バーナード・ハーマン「タクシー・ドライバー」完全版。The Shaggsで昇天した中年二人。耳の栄養メニュー。

映画「タクシー・ドライバー」の完全版(すなわち作曲者、バーナード・ハーマン
自身が指揮した全ての演奏が収録されている)が発売されていた。
ちっとも知らなかった。
当然、即購入。すでに3回通して聴いている。
天才、バーナード・ハーマンの説明をここでする気はない。
興味があるかたはネットで検索して驚いてもらいたい。
彼の優れた作品群の中でも間違いなく一番の傑作がこの「タクシー・ドライバー」。
最初は監督、マーティン・スコセッシの依頼を断わっていたハーマンだが
いざ仕事にとりかかると物凄い勢いだったようだ。
多くの映画音楽作家の中でも彼ほど心理描写の場面で
巧みに音楽を扱える作家は、まずいない。
しかし、世間ではエンニオ・モリコーネ流行りである。
モリコーネも才能はあるが、ハーマンと比べれば才能の差は歴然である。
僕はハーマンのヴォイシングが好きである。
というより、独特のヴォイシングこそがハーマンの全てであると言っても
過言ではないかもしれない。
その全てが体験できるのが「タクシー・ドライバー」の完全版だ。
バーナード・ハーマンは全ての音楽を録音し終えた、その日の夜に
眠るようにしてこの世を去った。正真正銘の最後の仕事だったのだ。



ニュー・ハンプシャー洲の田舎(かどうかは知らんが)で
1969年に発表された「philosophy of the world」
というすっごいタイトルのアルバム。
グループ名はThe Shaggs(シャッグス)。
父親がプロデューサーになり、愛娘たちでグループを作らせ、
2枚のアルバム(1stは3姉妹、一部4姉妹。2ndは4姉妹)を発表する。
どこの父親も我が子はかわいいのだろう。
だが普通、このジャケットに
写っている娘をかわいいとは言わない。言えない。
グループ活動は
父親が死ぬまで続けられた。親孝行バンドなのだ。

さて、演奏だが、これは言葉で表現できる次元をはるかに超えている。
よって、説明は省く。楽器が上手に演奏できないからと言って
すぐにコンピューターに頼ってしまう今の若者は
彼女らの試みから学ぶべし。

フランク・ザッパのお気に入りのバンドだったことは付け加えておくべきでしょう。
ちなみに最新再再発CDのプロデューサーは
なんと!NRBQのテリー・アダムスでした!って、そんな話題に感動するのは
日本中で100人くらい?(笑)

先日、友人宅でシャッグスを聴き、笑い転げ、極めて幸せな時間を過ごした。
「シャッグスって、オーネットのハーモロディクス理論ですよね?」
「そうだ!バーン・ニクスのギターそっくし!!」
ここで大笑いし、感動に打ち震えながら聴き入った。
真昼間から、シャッグスに感動している中年ふたりの姿は
美しい。

思うのだが、21世紀の我が日本でシャッグスのCDを聴いている
人間が存在する事など、姉妹の父親は想像だにしなかっただろう。
しかし、父親の耳は確かに優れていた。
全曲オリジナルの1stアルバム、さらに言えば全曲同じような曲の
1stアルバムを録音し終えたときの満足感はいかばかりの
ものであっただろうか?
どこかの勇気ある音楽雑誌がシャッグスのメンバーにインタビュー
してくれないものか?
1969年に22〜3歳として、現在生きていれば、
57〜8歳。孫もいる歳である。
ああ・・・・今の姿を見てみたい!すごいことになっているのは
想像できるが。
ちなみにシャッグスの一番おいしい部分は1stアルバムの4曲目
“my pal foot foot”のドラムソロだ。
おそらく1万回聴いても飽きない。


今日の耳の栄養メニューは、

「レジデンツ/ノット・アヴェイラブル」「高木元輝/モスラフライト」
「菊地雅章/Love song」「ロバート・ワイアット/ロック・ボトム」
「ジョー・ヘンリー/scar」「小室等/時間のパスポート」
「スーパーカー/アンサー」「遠藤賢司/エンケンの四畳半ロック」
「渋さ知らズ/自衛隊に入ろう」

音楽は連鎖する生き物だよ。


2004年03月03日(水) すみた’s セレクション『ブライアン・ウィルソン』を22世紀の子供達に贈る。

先日の夜6時からの日本テレビのニュースで。
イラクに派遣された自衛隊の指揮官が隊員達を前に
こんなことを言っていた。

「日出ずる国(若い方へ。つまり日本の事)の国旗が今ここイラクの〜〜」

非常に驚き、両親にすぐに話した。かつての小国民だった両親も
大層驚き、すぐに別のチャンネルの同様のニュースを見たが、
僕の知る限りその部分を放送したのは、日本テレビだけであった。

「日出ずる国(若い方へ。ひでずる、ではなく、ひいずる、です)」
という表現でドキっとする世代の最南端は僕ら40代後半だろう。
直接両親からその言葉のおぞましさについて、
子供の時から聞かされていたことなので、とにかく驚いた。
アジアを侵略していった我が日本国は、かつては「日出ずる国」であり
その名の元、やりたい放題の蛮行を続けた。

思考回路が単純に出来ている僕と両親は、やはり思ってしまったのだ。
他国に戦争処理に出向いた自衛隊は、
やっぱり軍隊に他ならないのだと。
少なくとも、イラク派遣部隊のあの指揮官は、
日本国を「日出ずる国」と信じていることになる。
その傲慢さ、無知さ加減に腹がたつ。
そんな自衛隊員は彼だけであって欲しいと願うが、
実態はわからない。

この続きは、帰ってきてから書く。楽しい音楽の話をね。

(つづく)


で、帰ってきた。


午後から、友人宅へ。
「22世紀の子供達に贈る【Sumita’s Selection〜BRIAN WILSON〜】」
のCD−Rを作る。(曲目は2月28日の日記を参照)

22世紀、地上は荒れ果て、人々の精神も荒廃し、子供達は未来に
夢を抱く事など不可能に近くなっている。
そんなとき、少年が廃墟の中から一枚のCD−Rを見つける。
家に持ち帰り、再生する。
音楽が鳴り始める。少年はかつて一度も耳にしたことがないその音楽に
吸い寄せられるように、スピーカーに耳をつける。
「心配しなくていいんだよ」と音楽は語っているが、
少年にその言語は判らない。
少年は何度も何度も繰り返し音楽を聴く。
その少年は、僕の何代目かの子孫である。


メニエール症状が出たため、今日はここまで。また明日。


2004年03月02日(火) シュートしろよ、坂本龍一!夏川りみに酔いながら呟く僕。

坂本龍一の新作「CHASM」の1曲目に“undercooled”という
曲が収録されている。
韓国人ラッパー、MCスナイパーによるラップナンバーなのだが、
その歌詞の内容はかなり辛辣だ。
作詞はMCスナイパー自身。もちろん作曲は坂本だ。

たとえばこういう事が語られている。

『忘れたの?
 果てしない人間の欲望で作り上げた過去の悲劇を
 「テロに屈するな」なんて奴らは言うけれど
 ふざけるな!命を犠牲にする戦いに何の価値もないのに
 武力で他人の土地を奪うために送られる兵士達
 弾圧と抑圧!
 正当化される殺人行為
 心の中で叫ぶ歌』

真っ直ぐなメッセージだと思う。

問題はこのメッセージを坂本は何故日本語と英語で伝えようとしなかったのか?
という点だ。
韓国語で語らせる事も重要だろう。
しかし、今は日本語で日本国民に、英語でアメリカ国民に
メッセージを伝えるべきなのではないだろうか。
1曲目に日本語ヴァージョンを、最後に英語ヴァージョンで収録したほうが
良かったと思う。
韓国語にしたことを坂本の「逃げ」とまでは言うつもりはないが、
たとえば、サッカーで言えば最高のセンタリングをシュートし損なったような
後味の悪さを残してしまった気がする。
今しかないそのチャンスを逃したことが、後々響いてくるのではないか?
世界のサカモトと言われるほどのアーチストなら影響力も絶大なはずだ。
(ちなみに歌詞カードには英訳・日本語訳が載っているが・・・。)



夏川りみの新作「沖縄の風」の1曲目、“海の彼方”が素晴らしい。
声があいかわらずいい。
どこか下世話でありながらそれでいて透き通ったその声の魅力の
虜になって随分経つ。
“涙そうそう”も収録されているが、やはり彼女のヴァージョンが
一番優れている。
芸術を志向する平原綾香に対し、
芸能を志向する夏川りみ。
共に極めて歌が上手いが、上手さの「意味」が随分と違うように思う。
「癒しの音楽」という言葉で語られる二人だが、僕は僕と同じ地平に立っている
(ように感じる)夏川りみの歌に癒される。
気がつくと「歌が上手い」ということを忘れて聴き入ってしまっている。
いい酒が喉をスっと通っていくあの感覚だ。


2004年03月01日(月) 高田渡を聴きたい日々。

仕事帰りに途中下車して、CDショップへ。
駅前では2人組のいわゆるゆず風のアマチュア・フォーク・グループが
唄っている。
10人ほどのオーディエンスが彼らをとり囲んでいる。
女子高生くらいのが多いので、おそらくファンなのだろう。
真剣に聴き入っている姿にはちょっと感心した。
こういうところから音楽は始まっていくのだなぁ、などと
僕らしくない素直な感想を抱いた。
音楽の内容は今風の「頑張れば何とかなるソング」だったが。
街角の「タガタメ」を期待する訳ではないが、
いや、、心の中では本当は彼ら自身の「タガタメ」を聴きたかったのかも
しれない。


「正しい日本語」に関する書物が氾濫している。
それを僕は、あまり好ましく思っていない。
言葉というものはその時代時代で変わっていく。
いわば時代を映し出す鏡だ。
沈鬱な時代、軽薄な時代、危機的な時代、、、
その時代に相応しい言葉が街中に溢れる。
それを、間違っている!とか正しいのはこれだ!とか
この言葉を使いなさい!と言うのは、
時代を真っ直ぐに見る目を曇らせはしないだろうか?
「言葉の形が歪でなければ良し」とする発想はどこか強引な気がする。
NHKの言葉はあくまでも「共通語」であり、「標準語」ではないことに
多くの人は気付いていない。学校でも教えない。
確かに、若者が敬語を使えない事は考える余地がある問題だが、
それは若者が尊敬する年長の存在を、生まれた時から持っていない事の証明でもある。
不幸なことなのだ。
僕は言葉云々以上に、人々の優しさや思いやりの欠如を憂いている。
それは若者に限らない事だからだ。それだけに問題の根は深い。


高田渡の1969年の1stソロアルバム「汽車が田舎を通るそのとき」と
それに続くベルウッド・レーベルでの三部作、
「ごあいさつ」(1971年)、「系図」(1972年)、「石」(1973年)
を聴き返す日々が続いている。
「汽車が田舎を通るそのとき」は全曲高田渡自身の作詞であるが、
「ごあいさつ」以降は自作の詞の数がぐんと減る。
その代わり、有名・無名の詩人達の素晴らしい詞を
我々は目にする事になる。
つまり、彼は詞を創作することよりも詞を発見し紹介することに
魅力を、あるいは生き甲斐のようなものを感じ始めたのだろう。推測だが。
自作を歌う高田渡の魅力は何物にも換えがたい。
彼の物の見方には鋭さを感じる。朴訥としているようで
実は、ナイフのごとき切れ味を持っている。見た目に騙されてはいけない。

しかし、他人の詞を歌う高田渡にそのような鋭さは感じない。
その代わり、詞に対する彼の深い共感と愛情を感じさせる。
つまり、あたたかいのだ。正真正銘のやさしさを僕は感じる。
これは彼の人間としての本質的な部分に関わってくるものだと思う。
僕が彼から離れられない一番大きな理由がそれだ。

死刑になった永山則夫の詩を歌っている。
こういう一節がある。

『一生かけて 作り上げる
 誰にも分かるよな
 生きてる手紙を書くのだ』  “手紙を書こう”

この部分を歌うときの高田渡の声が切なすぎて、涙がでる。

弾き語りの「汽車が田舎を通るそのとき」と
武川雅寛(現・ムーンライダース)のヴァイオリン、
江藤勲と原田政長のベースプレイが光る「石」を特に推す。
「石」のデキシーランド・ジャズ風の曲も素晴らしい。


響 一朗

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