オトナの恋愛考
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母が夏前に倒れてからもう3ヶ月が経った。 最初は転倒による軽度の骨折だった。 一人の生活が無理なので骨折してから1週間目に私の家に来た。 それから2週間後にギプスがとれるその朝に いそいそと自分で身支度をしてから家のトイレで倒れてしまい そのまま寝たきりになり、半身不随になり、急速に認知症が進んだ。
倒れてから3日目に意識を回復した時に母は食べることを忘れた。 口から食事が入らなくなった。
あれから3ヶ月、彼女は管を通して直接胃に流し込むだけの 栄養を摂るためだけの食事しか出来なくなった。 元気な時には人一倍の健康オタクで食いしん坊で そして80歳を過ぎてもなお少女のような思考をもった人だった。
今思えば若い頃から時々妙なことを口走る時があった。 子供だった私は自分の母親の心の奥底など知る由もなく興味もなく たくさんの経験を積み重ねて大人になってから少しずつ 彼女の心の奥の闇だとか幻想だとかそういった世界に気付き始めて でも見て見ぬ振りをして自分自身の人生に翻弄されてきた。
今思えば、若い頃から統合失調症の気があったかもしれない。 いない人がいると言い、見えないものが見えると時々言っていた。 実在しない人々は彼女の心を少しづつ狂わせていたのかもしれない。 この病気は遺伝の部分が80%ほどだと言う。私も子供の頃から夢見がちの少女だった。 昔の小学校しかでていない母のことを東大の教授になった従兄弟を育てた伯母が 「◯ちゃんは昔から頭が良かったのにねえ、どうしてこんなになっちゃったんだろうね」 と電話口で嘆いた。
完全に向こう側の世界へ行ってしまった彼女は今いったいどこにいるのだろうか。 昔の優しい母に帰って来て欲しくて涙する夜もあるけれど もしかして体が束縛されるようになってからはさらに 彼女の心は自由自在になって飛び回っているのかもしれないと そうだったらむしろ体の老いとは切り放たれて少女のごとく この世とあの世を行き来できて幸せなのかもしれないと。
この日記がもし私の娘たちの目に触れる事が起きたなら もちろんその時の私は、今の彼女と同じ状況の未来の話。 自分の母親はもしかしたら幻想の世界の住人だったのかと そう思い込んでくれるだろうか。
この日記を読んだ我が娘はきっと 「お母さんてもしかしたら現実と幻想の区別がつかない病気だったのかもしれない」と 気づいていても気づかない振りをしてくれるだろうか。
ここに10年近くも書き綴っていることは紛れもなく真実なのだけれど。
先週末やっとひろに逢えた。 相変わらずの笑顔と優しさは逢っている間は当たり前なのに 別れて距離が離れると、それは悲しいほど手の届かない場所にある。
先月私の不注意で直前でホテルをキャンセルさせて逢えなかったお詫びに 海のそばのホテルのデイユースを予約して私は駅までひろを迎えに行った。 ここ1〜2年私から逢いに行かずにひろがこちらに来てくれるから、私は本当に嬉しいと思う。
車に乗り込んで来た彼の顔を見た。「ごめんね、やっと逢えたね。」「うん、やっと逢えたよ。」 笑顔で答える懐かしい(と言っても2ヶ月だけど)彼の言葉。 私はふざけて「ランチ何食べたい?お詫びにひろのいう事なんでもきくよ。」 「え、何でもいう事きいてくれるの?」とたんに笑顔がもっとにやけて嬉しそうだから 私は思わず笑ってしまう。 「何でもって、ランチの事だよ。」とわざと答えると 「何でも良いんだよね♪」なんて語尾に♪まで入ってるから私はなおさら笑ってしまう。 こんなやり取りはあの日一日中ずっと楽しく続いた。
本当にバカみたいな会話だけど恋人達の会話に無駄なものは一つもない、って言葉を 久しぶりに思い出して何だか切ない。日常を捨てたい訳じゃない。 でも同じ日常を生きる事が出来ないのがすごく悲しい。ただそれだけだ。 逢えるのが当たり前に思っていたから簡単に逢えない現実を確認してしまったから 「うさちゃん、愛してるよ」と何度も囁かれてもそれを真に受ける程子供っぽくもなく サバサバ割り切る程大人でもない自分を自覚した休日にふと想う。 外はかなり雨が激しく降ってきた。
入院中の母の洗濯物を届けに行く事が億劫になるほど非日常に溺れてもいられない。
でもこの数日この会話が私の中でリフレインする。
「また逢いにきてね」「うん、来月また逢おうね」
この口約束だけで私たちはもう5年目を迎えた。 ユーミンの歌みたいに悲しいほどお天気なのは 何も晴れている日ばかりじゃないんだ。
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