おぎそんの日記
おぎそん



 Be Free

久しぶりにほぼ日(ほぼ日刊)見てたら「勉強するってね、自由になることだと思うんです」とあって、深く同意した次第。

そうだよなぁ。
好きな本に「ためらいもイエス」(山崎マキコ)があるのですが、ここにも冒頭で”仕事が私に自由をくれた”って表記もあったし。
『自由』って幅があるけど、たぶん経済的に精神的に自立をするってことね、この場合。
うん、そういう意味ではたぶん今は自由なんだなぁ。
嬉しいなぁ。

2012年08月27日(月)



 薬缶の首にリボン

某エッセイを読んでいたら出てきた話題。
なくしものを見つけるには、イギリスではティーポットにリボンを結びつけて妖精の悪戯からどうにかするらしい。
なるほどね。
じゃあ、あんなものやこんなものが見つからないおぎそんのおうちでも有効ってことですね!

リボンをまず探す必要がありそうですが。

2012年08月21日(火)



 最強のふたり

つーわけで、たまたま当選した試写会に行って参りましたよっと。

最強のふたり(untouchable)
公式サイト(音声でますよ)
wiki

これ、障害学会のレコメンドがついてるらしいっすよ。ノーマライゼーション(笑)ですって。

これさー。
私の中のあなた、の看護学会推薦とおんなじくらい非難されてもいいと思うッす。

言うぞ。
障害者が、この社会において健常者が善人ごっこするためのアイコン”になりさがってるが故の胡散臭さが。
言っちゃった☆

よっしーに言わせると「ゲイが西欧文化圏において権力者がリベラルで多文化共生なポーズをとるためのアイコンであるように」だと。なるほどね。

男性2人の格差(それは、年齢・文化的・経済的・セクシャリティも含め)をものともせずに友人になっていく映画ってそこそこあるじゃないですか。たとえば、最高の人生の見つけ方、とか。あれもなんつーか、ホモソーシャル的な映画な気がしますよね。
女性のバディものって死はあまり見えない。フォエバーフレンズしかりテルマ&ルイーズしかり。

で、この作品ってある種その枠にはまってるような気がしてならない。
介護者と介助者。障害者としてではなく、個人としてみること。
あったりまえじゃん。とか正直なとこ思うのですよ。だって、車いすの友人や障害者認定を受けてる友人がいたら(つーか、大げさでなくても、結構いたりするよね、鬱だったり四肢の障害だったり統合失調だったり発達障害だったり。見える・見えないからじゃなくてさ)。

でも、30年近く生きてて思うのだけどそういう「社会」に生きている人って実はとても少ないのだと気づかされる。健常者は健常者の枠で、障害者は障害者の枠で自分の生活を心地よくするためにかかわらないってことが楽だとなんとなく実感してるから(デフのソーシャルネットワークを考えてみるといい)。
だから、こういう映画が出てくると健常者は「善人」が刺激され、見て啓蒙された”気になる”。でも、それだけ。
実践なんかしやしない。せいぜい、健常者であるはずの友人が障害者になったときにちょっと思い出す程度。

だから、その枠にいら立っているのはきっと乙武氏(危険なツイッターでの発言! 笑)であったり、陣内(伊坂幸太郎「チルドレン」の登場人物)だったりする。くっだらねぇ、その一言は善意の人にはなかなか言えないんだよね(この映画で出てきた、娘をしかる場面だけは花丸をあげてよいって思える、おすすめ発言)。だって、こっちが悪者みたい(って、わるものなのか)に思われちゃうし、善意の人に対して悪意を向けるのはとても疲れる(疲弊する)ことでもあるから。

そんなわけで、あんまりおすすめの映画ではないっす。
まぁ小ネタは面白いし、スタイリッシュなフランス映画っぽいとこはあるんだけど、うまくそれが題材と融合してないちぐはぐ感があります。
障害ってフィルターでたぶん見逃されてるんだと思う。

そんなことを麻布十番でデビルと食事しながら話して解散。
もう少し飲んでもよかったかな(え?)。

2012年08月20日(月)



 緋文字

小学校か中学校のときに、国語の資料集を読んでいてイプセン「人形の家」(岩波文庫)にハマったことがあるのです。夏休みの読書感想文にしようかと思ったくらい。
弘田三枝子「人形の家」じゃないのよ(先日のライブで、ツヨシくんがjカバーするつもりだったことが判明笑)。

で、たぶんそのラインで読んだ(と思う)のがホーソン「緋文字」(岩波文庫)。でも、きっかけをはっきり覚えてないんだよな。もしかしたら、赤川次郎の杉原爽香シリーズで言及されていたからかもしれん(今思った)。どの作品か幸せ検索してみたけど、色的には緋色のペンダントっぽい。93年だから約20年前かぁ。

2012年08月13日(月)



 カバー!

つーわけで、友人が3マンライブということで行ってきました。
午前中にあっちへ行って、2時間ほどこっちでお茶して、ライブという密度の濃すぎる一日でしたけどまぁたまにはね。

友人にも言ったんだけど、結局はカバーを通してその個人的な自己を語るってことだと思うのですね。
だから、選曲だったりどのスタイルでやるのかってのはネタバレしてないほうが楽しめる。
そういった意味で、事前にリクエストとかはないぶっつけ本番な感じが楽しかったなぁ、と。

アレンジで、歌い方で、そしてなにより一緒にやるメンバーで歌の印象が変わるってことが面白い。
たとえば、ツヨシくんはまっすぐなMCで「心ひとつ」(MISIA)は、歌いこみができなかったと言いながらも、むしろその不完全さが胸を打つ。
アンザイくんのやった「言葉にならない」(オフコース)。マッキーや辛島美登里のバージョンに比べてかなりメリハリのある、歌い上げ系に。
「時には昔の話を」(加藤登紀子)はアレンジが2番から転調させることで明るい印象に。MANISHの「さよならLazy Days」の感じ。
新くんは「おなじ星」(Jungle Smile)で1番から大胆に2番を省き、テンポを上げることでオオサビを強調。
3人でやった「若者のすべて」(フジファブリック)は、あの切なさ以上に刹那的な、でも楽しさを。すごく学生っぽい、あの雰囲気。


歌いたい曲とそれが説得力を持つ曲になるかはまた違うから難しいんだけど、それが一致した時はとてつもなく楽しいんだろうなぁと門外漢のおぎそんは思うのです。
これは、文章を書くときにも通じるんだけど(そう、2006年2月のあたりは個人的にそれができてるような気がする笑)。

そんなことを思って、聞いてました。
いい年をして、インディーズだなんて、とか昔は思ったのかもしれない。でも、今は、そうやって歳を重ねていく先輩がいるのがありがたいなぁと思う。いい歳を重ねてほしいなぁと心から思う。
そんなことを思ってました。

2012年08月12日(日)



 トラブル発生っ

Nちゃんたちとは家人もひっくるめてのお付き合いなのですが(お互いの家で食事したり一緒に遊びに行ったり)、今日の朝っぱらに(って言っても9時ころだけど)夜勤が空けて残業を残したJちゃんから電話が。
「Nに電話しても電話に出ないの。Nに何かあったらどうしよう・・・」

んー、でもたまたま寝てるだけかもよ。何度か電話してるなら、おぎそんも電話してみるからさ。まだ仕事でしょ? まずは仕事しろって。進展があったらメール入れるからさ。

と、請け負ってさっそく電話。んんー、確かに長く鳴らしてもでないな。留守電にも切り替わらない。
30分後にまたかけてみよう。

30分後。んー、とりあえずダイレクトアタックかけて、確認だけしとくか。
JにメールをしてNちゃんちへ(そう、彼女たちは同居なので)。
まだベッドにいる家人に「ちょっとNちゃんの生存確認しに行ってくるよ。大丈夫だと思うけどね」と声をかけて車でNちゃん宅へ。

30分ほどで到着。Jからは錯乱気味のメールが。妄想だけ先走ってるなぁ。

インターホンをプッシュ。
「はい。あれ、おぎそんじゃん。どうしたの」

寝てたってことだな。浮気してたかもしれないけど(笑)。

そんなわけで、電車で帰宅中のJに「生存確認。お詫びになんか買ってこいし」とメールを。

Jが来るまで、Nちゃんとその前日に花火大会だったので泊まっていったTちゃんと朝ご飯を食べながら(人んちで朝ご飯までお世話になるってどうよ、自分)、宝塚の魅力(Nちゃん)と、婚活パーティーの話(Tちゃん)。

なかなか帰ってこないねー、お昼になっちゃうよーと言ってたらやっとJ帰宅。何を買ってきたかと思えば、2キロのお米(宮崎産)。いやはやありがたくいただきますねー。

そんなわけで、午前中は潰されたわけであります。
緊急連絡先とかやっぱり必要だね。特に、近くで住んでる友人たちでネットワークを作っておかないないとなぁなんて思ったり。
遠くの血縁より近くの友人。
それを築くのは自分だしね。

2012年08月05日(日)



 LOVE おまえのせいだ。

イチハラヒロコが好きなんですけど。
インパクトしては画像で見たほうがいいだろうってことで、画像検索
なかなか個展に行く機会がなく、いつも気づけば終わっている状態。

やはり、大阪にいるときにむりやりにでも京都であったものに言っておけばよかったのかも。
というのも、今年も逃したからであります。
TABイベント「それでもあなたを愛したい
スケジュール 2012年03月31日 〜 2012年05月20日
なんてこったい。鎌倉画廊だし。

大型連休中に行けたじゃないか。
気づかなかった方がよかったのかも・・・。

思いもよらないところに、時に行くってのはあるんですけど(先日、友人の誕生日として食事で桜新町に行ったところ、すぐそばに長谷川町子美術館があって売店だけ侵入してきた、とか)これもめぐりあわせですかね・・・。

そろそろドラえもん美術館? 藤子不二雄美術館? に行こうとはしているんですけどね。
そうそう、ドラえもんといえば先日に直木賞を無事受賞した、辻村深月が「凍りのくじら」でとりあげてます。なかなかの佳作ですので文庫化フェアもされているでしょうしドラえもん好きは是非。
千葉大学教育学部出身だそうですが、物語を、人を信じることそして、人の醜さをもきちんと描いていて誠実な作家さんのような気がします。

http://www.asahi.com/national/update/0727/TKY201207270681.html
■夢中な「何か」見つけて

 大好きで夢中になれる「何か」を見つけてほしい。それはきっと、海に投げ出された時にしがみつけるブイのように、つらい現実に溺(おぼ)れそうな自分を救ってくれる。

 小中学校のころ、友だちとうまく付き合えなかった。教室で数人ずつの班(はん)を作る時、自分だけ余ってしまうこともよくあった。学校は楽しい場所では全くなく、周囲から「友だちがいない」と見られていると思うたび、自分が恥(は)ずかしく、心配する親にも申し訳なかった。

 そんな私を救ってくれたのはフィクションの世界だった。当時の自分を振り返ってみて、そう悪い少女時代でもなかったと思うのは、ゲームやアニメ、ライトノベルにのめり込み、それらの世界を、教室の現実と並行して楽しんでいたからだと思う。

 読書やゲーム、アニメのような1人でできる楽しみは、しばしば「暗い」「オタク」だとバカにされる。実際、私もそれでつらい思いをした。でも、それは現実逃避(げんじつとうひ)なんて言葉が似合わないほど、まぎれもなく私の現実の一部だった。

 今月、直木賞の受賞が決まった。小説を書くって、すごいことのように思われているけれど、かつて好きだったフィクションの世界の延長(えんちょう)線上でやっているだけのこと。ゲームやアニメは、小説と同等(どうとう)の価値があると思っている。私が好きだったもののことは、誰にももうバカにはさせない。

 悲しいけれど、いじめって絶対になくならない。

 アイドルでも、スポーツでも、何でもいい。つらい状況に追い込まれる前に、夢中になれるものを見つけて、自分の心を豊かに強く、保ってほしい。(つじむら・みづき=作家)

2012年08月01日(水)
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