おぎそんの日記
おぎそん



 ホントは、ね。

おぎそん、とりあえず接客業>この表現もどうかと思うじゃないですか。
最近、常々思うのは、案外人と接するのって苦手なのかも〜と。

イマサラ?って気もするんですが、なんかねー。

先日、子どもたちに「先を見通せないと(5年後、10年後の将来を考える)不幸になるよ?」なんて話をしてたんですが、10年前って考えてみたら高校生なんですよね。
つまり―大体だけれども―今、見ている子どもたちと同じくらいだったんですよ。

その時に、描いていた未来とはなんだか違うなーとも思うけれども。
5年前―みんなが大学を卒業するころ―だとしても、あれれこんなところにいるよ・・・なんて気もするけれども。

って考えると、アレだ。
5年後、転職している率が高い気がする・・・・。
その結論でいいのか、アタシ。

なんか、ライターとか文章を書く職業をやりたいと思ったこともあったけれども。

どうしたいんだろうね。
自分のことがイチバン分からない、不惑>違うのお年頃です★

2006年10月31日(火)



 順繰り

めずらしく出張でして。
直行直帰なら嬉しかったんだけれども、そこまではできず。

ただ、そこで以前お世話になった方に遭遇。
「ちゃんとやってるか?」だって。

”ちゃんと”はしてないけれども、”なんとか”って感じ。

「やっぱり、とりあえずは続けることだから」

”続ける”ことはできるかもしれないけれども、ボクである必然はないのかも。無力なボクが彼らに何もできないってのが歯がゆく感じるときがある。

「無責任かもしれないけれども、あのスピーチのとき、”センスあるかも”って思ったからさ」

伝えることは出来ても、それが浸透するかはベツモノなのかもしれない。限定された誰かに伝えることは出来ても、誰にも浸透するわけじゃない。そんな魔法のような言葉はないのかもしれないけれども。

「なんかあったら、電話しなよ。Mさんもしてきてるから」

ねー、そうやって弱さを見せれるって凄いことだと思う。ボクはどうしても虚勢を張ってしまうから。やる気がないように見えるかもしれないけれども、それも防衛なんだよ。いいわけじみてて、実際に言い訳なんだけど。



これから先なんてわからないんだよね。
納得のいくまでとは、言えないかもしれないけれども、”何か”が出来ればいいなぁと思う。
・・・40までに沖縄にセカンドハウスを購入するとか。


そのためには、まずボーナスだな。
そうやって、マラソンのように通過点を順繰り順繰りにいけるのかな。
途中で立ち止まってしまわないかな。

2006年10月17日(火)



 手をつなごう!

今日、うちの施設で運動会だったんです。
優勝は出来なかったんだけど、いいもん見せてもらったなぁ〜と思ったり。

やっぱり、手をつなぐ、という行為ってとっても貴重な気がする。
照れくさくて、でもちょっぴりと親密な感じ。
言葉にしなくても伝わるかもしれない感情。

ずっと手をつないでいることはできない。でも、その一瞬だけでもつないでいられる、その嬉しさ。確かさ。

オクラホマミキサーの哀愁漂う?旋律にのって、フォークダンスを見ていると少しだけ涙もろくなったのかな、と思う。
勝手に、北村薫「スキップ」がフラッシュバックする。

あぁ、これか。これだったんだ。と、呟く。

もう手をつなぐことは出来ない。でも、つなげないからこそのつながりだって、きっとある。
過ぎていってしまう。でも、でも。もう少しだけ。

2006年10月13日(金)



 悔しいけど

仕事が好き

なんて、コピーがあったような。
時々、そんな気分になる。

思い込みで、相手に対する押し付けなのかもしれないけれども。

2006年10月11日(水)



 Good-bye my loneliness

このごろ―本当にふとしたときになんだけれども―何か、”寂しさ”のようなものを感じる。
それが、本当に”寂しさ”と同一なのかはいまだにわからないのだけれども。

自分が、その感情を抱くことになんだか凄く、驚く。
さびしいってことを感じる人間だったのか? と。

携帯電話やアドレス帳を眺める。
誰かに話をしたいけれども、誰と話してもなんだか違う気がする。
その相手に迷惑をかけてしまう気がして、誰にも電話や話が出来ない。
勝手な思い込みに過ぎないよ、と誰かは笑うけれども、”ボクが”そう感じるのだ。

こうやって、書き綴ることが果たしてその”寂しさ”を紛らわすかどうか、すらわからない。

こんなときは眠ってしまおう。とりあえずは。

まだ、生きているのだから。

2006年10月02日(月)
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