おぎそんの日記
おぎそん



 冬がやってきた

いやはや、ここ東京のはずれでもしっかりと冬がやってまいりました。
つーかー、T留とたいして気温が変わらないってのはどうなのよ。
東京にいる意味がないっつーの>完全に勘違いしています

しっかり、午前6時代はマイナス4℃とのアナウンスもされており、油断をすると風邪を引いてしまいそうです。

先日、あまりにも寒くて朝早くに起きてしまった>え、今?今は徹夜明けでーすので外に出てみたのですが、しっかり霜も積もっているのね。
はぁー。
車のフロントガラスにもびっしりと薄いながらも氷が。

あとどのくらいで暖かくなるのかな。

おぎそんは暖房を使わなくてもよくなる時期を切に切に待ちわびております。

2005年12月17日(土)



 悲しいね



>ソーシャルワーカーほど役に立たない仕事はないですよね〜。

こんなコメントが人の日記になされているのを見た。
悲しいな。
役に立たない仕事、なんてものがあるんだろうか。

自分の仕事に誇りを持つこと。
みんながみんな、もてるとは限らないとどこかではわかっている。

でも、人の仕事を非難する/貶す ことって”アリ”なんだろうか?


ソーシャルワーカーとか戦場カメラマンとか警官とか、本来ならば彼ら(の仕事)が居ない/ない ことが求められる分野/仕事は確かにある。
でも、それをなくなることを期待しながらも、悲しいことに必要とされる現実がある。
その哀しさに目を背けて、「役に立たない」と言い切る人におぎそんはどうしても、その考えに賛同はできない。

「自分には関係ない」という強者の考えがいつの間にか、それを必要とする人々を生み出していることにどうして気づかないのだろう。
どうして、自分がもしかしたら強者の立場から外れてしまうかもしれない、という不安を抱かないのだろう。
どうして、他人を貶すことで自分を優位に保とうとするのだろう。

そんな相手に対して哀れみを持つことしかできない、おぎそん自身もどこかで優越感を持っているかもしれないけれども、それをきちんと認識しておきたいと思う。
そういう考えの人も”残念ながら”−もしかしたら、このような考えの人が多いのかもしれないけれども−居るんだ、ということを受け止めたいと思う。

そのうえで、きちんと考えたいと思う。

2005年12月13日(火)



 何を見ようとするか

そうそう、先日某映画の試写会に行ってきたんです。
しかし。
おぎそんの感性がおかしいのかな>と、逃げ道を作っておく、感動というか泣くっていうのはちょっと違うかなぁと思うのですが。

最近、流行のブログのコメントを見ると。
>観客全員、泣いていました感動した。
>本当に涙なくしては見れない超大作だと感じました。
>最初から最後まで本当に涙が止まりませんでした。

だと。

うーむ。

狙いどころはわかるんだけど、果たして「何に対して」泣くのかがわからないっていうのがあるかなーと。
いや、おぎそんだって「ヤベっ」と思ったところはあるんですよ。でも、それってたぶん、みんなが「泣ける」ってところとは違うところだと思うし。

金はかかってます
これは保証します。

いささか、メッセージ性が強いし、何をもたらせたいかの狙いはわかるんですけど・・・なんてゆーのかな、すごく収まりが悪い。

いや、舞台挨拶の段取りが下手すぎるとか「角川春樹先生が、晴れて潔白の身で」とか白々しいコメントに笑ってしまったり、反町くんったらちょっと思想が入ってきて危ないなぁ>窪塚くんの後を追うの?とか、いろんなことを思ったんだけど・・・。

たぶん、ですよ?
たぶん。
あのー、泣く人って、セカチューで泣いた人と同じ層じゃないのかなーなんて思いました。
それぞれがせつない思いを抱いて、戦争の名の下で犠牲になった悲しいお話しではあるのは確かなんです。
で、それぞれの立場があって、それがどーにもできなくて。
そーゆー話だと思うんです。

・・・って何が言いたいのかな、おぎそん。
ちょっと思想が入っている話は素直に見れないね、ということで。

おぎそんは、金がかかった映画は製作者が「金を回収しなきゃ」という必死さが見えてしまって好きではありません。

2005年12月08日(木)
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