おぎそんの日記
おぎそん



 リンダ・リンダ・リンダ

ひょんなことで、「リンダ・リンダ・リンダ」試写会が当たりまして。
久しぶりに会う友人(半年ぶりくらい?)と行ってきました。

今年は結構頑張って>頑張らなくていいから映画に行こうとしていて。試写会も順調に?当たったりして行けてます。
これで、今年は4本目の映画です。すごーい。


で。うーん。
たぶん、どっかで言われてると思うんだけど前年の「スゥイング・ガール」と似てる!って捕らえ方をされているんじゃないかなぁ。
これって、ソコじゃないと思うんだわな。

どっちかというと、もっと緩いの。コンクールじゃないし(なにせ、学園祭)目的が明確じゃなくどっちかというと意地っ張りから出た一回限りのバンド。
そういう状況からすると、ちょっと比較するには違うんじゃないかなぁと思うのですよ。

青春映画なのは間違いないけれども、なんつーか友情物語っていうか。
そう、「何かを成し遂げるための努力」が過剰なのが(見てないのに、この発言っていいのかな 汗)Swing Girlで、「見栄を張って辻褄を合わせようとする努力」なのがこのリンダ・リンダ・リンダなのかなぁと思ったりもする。


おぎそんが、この映画で「好きだな〜」と思ったのは、学生生活を凄く丁寧に描いているなぁってところです。人によっては、テンポが悪いっていうんだろうけど。
でも、あの部活の感じ・みんなとつるんでいたあの時・恋愛の真似事・意地の張り合い なんかはまさしくあの時代しかなかったものだったなぁ、と。

だからね。若い人が見に行ってもつまらない映画じゃないかなぁ、と。
もう学生時代にブルーハーツに少しでも触れたことのある人だったり、好きな人に上手く告白できなかった人だったり、バンドとかとにかく団体行動でちょっと苦しい思いをした人だったりが見ると、とても素敵な映画じゃないかなぁと思ったり。

敢えて、エンディングをああする(見た人の優越感だけど)のもそれはそれでありだと思うし、直前の鏡越しの会話も好きです。
ボーカルの勧誘や告白する場面・告白される場面・練習スタジオから学校へ向かう場面・・・なんともあの時代にあったささやかなものに気づかされるのです。

あと。
ブルーハーツってのも絶妙だな、と思いました。プリプリでもいいかもしれないけど。
あの辺りのバンドってリアルタイムで聞いてた人たちはもう30代前後。一番購買力がありそうです。
もしかしたら、これに準ずる形でさまざまな音(曲)がCMで流れてくるのかもしれません>実際、プリプリは車のCMで流れたし

・・・とはいえ。日経エンターテイメント(だったと思う)では再結成して欲しい、バンドの第一位が「米米クラブ」。
おぎそんはちょっとなぁと思いますけど。
SHOW―YAも復活することですし、フライングキッズくらいなんか狙い目かも。>全然再復活しても儲かりそうにないけど


おぎそんは、ブルーハーツに参加していても、ハイロウズに参加しなかった(できなかった)二人のメンバーを応援しています。

2005年07月12日(火)



 誰かを偲ぶということ

今日は法事(祖父の一周忌)がありまして。
昨日の夜に久しぶりに(約一年ぶりくらい)実家に泊まりました。

昨年、祖父が亡くなりもう一年かぁと思います。なんだか、どんどん日々におわれてあっという間です。
某市の面接の前日が通夜で、迷った末に面接当日の告別式を欠席したことが改めて思い出されます。

なんだかんだと、こういう風に親類を集めるために、祖父を偲ぶために法事というきっかけを作るのはいいのかもしれません。
偲ばれるうちが花なのかもしれません。
その、「偲ぶ」ということこそが故人の冥福を祈ることなのかもしれません。

来月には新盆です(去年は、49日前だったので)。また帰るのか〜と思わないでもないのですが、不肖な孫。行ってちょっと手を合わせることくらいしかできないから、できることはそれくらいしかないから素直に行く予定です。

2005年07月09日(土)



 青空のルーレット

最近、本屋の店頭でむやみにPushされている本を見かけませんでしょうか?
POP付きで。

佐野某が、「誰が「本」を殺すのか」を記してから本屋さんの売り方が二分化しているのが一般市民にもわかるようになってきたのはどうなのかなぁと思うおぎそんです。

えっとね。
で、店頭で推されてて気になってしょうがないんだけど、まだ買ってない本があります。
辻内智貴セイジ

いきなり、新書(1400円)に手を出す度胸もお金もないのでとりあえず、文庫化されている他の作品(「青空のルーレット」「いつでも夢を」)を買ってみました。

この人の作品をおぎそんは全肯定したいと思います
大きく出たぞ。いいのかしらん。

まぁ、嫌いな人は嫌いな世界観だと思うんです。
”キレイごとだけを書きやがって”みたいな。
でもね。
その世界観を作り出すためにどれだけの汚れたものや嫌なことや経験しなくてもいいことを潜り抜けてそこに到達したのか、を(勝手に)想像するとその”キレイごと”が見事に反転して、現実があまりにもどうにもならないことがあるからこそのオトギバナシを生産しているんじゃないか、と思うのです。

亡くなってしまった鷺沢萌(さぎさわ めぐむ)も言っていたけど「『汚さ』を通り抜けてきた」やさしさであろうと思うし、「自分が汚れていることをどこかで直視せざるをえなかった人にしかわからない痛み」であって「その痛みをまだ身体のうちのどこかに背負っている人にしかわからないやさしさ」なんだろう、と思う。-----橋口亮輔「二十才の微熱 A Touch of Fever」(扶桑社文庫)の解説より

これが大きな理由ね。

あとは、アマゾンの書評欄に任せる感じ。

話の筋があまりにも一直線だし、それぞれの話があまりにもありふれているのも認める。でも、この純粋さこそが彼の魅力なんだと思う。>いい歳こいてるけど
対立構造もわかりやすいから、「そんな簡単に片付いてたまるか」なんだけど、それでも認めたいそのチカラが作品に詰まっているように思う。


問題は・・・。
本の装丁かなぁ。帯のコピーとか。その周りか。
個人的にはなんか評価されて欲しい作家さんだなぁと思う。
これは、平 安寿子(たいら あすこ)も同様。

とはいえ、ドラマ化する、とかなるとあまりにべた過ぎるからきついか。でも、こういう映像化が向かない作品こそが本を読む楽しさなんだろう、と思ったりもする。


今、おぎそんにとっての注目の作家さんたちなんで、よかったら手にとっていただけると嬉しいなぁと思います。

2005年07月05日(火)
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