おぎそんの日記
おぎそん



 そんなもの

いろんな愚痴が溜まって口を開けば溢れてしまいそう。
そんな中、友人に会って他愛もない会話をすれば心は軽くなる。

自分が思っていた不満はそれだけで沈んでしまったように。(また再燃する可能性はあるけれども、騙し騙し)

なんだ、それだけなんだ。
そう、自分が爆発しそうに「もぉー!!!」って思っていてもそれでおさまってしまう。
たかがそれだけ。

自分だけが不満を感じているなんていう悲劇を引っかぶる勇気もないし(ナルシズムともいう)みんなが重い荷物を背負っている。


痛い、と声をあげれば「痛いですよね」と共感を示す人がいる。
でも、声をあげてもその痛みに変わりはない。
逆に相手を自分のフィールドにひきこむだけで、むしろ罪深い。

何を言っても仕方がない。そんなときは一人でいるのが処方箋。
でも、人恋しくて。

迷惑を互いにかけている、と言えるほど人の迷惑を受けていない。
その発言をするにはあまりに傲慢過ぎる。
あなたが笑うだけで幸せだ、なんて言えないけれどせめて。

あなたが笑うように笑いたい、と願うばかりだ。

2003年12月26日(金)



 

一人で過ごしても誰と過ごしても寂しい。

どっちのほうが・・・なんて論議は無意味。

どっちも寂しいしどっちも暖かい。

両方とも間違いではない(≠正解)というものに魅せられる。

2003年12月25日(木)



 ささやかな祈り

たまには塾講師のお話でも。

今日で授業が終了となる生徒がいました。
一年以上担当していたものの本人は塾をサボるわ、約束は破るわと精神的にもまだまだ幼い子ではありました。
先日の(塾での)面談を受けて卒業後の進路を「就職」としたためにもう勉強から”一抜けた”とばかりに、辞めるとのこと。

塾は自由意志ですから来たくなきゃ別に来なくていいんですよ。
来たくないのなら辞めればいいのに。

友人と遊びたい
バイトしたい

どうぞ。ご自由に。
でも、高校2年生のあなたはそれだけをやっていくわけにもいかないとわかっているのでしょう?

赤点だらけのテスト。
遅刻・早退回数。欠席回数。
これらはすべてあなたの結果。

逃げても追いかけてきます。

誰かに首根っこを押さえつけられて勉強をしたい、と潜在的に思ったのですか?

お金を払えばそういうこともできるのでしょう。
でも、そのお金は一体誰から捻出されているのですか?
あなたが塾に来なかったらどうやって、こちらは関われるのですか?

利用方法は様々あれど、自分から利用しなければそれこそ死に金です。
その金で化粧品でも買ったほうがいいでしょう?

こういう言い方は僭越かもしれません。

たぶん、あなたはこれからも同じようなことを繰り返してしまうのでしょう。
辞めてから気づくことはあるけれど。
なぜあの時みんなが「辞めない方がいい」と言ったかわからないのでしょうね。

3年しか生徒を見ていないけれども、”だめになるだろうな”って生徒って確かにいるんです。
その生徒が通っているうちはこちらでもフォローができます。
でも、来なくなったらもうフォローはできません。
その生徒の友人から近況を聞くと恐れていたように(しかもなんともステレオタイプ的に)変貌をしていて残念に思うことがあるのです。


学ぼうとしないのに「わからない」ばかりの発言。
もう、関われなくなってしまった私は祈るしかありません。

せめて、早い時期にあなたが自分がどうしたいのかを本気で考えることができることを。
しょうもない塾講師があなたを微力ながら心配していたことを。

2003年12月20日(土)



 「ありがとう」を言うには早すぎる

人に親切にするのは自分の仕事を早く終わらせたいから。

人を手伝うのは自分の打算があるから。

貴方が私に感謝をするのは勝手だけれどもその裏にあるものを考えて欲しい。

貴方自身が無償で他人を助けることがあるのだろうか。

仕事でしか付き合いのない人間がそうそういい顔をしてくれるものかどうかを。



「使える」「使えない」の発言をするのは傲慢だと思う。

自分がもしかしたら「使えない」人間なのかもしれない。

その想像力を少しでもして欲しい。

それは我が身に照らしあわせてみることは肝心だ。

自分の仕事が終わったからさっさと帰る、それが理想だ。

しかし、そういかないのが仕事だし組織としての縛り。

その残業を少しでも減らしたいと私は思うために働く。

私には他人のために割ける時間はあまりない。

貴方はどうだろうか。



「ありがとう」を言う前に。

なぜ他人が貴重な時間を割いてまであなたに関わっているのかをもう一度考えてもらいたい。


2003年12月03日(水)



 やればできるじゃない!

やればできる って褒め言葉じゃないような。
やれるのにやらないのは僭越というか。
どっかで、まだ逃げをうっている。

「今度やればいいから」
「明日できるから」
「今日は疲れたから」
自分を褒める言葉なのかもしれない。
自分を称賛する言葉はなんとも恥ずかしさに満ちていることか
おぎそんが古典的な考えの持ち主であるってことだけかもしれませんが、奥ゆかしさがないといやなんですよ。
勿論、友人に言わせればそれは「いやらしい」だけかもしれませんが。

でも、前から力説しているように
人に恥ずかしい思いをさせない人こそが立派な人である
を最近のモットーとしているおぎそんにとっては我慢ならないというか。

そんなこんなでおぎそんは*やればできる*なんて言っている香具師を応援していません。

2003年12月02日(火)
初日 最新 目次 MAIL HOME


My追加