形にならない言葉

 大事にしたい、という気持ちと、大事にする、という行動。
 このギャップはいったいなんで起こるんだろう、と思う。
 それは、人の限界と言ってしまうことも出来るかもしれないけれど、それではあまりに寂しい。

 人は、年月を掛けて成長し、洗練されてきている。
 生物種としてだけではなく、人としての部分での成長、という意味で。
 何をもって人間らしさを定義するかは、多分、人間には出来ない。
 定義する、と言うことは、上から俯瞰して分類付けをすることだから。

 言葉と行動は、違うものだ。当たり前だ。
 言葉も行動だ、と言う人もいるかもしれないけど、違うと思う。
 それを言葉で説明することは、今は出来ないけど、違う。
 心身は一対。
 器と中身。どっちがどっち、ということは人によって違うとしても。

 言葉を紡ぐことは能力だ。
 言葉を創ることは能力ではない。
 ここかな。たぶん。

2005年07月24日(日)

誇り

 技術者という職業に就いていて、最近、とみに思うこと。

 僕は、職人と呼ばれている人たちが好きです。
 自らからの手で、何かを創り出すことが出来る人たち。
 一芸に秀でている人たち。
 すごく素敵だなぁって感じるし、自分もそうありたいなぁって願う。

 そういう人たちに共通なものが、強大なプロ意識だと思う。
 その分野では、絶対に負けないという自負心。
 それがあるから、常に自らの意識を研ぎ澄ましていられる。
 頑固で偏屈だけど、仕事の質は天下一品。

 だけど、そういう人が、明らかに減ってると感じる。
 特にこの業界では、そういう人材があまりにも少なすぎる。
 「自分の仕事」という意識を持っていない技術者が多すぎる。
 責任感という言葉を知ってる?って言いたくなる。
 「お金を取れる技術」というものがなんなのか、分かっていないんだよなぁ。

 現代の企業は、かなり高度にシステマティックだからかもしれない。
 個人の意識を尊重しているように見せかける技がうまい。
 「仕方ない」と諦めさせるように、見えないように方向を決める。
 だから、組み込まれたことにすら気付かない。

 「技術者」というのは、サラリーマンであっては駄目だと思う。
 いや、立場上はサラリーマンであったとしても、その意識は、孤高な職人であるべきだと思う。
 クライアントにとって、何が一番大切なことかを見極める眼力。
 それを現実へと持ってくる技術力。
 そういうものに裏付けられているから、初めて胸を張れる。
 自分の仕事に、誇りを持てる。

 誇りを持って仕事をしている人は、やっぱり格好いい。
 言葉に、行動に、力がある。
 そういう人に、なりたいと思う。強く、思う。
2005年07月14日(木)

直せる機械と直せない機械。

 機械式時計が好きです。
 理由はいろいろあります。
 歯車の音が好きだということ。
 職人芸の塊だということ。
 針の進み方が連続しているということ。
 そして、壊れても直せる機械であるということ。

 最近の機械って、直せないものが多い気がします。
 集積回路を使っている電子機器なんかは特にそうです。
 直す、という名目で、交換しているものがほとんどです。
 修理に出して、返ってきたものが、前と同じものであることはほとんど無い。
 理由は簡単です。
 直すより、交換する方が、簡単で安上がりだから。
 それは確かにそうなのだろうけれど。

 だけど、記念品としての機械というものがあると思います。
 人からもらったもの。人にあげたもの。そのほか、いろいろと。
 そういう記念品というのは、交換したら意味が無くなると思うのです。
 いや、それは持つ人の考え方ひとつなのだろうけれども、少なくとも、僕は思えない。

 機械時計というのは、けっこう壊れます。
 テンプとか、ゼンマイとか。
 メンテナンスをきっちりしていないと、歯車が目詰まりして止まったり。
 だけど、その部分だけを交換すれば、立派に動作は正常に戻ります。
 まるで、人の身体が、日々新しい細胞へと入れ替わっていくかのように。
 中身の一部分だけを、的確に修正してあげれば、いつまでだって使える。
 これが、クォーツ時計にはない、機械時計の一番の魅力だと思うのです。
 もちろん、クォーツだって、電池を替えればだいぶ長持ちします。
 中身の基盤を総入れ替えすれば、いつまでだって使えるかもしれません。
 でも、それはなんか違う気がするのですよ。
 これが、マニアのこだわり、というものなのかもしれません。
 もっとも、僕はまだ、マニアと自称するにはあまりにもヒヨッコすぎますが(笑)。
2005年07月10日(日)

郵政法案

専門家ではないので、見当外れかもしれないですが。

 民営化って、本当に必要かなって思ってます。
 もともと、出身がど田舎っていうのもあって、官庁の力というものを知っています。
 国のインフラは、国が面倒を見るものだと思うのですよ。
 アメリカみたいに広大な敷地を持っているのなら分からないでもないけど、ここは日本です。
 通信や交通などの基幹としての設備は、国が敷設し、運営管理をするもんだと思うのです。

 都心部なら、民間に任せても良いと思う。
 けど、過疎地などについては、投資の回収はまず見込めないんです。
 資本主義という経済形態を取っている以上、利益が無ければ企業は参入しないですよね。
 国からの援助が出るのならまだしも、それもほとんど無いのが現状でしょう。
 そもそも、援助を出すのなら、国が面倒見ればいい。

 税金だけで運用しようとするのがそもそもの間違いなのであって。
 利益が出ないのは公社の責任、とは言っても、その場所に人が少なければどうしようもない。
 無い袖は振れないのですよ。それを理解してないとしか思えない。
 民間にそれを求めるのなら、まずは国がそれをやってみせればいいじゃん、と思うんです。
 その場に民間が根付きそうならば、その時点で手を引いたって良いと思う。
 そういう風に先導するというのも、国の成すべき事柄だと思うのです。

 地方にとって、郵便局という施設の価値をがどれだけあるのかを、たぶん中央は理解してない。
 農協を潰したことで、どれだけの混乱を引き起こしたのかを理解してない。
 地方分権とは名ばかりで、ただ責任を放棄しただけにしか地方には見えてないと思います。
 日本という国土の現状を、中央の「先生」連中は分かっていないのでしょう。
 文化レヴェルも、その質も、内容も、方向も、都市部とはまったく異なっているのが地方です。
 何に価値を持っているのか、それを掴んでいない議員さんが多すぎると思います。
 これじゃ、投票率なんて上がるわけ無い。
 今の候補の誰を選んでも、結局結果は変わらないってのが目に見えてますからね。
 あ、一応僕は投票には行ってますよ。

 そろそろ、日本の政府には行き詰まりが見えてきたような気がしています。
 何か、新しい方策を考える時期に来ているんでしょうね。
 良い方向への世代交代が出来るよう、一国民として期待したいです。
2005年07月09日(土)

理想と現実

 理想の世界だけで生きることが出来るとしたなら。
 それって、本当に良いものだと思う?

 きっと、理想の世界は、とても綺麗で、清潔で、快適なんだろうと想像する。
 だけど、そこには、たぶん、退屈しか待っていない気がする。

 現実の世界は、とても厳しくて、辛くて、残酷で、不公平。
 でも、それをそう感じるのは、僕らが人間という生物種だからなんだろう。きっと。
 鳥を見よう。猫を見よう。犬を見よう。生きている、他の生物種を見よう。
 彼らは、愚痴なんて吐いていない。
 ただ、現実をありのままに受け入れ、過ごしている。
 それは、彼らが人間ではないからだ。

 現実の世界は、やっぱりエキサイティングで、驚きの連続だ。
 悲しいこと、辛いことがあるからこそ、人は喜びを、幸福を感じられる。
 光と影は、正と負なんかじゃない。それは、同じ面。

 だけどね、やっぱり、醜いものは見たくはないのですよ。
 綺麗なものは、醜いものを内包している。それは絶対だと思う。
 だけど、うまく隠されている「それ」を、無理に引きずり出す必要はないんじゃないのかなぁ。
 「それ」を直視しなくてはいけない時は、必ずやってくる。
 だとするなら、別に焦って追い求める必要もないと思うのです。

 それは、あるいは偽善と呼ばれることかもしれないけど。
 だけど、それが偽善だったとしても、それをすることによる結果が善なのであれば。
 端から見た時に、真善なのか偽善なのかは、誰に分かるんだろう、とか思うのです。
 そう考えれば、自分でそれは偽善だと思っていたとしても。
 その内に、どれだけ汚く醜悪なものを抱え込んでいたとしても。
 きっと、表面上だけでも、綺麗なものを見せることは出来ると思うのです。

 それが、本当の意味での「理想の現実」なのではないのかなぁ…。
2005年07月05日(火)

日々 / いけだ