It offers a cup of wine at common days!
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 15年カレンダー

1990年当時、
同価格帯の中で映像面において最高評価だった
VHSデッキ「HV-S11」。
長い間、私のテレビ録画のお供として頑張ってくれていた。
そして今年もそれは続くだろうと思っていた・・・。

土曜日に、いつもと同じように
予約録画しておいた番組を見ようとした。
「あれ・・・?
 映っている番組が違うぞ・・・」
予約を間違ったのかと確認したが、全て正しい。
番組時間帯がずれたり、番組内容に変更があった様子もない。
「・・・?」
もう一度録画された画面をよく見てみた。

「1990年1月24日」

15年前!?
購入当時に戻っている・・・?
電源が落ちたなんて最近ないのに?!
なぜだぁぁっヽ(´Д`)/
・・・。
まぁ、仕方ない。
時計設定を直すしかないよな・・・

ピッ
・・・1990・・1991・・1992・・・・・・2003・・2004・・1990

は? もう一度やってみよう。
2004・・1・9・9・0

ぬぁにぃ~~~( ̄□ ̄;)
カ・・・カレンダーがないっっ!!

「もしもしッ 修理センターですか?!
2005年以降のカレンダー
なくなっちゃってるんですけどっっ!(゚Д゚;)」
「えーっと そういうご内容は、技術相談センターにお願いしますぅ
番号は・・・」
転送しろっ ( ゚Д゚)ヴォケ!!
という心の声を抑えて、電話を掛け直す。
「もしもしッ
2005年以降のカレンダー・・・(以下同文)」
「今混んでるので折り返しかけまーす」
ちくしょー

そして、案の定、折り返し電話は、
人が離席している時にかかってきたのであった。
さらに掛け直す。
「もしもしぃ・・・」
「HV-S11のことですよね?
えっとそれは『15年カレンダー』なんですよ(゚∀゚)」
「2005年以降のカレンダーにするにはどうしたら・・・?」
「できませんw」
「ハイ?」
「1994年と2004年のカレンダーが同じなので、
1994にして下さい」
「ということは、また10年たったら1994に戻せと・・・」
「いえっ 閏年が入ったら、
また同じカレンダーを探さないとならないんですねぇ(* ^ー゚)」

ふ・ざ・け・ん・な!!

ソ○ータイマーとかいう話はよく聞くが、
○菱タイマーもあったのか!
しかも冗談じゃなくリアルで!!

金輪際買わないかんなっ!
三菱○機めっ!!

2005年01月24日(月)



 鬼門の「法学」

中学の時、「公民」は得意だった(と記憶している)。
大学でも、専門科目のほうの「憲法」は"A"だ。
なのに…
なのに
なのに!
なぜか 一般教養のほうの「法学」は、一敗地に塗れ続け。

これだけ負け続けということは、
教授との相性問題以外は考えられない。
DEATH NOTEが欲しい!!
顔写真は簡単に手に入るしな…Ψ(`∀´)Ψケケケ
でも、どの教授とウマが合っていないのかわからないから、
とりあえず全員ヤっちゃって…。
(倫理も正義もこの世にはアリマセンったら)

というバカなことを考えるのはともかくとして、
八百万の神にお願いしつつ(何)
試験会場へと向かった。

試験の教室は、学生でいっぱいで、
この授業の人気が高いことが伺われた。
難しいのに、いったいなぜ…?

開始!
合図で一斉に試験問題をめくる。
「!!」
文章の途中に(  )が見えた。
この年になって 穴埋めかよぅぅぅ( >Д<;)


問題:


(書き途中)

2005年01月22日(土)



 家族の入院4

車椅子送りの刑(1/5参照)を終え、点滴からも解放されると、
見舞客が現れるようになった。
「たいした病気でもないし~ すぐ退院するし~
いいのになぁ?」
などと本人は嘯く。
かく言う私も、とても嬉しい。
というのも、お友達や会社関係の人は、
見舞いにと高価な花やお菓子を持ってきてくれ、
結果、毎日ぶらさげて持って帰ることになる私の
目や胃の保養に貢献してくれることになるからだw
皆さん、ありがとう!!
会社のみんなも、おいしいおいしいと喜んでました(何)
しかし、患者自身が一番喜んだのは、
母校の部活(患者は現コーチ)の現役生が来た時だった。
学生なので、無論、見舞いに現金も花も菓子もない。
が、学生は、かわりに必殺の最強アイテムを抱えてきていた。
それは、"みんなで書いた寄せ書き"。
左手で書いたのかと思われるほどのその汚い字加減が
大学生なのに「頑張ってください」レベルなその拙い内容が
純情なおっさんのハートをわし掴みにするのだった…!!

さて、私が勤務後に病院に着く頃は、
そんな見舞い客も殆どいなくなり、外野は付き添い人だけに。
日中の賑やかさはどこへやら、気だるい静けさに満ちた時間。
私も患者のベットに寝そべり、ダラダラ雑誌などを読んでいた。
夕日の色にも似たセピア色な空間。
病院独特の落ち込んでいくような空気って、
ここから生まれるのかな?
などと、柄にもなく詩人めいたことを考えていると、
看護士さんが、いきなりガラッとカーテンを開けた。
「体拭くタオル持ってきたんですけど!!」
彼女たちだけは、元気いっぱいなのだった。
「は~い」
見舞い客用のイスに座っていた患者が返事をした。
「今日は、折角だし、ご家族にやってもらいます?」
寝ている家族にニコッと微笑む看護士。
「そうですね」
と患者。
何が折角だかはわからなかったが、
仕事を押し付けられたのはわかった。
ドンと置かれた大量の熱々タオルの1本を手に取る。
「ふーっ 気持ちいいね!」
まずは自分の顔を拭う。
「ああっ…!(゚Д゚ )」
「いいじゃん いいじゃんw たっくさんあるんだしっ
それよか 早く脱げぇ?」
脱いだところで、
熱いのを選んでいきなりジュッと背中に押し付ける。
「うおっ」
ただ拭くのも面白くないので、焼き鏝ごっこになる。
「わっ」「うおっ」
患者が身を捻った。
それを押さえつけて鏝当てしようとする付き添い人
vs
抗い、身を守ろうとする患者
の、両手での激しい攻防戦がサイレントで繰り広げられる。
安静なはずのベットで、息を切らすバカ患者とその家族。
その不自然な様子が可笑しくて、
二人でクスクスと笑い出してしまった。
「まーったく いい年して、バカだねぇ お互い」
こんなところへ見舞い客が来たら、大恥かいているところである。
というか、医者や看護士に見つかったら…(;´Д`)

こうして
重態でもない入院というのは、深刻さもないので、
ファーストインパクトが過ぎると、平和な毎日に尽きた。

しかし、その�%@�30�34�3<�3�jgwww.enpitu.ne.jp、
悪かった部分を治療してもらい
絶食というダイエットを挑戦させてもらい
早寝早起きの生活を体験させてもらい
と至れり尽くせりだったので、
脳みそはともあれ、体的には、
一年くらい入っていたほうが良かったと思ったに違いない。

2005年01月07日(金)



 家族の入院3

■小話1 シェイバー

入院翌日。
「電動のシェイバー持ってきて。洗面所に置いてあるから」
その翌日。
「これぢゃない。棚の中」
その翌日。
「これ違う。後ろの棚のヤツ」
その翌日。
「コード違うし…」
いいかげんにしろーッ!! きちんとした位置を言えっ!( ゚Д゚)


■小話2 雑誌

暇つぶしに、本や雑誌を持っていってあげようと思う。
胃の手術後で当然絶食状態なので、
料理関係の記事のないものをセレクトしなきゃなぁと、
ちょっと気を使う。
「暇つぶし用に読むもの持ってきたよ~(* ^ー゚) 」
「おー さんきゅ」
絶食中の入院患者は、
読んでいた『Tokyo Walker』の食べ物特集ページを閉じ、
『Danchu』(料理専門誌)の上に放り投げた。


■小話3 下りない保険 ~パンダにご用心1

「担当はA教授と、ボク(執刀医)Bと彼女Cさんです」
見るからにまだ新人だろうと思われるお姉さんが
イマドキ何?!と思わせるパンダメイクで現れた。
ここの病院は看護婦はかわいい子が多いが、
医者はかなりヤバイかも…?
家族もすっかり拗ねている。
「アレ、いらない…」
まぁまぁ( ^▽^)となだめて、パンダにお願いをする。
「保険会社に手術給付と入院給付の請求をするので、
入院証明書の発行をお願いしま…」
「は?( ゚Д゚) 手術なんかしてないですよ? 生検です」
「…。
クリッピング術は観血手術ではありませんが、
今回の保険請求の場合、手術に該当しませんか?」
私はその道のプロなので、間違うはずも無い。
しかし、パンダはその件に関しては頑迷だった。
「いいえ 生検しかしてないですから違います」
パンダに証明書を書いてもらったら、たいへんなことになる。
後日、パンダの目を盗んでB先生に書類作成してもらったところ、
手術欄にしっかりと「クリッピング術」と記載されていたので、
保険会社からも即座に手術給付金が下りたのだった(´д`;)…


■小話4 恨みます ~パンダにご用心2

手術から1週間が過ぎたので、
ピロリ菌や貧血・肝機能などの検査が行われた。
その結果が良好であれば、
その日から、食事(1分粥から)を開始できることになっていた。
毎日、食べ物系の雑誌やテレビ番組でイメージトレーニングし、
食事系の煩悩を最高値に研ぎ澄ませきっていた患者は、
この日を、心から本っ当~に楽しみにしていた。
そのオーラ(怨念?)を感ずるところがあったのか、
忙しいはずのB先生が なんと午前中に病室にやってきて、
「検査結果でましたよ♪
貧血の回復が遅いのが多少心配ではあるんですが、
出血は完全に止まっているので、食事開始OKですよ!」
と、患者を舞い上がらせる最高の言葉を置いていってくれた。
先生が帰ると、患者は嬉しそうに言った。
「今日の昼から1分粥開始だと、土曜日の昼には全粥。
土曜の全粥のメニューは、かき揚げ蕎麦 なんだ~(´∀`*)ウフフ」
頭には、1週間分の献立がインプットされきっているらしい。
しかし、かき揚げ蕎麦なんて、いつ好物になったの…?
とりあえず、初の昼食をドキドキして待った。
…が、お約束通り、食事は配給されなかった。
「きっと、ランチには連絡間に合わなかったんだよ」
と慰める。
そして、夕飯もまた出されなかったので、
配膳係のオバチャンに、配給の指示は出てないか尋ねてみた。
「パンダから、明日からって言われてますけど…(´・д・`)」
すぐさま、パンダを呼び出す。
「食事の開始はいつですか?」
「えーっと…? 明日からです」
「B先生に確認しましたが、今日では?」
応えは無かった。
そもそも、許可が出た後、更に丸一日絶食する理由はない。
現に、全く同条件である他の人は食事を開始しているのだ。
「飯… オレの飯(←薄い1分粥)…」
しかし、いくら嘆いても、今更今日の食事は出てこない。
「あっ!!(;゚д゚)ァ....  ってことはぁ!?
明日に開始がズレ込むと、土曜の かき揚げ蕎麦 が…!!
くそぉ パンダめ… 絶対、指示漏れの癖にっ
オレのかき揚げ どうしてくれるッッ?!」
患者は涙にかきくれた。

(4に続く)

2005年01月06日(木)



 家族の入院2

仕事柄たいした病気でも手術でもないことはわかっていたが、
一応、帰宅する前に他の家族へ連絡を入れる。
胃潰瘍手術後、数年後に胃癌が発見された
今は亡き父のこともあるので、
母には黙っておくことにし、兄宅へ電話を入れた。
すると、家に寄って説明してということになった。

タクシーで1メーターちょいしかない兄のところに辿り着くのに、
別のところにも至急連絡しなければならないこともあって、
30分以上かかってしまう。
入ると、
「遅かったねぇ 待ってたよ~」
家族全員、兄夫婦と母が勢揃いしていた。
あれ? 母?
言わないように言ったはずなのに・・・( ´Д`)

後は、電話で話したことをもう一度繰り返す。
いろんな質問が飛ぶが、
私には同じことを繰り返すことしかできない。
結局、翌日
母と私の二人でまず入院の荷物などの買い入れのため先発し、
面会時間後、兄たちが見舞いに来るということになった。

徒歩圏内のド○キか多慶○で買うと安いのはわかっていたが、
何が必要かわからないし、
病院持込許可レベルもわからなかったので、
病院付属の売店で買うのが無難だろうと、
兄たちと相談して決める。
 スリッパ(ホテル仕様) ・・・ 1,890円
 冬用パジャマ(中国製) ・・・ 4,980円
 長袖シャツ ・・・ 1,670円
高いっっっっ さすが病院!!
つ~か、ホテル仕様って何ヨ・・・( ; ゚Д゚)
他に、
週刊誌や新聞、テレフォンカード、筆記具、電池、
テレビ視聴用カード(記念品にどうぞとなっていた・・・(;つД`) )
などなどを買い込み、
あっという間に、万台達成する。

そして、病室につくと、
ちょうど担当医がいて、状況をご説明申し上げますと
別室に拉致られる。
何枚かの写真がそこで取り出される。
「このようにかなりの広範囲に出血していまして・・・」
「うわぁ~ ここなんか、すごい荒れようですね」
「・・・そこは噴門口です・・・」
「。。。」
その後、医者は、てきぱきと
噴門部のすぐそばに深い潰瘍があること。
その潰瘍が太い血管にまで達して出血したこと。
運ばれてきた時は、血圧/上:80 しかなかったこと。
手術は全く問題なく成功したこと。
今、一番心配なのは、その貧血の数値が回復しないこと。
肝機能関係の数値にも問題があるので、因果関係をみたいこと。
ピロリ菌の検査もすること。
最低1週間は絶食で、
その後の検査結果がダメなら、もう1週間様子見になるが
良いようなら、その日から1分粥から開始して、
そうこうで入院は最低10日ほどになるだろう。
といったことを説明した。

説明を聞いた後、病室に戻ると、病人が、
「電車の音がうるさくて眠れない」
「向かいの人のかく鼾が・・・(以下同文)」
「暇で死ぬ」
「伸びた髭が気持ち悪いよぅ」
と文句を並べ立てるのを、我慢して聞いてやる。
「会社から着のみ着のままで運ばれちゃったから、
手術後、フォローの電話かけまくってたら、
歩いちゃイケマセンって看護婦さんに怒られて、
車椅子持ってこられちゃったよ (ノ´∀`*)ハハ」
顔色は真っ白だが(地黒なので白という表現は違うか…)
脳みそ・気力ともにしっかりしているようで
ホッとする。

そんな時、携帯にメールが入る。
弟からだ。
「血吐いて、○○大学病院で胃洗浄受けて、今点滴受けてる・・・」
ブルータスお前もか・・・!
思わず、フラッと倒れそうになった。

(3に続く)

2005年01月05日(水)



 家族の入院

年末年始恒例の怒涛の忙しさに追われまくっていた15時半頃、
一本の電話が携帯に入った。
見ると、家族からである。
勤務時間中に、
メールでなくわざわざ電話を寄越したところをみると、
何かかなりの緊急事態なのだろう。

「もしもし・・・ どうしたん?」
「電話、先生に代わるからっ」
少し興奮したような声。
「え? センセー?」
あとは立て続けだった。

「もしもし こちら
順○堂大学医学部付属順天堂医院の
消化器内科の○○と申します。」
「?!」
「××××さんは、潰瘍性胃腸炎の疑いがあり、
現在出血されていらっしゃるので、至急手術の必要があります。
この手術は、カテーテルで行いますが、
出血の状況・内部の状況によっては、
そのまま開腹手術に移行することになります。
死亡率は10%以下な手術ではありますが、
万が一ということもありまして、
ご家族の同意が必要となるものですから、
お電話させていただきました」
「・・・は? は? はぁ?」
10%って、親が死んだ手術の時にもそう言われたんですけど?!
つか、即日手術って何?!
頭の中に様々な言葉が一度に駆け巡る。
「本来であれば、同意書に署名していただく必要があるんですが、
緊急ということで、お電話にて承諾をいただければと」
「本人に手術の意思があるということでしたら、
私のほうでは何ら反対する気はございません」
「では、承諾いただけるんですね?」
「・・・はい」

そうして電話は終わった。
突然の話に、ちょっとぼーっとする。
周囲の人が心配して聞いてくる。
「どうしたの~?」
「はぁ・・・
家族がこれから手術するっていうことで、
病院から電話ありまして、承諾して欲しいって・・・」
「えぇっ!?」
しかし、誰も、すぐ帰っていいよとは言えない。
半端でない書類の山、しかも全て手をつけかけ状態で
他人がどうこうできる隙はない。
結局、仕事が一段落ついたのは、
面会時間も終わり、消灯時間も過ぎた21時過ぎだった。

タクシーを飛ばして、
時間外ではあるが、緊急入院の初日ということで
特別に病室内に入らせてもらったものの、
消灯後の4人部屋なので、会話をすることもできない。
入院に必要と予測して急遽揃えた荷物をそっと置いた後、
その日は入院手続きだけして、病院をあとにしたのであった。

(2へ続く)

2005年01月04日(火)
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