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re-invention



 夏の終わりに

思うようにいかないことがいくつか。
仕上げたいと思っていたものがまだ完成せず。
宿題が終わらない生徒と同じ心境。
そんなときこそ原点に戻れるときだと思いたい。

今年,図形の授業でやってみたいこと。
操作させる前に動きを予想すること。
言葉(問題文)をきちんと読み取れない生徒が多いので,
問題文から,図が動く状態をどこまでイメージできるのかに
こだわってみたいと思う。

最近購入したipad。
簡単に動かせるのはなかなかいいが,
手がじゃまになって画面が見にくいことも。
大づかみにとらえる道具ととらえた方がいいのかもしれない。
これを使って,どんなことができるのかは楽しみ。



2008年08月23日(土) 自分の道を
2007年08月23日(木) 問いを立てること
2006年08月23日(水) 組み立てが明確でないものは
2005年08月23日(火) 八ヶ岳へ
2004年08月23日(月) 日直当番


2011年08月23日(火)



 バランスの中で価値は決まる

今日もまた,今まで参加したことのない県の情報部会へ参加。
なかなか興味深い。
企業の出展が多数あるのは,この部会ならではのものだろう。
女性が少ないせいか,掲示物も会場レイアウトも,
昨日に比べるとかなりシンプルな感じ。
主催者挨拶での「携帯電話によって失われた文化」はなるほど。
知っている人としか話ができない。
だから,知らない人に対してのやりとりができない。
今どきの生徒の現状を映し出す。

講演での電子黒板を使っての授業の紹介は,
とりたてて新しさは無い。定番化していると言うことなのだろう。
デジものと紙や黒板との使い分けについて,
そろそろ踏み込んだ提言があってもいいのではないかと思う。
全てをこれでやろうというのは,やはり無理がある。
それぞれの利点をきちんと使い分けて示すことが,
かえって普及につながるのではないか。
また,2015年の教室デザインのイメージ画は,
どうしてそれで協動的な学習になるのか?
推進する側(誰?)は踊らそうとしているのだろうけれど,
それではとうてい踊れない。

地図帳が教科書と別冊なのは,
教科書を開きつつ調べられることに意味があるから。
辞書だってそうだ。
教科書の後に単語一覧が付いていればからいいのではない。
教科書と同時に開けることに意味がある。
デジタルものも,辞書や地図帳のような使い勝手でいいのではないか。
全てをそれで対応しようとしてはダメだ。
記録すること,ノートについても,まだまだ紙の方がいいのだろう。
タッチパッドでできることは,おおざっぱなことだ。
とても紙のノートの緻密さにはかなわない。
ノート術を身につければ手軽に使える。
軽い,捨てられる,時系列に並べられている。
つまりは変化に対応できる。
手帳が,今だに存在するのと似ている。
自分も,以前は電子辞書的なものを使っていたが,
ここ数年は百均で買った手帳を使っている。
自分にとっては,
何度も何年も検索するほど,繰り返す情報ではないということだ。
毎年購入し,必要な情報は新しい手帳に書き写している。
これは,必要でない情報を処理していることでもある。
携帯電話にアドレスが入るようになったことが大きいのかもしれない。
他の物とのバランスの中で,その物の存在価値が変わってくる。

残念ながら,欲しかった情報は手に入らない。
というよりも,これでいいのかと思うような,
本県の実態が見えて・・・・。

2010年08月10日(火) やり遂げることの
2009年08月10日(月) 挫けない気持ちを
2008年08月10日(日) 再び東京へ
2007年08月10日(金) ここまで読んでくれて
2006年08月10日(木) 分かるだけでは足りない
2005年08月10日(水) 市教課研夏季研
2004年08月10日(火) T^3Japan年会1日目


2011年08月10日(水)



 生活・総合の研究会へ参加し

初めて,県の生活科・総合の研究会に参加。
何と小学校の方々ばかりの集まりで驚く。
昨年までは生活科のみだったとのことで,
なるほどとも思うが,それでいいのかとも思う。
必要なノウハウが,こういう場で交流されない限り,
同じ失敗を繰り返す学習になってしまうことだろう。

<発表を聴いて>
○ゲストを呼んで行う授業に際してのノウハウが,明確で素晴らしい
・どうやってゲストティーチャー募集を広めるのか。
  まずおたよりで,学習の意図を伝えておく。
  ゲストティーチャー募集前に学年委員の保護者に直接伝えておき,
  口コミやネットで話を広めていいただいたこと。
・目的をはっきりさせ,指示を明確に行う。
  仕事を上手に行うための「ひみつ」を
  できるだけ短い言葉で伝えてほしいこと。
  できたことや,がんばってやろうとしていることに対して,
  温かい言葉をかけてほしいこと。
 
ここまで砕いた言葉で明確に提示できれば,
ゲストとして参加した側も安心して何をすればいいのかがわかり,
自分の持ち味を出せるのだろう。
このあたりは,今までの自分にはかなり欠けていることだと反省。

講演での愛教大の野田先生のお話は,
いろいろなところに振れながら,
生活科・総合的な学習の今までとこれからの課題を語る。
 ・「気づきを高める」から,「思考・表現」へ
 これは無理があると感じた。「気づき」は結果で,「思考」は過程のこと。過程を含めて生徒の行動から評価せよということらしいが,40人がそれぞれ動く中で,それはかなり難しいこと。理想を語られるのはいいが,それにとらわれてしまったら,本当に大事なことができなくなる。
また,思考と表現を分けて評価しないということはどうだろうか。「分けてしまうと,「上手に」とか,「わかりやすく」などという出来映えを評価することになる。子どもが何を考え,どんな工夫をしているのかを見取りたい。」これも,理念はわかるがそこから先が,現実的ではない感じがしてならない。
・考える状況に子どもを立たせれば,自ずと気づきの質は高まる
 これはその通りだろう。活動だけではダメだというメッセージはよくわかる。でも,どうやって考える状況に立たせるのか。その具体が必要になる。
・総合的学習の探求の学習過程4つ【①課題設定②情報の収集③整理・分析④まとめ・表現】のうち,
③が欠けている。

 個々の追求の中で適確な整理分析を求めるのは,とても難しい。それが個々のレベルで既にできるぐらいなら,総合的な学習は必要がない。現実問題として個々の課題に取り組んでいるとすると,まとめや表現をしなければ,教師は,整理・分析のためのヒントを出すことすらできない。中間発表のようなものを行うことができればいいのかもしれないが。
 昔は,課題設定の段階を個に委ねるというだけで,革命的だった。とはいえ,それが当然の時代になると,その次が大事になってくる。
 
理想を掲げるのはいいが,かえって足かせになる手法では困りもの。
学ぶことを通して,それぞれの生徒の血となり肉となっているか。
そのための手だてとなっているかどうかで判断したい。
今の自分の実践の強みや,時代的な位置付けを教えていただいた感じ。


2010年08月09日(月) 次の一歩を考え出す夏に
2008年08月09日(土) 敗れた後に
2007年08月09日(木) 思いの幅を広げること
2006年08月09日(水) 集団を見るだけでは足りないもの
2005年08月09日(火) 対応に追われる
2004年08月09日(月) 出番の多い一日


2011年08月09日(火)
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