以上。
2003年10月30日(木) |
choh bad day |
傷つけられ傷つけ 最悪な日だった。
単館系の映画「blue」。 偶然よったレンタル店にあった。 コノころ見た「Jam Films」とはまた違って、 人間くささを、違和感を伴うほど感じた。 「tokyo.sora」では気持ちよささえ感じた人間関係も、 ここでは不器用に紡がれていた。 音の一つ一つが妙にリアルで、 自然の音以外、唯一のBGMであるギターとつたない笛の音が あどけない心をツライくらいに表していた気がする。 つかみきれない「これから」と精一杯いきている「今」。 はざまに残された気持ちが単純かつ複雑に時間とともに過ぎていき 少し寂しい気もした。
おまけ 遠藤の台詞で幾度も出てきた乾いた「へぇー」、 ちゅらさんでの医者役と少しダブって懐かしかった。 1:49:08のシーン。いい場面であるはずなのに、 左後ろの雲が人相の悪い猫に見えてちょっと可笑しかった。
モノトーンに染まった部屋にいた。 一瞬目が悪くなったのかとも思ったが、 どうやら雨が降っているらしい。 2、3年くらい前に「カラーズ」という映画があったけど まるで、その1シーンを見ているかのようだった。 地下鉄も、傘ごしに見る町並みも 雨音の中、静かにただずんでいた。
日記というよりメモ帳化している ここのページが、地味ぃに広められていることを あらためて知った。 研究室のPCの履歴になぜか残っている。 ここから得た情報で 安否について話し合っているらしいのだ。 呼んでくれたら出向くのに。
疲れて午前中は寝まくった。 午後から打ち合わせ。 面倒だ。
の発表をちょっと聞きに行く。 活発に質疑しているのは先生方ばかりであったが、 アドバイスあり、誘導ありと、 学生の勉強にはとてもいい機会だな と思った。 いつもの学会とは違った雰囲気。
で大洗まで出かける。 といっても、いつもの東海村行きと違って 東京駅まで送迎付。 こんな経験は人生史上そんなにあるわけわけもなく よくわからないまま会場まで出向く。 パーティー会場まで専用バスがあったり 帰りのバスはビールに日本酒つき。 周りを見ると偉い人ばかりの中 異例の待遇におののきまくる。
柏で会議。 終わった頃には土砂降りの雨で はたはた呆然とするばかりだったが 思ったより早く話もまとまったし ま、いいか。
プラズマ照射してきた。 自分のと、電中研の分。 これって交通費出るのかな?
ミーティング〜。
きっ・・・きつい・・・。 しかも明日から学校にこれないので その他事務手続き等で 本郷・根津界隈を歩きまくる。 さいわい天気もよく いい散歩といえば言えなくもないが 別に言いたくもない。 なにも今日1日でこなさなくてもいいじゃんか。 夜も打ち合わせあるし・・・ あっ、書類もう一個みっけ。 めんどくさいなぁ〜。
駅の近くに飲みに行った。 こんなに飲んだのか ってくらい飲んだ。てか こんなにいたのか ってくらい集まった。 いや、ほんとびっくり 店、貸切状態だよ。 いつも人に会うか会わないか っていうような研究室なのに 東京+東海+卒論生+M0 が集まると、何処に行っても 夏の海の芋洗い状態さながら になるのね。 コレからが楽しみだ。
板倉ラーメンを食べた。 相変わらず味がしょっぱく てきとうなラーメンだったけど 相変わらずチャーシューは おいしかった。 いつまでも変わらないんだろうな この味は。
2003年10月18日(土) |
運転中、バタンという音と共に |
運転席側のドアがいきなり開いた。 別に半ドアだったわけでない。 手とか足とか触ったわけではない。 暗かっただけにちょっとあせった。 直接悪さしてくるのは珍しい。
右から軽トラ 左からタクシー ドガシャーン。 そのまま向かいに止まっていた車まで おされて どがしゃーん。 前の車がおじゃまで衝突時は見れなかったけど こっちに曲がってきた時のことを考えると よかったのかな。 だいじょーぶだったのかなアレ。 結構ゲームな衝突だったよ。
病院にいく。 はやく行けって言われればそのとおりなんだけど なんせ、歩くのもつらかったから。 救急箱の抗生物質と解熱鎮痛剤を飲んでいたけど どうも効いていないのか よくなる気配がみられない。 ホントに風邪か?と思ったりもしたけど 医者が言うには風邪らしい。 一応、血とか採られたりして 結果を月曜日に聞きに行くことになった。 もらった薬、 今まで飲んでたのと一緒なんだけど 大丈夫なのかな?
学校に行ってみたものの やっぱり調子が悪い。 とりあえず最低限のお仕事して早退(?っていうのかな)。 だんだん寒気が増して震えがとまらず 布団+寝袋に、ホットカーペットまでつけだす始末。 薬の副作用かお腹の調子まで悪く のどの痛みがピークに達し、熱までまた上がってきた。 昨日よりは楽だけど8度近くあった。 しかもまだまだ上り詰めている気配。 指がしびれてきた。 普段6度もない平熱でコレはきつい。 昨日は怖くてはからなかったけど 絶対40度は越していたに違いない。
夕方からの会議にはどうしても出たものの 寒気がする。 頭が痛い。 タクシーと車を乗り継ぎ、薬局経由で帰り 布団にもぐる。 どうやら熱があるらしく氷で頭を冷やしつつも まだ寒く、布団の中で寝袋に入っていた。 のども痛く間接もきしみ、まったく動けない。 このまま死んでもいいなぁ なんてモウロウとした意識の中で感じながら、 なにも考えられなくなっていく。 そのうち、水を飲むのに手を伸ばすことすら 困難に感じるようになり もう一度薬を飲んで、床に就く。 こんな時には、モノを読むのはつらくても パソなら打てそう、なんて考えるコトじたい 熱に犯されてる?
2003年10月10日(金) |
あの時の友達は頭よかったんだ。 |
以前学会で知り合った友達の大学 を見学しに行ってきた。 ソウル大学は町かと思うくらいに広く 車も右往左往しており、 お邪魔した研究室も車で 入り口から5分くらいのところにあった 研究室もあちこちに点在し、 熱心な説明のもと、いろいろと歩き回った。 実験ごとに担当の学生が説明してくれたんだけど みんな普通に英語を使える話せる。 日本の学生はだめだめですな。 なんて単純に思うしだい。 実験室の間をぞろぞろと歩いていると これまた他の学会で知り合った楽しい奴もそこにいた。 えっ、この大学だったんだ。 失礼とは思いつつも、こやつもできる奴だったんだなと 改めて関心。
2003年10月09日(木) |
発表がやっと終わって当然のごとく |
飲みに行く。 お金をおろそうとATMを探していると 怪しいおじさんに声をかけられ イミテーションツアーに連れて行かれたり、 仕事帰りのおっちゃんに焼肉を紹介されたあげく なぜか一緒にテーブルに座られ乾杯してみたり、 夜の街のおいちゃんに、優しい声で 「いい店、車のって10分くらいのところあるよ」 なんて声かけられて「いやーまた来ますよ。」って断ってみたら 「優しい顔して車で店すすめるところは危ないからやめたほうがいいよ」 となぜか焼肉屋の名刺を渡してくれたり ・・・でもこれ、 忠告を素直に聞くと一番危ないのは、あ・な・た?
危険極まりない一夜を楽しんだ。
2003年10月05日(日) |
そうこうして韓国に旅立 |
って見たものの、まぁ当然のごとく ・言葉がわからない →空港から市街地に出るのにバスに乗ったものの いったい何処にいるのかさっぱりわからん。 ・ホテル周辺の情報もない →晩飯はどこで食べたらいいの? ・街の看板すべてハングル →まったく看板の意味がない。
人間一人でいることより モノが食べれないコトのほうが どれだけ切ないか感じた夜。
自分:あさってからのソウル、特にまだ調べてないんだけどなぁ。 M2君:あ、明日からのアメリカ、まだ荷物つくっていませんよ。 なんて国際的な研究室。 ってか、内容も十分おかしい気が。
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