Leaflets of the Rikyu Rat
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2006年09月20日(水) |
To homo demens |
ただ逃げてるだけだ、そんなんじゃ何処に行ったって絶対失敗するよ、と言われる。 行ってみないと絶対かどうかなんて分からない、 確かに失敗するかもしれない。失敗する可能性の方が高いかもしれない。また泣きをみるかもしれない。 それでもいい。
そう反論する。 いや論ですらない。ただの願望だ。 祈願しながら自分はどこにも行くことが出来ないような気がして途方に暮れ始める。 日常生活を送っている領域があって、その領域の中でしか行動が出来なくなっていくのではないか。 それ以外の場所へ行くことが出来なくなるのではないか。 そしてそのテリトリーが徐々に狭まってくるのではないかというおかしな強迫観念に晒されている。
いったいどこへ行けると言うのだろう。
何かを打ち破らなければならない。 そんな風に僕が思っていたのかどうかは分からない。
今朝夢の中で熊を殺した。 ナイフで滅多刺しにした。 起きたときの気分は最悪だった。 最悪の形で“打ち破”った。 僕はそうしたいのだろうか?
僕は感情を理性で押し込めているのだろうか。 それとも、理性に僕が押し込められているのだろうか。
二年前はあんなに泣かされていたのにいつからだろう、 裏切られてもまたかと思うだけで涙が出なくなった。 経験のせいなのか。 それとも、涙も何者かに押し込められているのだろうか。
泣くためにどこかへ行けるならそれでもいいと思った。
(題名は鬼頭莫宏『なるたる』23話「ホモ・デメンスに向けて」より引用)
2006年09月13日(水) |
私の目は被害者の目 私の手は加害者の手 |
我が家の犬が死んだと言う連絡が母親から届いた。 午前十一時半、こんこんと眠り続けていた最中に鳴り響く受話器は僕を不機嫌にした、そんな時間まで惰眠していた自分を責めることも無く。 犬が死んだと言う報せは僕を眠りから完全に覚ました。 僕は「死」と言う言葉の威力をそれによってやっと思い知る。
正直に言って悲しみはそれ程湧かない。 在るのは喪失感だけ。
我が家の犬は僕が小学五年生の頃にやってきた。 父親がある日突然貰い受けたのだった。 「かわいかった」「誰も貰い手がいなかったら最終的には殺される」 ありがちな理由だった。 小さい頃どれ程自分が犬を飼いたいを言ってもダメだと言っていた癖に。 と僕は深く根に持ち続けた過去を追憶し反芻する、 しかし目の前に佇む犬の愛くるしさに相好を崩すのだった。
僕はペットを飼うべきではない人間である。 何故ならば僕は彼らを投げ出したくなるからだ。 一時の愛情を注ぎ満足し飽きてしまうからだ。 僕は人間以上に彼らに対して興味を抱き続けることが出来ず、 面倒を見続けてやることも出来ず、 また彼らも人間と違いひとり(いっぴき)で生きて行くことが出来ない。 放って置いたら死んでしまう、僕はそうして幾許かの小動物や昆虫を殺してしまったことがあったのだった。
そんな僕にとって、その我が家の犬は僕にとって最後のペットと決めた犬であった。 最後なのだから出来る限り面倒を見ようと決めた犬だった。 結局覚悟した割に大した責任を果たすことも無く僕は自身の信念の弱さに呆れることにもなった。 親に散歩に連れて行けと言われ嫌々と外へ出る僕、そんな僕を見て尻尾を振る犬、この犬は何も悪いことなんてしていないのだった。
ひとを悲しませるのは思い出だ。 他者との時間の共有だ。 契機となる出来事が起こり、ひとは過去を振り返らざるを得なくなる。 僕は嫌々行動してばかりであったけれど、けれどそんな僕の行動でも喜んでくれた犬が愛おしかったし哀れにも見えた。 もっと丹念に世話して上げられるひとのところへ引き取られていればずっとずっと幸せになれたのに、と思った。 そもそも犬に幸せだなんて概念が理解できるのかも良く分からない、 そんなことを思う暇があるのなら何故もっと世話をしなかったのだろう、けれど嬉しそうに尻尾を振る姿は今も目に焼き付いている。
今日、田舎にある祖父の遺した小さな山に埋葬しに行くとのことだった。 実家に帰ったら祖父の墓参りと共に我が家の犬の墓にも行こうと思う。
(題名は鬼頭莫宏「なるたる」より引用)
2006年09月07日(木) |
degeneration |
努力できることは才能なのか。 違う、環境だと僕は思った。 環境によって努力は当然となり勤労は必然となり常識は常識となる。 ということはつまり、環境によって努力が苦痛で無くなる場合、それは最早努力では無いのだろうか。 無いとしたら、努力とは苦痛を我慢し続け精進することなのだろうか。 つまり耐え忍ぶことが努力なのだろうか。 とすると努力とは忍耐力なのだろうか。 忍耐力は集中力で補えるのだろうか。
などと努力するための手段を探すため必死に仮定を繋いでも、僕には徒為だ。 努力が苦痛で無くなる環境作りが必要なのだと思う。 努力を努力なのだと自覚しなければ良い。 僕は努力など出来ないのだから。 無意識でやっているそれを、楽しんでやっているそれを 他者が努力と名付けてくれればしてやったりなのである。
別に努力したい訳じゃない。 欲しいのは結果と他者からの評価だ。
来年試験に受かったら東京で就職先を探そう、 落ちたら鹿児島の実家に帰って勉強しよう、と決意する。
たまにフラリとどこかへ行きたくなることがある。 基本的に僕は甚だしくインドア派であって、 また「どこへ行くか」と言うことより「誰と行くか」と言うことを重視する。 何処かへ行ったとき、そこに在るものはただ在るものとして目に映り、 僕にとってはほとんど意味を持たない。 誰かと行くことによってその場所は初めて、 「誰々と行った想い出の場所」「こんなことが有ったところ」と言う意味を持つのである。
と言う話を以前ひとにしたら「すごく色眼鏡を通すんだねえ」と言われたけれど、 本当にその通りで、だから僕は普段家に篭もるのだと思う。
勿論例外もあって、純粋に場所自体を好きになることもある。 誰もいなくても(ひとりで行っても)良いところだなあと思うこともある。 そういう場所は明らかに人工的なところが多い。 鹿児島の自然の中で育ってきた僕は自然というものにほとんど興味が無く、(在って当然なものであり、) 都会的無機的人工的なものに惹かれるのだ。
(大阪に住んで四年、その“あって当然なもの”である自然が無いことに小さな違和感を覚えはしたものの、 無いからと言って特に大きな障害が生じるわけでもなく、僅かな郷愁を感じる程度である。)
付き合っていたひとと別れて、大阪と言う場所は僕にとって辛い意味付けで飽和してる。 僕が良く行っていたところほど強く意味付けがなされていて、僕は居たたまれなくなる。 それで、ここではないどこか、何の意味付けもされていない真っ白なところへフラリとどこかへ行きたくなるのだと思う。 当然、そんな場所へひとりで行っても何の感慨を受けることもないだろう、 ただ単に意味から逃れる、という逃げに他ならないのだとは思う。 それでもどうしても大阪から離れたい、 そしてどこにも行きたくないと言う背反する感情が衝突している。 結局僕は当ても無く梅田へ繰り出し雑然とした人込みの中を歩き、疲労し、帰って眠る。
従って、大阪から逃れるため、 都会的無機的人工的なものに惹かれるため、 そして就職先が圧倒的に多いと言う現実的な理由もあり、 資格が取れたら東京へ行こうかなあと思った。 行けるのはいつになるか分からないけれど。
その上僕は或る意味非常に恋愛至上主義的な考えを持っているので、 大阪でも何か柵が発生したらどうなるのか全くわからない。 実際彼と付き合っていたという理由で大阪に就職する気が満々だったのだ。 就職する前に別れて良かったなあ、なんて今は思っているが、 こんな自分の性格は多分これからもなかなか変わらないのだろう。
2006年09月03日(日) |
狂った世の中で狂えるなら気は確か |
しかし僕は悲しいほど健康なのだ 辛いことは辛い 悔しいことは悔しい 泣きたいことは泣きたい それでも涙を出さないために下は向かない 上を見る すぐに前向きになる なってしまう そんな考え方しか出来ない これはきっと素晴らしいことなのだろう けどそんな自分が嫌になることがたまに在る
(題名は小路啓之「イハーブの生活」より引用)
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