Leaflets of the Rikyu Rat
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2006年07月30日(日) 愛し過ぎていないなら、充分に愛していないのだ。

 連絡すると言われてから何週間かが過ぎたが、彼が自身のページで僕のことについて記していたので、僕は僕自身の意見をそこに残した。日記と言うものは往々にして主観的なものなので、そこに「自分」が書かれていれば当の本人は気になるものだろう。だから彼の友人には彼の主観だけではなくて僕の主観も吟味した上で客観的に判断して欲しかった。
 (彼は僕の日記に興味が無いようだったけれど。僕は一方的に僕自身の主観としての日記を書いては悪いかと思い、また僕の心情を記したこの日記を読んで欲しいとも思いURLを送ったが、読んでは貰えなかったのだと、彼と会ったときに知った。)
 
 それから彼と会う約束が決まった。最後に会ってから一ヶ月以上が経つ。
 簡単に言うと、彼はあらゆる意味で全く変わっていなかった。

 「浮気なんてしてないって。お母ちゃんと同じ部屋でどーやって浮気すんねん」

 「今更そういう見え透いた嘘つかれると、チョー白ける」 

 あまりのアホ臭さに僕のセリフまでアホ臭くなった。数日前に遣り取りしていたメールでは「僕は浮気なんてしないよ。本気にしかならないから」なんてことを言っていた癖に何を言ってるんだろう。(今回のことが彼にとって本気であるかどうかはどうでもいいけれど、しかしこれは過去に浮気をしたことのある人間が堂々と言える言葉では無い。)彼は上記のようなセリフを周りの人間にこれから言い続けるのだろう。「浮気なんてしてないのに」。そんな態度を取る姿が簡単に目に浮かびすぎて何とも悲しくなった。
 彼はたとえ同室であったとしても「ちょっと出かけてくる」と母親に言える人間であり、そして彼のお母さんは彼の言うことを尊重する人間である。

 君はお母さんの前で韓国での夜、常に母親と一緒にいたのだと誓えますか?
 韓国人の彼の前で「僕と君は何も無かった」と言えますか?

 僕は君のお母さんに尋ねることができるのだと言うことを知っていてください。
 僕は韓国人の彼にmixiを通じて「彼がこんなことを言っていたけど、」と伝えられるのだと知っていてください。

 君の言葉が真実ならば、君は誠実な人間だと彼らは知り、僕のことをピエロのようだと感じるでしょう。
 君の言葉が偽者ならば、彼らは悲しみ、僕のことを痛々しい人間だと感じるでしょう。 

 残念ながら、君は僕のこの日記を読む気が無いようだけれど。


 「僕のこと全然信用してなかったんやな」

 「君なら“こうする”って絶対的に信用してたんだよ」 

 何度も何度も何度も嘘をつき続けられた人間が、相手を信じ続けるにはどれくらいのエネルギーが必要なのだろう。信用できるかどうかなんて証拠と理論、そして経験と勘だ。僕の“絶対的確信”は別に100%な訳じゃない。98%もしくは95%くらいかもしれない。であったら、その残りの2%あるいは5%であるのだという、具体的な証拠と理論を提示して欲しいのだ。


 「結局人間自分がいちばんやからね」

 この言葉を聞いて、ああ、僕は彼と別れて良かったのかなあと感じた。
 彼は良く「愛してる」なんて言った。
 「愛」と言う言葉が好きなようだった。
 しかし彼は「結局自分がいちばん」だったのだ。
 彼の「愛」は自己愛でしか無いのだと知った。
 

 僕がこうして怒りを解放すると「若い」と言われる。
 悲しみを直情的に書き記すと「若い」と言われる。

 僕は相手のために死ねると思っていた。
 だから相手も僕のために死ぬくらい愛して欲しいと思っていた。
 隣人愛とまでは言わない、一生付き合って行こうと言う人間に対してだけでいいのだ。

 それはそんなに難しいことなのだろうか。
 みんなそんなに自分自身のことが大事なのだろうか。

 そう言うと「若い」と言われる。

 若さとは何なのか。
 黙って耐え忍ぶのが大人なのか。
 あきらめることが大人なのか。
 世間の荒波に揉まれ、社会の厳しさを知り、世の中こんなもんだと思うことが大人なのか。
 それが日本人の美徳なのか。

 無論、それまで付き合っていた相手を責め立てている僕の行為が「若い」のだろう。
 けど責め立てられるようなことをしたのはどこの誰だ。

 巫山戯んな。


 昨日彼は僕の荷物を持ってきた。
 僕は彼の家の鍵を返した。
 彼は去り際、僕にハグを求めた。
 笑ってやりすごしたものの目を疑ったのだった。
 その心すら疑ったのだった。


 (題名はパスカルの言葉を引用)


2006年07月17日(月) 一粒の麦、地に落ちて死なずば、唯一つにて在らん、もし死なば、多くの果を結ぶべし。

 彼と付き合っていて何よりも良かったと思うこと。
 それは僕が家族を大切にしなければならない、しなければならないではなくて大切にしたい、と思えるようになったことだ。
 奇しくも、彼はそんな僕の心の変化には気が付かなかったようだ。少し残念だけど。
 もちろん、僕の心中におけるそのような些末な変化では彼の理想とは程遠かったのだろうとは思う。
 しかし僕が何よりも良かったと思えたそのことと、彼の僕に対する見限りの原因が同じであるだなんて、何て皮肉なのだろう。

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 僕は小さい頃から父親が大嫌いだった。
 そしてそのような父親に愛情を注ぐ母親が嫌いだった。
 気性の荒い父親。すぐに殴る父親。酔っ払う父親。発言が矛盾してばかりな父親。

 「ここは俺の家だ。嫌なら出て行けばいい。」
   
 何も知らない世間知らずな子供だった僕がどこへ行けたと言うのだろう?出て行けなかった僕は甘えていたのだろうか?

 全てが俺様な父親が僕は昔から大嫌いで、小さい頃の目標は口で父親を負かすことであった。
 高校生になりようやく僕が父の矛盾をつけるようになったら、父親は上記の発言を繰り返した。嫌なら出て行け。それでも口答えをすれば手が飛んでくるのだった。
 
 僕は悩みがあっても決して親には話せなかった。
 何故ならば、母親への言葉は父親への言葉であることを意味したからだ。
 母は必ず父へ告げる。
 それは必然であり、僕はこの事実ほど「必」と言う字が似合うものを知らない。
 そこに防波堤は一ミリメートルたりとも存在しなかった。
 己の子供のことは全てを父親に曝け出す。それは母親の信念のようでもあった。
 僕は何があっても父親にだけは悩みを告白したくは無かった。それが僕の誇りだった。すがりつける、唯一の、ちっぽけな誇り。

 「大学は勉強するところだ。嫌なら働け。」

 勉強は勿論する。けど、それより大切なものがあるのでは無いか。
 受験生の僕は父と激論した。
 将来のために、大学には行きたい。 
 しかしその時僕はそれ以上に人間に対する興味が溢れていた。むしろそれしか無かったと言っても過言ではない。
 いろんな人間と会話し、いろんな人間のことを知りたかった。
 勉強よりも何よりも、出来る限りひとと触れていたかった。
 まともに考えれば今は勉強すべきとき。
 そんなことは分かりきっている。
 けど僕は今、まさに今、したいことがあるのだ。どうしてもしたいことがあるのだ。何を失っても良いから、したいことが、あったのだ。
 それはそのときの僕に決定的に欠けていたものだった。そのことに僕は気付いてしまったのだ。
 そのようなこと、父親には言えなかった。

 「大切なもの」と言う言葉で暈す僕を、父親は正論を掲げ僕を威圧した。
 「うちの高校は全員が大学を受験するのだ。うちの高校はそのための高校なのだ」
 最早そのような屁理屈しか言えなくなった僕を、

 「それならお前が最初の例を作れ」

 父は一刀両断するのだった。
 
 それから僕は両親を欺き続けた。文句を垂れつつも両親の言うことは大抵守った。親に手を上げたことも一度も無い。良い子であろうとした。良い子であるように見えるための努力をした。そして良い子であるために自身を欺き両親を欺いた。良い子であること、それは耐えることと同義だった。

 そして結局僕は耐え切れず、自分に正直に生きることを選んだ。

 高校三年になってから僕はほとんど勉強しなかった。成績は下がり続ける一方だった。両親は初め激昂し、そして呆れ、父親は僕の顔を見れば機嫌が悪くなり、母親は予備校のパンフレットを漁った。せめてもの救いは当時の担任がそんな僕のことを理解してくれたことであった。
 大学には受かっていた。センター試験の点数がだいぶ良かったのだ。それでも、合格者一覧に掲載された己の受験番号をネットで調べたときには驚いた覚えがある。本当に勉強しなかったのだ。父親には「それ去年の番号だぜ」と揶揄され一瞬殺意を覚えた。しかし間違いなく今年の合格者番号だった。
 受験なんてこんなもんなのかと思った。(おそらく真面目に僕の大学を受験したひとから見れば、僕は最低な人間だろう。)(しかしその後“ツケ”が回って来たのか、当然僕自身の行いのせいなのだが、今の僕は無職街道マッシグラである。その話は今は置いておく。)

 一人暮らしを始めてから変わったのは僕よりもむしろ父親だった。

 大阪へ移って三年目の僕の誕生日。風呂から上がれば留守電が入っていた。祝いの言葉だった。耳を疑った。まさかこのようなことが起こりうるのだろうか。起こって良いことだったのだろうか。しかもそれだけでは無かった。
 暫くして、保険証の更新があるからカードを送れと母親から連絡があった。(このような事実は僕が両親に扶養されているのだと自覚させる。)
 カードを送って数日後、更新された新しいカードが送り返された。カードは白の厚紙に貼り付けられていた。その裏には現金が五万。無造作に書き殴られた「うまいもんでも食え」と言うメッセージ、そして父親の署名があるのだった。

 結局僕は「うまいもん」など何一つ食わず、気付けばその金は生活費として日々の支出の中で消えて行った。
 僕には父親が急に手の平を返したように思えて不思議でならなかった。不思議に思うと言うよりも、むしろ戸惑った。急に返された手の平によって、僕自身が抱いていた父親に対する感情を無かったことになどされるのだろうか。無かったことになどしてしまって良いものなのだろうか。
 消えて行った金とは対照的に、僕の中ではもやもやとした想いが募るばかりだった。
 
 他にも様々な遣り取りがあった。
 そのような出来事を時折思い出したように彼に話をすれば、彼はいつもこう言うのだった。

 「父ちゃんは啓介のことが好きなんやって。絶対そうやって」

 彼はさも、「子供のことを愛さない親などいないのだ」とでも言うかのごとく僕にまくし立てた。
 子供を捨てる親はいる。
 僕は悩んだ。

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 彼と二年半付き合って、僕が最も影響を受けたのは彼の家族観だ。
 それは初め忌むべきものとして僕の目に映っていた。
 けれど今は違う。そしてそのことに関しては、僕は誰よりも彼に感謝している。
 
 そんな彼と別れることになったのは本当に残念だけど、そのことに関してどうこう言う気はもうしない。

 別々の方向へ進むことにはなったけれど、僕はこれからもしっかりと歩いて行く。歩いて行かなければならない。


 (題名は新約聖書ヨハネ伝第十二章二十四節より引用)


2006年07月13日(木) クロネコ宅急便

 恋愛沙汰と言うものは多くの場合、客観的に見て、非常に陳腐でくだらないものだ。たとえ当人にとっては絶対的なものであったとしても。
 そして己の恋愛の顛末も、ひとたび文章化してみれば衝撃を受けるほどのくだらなさを呈すことになるだろう。
 その顛末を己の眼で客観視し、噎せ返るような感情に止めを刺したい。
 そして可能ならば、次回のくだらない(けれど僕にとっては非常に重要な)恋愛へ生かせるように。

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 事は彼の挙動不審な様子が目に付き始めた頃より始まる。
 挙動不審、と言っても最近良く言う“キョドってる”というような意味ではない。“いつもと違う”と言う、真っ当な意味で挙動が不審だった。
 そもそもその一番初めのきっかけは何だったのかと言うと、僕が彼をmixiに招待したことから始まる。
 一般の人間にmixiが大々的に普及する少し前、同じようにゲイの間でもmixiが爆発的に流行った。
 ゲイは流行と言うものに非常に敏感だ。早速ゲイ雑誌でも取り上げられた。一時期ゲイバーはmixiの話題が席捲した。
 そんな訳で、ゲイにとってmixiは単なる友人との交流の場であるだけではなく、同時に“出会いの場”としても大きく活用されている。(従って、鍛えた肉体を露出するなどしたゲイがちらほらと散見する、一般人から見れば非常に気持ちが悪い状態も垣間見られる。)
 どちらかと言うと、彼をmixiへ誘うことに積極的だったのは僕の方だった。
 出会いの場としてのmixi、という側面に一抹の不安を感じたことは事実であった。
 だが、それよりも彼を信頼しつつ、お互いに楽しいネットライフを送れれば良い、と思っていた。
 しかし、不安は的中した。

 簡単に言えば、ただそれだけのことだ。

 とりあえず、己の気持ちを辿るためにも、詳らかに書こうと思う。
 彼はmixi内をフラフラと彷徨い、たまにメッセージを送りマイミク要請を出し、(ちなみに彼のトップ画像は僕が撮影した。多くのゲイに好まれやすい格好、服装をしている。)ときには要請され、そして晴れてマイミクとなり、楽しいmixiライフを送り出しているように見えた。
 それほどゲイの友達も多くなかった彼に友達が増えたことを、僕も嬉しく思っていた。
 この日記を長く(かつ注意深く)読んでいた人間は知っていると思うけれど、彼は生まれも育ちも日本で、三歳の頃に帰化し国籍は日本になっているものの、血筋は在日三世の韓国人である。新しくなったマイミクには韓国人の方もおり、彼と非常に仲良くしているのを僕は喜んで見ていた。
 そしてある日突然、その韓国人のひとが日本に遊びに来る!ということになった。
 彼は実を言うとそれほど乗り気な様子を僕に見せてはいなかった。期待もあったとは思うが、それ以上に不安もあったのだろう。また、今回の来阪ではマイミクの男性以外にも二名友人を同伴するということで、それ以外の男性と話が合うかという不安もあっただろう。韓国人の男性は日本語、英語共に堪能であるようであったが、他の男性がそうであるかも分からなかったようだ。
 あっという間に月日は流れ、彼らが日本にやって来る日は訪れた。彼は昼前に仕事が終わるということで、午後から大阪を案内することになったようだ。僕は自分の家で独り勉強をしていた。
 その日、夜中の一時ごろ電話がかかってきた。

 「ごめんごめん、終電乗り遅れてさ、今から帰るよ」

 この時点では特に気にも留めていなかった。
 遥々日本までやってきた方をもてなせたかどうか、僕も気がかりだったのだが、終電を乗り過ごすほど楽しめたのでは、と思い、安心した気持ちになっていた。
 「○○まで」タクシーに場所を告げる声が聞こえて来る。
 それは彼の実家の方向であり、少し僕が不快に感じたのは事実だ。(何故一人暮らしの部屋へ戻らないのだろう?)そして、これみよがしにタクシーに乗ったのだ、とわざわざ僕へ伝えようとした風にも思えた。(疑りすぎかもしれない。しかし、更に疑えば、その後僕はすぐに電話を切ったので、その後に「やっぱりさっきのところへ戻って」と言うことも、可能性という面からすればありえることなのだ。)(ただ僕の直感ではこの日はこのまま帰ったのではないか、と思っている。)
 暫く日が経ち、僕は彼の家へ泊まりに行った。
 その日は僕の誕生日の翌日だった。
 僕は彼から貰ったバースデイカードに書いてあった、「ずっとそばにいるからね。愛してるよ。」という言葉に素直に感激し、幸福感で一杯だった。
 その際に「この間はどうだったか」と尋ねると、「顔が大きかった」などと言う、韓国人の方の悪口しか得られず、不思議に思った。

 (終電に乗り遅れるほど楽しんだはずなのに?)

 そしてその日から、僕は、韓国人の男性と会ってからの彼について深く考え続けた。
 そこで、彼の“挙動不審さ”に気付くことになる。
 まず、最初に不審に思ったのは、彼が深夜にmixiにログインしていたことだった。
 元来彼は根っからの早寝早起き体質で、それは滅多なことでは崩れない。崩れるとしたら酒か仕事か男か、だ。ただ、仕事に精を出した彼はmixiにログインする気力もなく眠りに付く。酒か男だなあ、と感じたのだった。
 そして、僕がメールを送っても、適当な返信しかくれなくなった。いちばん酷かったのは、僕が、知人から「知り合いに獣医がいないか」と尋ねられ、何か大変なことがあったのだろうかと思い、しかし僕には獣医の知り合いなどおらず、医師と獣医は違うだろうとは感じつつ、もしかしたらと思い彼を頼ったときのことだった。
 彼は件名に「知らないなあ」、本文には「疲れたから寝るよ。」とだけ打ち、僕へ送った。ちっとも親身になってもらえず、しかしその時は寂しいとは思わず、友達に申し訳ない気持ちになりながらどうやら僕の周囲にも獣医の知り合いはいないらしい。すみませんとメールを返し、釈然としないまま眠りに就いたのだった。
 翌日、夜に電話をしたが話中で繋がらなかった。結局、諦めた。
 更に翌日、僕は彼の家に泊まりに行っていいかとメールを入れたら、「今日は急病診療所で深夜まで働くから無理だ」と断られた。
 仕事なら仕方無い。

 しかし、翌日、彼は休みをとり韓国へ三泊四日の旅行をすることになっていた。そもそも彼は普段から月に一日しか休みを取らず、二人で一日ゆっくりデートすることなども滅多にないような状態であったので、僕と一緒に過ごして貰えないということを幾分寂しく思っていたのは事実であった。
 が、彼が韓国へ行くことは数ヶ月前から決まっていたことだったし、それに、お母さんとお兄さん、お兄さんもまたゲイで、そのパートナーのゲイの方、計四名で行くとのことだった。従って、お母さんに孝行するのなら、と思っていたのだが、今は全く状況が異なる。韓国には“例の男性”がいるのだ。

 このときには、僕はもう決定的な確信を抱いていたと言っても過言では無い。

 具体的な証拠などは無かったが、絶対的な確信があった。
 なので、彼が韓国へ出発する前日の深夜、僕は彼にメールを送った。
 折角の韓国旅行を詰まらない気分にさせてしまったら申し訳無いと思いつつ、しかし疑念を払いさることもできず、更にもしここで彼にメールをしなければ、確実に彼は韓国でその男性と逢うことが予想された。そして僕の手の届かないところで彼が好意を抱いている相手に逢うということ、それはもはや文章化するまでも無く自明な結末が待っていることだった。
 たった一週間前に貰ったばかりのメッセージカードの言葉がぷかりと宙に浮かび、沈んだ。

 僕は夜中の一時から三時まで、何度も何度も自分の気持ちを確かめながら、繰り返し推敲し、メールを書き上げ、送った。
 無理を言って会いに行くのでも無く、電話で話すのでも無く、
 パソコンからのメールにしたのは、
 実際に面と向かって喋って言うと、自分で自分の言葉に責任がもてなくなりそうだったり、
 何を言っているんだか訳が分からなくなってしまいそうだったり、
 つい感情的になっていろんな気持ちが溢れて泣きそうになってしまいそうだったからかもしれない。

 結局彼が僕からのメールを読んだのは彼が韓国から帰ってきたときで、そして全ては僕の予想通りになっていた。

 僕は彼のことが嫌なくらい良く分かっていた。
 そして彼もそのことを既に十分に理解しているようであった。
 とんとんと話は進み、僕と彼は別れることになった。

 僕はとりたてて非難はしないように努め、彼もまた無駄な弁解は“ほとんど”せずに全ては終わった。
 いつもは雄弁な彼がそうではないことは、「こうすることが、お互いのためにいいことだったんだ」と一方的に囁くかのようであった。
 
 ほとんど唯一と言って良い彼の弁解の言葉は、僕を最大限に傷付けた。
 それは「家族観の違い」についてであった。
 まさか今更そのようなことを言われるとは露ほども思っていなかった。
 この期に及んでそんなことを言い出すならば、何故彼は僕を一度振った後に「また付き合ってくれ」なんてことを言い出したのだろう。
 何故僕なんかと再び付き合いたいなんて思ったのだろう。とっくに覚悟の上では無かったのだろうか。
 (そう僕に思わせるかのごとく、ことあるごとに彼は「ずっと一緒にいよう」と確かめるように言ったのだった。)
 そりゃあ、純粋な韓国人の血を引く彼が、韓国人の男性と家族観が一致したのは当然のことなのだろう。
 しかし己の浮気を棚に上げて「家族観の違い」を免罪符的に掲げられればもう僕にはどうしようも無い。


    「もちろん不備はあります。限界だってあります。しかし及ばずながら精一杯のことはやっているのです。
    僕らができないでいることを見るよりは、できていることのほうに目を向けてください。」(村上春樹「海辺のカフカ」)


 一生懸命彼と付き合っていて良かったことを思い浮かべる。
 できることなら彼のことを恨みたくなんてないからだ。
 もちろん、彼と付き合っていて良かったことなんて幾らでもある。
 ただ、最悪の終焉が、僕の持つ凡そ二年半の記憶へ暗く重い影を落とそうとしている。それが何よりも深く悲しい。
 
 恐らく、綺麗な想い出なんてものを綺麗なままで残しておきたいなどと言うのは烏滸がましいことなのだろう。差し出がましいことなのだろう。


    「いいか、ホシノちゃん。すべての物体は移動の途中にあるんだ。
    地球も時間も概念も、愛も生命も信念も、正義も悪も、すべてのものごとは液状的で過渡的なものだ。
    ひとつの場所にひとつのフォルムで永遠に留まるものはない。宇宙そのものが巨大なクロネコ宅急便なんだ」(同上)


 世界は変化する。僕も変化する。

 新しい世界。新しい僕へ。


2006年07月08日(土) うつろな人間たち

“立ち込めていた霧が急速に晴れてゆくのを感じ”はしたものの、
心の中にある蟠りが完全に除かれたわけでは無く、
そこに残った小さなかたまりのようなものは不定期に僕を襲い、苛々とさせる。

現在の己の気持ちを固めるために、過去に読んだ本を再読している。
必ずしも以前読んだ時に感じた情が喚起されるとは限らないが、
少なからず僕が欲している形を与えられるのでは無いかと思ったのである。


  すべては想像力の問題なのだ。僕らの責任は想像力の中から始まる。
  イェーツが書いている。
  In dreams begin the responsibilities――まさにそのとおり。
  逆に言えば、想像力のないところに責任は生じないのかもしれない。(村上春樹「海辺のカフカ」)


想像力の無い人間は己の犯した罪の深ささえ気付かない。
相手をどれだけ傷つけどれ程の仕打ちを下したのか、理解すらできないのだ。
(とりたてて僕が酷い仕打ちを受けたと言う話では無い。一般論としての話である。)


  「差別されるのがどういうことなのか、それがどれくらい深く人を傷つけるのか、
  それは差別された人間にしかわからない。痛みというのは個別的なもので、そのあとには個別的な傷口が残る。
  だから公平さや公正さを求めるという点では、僕だって誰にもひけをとらないと思う。
  ただね、僕がそれよりも更にうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。
  T・S・エリオットの言う<うつろな人間だち>だ。
  その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、
  自分ではそのことに気づかないで表を歩きまわっている人間だ。
  そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理に押しつけようとする人間だ。
  つまり早い話、さっきの二人組のような人間のことだよ」(同上)


彼(FTMTGとして作中に登場する“彼”)は「僕はそういうものを適当に笑い飛ばしてやりすごしてしまうことができない」と言う。
笑い飛ばすことができない彼は真っ向から相手を批判する。論理的に。
僕は“笑い飛ばしてやりすごしてしまう”ことができるほど大人でも無いし、
真っ向から相手を批判できるほどの弁論術も有しない。
だからうじうじと悩み、本を読み、共感し、納得し、日記を書き、己の気持ちを確かめるのだ。

せめて苦しまずに済むように。


2006年07月07日(金) 殺す

 徒歩数分圏内で起こった強盗殺人はその家の三男が自殺未遂を図ったこと
により急速に加速し、事件は解決へ向かうかと思われている。三男は僕の通
う大学の生徒であった。
 事件発生当時、激しい感情の起伏(怒り・悲しみ・憎しみ・その他)に苦
しめられていた己は刹那、受験生の頃に読んだ本のことを頭に浮かべた。
 主人公が父親を“比喩的に”殺す。(村上春樹「海辺のカフカ」)
 犯行推定時刻の午前九時から正午に僕はぐっすりと眠っていた。
 まさか僕が殺したはずは無いのだが、物語との類似を感じ一瞬だけでも考
えてしまったのは事実であり、不謹慎であると感じると共に恥ずかしくなった。
 そしてその関連性によって想起したのは“軽蔑”と言う二文字により相手を
“心の中で”殺す、山田詠美「風葬の教室」。
 その瞬間、僕の心は彼女と同じ様に、“立ち込めていた霧が急速に晴れて
ゆくのを感じ”たのだった。


2006年07月06日(木) 非・nichijo

よもやテポドンが発射されていたとは露知らず、安眠を貪っていた午前。
眼を覚ませば完全に寝坊。目覚まし時計を消した記憶はござりませぬ。
皆勤していた授業を逃してしまいショックを受ける。
インターセックス・障害者の性など話が非常に重たい方向へ進んでいたところであった。
残念に思いながら外へ出れば夥しい数のパトカー。取材用のカー。警察官。
一台だけ救急車が通り過ぎて行った。
最寄のローソンへ行けばランプが点滅したまま停められた覆面パトカー。
「ただいま防犯カメラを確認中です」無線で交わす私服の女性。
周辺地図をコピーする制服姿の警察官。
強盗でも起こったのだろうかと訝しめど、雑誌を立ち読みする一般人の様子を見る限りそうでも無いようである。
列に混じり雑誌を手に取り意識を傾けた。

暫くすれば轟音。
何事かと思い外へ出れば低空飛行で近づいてくるヘリコプター。
一台、二台、三台。
同じように家から外へ出て空を見上げる住人たちは互いに顔を見合わせ言葉を交わし始める。
何かあったのだろう、しかし何があったのか良く分からない、
他人に聞き込むのも躊躇われる、後ろ髪引かれる思いで帰路についた。

最寄のローソンからアパートまでは自転車で僅か二分程度だ。
アパートの隣り、いつも通っている美容院から店員のお姉さんが
(おそらくヘリコプターの轟音のせいだろう、)顔を顰めながらドアから顔を出した。
急ターンをし彼女の方を向き「何かあったんですか」と尋ねる。

「すぐそこ、もう本当に近所であったんだって、強盗殺人」

ニュースでしか耳にしない単語に驚き眼を見張れば

「犯人がまだ逃げ回ってるんだって、外出しない方がいいかも」

なかなか怖いことを言う。

「今、行けますか?」

客が見当たらなかったので散髪できるか尋ねたら
あまりにおかしなタイミングだったのだろうか、
大笑いされながら「大丈夫」といわれた。
すぐにまた来ます、と言葉を残し一旦家に戻る。
ネットで検索しニュースの情報を探る。
NHKにて「大阪府豊中市女性死亡」の記事を発見。

「大阪府豊中市の閑静な住宅街に住む58歳のパートの女性が頭から血を流して死亡しているのが見つかった。」
「5日午後1時半前、住宅1階の応接間で、パート従業員の女性(58)が頭から血を流してうつぶせに倒れているのを、訪ねてきたパート仲間の女性が見つけ、警察に通報した。」
「パート仲間の女性は、一緒に仕事に出かける予定だった女性が電話に出ないことを不審に思って家を訪れた」
「警察は何者かが女性を殺害し部屋を物色して逃げたとみて、強盗殺人の疑いで捜査を進めている。」

そこに記されていた住所はまさに“丁”内。
ただ、とっくに犯人は逃げているのでは無いかと思い(聞かせ)、少しだけ安心した。

美容院へ行く。

「頭をぼこぼこに殴られて殺されたって聞いたよ」

暴力的な台詞に言葉を失う。

「近所で今日ナイフを持った二人組がうろうろしてたんだって」

「けどぼこぼこなんだったらナイフは関係無いんじゃないですか」

「そうだねえ、おかしいね。」

被害者の実名もあっという間に耳に入ってきた。
店員さんも聞き込みをされたらしい。

「「○○さんって言う方のこと、知りませんか」って聞かれたよ。」

「ここにいつも来るお客さんなんだけど、毎日新聞のひとに九時から十二時まで何をしてましたかって聞かれたんだって。
 何があったんですかって聞いたら、私の口からは言えないんですが、明日新聞の一面に出ますって」

散髪が終わり冷たい飲料でも買おうと再びローソンへ赴く。
二百メートルにも満たない道のりの中で警察関係者らしき人間十数名とすれ違った。
周囲は完全に騒然としている。非日常的空間。
まさか身の回りでこのようなことが起こるとは思わなかった。

被害者の方のご冥福をお祈りすると共に、一刻も早い事件の解決を願います。

---

その後「後頭部に数か所先のとがったもので突かれたような傷があり」というニュースが出ていたので、「ナイフを持った二人組」が犯人なのだろう。
早く捕まって欲しい。


2006年07月05日(水) nichijo

 茹だるような暑さに眼を覚ませば十二時。(就寝時刻は午前五時)
 大学へ赴き掻揚げの乗った冷たい饂飩を食む。
 図書館で本屋における応対マニュアルを作成しようとノートを取りだ……
無い。家に置いて来たらしい。「出来ること」が無くなり雑誌コーナーにて
「新潮」2006年2月号を手に取り席へ戻り、芥川賞候補にノミネートされた
中原昌也「点滅……」を読む。人間を・物体を観察し想いを馳せ考える彼の
文章は心地良かった。しかし「小説なんて書きたくないんだ」と書くに至って
の筆の踊り様は凄まじく稚拙な文句の応酬、まさに「文字を埋めるため」の
行動を体現しており笑えた。こちらのページを捲るスピードも速まる。そして
場面はラストへ。「俺に才能なんて皆無なのは分かっている」しかし僕は彼
には才能があると思った。
 都知事(芥川賞選考委員・石原慎太郎)に向かって「お前死ね」と叫んだ
(CDに吹き込んだ)彼がノミネートされただけでも奇跡、どのように批評され
るかが今から楽しみで仕方が無い。

 図書館の三階から階段を降りる。
 下から男の子が向かってくる。
 眩しいくらい真っ白なTシャツが眼をサした。

 家に帰りクーラーを全開18度で焚く。
 マニュアル作成。
 早い時間から本屋へ行く。
 雑誌の配置を眼に・脳に焼付ける。
 ワンピース・デスノート・銀魂・D.Gray-man・テニスの王子様etc少年ジャ
ンプコミックス最新刊発売。眼の回るような忙しさ。
 ミスは殆ど犯さなかった…はずだ。
 気付けば午後十一時。

 帰宅。北海道の知人と夜中までメッセンジャーで会話すがら、本日発売
locofrank「The First Chapter」の音源を戴く。聴く。聴けば聴く程素晴らし
い。捨て曲・パッとしない曲もある(1.2曲目がパっとしないというのはライト
ユーザー獲得と言う意味ではどうなのだろうか、しかし悪名高きインディー
ズレーベル・リミテッドレコードから独立した彼らにはそれで良いのかもしれ
ない)が、アルバムの「流れ」を作るためには必要だと思える。もう少し「冒
険」しても良かったのでは無いか?と感じたが、演奏・音は格段に格好良く
なっていた。彼らは成長している。
 「The First Chapter」:chapterは(生涯・歴史上の)重要な時期[出来事]
を意味する。まさに今の僕にピタリと一致するかのように思われた。

 僕も前へ進まねばならない。

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 (当日記は本日3:27更新mixi日記のコピペです。こちらには書いていませ
んでしたが少し前から本屋でバイトを始めました。)


2006年07月03日(月)

 飛散 滅裂した感情が 時間の経過とともに収束し大きくうねりな
がら僕の身体を支配 そしてそれは強く脈打ち肚の奥まで響く――痛い
 結論は既に導かれ それは絶望的であり しかし矮小で ただ僕に
とっては決定的な問題だった 絶対的な/だった 問題は繰り返され
 またかよと思う/またかよと思う そして僕は自ら 問題 を根本的
な部分から破棄する決意を したのだった


 / My追加
いつも投票ありがとうございました。(12/15)

加持 啓介 | MAIL

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