Leaflets of the Rikyu Rat
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2005年08月31日(水) |
整理1.ソローは沈まずに漂い続ける |
とりあえず、ここ数ヶ月間であったことを整理していこうと思う。
1.四月中旬〜六月上旬
四月中旬、付き合っていた彼に振られる。 何故振られたのかと原因を模索してみる。
・僕が東京へ就職したいと意思を決めた。遠距離は無理だ、と言われた。(当時の過去ログに何度か書いたため詳しくは省きます) ・彼の浮気と思われる行動を責め続け、彼は否定し続けた。どう見ても明らかであるのに否定するから粘着的になってしまったのかもしれない。そして最後に「もう疲れた」と言われた。 ・彼の父親が入退院を繰り返し、その世話も彼は担っていた。疲弊を加速させる理由の一つだったかもしれない。
彼に振られてから凡そ二ヶ月の間、 僕は彼を忘れることに全力を尽くした。 時折思い出しては物憂い気持ちになったり、なんとなく悲しい気持ちになったりしながらも、 時間の経過によって徐々に「忘れる」という行為を成功させていたように思う。 別れた直後は「別に啓介のことが嫌いになったから別れたんじゃないしね」と言われ、 また僕は彼のことを嫌いになどなれるはずも無く、 ほぼ毎日のようにメールを交わしていたが、少しずつその頻度は低くなっていった。 彼とはそれから、大体月に一度程のペースで会い、適当に飯を食いながら雑談し、別れた。
2005年08月14日(日) |
奥田英朗「サウスバウンド」 |
mixiからの転載です。
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奥田英朗「サウスバウンド」感想
期待と不安を持ってこの本を開いた。 元過激派の父を持った少年ニ郎の視点から描かれる非日常的な日常。主人公が小学生であり、その視点で書かれているため平易な文章が多く読みやすいところが良い。ただ、それ故に“能の舞台のような”というような比喩があるとやけに物知りな小学生だなあとやや首を捻ってしまう。物知りと言えば向井君であるが、『オルグ』『共産主義』『学生運動』『革共同』まで知っている少年が公安を知らないのも逆に不自然だ。 個人的な話になるが、うちの父親は過激派でもアカでも無いにはせよ、かなり左がかっている。早々に脱サラし、田舎へ戻り地方出版社を起業、啓発本を数多く出版。市や県を相手に訴訟を数件。電力会社は国の手先だと断ずる。原発反対運動。ブラックリスト入りし“誰でも大歓迎な無料見学”を拒否られる。某場所では座り込みのストライキで機動隊に運ばれたことあり。家へ連れてくる友達は逮捕歴のある人も多々。某左寄新聞社と懇意。趣味は農業と釣り。僕自身、小さい頃無理矢理デモに参加させられたこともある。 こうして見ると、何から何まで作中の父親一郎とうちの父親が重なって仕方が無かった。まるでうちの父親がモデルなのかと勘違いしてしまう。久々に会えば、「ムスコは今朝も元気か」などと言う代わりに「キャバクラくらい行ったか」と声をかけてくるところまでそっくりである。類似点は幾らでも挙げられるがとりあえず割愛しておく。ただし、うちの父親は一郎のような伝説の男でもなんでもなく、単なる凡夫でしかない。要するに、この作中の父親は型破りなのではなく、極端にステレオタイプなのだと言えるのではないだろうか。 経験からくる私的な意見でしか無いが、このような父親がいると、その子供たちは迷惑でどうしようもないだけだ。と、成人になった今でも僕は思う。従って、ラストでの父親への家族の想いと、僕自身の父への想いとに乖離が生じ、非常に息苦しくもなった。(…将来僕が父親をどう感じるようになるかはまだ分からない。) 作中、彼ら過激派の主張を集中して読み取っていたのだが、深い部分に入り込むとすぐに二郎が眠くなり曖昧に終わってしまう。なんだこりゃと本を投げたくなった。エンターテイメント性との兼ね合いやバランスを考えると仕方が無いのかもしれないけれど、不足感が否めない。御飯の杯数で二郎の気分が読み取れるのは分かりやすくて良いが、安易すぎる気もした。何も考えずに読めば、それなりに楽しめる。直木賞受賞作家だけあって、文章力には安心して読めた。
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僕自身は元気です。 元彼(Dr.髭熊)と復縁しました。詳しくはおいおい。
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