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育児日記。
ひでっち
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2003年01月31日(金)
誕生。


2003年1月31日 午前11時45分 誕生
<身長 53cm、体重 3330g>

「あー、分かった、分かった(^^;。」と言いたくなる様な
元気で大きな産声だった。
朝飯も食わないで、分娩室に入って4時間…。
正直なところ、我が子の無事な誕生への感動…50%。
これでやっと飯が食える&眠れるという達成感…50%。

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一晩、悶え苦しんで朝の検温の後で
かなり‘来てる感じ’な事を看護婦さんに伝えると
一度、内診してみようという事になったので
分娩室へ。
子宮口は7センチまで開いているというのだが、
あれだけ長いこと苦しんでまだ全開大には3センチもあるのかよ〜(^^;!

看護婦さん「う〜ん。このまま、ここ(分娩室)にいようか。」

私「ここからはそんなに早く進むものなんですか?」

看護婦さん「まぁね。良い陣痛も来てるみたいだし(^^)。様子をみてみよう。」

そんな風に言われたら、あと1時間もしないで楽になれそうな気ぃするじゃん。
案外、早く片付きそう…なんて思ってたら
これからまだ、まだ、4時間もかかるのさ。
朝飯も食わないで寝心地の良くない分娩台の上で4時間。
最初は9時ごろには生まれてるかな〜とか、時計を見るたびに
前向きにワクワクしていた気持は、9時半、10時、10時半、11時…と
時間を追うごとに「もう、いい加減に出て来いよ(-_-;。」と
半分喧嘩腰。
11時半を過ぎてやっと助産婦さんの口から
「次でいけますかね?」
という言葉が出たのを聞き逃さなかった。
「本当ですね?助産婦さん!」
心の中で叫びつつ、これで終わりにしたいので頑張った。
内臓まで出しちゃうくらいのつもりで頑張った。

助産婦さん「はい!もういいよ。楽にして〜。」

どうやら一番デカイ頭が出たらしい。
続き(体)はすぐ出るの?と思ってたらすぐ後に
ドゥルドゥルドゥルルン・・・というなんとも言えない震動と一緒に
何かが出た。いや、ぼっちが出た。

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産後の処置を受けながら、右手にはブドウ糖の点滴。
汗でベトベトだったけど気分は爽快。
あれだけ苦しかったのが嘘みたいに出産した瞬間に痛みが消えた。
…その代わりに‘お裾’の縫合がチクチクと痛い。
処置が終わってから旦那と少し話をして1時間半ほど休んでから
歩いて病室へ帰った。
とにかくお腹が減っていたので、病室に残されていた
朝ご飯と昼ご飯を2食とも完食して
旦那にちょこちょこと用事を頼んで
実家に出産が終わったことを報告して・・・
産後2日目までは母子別なので、これ以上はやる事がない(^o^;。
なので、日記を書いて念願のうつ伏せ寝を堪能した♪
あー・・・長い一日でした。
今日から3人家族です。









2003年01月30日(木)
陣痛。

「検診のついでに入院になっちゃったりしてね〜(笑)。」

なんて、冗談半分に言いながら夕方、
旦那の運転で定期検診を受けるために産院へ向かった。
昨晩は目が覚めるほど痛かったのに、今日の昼間は家事をしていると
なんてことないのだ。‘おしるし’もないし、予定日までは
産気づくことも無いかと思ったのだが・・・。
車に揺られるうちにお腹が10分感覚で痛みだした。

「あれ?」

産院に着いて、いつものように採尿しにトイレへ行くと…
出血が!ナイスタイミングで「おしるし」が来た。
内診すると、子宮口は2センチまで開いているという。

先生「このまま入院しちゃおうか〜。」

ということでそのまま入院することになってしまった。
帰りに「回転寿司に寄ろうね。」と約束していた旦那は
コンビニに走って弁当を届けてくれてから、家まで入院セットを
取りに走ってくれた。
病室に落ち着いて、実家に電話すると実母から
「頑張ってね。」の言葉。
素直に嬉しかった。頑張るよ。任せておいて。

その間に旦那が知らせたのだろう。
義母が様子を見に、面会時間ギリギリの産院に駆けつけてくれた。
ビックリしたけど、これがすごく嬉しかった。
もう、進むしかない。

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産院の治療衣に着替えさせられてから、看護婦さんの詰め所で
いくつか問診を受け、再び外来へ降りて『バルーン』なるものを
入れらてから、また詰め所に戻って浣腸されて病室に戻った。
実は自分の妊娠を知ってから陣痛に及ぶまで、
産前・産後の知識を身に付ける中で、私が最も嫌悪を抱いた行為が
「浣腸」だった。
だって、したことないんだもん。
でも、経験してしまえば「ふん、そんなもんか。」と捨て台詞。

旦那が荷物を届けて帰り、消灯時間(9時)が過ぎたあたりから
痛みがぐーんと強くなった。痛みの間隔を計るけど、
一定にはならない。
前日もぐっすりは寝ていないので、痛みがほんの2〜3分
治まっただけでもウトウト(-_-)゜zzz、 …で痛みで叩き起こされる
ことの繰り返し。

 *この痛みの繰り返しはいつまで続くのだろうか?
 *この痛みには本当に終わりが来るのだろうか?
 *終わりが来るのならあと何時間ほどで終わるのだろうか?
 *今の痛みは他人と比べて平均的な痛みなのだろうか?
 *実は、自分だけ他人より痛みが強いのではないのだろうか?
 *どうしてこんな痛い思いをしなければいけなくなったのか?

一晩中、そんな事を繰り返し考えていた。
陣痛の波は本当にエグイ。
腹全体を締め付けながら、すげ〜痛いのだ。
でも、そんな痛みの合間を縫って我ながらよく寝たと思う。
この細切れでもガメツクとった睡眠が後々までの活力に結びついたように思う。
そうして、気が着くといつの間に空が白んでいた。

今日が誕生日になるのかな〜・・・






2003年01月29日(水)
陣痛?

予定日を5日後に控えた夜。
パソコンに向かっていたら下腹が生理痛のように重・痛くなってきた。
「足元が冷えたかな〜(^^;?」とこの時は
あまり深く考えずに布団に入ったのが午後10時。

あれ・・・あれ?
今夜の前駆陣痛はやけに「痛い」。
陣痛か?と思って時計を見るけど不規則(12〜30分間隔)。
うーん、痛くて目は覚めちゃうけど
治まるし不規則だから・・・と旦那にも知らせないで様子を見ることに。