2016年07月28日(木) |
※※※平成28年度まとい寄稿文 |
真夏の火災を経験して 去る7月28日午前10時過ぎ頃、隣接分団の市毛地区、市毛十字路から一本入った辺りで建物火災が発生した。 自分は事務所で雑用をしていて、父親からの電話で「市毛のほうで煙があがっているぞ」と知らされた。 分団長になりたての使命感ばりばりの頃は、田彦署のほうからサイレンが聞こえてくると、 すぐに火災情報ダイヤルで確認をしていたが、最近はそこまででもなくなってしまった。 火事のサイレンとその他のサイレンの聞き分けができるし、慌ててもしょうがない。 急ぐと、慌てるは違う。 電話のアナウンスでは建物火災と言っているが、本部もいるし、隣接だし、ちょっと見てくるかぐらいの軽い気持ちで、 とりあえずアポロ帽を手に取り車で出発したのだが、早戸川の辺りまで来たところで黒煙がもうもうと立ち上っているのが見え、 これはちょっとヤバいかもしれない。団員に連絡して自主的に出動しようか考えてる矢先に、本部からの出動要請が入った。 実際に出動となると慌ててしまう。 自分は現場の鼻の先まで来てしまっていたので、ポンプ車をとりに詰所に戻ろうか迷ったが、連絡は副分団長に、 ポンプ車は機関員に任せ、とりあえず現場に行ってしまった。 二階建て住宅二棟が炎を立てて燃えており、現場付近は熱風が渦巻いていてた。こういう状況は久々だったが、 アポロ帽だけでは何もすることができず、とりあえず本部が使ってない消火栓を確保した。 国道も近いことだし取り合いにはならないだろうと判断した。 五分団長へ連絡を入れ、分団車輌をそこに着けてもらうようお願いし、指揮本部へ行って、車輌が到着次第そこの消火栓から水利を取って放水しますと連絡した。 市毛のポンプ車が到着し、ヘルメットと防火服、長靴を借りて、筒先をしょった。火点も近いので手びろめでホースを伸ばし、 放水を始めた。現場で筒先をもったのは十数年ぶりだった。 そのあと枝川の分団や団員たちがぞくぞくと駆けつけて、交代することができたが、平日の昼間ということもあって仕事で遠場に出ている人間もいるから、三個分団で一つぐらいの考えでないと昼間は難しい。 日頃から隣接分団とのコミュニケーションをとっておくのが大事だ。 結局火災のほうは二階建て木造家屋二戸が全焼。二階部分は崩れてしまい、 それが覆い被すようになってしまい、中まで鎮火するにはだいぶ時間がかかってしまった。 その後各分団数名ずつ残ってもらい残火処理にあたったが、体力の消耗も激しく、自分は使い物にならなかった。 冬場の夜の凍てつく寒さの現場は知っていたが、真夏のあの暑さの中での消火作業は初体験だった。防火服の中は滝のような汗。 放水中は緊張と興奮状態で動いていたが、一息つけた後はぐったりとしてしまった。安全管理をしなければならない立場だったが、 体力がもたなかった。 分団と言えども体力の無い者は駄目だ。今更ながら痛感する現場だった。 だからこそ体力のある若い人間で消防団を担ってもらいたい。若い人は少ないからなんて言っていられない。 確かに災害現場の悲惨さを経験せざるをえないが、使命感も芽生える。 自分達の地域は自分達で守る、そういう気持ちを持った仲間が増えてもらいたい。
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