2005年06月09日(木) 友達がいない


23歳にまでなってこんなことを言うのはものすごく恥ずかしいけれど、わたしは友達が少ない。

それでも学生時代はクラスやらゼミやらサークルやらがあったので、それなりに友達はいた気がするけれど(それでもふつうよりはずっと少ないと思う)、働き出してから激減した。会社帰りに飲みに行くなんてめったにないし、週末に友達と遊ぶのなんて月1回あるかないかくらいだ。これはひどい。
そもそも会社に友達なんてひとりもいない。

今にして思えば、学生時代の友人も、ふたりでわざわざ会う関係の人はほとんどいなかった。たとえばゼミの友人みんなで飲むとか、サークルの同期でみんなで飲むとか、そういう「公的な」集まりはあっても、個人的に遊んだりする人はすごく少なかった。

わたしは、友達なんていなくても平気、ひとりで楽しめるというタイプではぜんぜんない。いまは友達のような恋人がいるからそれほど寂しさは感じないけれど、これで恋人と別れたら、ほんとーに会社のひととコンビニのお兄さんとしか口をきかない人になってしまいそうだ。

ひとりはさみしい。いや、ひとりは楽しいけれど、それでも自分のことを大切におもってくれる人や、大切におもうひとがぜんぜんいないというのは、ものすごくさみしいことだと思う。ひとりが平気って態度はかっこいいけれど、わたしはぜったいごめんこうむりたい。友達が多くて愛される人になりたい。友達がいっぱいいるひとが本気でうらやましい。友達といっしょにわいわい騒ぐのは文句なく楽しい。おとなな人たちにバカにされても、わたしは叫ぶだろう。「ともだちほしいよー」と。
携帯のメモリーの数を自慢するひとの気持ちが痛いほどよくわかる。かれはじぶんがひとりで毅然としているような強いひとではないことを自覚していて、その不安感を友人の多さで埋めようとしているのだ。

「わたしは他人とつながっていたい。わたしはそれこそ他人に対する優しい感情を失いたくない」とは色川式大の名言である(「狂人日記」より)。他人とはほどよい距離感を保ちたいとか、ひとりでも生きられるとか、そういう考えの人に対しては、さみしくないのかなあと皮肉ではなく思う。たとえ上辺だけのつきあいであっても、ひとといっしょにいることの安心感はなにものにも代えがたい。群れてないと不安なのだ。だってわたしは弱いから。かっこわるいなあ。

なんだか開き直りみたいな釈明になってしまったけれど、わたしはこんな弱くてだめで友達がいない自分を肯定しようなんて気はさらさらない。なんで友達がいないと不安になるのか。なんでわたしは友達がいないのか。それをぐじぐじ考えているのだけれど、疲れたので今日はこのへんで。


2005年06月02日(木) 水になりたい


死にたくないけれど、水になりたいと時々おもう。

仕事や、人付き合いや、恋人や、なによりも自分自身の「いやらしさ」が面倒くさくてどうでもよくなって、すべて断ち切って何も考えずに流れていきたいとおもう。

こういうとき、人生に確固たる目的や意味があって、それに向かって精進しているひとが本当にうらやましくなる。
わたしは羨んでいるだけで、なにもしないのだけれど。


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