Art-Hanaの日記

2003年12月27日(土) 「バカの壁」を読みつつ・・・

今年は暖かい気温のX'mas,やった。
みんなとやっぱり温暖化やからなぁ、といってる。やれやれ
師走も押し迫ってき、さほどなんにもしない わたしでも
あわただしい気分になりつつある。
先日からこの頃の本ベスト10とうわさの養老さんの
「バカの壁」を読んでる。ほんまに今の人間は大人になる
にしたがい、浅い知ったかぶりの情報知識で自分の周りに
壁を張ってるもやなぁ、と改めて硬い頭になりかけること
を思う。「平家物語」の書き出しの「祇園精舎の鐘の声、
諸行無常の響きあり・・・」「方丈記」の「ゆく川の流れは
絶えずして、しかももとの水にあらず・・・」この言葉は
以前はなんとなく分ったようにそんなに深こう思いもでず
読んだり聞いたりしてたけど、この歳になると改めて自然、
宇宙、生きて行くことの真理この短い冒頭の言葉に言い表
されているのが、ようよう分る気がする。
鐘の音は物理的に考えたらいつも同じように響くけど、
それがその時々違うて聞こえてくる。それは、人間がひた
すら変っていくから、聞く方の気分が違えば、鐘の音が
違って聞こえる。川がある、けどそれは情報やから同じやが、
川を構成してる水は見るたびに変わってる、人間も世界も
まったく同じで万物流転で出来ているということを昔の人は
当たり前としてよう知ったはった・・・、生き物というのは、
どんどん変化していくシステムやけど、情報というのはその
中で止まってものを指してる。現代社会は「情報化社会」と
いわれるけど、意識中心社会、悩化社会という。
意識中心、というのは日々刻々と変化している生き物である
自分自身が「情報」と化してる状態を指す、と、近代的個人
というのは己を情報やと規定すること。
ほんまは常の変化流転して生老病死を抱えてるのに「私は私」
と同一性をとなえたとたんに自分自身が不変の情報と化して
まう。と、ほんまになぁ〜と思いつつこの言葉(理論)は
以前教わってたのになぁ・・・と、
この年の瀬に読みつつ・・・はぁ〜・・・,変化流転かぁ〜。


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