狛の日記...狛。

 

 

あたしは、 - 2004年10月26日(火)

GLAYが新潟LIVEを決行することもどうかと思うけど。
FCの発表の仕方もどうかと思うけど。
キョードー北陸の対応もどうかと思うけど。

そんなことよりも、

本人からのコメントが一言もないのが一番どうかと思う。

決めた以上、賛否両論あって。
別に本人たちだけが悪いとは思わないし、
責任を全て彼らに押し付けるつもりはない。

だけど、ステージに立つ人なんだから、
そのくらいの批判や罵声はちゃんと受け止めなさい、と思う。
自分たちが決めたことについて、
決める権利があるのだから、その責任を負う義務があると思う。

会社が決めたことだろうと、
別の何らかの力が働いたことだろうと、
そんなことはどうでも良くって。
結局最終的にメンバー自身も納得したわけなのだから。
自分の決定には、責任を持ちなさい、と思う。
本人がどこまで自覚しているか分からないけど、
自分たちの持つ影響力を知るべきだとは思った。


LIVEだって、GLAYそのものだって、
好きになるかどうかはあたしたちに選択権があって。
GLAYだから良い、だなんてあたしは絶対に言うつもりはない。
GLAYだから許せる、だなんてあたしは絶対に言わない。

彼らがいろんなものを篩にかけるのと同じで、
あたしにだってGLAYというものを篩にかける権利があって。

でもそのためには、情報が必要だから。

決定したことではなくて、
決定の裏側を暴くのではなくて、
一言でいいから、本音や言葉が聴きたいと思った。




...

新潟のこと。 - 2004年10月25日(月)

GLAYの対応に、正直凹んだ。
怒りとか、憤りとか、幻滅とか、そういうことじゃなくて。
悔しかった。


いろんな事情があったとしても、
曲げてほしくない信念みたいなのがあって。

あたしの憧れた人達は、
9年前の大地震の時に、あなたたちと全く逆の対応をしてくれたわ。

賛否両論の吹き荒れる真ん中で、
それでも一番理想の対応をしてくれたわ。


もしこれがGLAYの意思じゃないとしても、
貫いてほしいものがあったのに。



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本音。 - 2004年10月20日(水)

「あの人は亡くなる2日前にありがとうと言ってくれたのに、
 亡くなる1日前に優しく手を握ってくれたのに、
 自分は、優しい言葉の一つもかけることができなかった。
 ありがとうと、言えなかった。

 こんなに簡単な言葉なのに、どうして口から出てこなかったのでしょう。
 それが悔やまれて仕方ありません。」


アンケート用紙の小さな空白に書き綴られた文字を目で追うだけで、
声や言葉だけではない、感情の一部を突き付けられるようで、酷く胸が痛かった。
何度もその文字を読み返しながら、
胸の内側から切なくなってゆくのをはっきりと感じる。



前に進むようにと創られたからには、時を遡ることは誰にも出来なくて。
かといって後悔の念が全く残らなかったり、残っても直ぐに消えるようなことはない。

残酷なほど長い間心を蝕み、消えない傷を残してくれる。
それがその人の歴史になるといえばそうだけど、
それに耐えられるかといったら 別の問題だ。

少なくとも、
こんな言葉を綴ってくださった方にとっては苦しくて仕方のない日々だと想うのだ。
毎日、眼を醒ましたら大切な人が隣にいなくって。
もう逢えないんだと実感したら、ハラハラと後悔の想いが降り積もる。

それはあまりにも辛すぎると思うのだ。

1年経っても悲しみが消えない現実。


奇麗事はいくらでも並べられるけど、
もう大丈夫だって嘘をつくこともできるけど、

でも本当は、辛くて苦しいのが本音だと思った。


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HAPPY UNBIRTHDAY☆ - 2004年10月17日(日)

狛にとっては何でもない日かもしれないけど、
誰かにとっては特別な日だったりして。

だから、世の中は毎日祝日なのだと思った。


おめでと。JIROさん。
今日は狛にとっても少し特別に思う日だから、
心からの祝福を。

あなたの何でもない日も、HAPPYであるように。


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新たな地で。 - 2004年10月10日(日)

金沢の地でふと思ったのは。


TAKUROはひとの感情や経験を、
山や谷や、そういうUP & DOWN と表現するのだけど、
狛は方位磁針の東西南北を思い描くことがあって。


それは、
時間の流れの中で一つの線のような距離として考えるのではなくて、
放射線状に四方八方に広がってゆくベクトルのような
物差しでは計れないもののように想うから。
 


優しさとか笑顔とかに満ちた温かい南側もあるし、 
新しいものに挑戦する不安と希望に揺れる東側もある。
物事の終わりとか別れにつながるのが西側で、
冷酷さとか醜さとか苦しみを混ぜたようなカリスマ性があるのは北側だ。


誰もがみんな、それぞれの場所をバランス良く行き来して、
自分の感情をコントロールしているのだとしたら、

彼らはきっと、南側を向いていることが多いのだと思った。


南十字や琴座のベガ。
風が吹くのも南から。



でも、あたしが求めてるのは、最北端と最西端を結んだ直線の上。

悲鳴のような酷く痛々しい感情を吐き出すくらい、
どうしようもない想いを容赦なくぶつけてくるような、
そんなベクトルの上にいる彼らに逢いたいと思った。


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×印。 - 2004年10月07日(木)

○×を付けてください、というアンケートで、○しかつけてないのに。
たった一カ所だけ、きちんと×がついていて。


それを見た瞬間、ズキュンと頭を撃ち抜かれた気がした。


これができなかったのだと。
これがいまだに悔やまれるのだと。
何の変哲もない白い紙に記された記号が物語っているような気がした。

これはあたしの一方的な解釈で、
実際にアンケートに答えて下さったご本人がどんな想いで×印を書いたのかは分からないんだけど。

ただ、
満足のいく看取りというのは、医療者が勝手に解釈しているだけで、
現実には有り得ないことのように想うのだ。



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2。 - 2004年10月03日(日)

その曲に想いを馳せるのは、
ステージで音を奏でる本人たちだけじゃなくて、あたしも同じで。


のんびりと聴く時間の長い今回のセットリストの中で、
物足りなさというよりも、
少し様変わりした雰囲気をじっくりと味わうような気持ちがあった。

何か、そこにあった空気とか、音とか、雰囲気とか、
そういう全てのものを鮮やかに呼び起こしてくれる音は、
時として容赦なく人の心の奥の方に入り込んでくるのだから。

酷く痛い想い出が多い気もするのだけど、
それを思い出すのは決して辛いだけじゃなくて。
目を瞑っても、込み上げてくる想いは止められないものだな、と。

ただ、少しだけ成長したのは、
その曲を弾く、彼らの姿をちゃんと真っ直ぐに見ることができたことかもしれない。


それでも、
ツアースタートのジンクスなのか、どうなのか。
ステージに立った彼らの音があまりに響いてこなくって、
感覚だけで音を選ぶ狛としてはガックリ項垂れる瞬間があったのは事実。

左側のギター音と真ん中の歌声だけが響くだけじゃダメなんだと、
LIVEでしか聴き取り難い音が聴きたいのだと、
胸の奥の方で、少しだけ抗議の声を上げたのは狼以外には秘密だ。


LIVEの良し悪しを決めるのは、人それぞれで。
その人が良かったと想うなら、それは素晴らしいLIVEなのだと想う。

事実は、たった一つしかないのかもしれないけど、
それを判断するのは個人の自由で、
それは誰にも否定する権利はないのだから。


どこまでも広がってゆく、
深みのある音を、もっと聴きたいと思った。


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始まりに、 - 2004年10月02日(土)

その後ろ姿を見て、違うな、と。

あたしが恋い焦がれたのは、
泣きたくなるほど見惚れたのは、
もっとずっと圧倒的な威圧感と存在感を主張する、
そんな後ろ姿だったから。

嫌いではないけど、
でもどこか満たされない思いが残った。

あの頃の胸を焦がすような果てしない情熱を
誰か特定の個人に注ぐことは多分もう二度とないんだけど、
それでも、
時として込み上げてくる感情の波を上手にやり過ごすために、
また逢いに行きたいとは思った。

ただ一つ想うのは、

あなたはもっと、上を見れるはずだと。
そう、伝える術があればいいのに。


...



 

 

 

 

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