HIDEの日記
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2003年10月31日(金) 「宇宙人」は部分的に誉め言葉なんだけども。。。

今日は、本屋のお姉さんことJICAインターンで一緒だったKメイさんと昼食。お寿司。そう言えば日本に帰ってきてから1回もお寿司をまともに食べてなかったかも。ヨルダン出国数時間前にあるホテルのビュッフェで、サーモンのお寿司と巻寿司、あとはUNHCRの研修の時に一口、それくらいかな。頼んでおいた赤本をゲット。ちゃんと勉強せねば。

このKメイさんはホントおもろい人。行動や考えがユニークだから、「宇宙人」と呼んでいたのだが、本人は結構気にしてるらしい。ヒデ的には「個性的」という褒め言葉的な要素を含んだ冷やかしなのだが。。。今後はちょっと気を付けよう。反省。


2003年10月30日(木) ナース陣と再会

ヨルダンにナースとして来ていたMサヨがケニアから一時帰国していて、Mワ、Rエコとも一緒に飲む。ヨルダンミッションの最後を支えた(?)4人のナースのうち3人が集合。Mサヨは相変わらず真っ黒に日焼けしていて、変わってない。Mワとは、10月上旬に飲んで以来。Rエコとはヨルダン以来。Rエコは今Mワと同じ職場らしい。

お約束と言うか、なんと言うか、他のメンバーのうわさ話で盛り上がる。3人からは、医者よりもナースの方が性格的に合っているのでは、と勧められる。なんか分からんでもない。昔も別の人にもそう勧められたこともあるし。医者に比べて、使い物になるまでの時間も短いし確かに魅力的な選択でもあるんだよなぁ。さらに悩みが増えた。。。


2003年10月29日(水) 久々の

今日は1日家に引きこもって、勉強。ここ3週間近く、出先から出先へと渡り歩く生活だったから、こういう過ごし方も久しぶり。かと言っても勉強ははかどらず。。。3週間全く勉強しとらんかったのに、ヤバいなぁ。


2003年10月28日(火) 買い替え

携帯が調子悪い。。。メキシコ留学からの帰国直後から使ってるやつだから、もう2年2ヶ月。最近はバッテリーが残ってるのに、使用中に突然電源が落ちたりしてちょっと壊れ気味。買い替え時かな。ってことで、横浜に機種交換へ。最近の携帯って、カメラが付いてたり、GPSが付いてたり。軍事政権が支配しているような国じゃ絶対発売されないだろうなぁ、こんな携帯。しかも画面がカラーだから、1回の充電で使える時間が短い気がする。今まで使っていた携帯は、「一応カラー」って感じのやつで、CASIOのG-SHOCKをモデルにした「頑丈そうな」やつ。決して頑丈ではないのが、特徴。だって、買って最初の1ヶ月間に液晶がおかしくなって、2、3回も入院してたし。なのに、操作を新たに覚えるのが面倒で、またCASIOのやつを買っちゃった。なんか悔しい。。。しかも操作がだいぶ違うし。

そういえば、パソコンもそうだよなぁ。大学に入って初めて購入したパソコンはMac。授業で使うからという理由で半ば強制的に買わされた。さすがに今はその悪しき伝統(?)はないらしいが、現在使ってる2台目(2代目?)のパソコンもMac。こいつも4年以上使ってて、そろそろ買い替えたいのだが、やはりMacを買ってしまうのだろうか。。。分からん。


2003年10月27日(月) ユビキタスねえ、あと何10年かかるんかな?

朝、神戸のホテルから、電話代のことで電話がかかってくる。向こうの言い分。「つながる時に、1分あたりxx円かかるというメッセージが流れたはずだから、それを了承して使ったということで、返金しない」とのこと。ホントに電話会社に確かめたのかどうか知らないけど、関わり合うのももうやだから、あっさり電話を切る。まぁ、ある程度予想通りの回答かな。約2泊分の宿泊費に相当する電話代、好きなように電話会社とホテルで山分けしやがれ!けっ!

So-netからのメールにも確かに、「全国統一番号は一部のホテル等では適用されない場合もある」と責任逃れ的な記述はあるけど、だったら高い金払って接続しろ、って言うんかい?パソコンをつなげられる公衆電話も、つなぐ端子はあっても狭い電話ボックスで立ったまま、パソコンをまともに置くスペースもないまま接続するのもアホらしいし。最近ユビキタスって言葉をよく耳にするけど、ソフト面でもハード面でもまだまだだなぁと実感。


2003年10月26日(日) 阪神はどうでもいいけど、、、

今日は、河合塾の模試。最近はずーーっとUNHCRの研修で受験勉強なんてやってなかったから、当然のようにぼろぼろ。最近、医学部受験することにも疑問感じてたから、やる気もイマイチ。英語と数学だけ受けて、退出。。。うーん、迷える小羊だぁ。

夕方は、去年JICAインターンで一緒だったIイチロウ邸で鍋。京都駅で同じくインターンで一緒だった、Aユミと待ち合わせ。そしてバスで、Iイチロウ邸のある銀閣寺方面へ。。。四条大宮や二条を通っててあれれ???方向が逆???そう、乗ったバスは循環バスで反対方面のやつに乗らなきゃだったのだ。結局同じ系統のバスを3本乗り継ぎ、3分の2周してとうちゃーく!ふぅ。バスを一緒にいた、Aユミは、大学は龍谷、大学院は立命館という滋賀出身だけど、京都知ってるはずなのにー。当分それをネタにAユミはいびられるんだろうなぁ(笑)。結局Iイチロウはバス停で2時間近く待たされたらしい。日本以外ではよくあること!

Iイチロウ邸では、同じくインターンで一緒で、かつ今年も参加したというツワモノ(?)のYシだも2時間待たされてた。ゴメン。。。鍋しながら、インターン仲間のウワサ話etc.。阪神も負けて、Iイチロウやや不機嫌!?ビールかけやりたかったなぁ、阪神はどうでもいいけどさ。


2003年10月25日(土) ぼったくりホテル@神戸

朝、ホテルをチェックアウトしようとしたら、電話代の請求がなんと1万円!当然「なんでやねん?」となる。部屋からはインターネットにつなげてたけど、「市内通話と同じ扱いになる」という「0570」で始まるSo-netのアクセスポイントにつないでただけ。だから神戸とは違う番号で始まってるから、プログラムの関係で自動的に市外通話とされちゃってるのでは?と食い下がったら、「営業部長」というヤーさんっぽい人登場。今日は土曜日で、電話会社に問い合わせもできない。もし「市内通話扱いになってたら、返金してもらう」という話で、仕方なしに払う。これ以上話しても無駄だろうし。多分お金返って来ないだろうなぁ。今度から違うホテルを使おう。

夕方京都へ。明日は模試。でもやる気が。。。医学部をホントに受けるかどうか悩み始めてから、勉強してない。多分ぼろぼろだろうなぁ。


2003年10月24日(金) 神戸の旧友

昨日の夜から神戸に来てる。UNHCRのワークショップが終わって、なんだか気がゆるんでる。のんびりしよー。

夜は、筑波時代の友達のMチコと飲む。去年の夏も学会で神戸に来た時に飲んだから、1年3ヶ月ぶりかな。筑波時代はホントいろいろ(笑)あったけど、今も、いい飲み友達。向こうからは、「ヒデがツクバでの生活の幅を広げてくれた。」と感謝されてるみたい。Mチコは会計士を目指して、働きながら勉強してる。ヨルダンで経理でひどい目に遭ってるヒデはもう、お金を扱う仕事はこりごりって感じ。お互い受験生みたいなもん。来年はお互い試験受かるといいね。


2003年10月23日(木) UNHCRワークショップ DAY 10

DAY 10。今日は午前中で終わり。最後の最後でトラブル発生。テキスト紛失。どこに消えたん、一体???昨日のシミュレーションの時にだれかの荷物に紛れ込んだのかな。そして最後に修了証書をもらって、2週間弱のワークショップも終了。終わってみれば、あっという間の研修。多分次に仲間達に会えるのは世界のどっか。難民達のもとに集まる時かな、と。今回は刺激を与えてくれる仲間達に出会えて、よかった。語学を含めた、コミュニケーション、ネゴシエーション能力を磨くぞー!

今日は、ヨルダン時代の親分のYシさんが、名古屋大学で公開セミナーの日。Tッキー、Tモダさんとタクシーで名古屋大に。ちょうど始まった頃に到着。ヨルダンでも会ったことのあるメディアの人たちも来てて、ちょっとびっくり。内容は、ヨルダンでも1回聞いたことのある話だったから、特に新しい知識は得られなかったけども、聴講生からのYシさんへの質問に苦笑。とにかく「何が聞きたいのか分からん」。もしヨルダンで、我々が同じことをしたら、「はぁ、何言ってるか分からん。5W1Hを使ってもっと分かりやすくしゃべれ!」って怒られてだろう聞き方。でもYシさんはそのわけの分からん質問にも「それなりに(多分質問した側も自分が何を聞きたいのか分かってないだろうから)」答えてた(笑)。

その後、1週間ぶり、いや5日ぶりの神戸へ。


2003年10月22日(水) UNHCRワークショップ DAY 9

DAY 9。今日は1日がかりの総仕上げのシミュレーション。ヒデはウイスキーチームなので、水、衛生担当。途中で、メディア対応で、1時間くらいチームから抜ける。その間に動きがあって、情報のシェアからやり直し。交互に人が抜けて行くので、作業が進まなくて大変。しかも思い込みが強すぎるチームメイトがいて、余計はかどらない。やっぱ、話を聞く態度は大切。じゃないとコミュニケーションが取れないし。そして最後にプレゼンを行って、終了!今日で実質終わり。。。なんだか充実しすぎた日々だったから、ワークショップが終わったらボケちゃいそう。


2003年10月21日(火) UNHCRワークショップ DAY 8

DAY 8。今日は、水や衛生、サイトやシェルター、食料や栄養といった、より現場的な内容。具体的な数字を出しながらの実践的な講義だから、力も入る。そして、湾岸戦争当時の、イラクからヨルダンに流入してきた難民のキャンプの様子がビデオで!前回は、1万人以上の人が難民としてヨルダンに入ってきてたんだぁ。だから今回もそれに対処できるだけの準備をしようとしてたんだな。結局4000人くらいかな、パレスチナ人やクルド人、TCN合わせて。でもルワシッドを思い出して、ホロリ。ガンバらねば、という気が再び。


2003年10月20日(月) UNHCRワークショップ DAY 7

DAY 7。昨日の興奮も一夜明けて、ローテンション。他の研修生も休日の疲れと研修のたまってきた疲れを引きずって、ちょっと眠そう。そして、またもやネムネムな講師による、プロテクションの講義。大事な話なのだが、ちょっと他の講師に比べて話が下手だこの人。カフェインの錠剤の量が最近増えてきた。ヤバいヤバい。残りあと3日。だんだんとセンチ入ってきたよ。。。


2003年10月19日(日) UNHCRワークショップ DAY 6

DAY 6。今日は研修お休み。他の人たちは今頃名古屋観光かなぁ。ヒデは、神戸に。眠い目を擦って、JICAの兵庫センターへ。海岸沿いのすっごい近代的な建物でびっくり。神戸製鋼の跡地らしく、まわりも空き地だらけ。懐かしい顔ぶれも!去年の秋から、MeRUというNPOでアフガンに行っていた、Aオキ看護士に久々の再開。彼はもともと筑波メディカルセンターの看護士で、まさか神戸で再開するなんて!しかも昔のままの怪しさを保っていて(?)、ちょっと安心。

中級研修では、模擬患者役。心の準備が。。。患者役として体育館の床で転がって、目をつぶってたら、睡魔が。危うく意識不明になるとこだった。

午後は、Nカタ氏の講義(ワークショップ?)に参加。チーム間の人間関係を円滑にするための交流分析などなど。ヨルダン行く前にみんながこの講義受けてたら、もっとコンフリクトは少なかったんじゃないかなぁ。自分の欠点もより明確になったし。

そして研修終了後は当然飲み。明日からまたUNHCRのワークショップもあるし、早々に引き上げる。名古屋への新幹線の中、後ろの席からスペイン語が。話し掛けてみると、メキシコ人!しかもヒデがメキシコに留学した時と同じ、「日墨交流計画」で日本にきているメキシコ人!!!1週間前は、日墨グアダラ組同期と同窓会やって、そして今日は日墨のメキシコ人に会うなんて。かなり興奮状態になりながら、英語によって、頭の中でマイナリティになりつつあったスペイン語を呼び戻しつつ、話しまくる。「ふるさとの訛りなつかし、、、」じゃないけども、メキシコのスペイン語話して、だいぶ元気になったし、テンション上がった!明日からまたがんばるぞーーー!


2003年10月18日(土) UNHCRワークショップ DAY 5

DAY 5。今日がんばれば、明日は休み!前半は、セキュリティーについて、熊を素手でやっつけそうな、いかつい顔したセキュリティオフィサーから。なかなか聞いてて、ためになりそうな話。っていうか大事な話。いや、命に関わる話。しかも癖のある英語だったけど、なぜか今までの講師の中で一番聞き取りやすい英語だった。

研修も始まってちょうど真ん中。だいぶダレてきた。午後のプロテクションの話は、ネムネム。講師もちょっと話が下手?みんな眠そうな目をしてた今日の午後。

週末はノンビリと体力回復!と思いきや、神戸に!明日はJMTDRの中級研修が。ヨルダンにいた頃に申し込みは終わってたけど、飛び入りで冷やかすつもりで。JICA緊急援助隊事務局のIチハラさんと、新幹線で神戸へ。毎度毎度のことながら、参加者+講師達は飲んでたので、合流。そして、朝まで、、、のつもりだったけど、なんと12時半で終了。どーしてくれる!朝までのつもりだったから泊まるとこないぞぉ!結局三ノ宮近くのホテルに転がり込む。

飲み会の席では、医者になることに関して、ややネガティブなアドバイスが。医者なんて掃いて捨てるほどいるんだから、日本を代表するロジになれと。確かに、25歳で、ここまで経験させてもらった若者(?)は他にそう多くはないだろうなぁ。でも。。。中には、ヒデのことを考えて、というよりも団体の損得で、ロジ要員として抱えておきたい、という邪心(?)も見え隠れするアドバイスもあったから、余計悩む。自分のコミュニケーション&ネゴシエーション能力を考えて、はたして仮に日本を代表するロジに将来なれたとしても、世界に通用するロジになれるんだろうか???


2003年10月17日(金) UNHCRワークショップ DAY 4

DAY 4。昨日の夜は帰って来たの2時半。眠い、当然。今日は、今回一番楽しみにしてた4WDの運転。猿投アドベンチャーフィールドというトヨタ関連施設で、4WDのメンテの仕方や、運転の仕方。4WDに運転の仕方なんてあったとは知らずにびっくり。2WDとの切り替えを間違えると、カーブで曲がれずに事故ったりもあるらしい。日常生活でも役立ちそう。賢くなったかな。横転した車からの脱出。こんなことまず"訓練"できないよなぁ。っしてお待ちかね悪路での練習。車種はもちろん、ランクル。実はひさびさのマニュアルでヒヤヒヤ。でもどうにか、エンストもせずに走り切る。楽しかったー。帰りのバスは、昨日の疲れもあって、爆睡。


2003年10月16日(木) UNHCRワークショップ DAY 3

DAY 3。昨日のシミュレーションのデブリーフィング。一部分しかシミュレーション中は見えなかったが、他のパートがどうなっていたか、全貌が明らかに!その後は、効果的なミーティングのやり方など。やっぱ日本人は、おとなしい。実際のミーティングの場でやっちゃまずいだろうけど、「間違ったことでもを、堂々と言ってのける勇気」が必要だなぁ。たとえ違ってても、「声がでかいやつ」の意見が有利になっちゃう。そういえば大学時代の指導教官が言ってたっけ。"Presentation or Death"。今後の課題だね。

夕方、ヨルダン時代の親分のYシさん登場。そのままナゴヤの中心街に飲みに。もちろん、Tッキー、Tモダさんも。このメンバーで飲むのもほんと久しぶりでなつかしかった。Eイガさん(名前が全然隠れてない!?)もいたら、もっとおもろかったのにぃ。そして当然のように門限やぶり。明日は4WDのメンテ&運転などなど。講義じゃないから、睡魔に襲われる確率は低いはず。


2003年10月15日(水) UNHCRワークショップ DAY 2

DAY 2。昨日、寝坊しちゃったから、今日は絶対に、起きなければ、というプレッシャーのもと、どうにか、無事に起床!!!しかもシミュレーションだから、8時スタート。シミュレーションでは、なんと難民の役。基本的には部屋で、必要な食料の量や、死者を計算してるだけ。ちょっと睡魔に襲われそうに。。。シミュレーションの抜け道(?)によって、4ヶ月連続で食料不足、しかも食料ゼロの月もあったのに、「悲劇」は起こらなかった。しかも食料ゼロの月は死者ゼロ!ちょっと不思議なシミュレーションだった。。。


2003年10月14日(火) UNHCRワークショップ DAY 1

DAY 1。ふと、目を覚ますと、8時40分。。。講義は、8時半から!やばい、初日から寝坊だぁ!頭がパニクったまま、とりあえず、眼鏡かけて、資料の入ったカバン抱えて、講義室にダッシュ。みんなすでに席に着いていて、講義も始まっていた。。。冷や汗ダラダラ。まさか初日からやらかすとは。

講義と言っても、日本的な座ってるだけのやつではなく、ところどころにエクササイズがちりばめられていて、退屈せず。グループ作業が多いかな。やっぱチームワークは大事やし。でも予習にそんなに気合い入れなくてもどうにかなるかなぁ、とちょっと安心もできた講義初日。明日は1日がかりのシミュレーション!


2003年10月13日(月) UNHCRワークショップ DAY 0

今日からUNHCRのワークショップ。といっても今日の集合時間は夕方。で、名古屋大学で講師をやっている筑波時代の先輩とお昼の約束。11時にナゴヤの中心地栄で待ち合わせしたんだけど、30分早く着いちゃったのが、その後のすれ違いの始まり。。。駅で待っててもつまらなかったんで、東急ハンズへ。その後、その先輩も東急ハンズに来ることに。先輩から東急ハンズに着いたと連絡があったのだが、いつまで経っても会えず。。。なんと先輩は別の店鋪(その後、同業他社の店鋪だったことが判明)にいるらしいと分かり、結局会えたのは、待ち合わせの時間から1時間半後。これもコミュニケーションブレークダウンの1つ!?

名古屋名物、「ひつまぶし」。うーん。特にコメントなし。

ワークショップの会場は、名古屋市ではなく、お隣の日進市。日進駅の1つ手前まで市営地下鉄で、1区間だけ名鉄。そのせいで、なんと520円!高いぞ名鉄。1駅だけで200円以上も取るなんて!ヨルダンだったら、その金額でアンマンで結構長距離タクシー乗れるぞ!

ワークショップはトヨタの研修所で。びっくりするくらいきれいなところ。さっすが国連はトヨタのお客様&司令塔。今回のワークショップにはヨルダン時代の仲間のTッキーとTモダさんも参加。Tッキーは相変わらずウクレレ抱えてて、Tモダさんもひたすらマイペ。ぜーんぜん、1ヶ月半前と変わらず。

そして夕方、ワークショップ0日目スタート。1日目ではなく、0日目らしい。参加者は40名。日本人が半分くらいで、あとは、韓国、香港、中国、マレーシア、パプアニューギニア、モンゴル、インド、ミャンマーなどなど。NGOだったり、役人だったり、JPOだったり。そして、来る前に聞いていた通り、「明日までに、資料の60ページまで読んで来るように!」。60ページも、、、しかも英語だよ。。。


2003年10月12日(日) グアダラサミット2日目

グアダラサミット2日目。チェックアウト済ましてからは、鴨川シーワールドへ。シャチのショーに感動した!シャチのショーを見ながら、「平和」を実感。もし、日本が内戦してたら、絶対家族連れや、カップル、グループで、こんなところでほのぼのとしている余裕ないだろうなぁ、って。それに、動物を飼育したり、調教したりなんてこともできないだろうし。多分これが平和ってやつだろうなぁ、って。

その後、千葉へ。ところが、カーナビのせいで、迷走。。。データが古くてかつ、VICS対応ではないカーナビは、地図を読める人にとっては、無用で危険な存在かも。例えば、道なりに行けばいいところを、「斜め右前方です。」とか言われたり。。。余計道に迷うぞ!あと古いデータだったせいで、インターの名前が違ってて、ギリギリになってから、車線変更するはめになったり、Uターンする代わりに、ぐるーーーっと遠回りするルート設定したり、あまり賢くない!もしレンタカーじゃなかったら、ぶっ壊してたね。二度とカーナビなんか使うもんか!と心に誓ったグアダラサミット最終日。

その後、13日からのUNHCRのワークショップのためにナゴヤに移動。ナゴヤって、通り過ぎるだけで、ちゃんと行ったことはないなぁ。イメージとしては、「中途半端」、「名古屋コンプレックス」、、、。マイナスイメージしかないやん!

中部国際空港は日本の国際競争力を下げるだけだから、そんなもん作るなぁー!!!!ヒデは大学3年の頃(1998年)からこう言い続けてる。


2003年10月11日(土) グアダラサミット1日目

つくばの研究室で朝を迎えて、そのまま第3回グアダラサミットへ。サミットといっても、第28回日墨交流計画グアダラハラ組の同窓会。年1回ちゃんと泊まり掛けで集まってる。今回は千葉の勝浦!新鮮な魚!と思いきや、貸別荘でバーベキュー。そんなとこもグアダラ組らしいんやけど。今回の参加者はヒデをいれて6人。年々参加者が減って来てるのもちょっと気になる。

房総半島を南下するのは、初めてかも。うーん、記憶にない。予想通りの田舎。でも海なイメージが強いけど、結構、山。貸別荘に着いてからは、ひたすら話して、飲んで、食べて。そして恒例の、欠席者への強制(?)電話参加。ノリがよすぎてついてくのが大変だけど、いつまでもアホアホでいい仲間達だよなぁ。


2003年10月10日(金) ツクバ:ヒデの心のふるさと

1ヶ月ぶりのツクバへ。初めて、2階建てのでっかい高速バスに。遅いし、シートピッチ狭いし、あと2年後に常磐新線つながる(はずだ)し、いらんと思う。

一昨日UCLA留学から帰国したばっかりの元同級生と昼食。あんまし変わってなくて、逆にびっくり。本人もすんなり日本社会に復帰してしまったらしい。

その後、所属していた研究室に。今日は修論の中間発表だったらしい。無難に(?)、終わったらしい。その後、七輪でサンマ。やっぱ炭火焼きだと味がだいぶ違う。なつかしいメンバーもツクバに戻って来て、ちょっとタイムスリップ。発表終わったばかりのみなさん&準備してくれたみなさん、そして先生、お疲れさまでした。

この前、フェアトレードショップを辞めた友人も参加。どうも、NGOのトップから見たら、そのNGOがかわいくて、そこのスタッフが消耗品の駒と変わらなくなってしまったらしい。2年でベテランと呼ばれてしまうような現実。それじゃ、人が定着しないし、育たないよなぁ。多分そのトップの人の引退と同時にそのNGOは潰れるんだろうなぁ。所詮それが日本のNGOの実状さ、けっ!


2003年10月09日(木) 朝,起きられない

ヨルダンメンバーで集まって新宿の韓国料理屋さんで,焼肉!懐かしくなりつつある話やうわさ話をしながら盛り上がって。それにしても帰国してから新宿で飲む機会が多いなぁ。平均すると1週間に1回以上は新宿で飲んでる計算になる。でもさすがにこれからは飲めないなぁ。横浜に戻ってからは勉強に専念せねば。

それにしても朝,起きられない。。。10時半が平均起床時間。ヨルダンにいた頃は,毎朝7時に起きてたのに。あの頃は,「絶対に寝坊できない」ってプレッシャーで毎朝かなり気合い入れて起きてた反動で,今は,受験生という生産性ゼロ(マイナス?)な自由業(?)をやっているせいもあって,よっぽど自分にプレッシャーをかけないと起きられない体になってしまった。。。それにあの頃は,「休暇よりも朝寝坊」願望があったから,今,その野望(?)が叶ってしまい,朝起きられなくなっちゃった。やばい,かなり重症。


2003年10月08日(水) 明日から、、、。

今日も全く家の外に出なかった。うーん、ヒッキーだぁ。何もしなくて、家の中でゴロゴロ寝てるんだったら、いいかもだけど、勉強しなきゃ、な状況だから、ちょっとストレス。やっぱ1日1回は太陽の日を浴びないと。

明日からいよいよ死のロードスタート。明日は、ヨルダン時代の仲間と新宿で飲んで、10日は筑波へ行ってそのまま研究室のソファにお泊まり。11、12日はメキシコ留学時代の仲間と同窓会。そして13日から23日までUNHCRの研修。その後、関西方面をちょっとぶらぶら。横浜に戻って来るのは28日くらいかな。26日の河合塾の模試は受験会場を京都にして申し込んであるし。勉強時間確保せねば。

そういえば、今日はヨルダン時代の仲間から、「メールって転送すると、そのもともとのメールの発信者も表示されちゃうの?本読んでも書いてないから。。。」って電話が。確かに、パソコン関連の本って知りたいことが書いてなかったり、例え書いてあってもすぐに見つからなかったり、専門用語ばっかりで結局よく分からなかったり、なんだよなぁ。


2003年10月07日(火) うるさーい!米軍機とジャンクメール!

今日も米軍機がうるさい。ここ2日特にうるさい気が。イライラ。家から飛行場まで一応5kmくらい離れてるけども、うるさい。でもそのお陰で、ルワシッドでは、戦争中、夜、空爆に行く軍用機の音を聞き分けられたけども。。。

毎日2通くらい、ジャンクメールでバイアグラの広告メールが来てうんざり。そういうメールにはたまに、送信拒否するためのページにアクセスするURLがついてたりするけど、余計大量に別のところから送られて来そう。そういう広告メールって大抵海外からなんだよなぁ。スペイン語で送られて来たりもするけど、メキシコで使ってたアドレスが消滅してからはさすがになくなった。たまに送信先がずらーーっと出てるメールもあるけど、@の後ろが全部一緒になってる。ってことは、プロバイダーがリストを漏らしてる???

今日は家から一歩も出ずに、ひたすら勉強。。。うーん、滅入りそう。こんな時はハブリバブリ吸いたいなぁ。うーん、ほかに書くことないや。


2003年10月06日(月) センター申し込み

今日からセンター試験の申し込み開始。雨降ってたけど、郵便局に出して来た。8年ぶり。受験勉強始めた頃、1ヶ月前は、「最近の学生は学力低下しているらしい」から大丈夫かなぁ、ってちょっと甘く見てた。でも今はそんな余裕がなくなりつつある。。。あと3ヶ月半かぁ。間に合わせるきゃないな。

最近やたらと米軍機がうるさい。神奈川県は、沖縄県についで、アメリカの軍事施設の占める面積の割合が大きいらしい。近くの厚木飛行場に離着陸する米軍機はホントに撃ち落したくなることがしばしば。レバノンに行った時は、シリア軍がレバノン国内でいろいろ検問とかやってるのが異様に映ったけど、日本もなんだかんだ言って米軍にだいぶ支配されてるよなぁ。


2003年10月05日(日) いつまで正しい日本的NGOのあり方は「清く貧しく」なの?

昨日の夜は大学、大学院と研究室だった友達と長電話してしまった。そいつの彼女(も大学院で同じ研究室だったのだが)は、最近仕事をやめたらしい。将来フェアトレードの店を持ちたいを夢を持って、フェアトレードをやっているNGOに就職したのだが、「当然のように残業(月に100時間以上!)して」、「当然のように残業手当など支払われず」、「当然のように体調を崩し」、不本意ながらやめてしまったようだ。でもNGOなんだから、長時間サービス残業しても、当然、と思ってしまっていいのだろうか?

残念ながら日本社会ではまだそれが「当然」と一般の人からも思われ、それが「当然」のこととしてNGOが運営されている気がする。確かに日本のNGOはお金を持っていないので、そうせざるを得ないかもしれない。しかし、いつまでも「そう」していては、NGOで続けていける人なんて限られて来るし、金持ちの道楽的になっちゃうのかもしんない。それじゃ、まともな人材は育たずに、いつまで経ってもゲリラ的な活動、自己満足的な活動、そして時にはピント外れな活動しかできないんじゃない?あとドナーや一般の人たちの意識も同時に変えないと。「あの人は、NGOのスタッフのくせにちゃんとした給料を貰ってる。ドナーからのお金を途上国の人たちに使わずに、人件費に使ってるんだな。もうあのNGOにお金出すのやめよう。」ってなっちゃう。NGOスタッフがまともな生活してどこが悪い!たとえば有名な某団体の代表もファーストクラスを使って移動しているらしいぞ。日本ではNGOスタッフは「清く貧しく」ないといけないらしい。それが一般的に知られたら、そこへの寄付はどうなるだろう?おそらく日本人的感覚だったら、減っちゃうんだろうなぁ。で、マスコミもそういうのを「売れる記事」にして、喜んでるんだろうな。だからマスコミも嫌い。なんか、書いてるうちに興奮して来ちゃったから、ここでおしまい。


2003年10月04日(土) ビルマ料理?ミャンマー料理?

今日は、今年医者になった友達と、その友達のジャーナリストやってる人とビルマ料理(ミャンマー料理?国名はミャンマーに変わったけど、料理の呼び名も変わるのかなぁ。それにミャンマーって呼称も軍事政権が勝手に名乗ってるだけだ、というウワサもあるし。。。まぁ、どっちでもいいや。)食べながら、ヨルダンの話などなどを。

現像した写真の他に、CD-ROMに入ってる写真もあったけど、パソコンのバッテリーが切れて途中で終了。ちょっと残念。ヨルダンはあんな暑かったのに、日本は最近すっごい寒いなぁ。でもうちの親に言わせるとヒデが寒がりになって日本に帰って来ただけらしい。でも2月のヨルダンの大雪の写真は懐かしかった。。。

その友達に会うのは13ヶ月ぶりかな。最後に会ったのは去年の8月。向こうは、東京の病院で実習やってて、ヒデはその頃JICAでインターンでぼろぼろに(?)なってた。あのインターンやってた頃は辛かった(涙)。半分自棄になってたかな。でもメンタルにはだいぶ成長できたかな。

そういえば、そいつも医学部再受験してるんだよなぁ。なんかそういう印象がないのは何故だろう???だいぶ仲良くなってからその事実を知ったからかなぁ。うーん、不思議。でも再受験の話もいろいろ聞けた。地方大学では、「地元だと10点プラス。現役だとさらに10点プラス。多浪だと30点マイナス」だって。うぅぅ。ホントなんこれ?差別やん?公立大学が地元優遇するのはまだ納得行くけど、国立がそれやるのは差別じゃん???もしホントだとしたら、その分多く点数取るまでよ(ちょっと強気、いや、やせ我慢)。全国の国立大学医学部の教授のみなさーん、差別しないでね。おねがいしまぁす。でも実際その友達もセンター終わってから受験する大学変えて、その出身地でもない大学に再受験で受かってるわけだから、それは落ちた人の言い訳だと、思い込むことにしておこう。


2003年10月03日(金) 再スタート

再び日記再会。メキシコにいた頃もそこそこつけたたけど、帰国後挫折。。。果たして、今回はいつまでちゃんと持つんだろうか。

ヨルダンから帰国してもう1ヶ月。最近日本の寒さにやられて風邪気味。40度越えた砂漠の暑さがちょっと懐かしい。難民キャンプの子ども達は元気にしてるかなぁ。

日本に帰って来てからは、「医学部に入り直すぞ!」と勉強スタート。あと2ヶ月ちょっとでセンター試験なんだよなぁ。しかも現役の時よりもいい点数取らなきゃだから大変だ。


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