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あたしの日記
Век живи, век учись.

毎日が闘い。生きてる限り、勉強。
そんなロシアのことわざ。

イクにイケない、あたしにぴったり(笑)

こんなことをしてみました。

2007年01月18日(木) ばかな嫁一家

ダーリンはすでに去年離婚が成立しているのだが
その事情は嫁の弟が未婚なので、経営している病院の跡継ぎに子供を
ほしいと言われて、姓を嫁の姓にしたいという理由だそうで、
嫁一家から迫られて、幸い自分もちょうど離婚したかったので
勝手にせいということになったらしい。

しかしとりあえず子供に対する責任はあるし、仕事のことで
投げやりになっていたダーリンはそのまま病院の事務の仕事をし、
別姓で同居(笑

しかし、いよいよやりたい仕事ができたため、ゴールデンウィークまえには
そっちへ引っ越す予定になった。いつその話を嫁と病院にしようかと
思っていたが今週税務署が調査に入るのでそれが済んでからにしようと
思っていたらしいのだが、おとといの夜病院の経営陣に加わってくれと
ついに言われたのだそうだ。

それはできない、やりたいことがあるからやめたいと言ったそうだ。
一家全員に囲まれて大騒ぎになったと。
わたしたちを捨てる気!?といわれたそうだ(爆)

捨てる気もなにも、自分たちが離婚したんじゃ?w
あたしが嫁だったら絶対に籍だけは抜かないよ。当たり前じゃん。
なのに、去年離婚は完全成立しているから、いまさら慰謝料も
へったくれもないんじゃ???と思うんだけど。

だいたい、捨てる気もなにも、だったらなぜご飯をちゃんと作らない?
なぜエビフライを1尾も残さず食べてしまって尻尾だけを置いておく?
今日は寿司だと喜ばせておいて、わさび抜きのたこといかだけ残すのはなぜ?
ほかにもいろいろある。

まあ、そのときに自分の嫁をガツンとやっつけなかったダーリンが
悪いっちゃ悪いのだ。
あたしは、いらいらするときはちゃんと文句を言う。
あんたのそういうところが頭にくる、なぜかというと、とちゃんと話す。
ダーリンはものすごく嫌がるが、嫌なことはいやだときちんと言わないと
修復できなくなるよ、と言うとちゃんと聞いてくれる。
でもなかなか治らないけどね。

でも文句はきちんという。
そのかわりあたしに対する文句も聞く。
そんなこと聞きたくないといわれたら次の機会に話す。
(結局言うけどねw

そんなわけでとにかく文句は絶対言う。
だって言わないとそのままになってしまうからさ。

いやその、文句があれば、っていう意味だけど。
だから電話とメールだけで3年半も続いているのだ。
もう3年以上会ってないのだ。

そんなわけで、ダーリンはその日は午前3時まで詰問されていた
そうだ(笑)
税務調査があるのにご苦労なことだ。
ダーリンもねむいと言ってた。よくそんな日に3時までつきまとって
文句がいえるものだなぁ。
しかし、金曜で税務署の調査も終わり。
土曜は朝早くから家族でスキーに行くそうだ。
もちろん、嫁、嫁母、嫁弟、子供二人だけ。
ダーリンは行かない。他人だから行きません。(笑)


まあ、どうなってもいいですけどね。
嫁一家の話を聞いていると呆れるばかり。
早く縁を切ったほうがいいかんじ。
ま、そこまで増長させたダーリンも悪いけどね。(≧∇≦)ぶぁっはっはっ!!





2007年01月08日(月) 塩と水

ダーリンがいよいよ新天地に向かって旅立つようだ。
どうなることやら。


以前ダーリンがNHKに出たのだがそれを見たある市役所が訪ねてきたのが
2003年。
それから4年、今年はついにそこに引っ越すことになるらしい。
すでに離婚もしているし、あとは養育費だけの問題だろう。

この連休にダーリンはその市役所に待遇などの打ち合わせに行った。
財団の準公務員待遇になるらしい。
仕事は大変だろうけど求められていくのは待遇がぜんぜん違う。
ダーリンは嬉しそうだ。

そのときのNHKのビデオをちょっと見てみた。
てのひらがぷっくりとしていた。
懐かしい。


そうだ、こんな顔をしていた(笑)



ひさしぶりに逢いたいなあと思った。

きのう今日はずいぶん電話で話した。
いろいろなことがたまっている。離婚後のいろいろなこととかも
もちろん話したが、一番話したのは新しい仕事のことだ。

どういう待遇でどんなことをするのかそして政治的なこととか
いろんなことがある。あたしがたまたま去年からちょっと役所関係の
仕事をしているので財団がどういうものがわかっていたから話が早い。
普通の人では考えられないような仕事だったりすることがある。
だからわかっていると話が早いのだ。

そんなこんなでゆっくり話した。


先々どうなることか。



2007年01月01日(月) あけましておめでとうございます

いよいよ年が明けてしまいました
今年はえっちがしたいあきこです(爆)
といいながらなかなかに波乱の幕開けなんですが・・・


人間て大変だと思う今日この頃。
生きていくのだけでも大変だ。


最近ちょっと気になっているひと
手仕事屋 きち兵衛
(てしごとや きちべぇ)

[kichibei。]1949年12月31日 長野県松本市生まれ
長野県彫刻工芸展の奨励賞を異例の20代で受賞する。
1986年NHK新ラジオ歌謡に「ねがい星」「雨」「ふる里景色」「木更津にて」な
どが採用され、作家としてデビュー。そして自らが歌う「わすれ雪」も採用され、シンガーソングライターとしもデビューを飾り、その素朴な作風と繊細で透明感のある歌声が評判となる。
1987年徳間ジャパンよりファーストアルバム「詩紬(うたつむぎ)」をリリース。以後、テレビドラマの主題歌、愛知県豊橋市立東陽中学校の校歌などを手掛け、音楽活動を続ける。

1992年にはサンフランシスコ市主催のコンサートに「日本人の心」を唄うアーティストとして招待され、日系人のみならず、多くのアメリカ人にも感銘を与える。しかし、その後音楽活動としての表だった活動を休止し、木彫刻に専念する。1999年二人の子どもたちの巣立ちを機に、再び音楽活動を始め、2枚目のアルバム「風景色」をリリース。

再デビューを飾る7月の松本文化会館でのコンサートは、SBCテレビにて「手仕事屋きち兵衛−歌・語り 遅れてきた吟遊詩人」というスペシャル番組として放映され、再び音楽関係者の注目を浴びることになる。
その後、立て続けに「素描画(そびょうが)」「安曇野(あずみの」「風暦(かぜごよみ)」「風の誘い」のCDアルバムをリリース。2001年夏〜秋にかけては、北海道から鹿児島まで20数個所でのコンサートツアーを成功させる。コンサートや講演の他に、ニッポン放送系全国ネットの人気ラジオ番組「テレホン人生相談」にもレギュラー出演。独特な言葉の表現や語り口は、聴く人の心を魅き付け、癒す。
現在安曇野在住。


こんな歌声でしんみりしちゃうのよあたくし。
年かしら?w


だけれども、新年、こんな曲で幕開けもいい。



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