ここのところダンスクラブの練習で昼休みに小学校に通ってる毎日だ。 クラブの子全員が集まるわけではないが、練習をしたいという子が一人でもいる限り、私は通うつもり。 クラブの時間の後に顧問の先生がたまには校長室でお茶をどうぞ。と声をかけてくださったが丁寧にお断りする。 職員室の前で教頭先生に声をかけられ。少し話し込む。 この教頭先生は、今年度からなんだけど、いまいちインパクトがない人だ。 どういうタイプの人なのかいまいちつかめなかった。 今日まではね。 テレビによくでてくるどこかの大学の教授に似てる。 「これも何かのご縁ですから是非、来年度もクラブの指導をお願いします。」と 今は仕事をしてないけど、来年度はどうなるかわからないし、即答はできないし、 「うちの息子もダンスをやっていてあちこちで教えてるんですよ。」 それじゃぁ。そういうプロの方に是非、指導していただくのが子供たちのためですよ! 「いやうちの息子はプロですから頼むとお金がかかるから。」 って 言ったのよ。この教頭先生! 超失礼な人だなぁ。来年は絶対に引き受けないぞ。 っていうか今年度も教頭先生に頼まれたから受けたのではなく、ダンスをやりたいという子供たちのために引き受けたのだけど
一緒に話していた顧問の先生が やヴぁいと思ったのだろう。 「毎日のように来ていただいて本当にお世話になっているんです。」 そそ 私、毎日来てるんで給食ぐらい食べさせてください。と 半分、嫌味のつもりで言って失礼します。と去っていったら 顧問の先生が走って追っかけてきた。 「来週から教頭先生が給食を用意しますから食べていってください。」 いえいえ 私は給食が食べたいわけでは、ないのだ。 私でも役に立つのならという気持ちに対しての、教頭の言葉は なんだかなぁって、思ったので、ちょっと言ってみただけ。 ま、善意の気持ちが空回りすることには慣れてるし、でも、それが簡単なものや、安っぽいもののように扱われるとかちんとくる。
あぁ こんなことやらなければよかった。
あたしは、いつもこう思うことがよくある。思うのだからやらなければいいのにっていつも後悔するのだから 「うんうん。いつか きっと報われるときがくるよ。」こういうやさしい言葉をかけてくれる友達もいる、 こういう風に理解をしてくれる友達の存在は、本当に救われる。
その時は、誰かの感謝の言葉を期待してるわけではない。 こうすると あたしも嬉しいし この人もきっと嬉しいだろうな。 この人が喜ぶとあたしも嬉しい。 きっかけは 単純にそう思うことなのだが、 最近、気がついたことは、あたしが嬉しいことだからって ほかの人が嬉しいこととは限らないということだ。 そのために時間やお金 労力を費やすことに無理をしても、誰かが喜ぶのであれば、あたしは、それを無理をしたとは思わないけど 空回りをした時には、あたしは、自分のことをすごいおバカだな。と思う。 そして自分のことをそう思ってるあたしにへこむのだ。
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